夏の俳句③(2022)
『キジトラの ボス悠々と 木下闇』
季語は木下闇。
“このしたやみ”とも読みます。
木の葉が繁って、木の下が薄暗くヒンヤリとしている様子を言います。
夏の昼前、緑の濃くなった木立の下、薄暗い中に大きな猫がいました。
この辺りのボス猫。
涼しい木陰をひとりじめです。
私が見ているとすぐにこちらを振り返ります。
離れた所から動かずに静かに見ていても、なぜかいつも気づかれてしまうのです。
『フンッ』と見下すような、ふてぶてしいお顔がなんともチャーミング。
近付こうとすると逃げて行ってしまうので、せめてカメラ、カメラと慌てていたら、もういなくなっていました。
素敵な猫さんです。
『網戸と網戸 泣く笑う叱る声』
夏休みに入っても子どもたちの遊ぶ姿をほとんど見ません。
そのかわり、というわけでもないのですが、換気のために窓を開けていると、よその家の声が網戸を通して聞こえてきたりします。
どこかの部屋の網戸から外にこぼれた声。
外から網戸を通り抜けて聞こえてきた誰かの鼻唄。
扇風機だけで暑さに耐えていた頃のご近所との心の距離は、エアコンの今よりも近かったのかもしれません。
『雲の間の朝日 子どもと 空蝉と』
雲がわずかに切れて、ちょうど顔を出した朝日が、空蝉(蝉の抜け殻)とそれを見つけた子供を、つかの間明るく照らす。
“子ども”と“空蝉”の対比です。
今をイキイキと生きている子ども。
一方で、命の宿らない物になってしまった抜け殻ですが。
空蝉は幼虫の時期の終わり。また、数日後の確実な死を意味する物──と考えました。
死期が近づいた蝉は、だいたい地面の上に仰向けの状態で落ちているといいます。
たしかに、蝉の死骸や死んだふりの蝉は足の方が上になっている印象がある……かな?
体に力が入らなくなると、蝉はどうしてもそういう姿勢になってしまうのだそうです。
仰向けだと、蝉の目のほとんどは地面を向く。
つまり、蝉は幼虫の時期に長く暮らしていた地面を、最期に見ながら死んでいくのですね。