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闇のメリーナ  作者: 池野清吉
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その後のメリーナたち、そしてアシュタルテ

●第十五章

数日後、グレモリーはマルティンが非番の日を狙ってマルティンを訪ねた。

「マルティン、ちょっと頼みたい事があるんだけど……」

「え?…グ、グレモリー!?」

マルティンは意外な訪問者に驚いた。メリーナお嬢さまに用事があるならまだしも、グレモリーがマルティンに何か頼みごとをするとはあまりにも意外だったからだ。

「あのさあ、マルティンって料理が得意だよね?」

「え?…うん、もちろんそうだよ。……もっとも、先輩たちから見ればまだ未熟だけど…でも、僕だって見習いとはいえシェフだからね」

「それで、お菓子とか料理の作り方をさ、アタシに教えて欲しいのよ……」

「え?!で、でもグレモリー、あなたは魔王でしょ?あなたのために食事を作ってくれる部下は当然いるよね?その部下に習えばいいんじゃないの?」

「それはダメよ。だってそんなことを頼んだら『グレモリーさま、どうして急に料理やお菓子を作ろうとなさるのですか?』だなんて理由を尋ねられちゃうもの」

「理由を尋ねられたら困るのかい?」

「もちろん困るわよぉ!だって…アタシがお菓子や料理を作りたい理由は…つまり…あの…そのう……」

グレモリーは急にうつむき加減になり、モジモジしはじめた。だがグレモリーの意図を理解できないマルティンは言った。

「え?何?ハッキリ言ってよ!」

このマルティンの催促に、グレモリーは少し怒った様な強い口調で答えた。

「つまりアタシは、とある男性に食べさせてあげるために料理やお菓子を作りたいのよ!いわば花嫁修業なの!…っていうか、こんな恥ずかしいこと言わせないでよ!なんでマルティンはアタシのさっきの口調で察してくれなかったのよ!?」

それを聞いたマルティンはようやくグレモリーの意図を理解した。そして

「鈍感でゴメンね」

ペコリと頭を下げて謝った後、言葉を続けた。

「つまりそういう意図なんだね。それであなたはご自身の部下に花嫁修業をしていることを知られたくないから部下には相談できない、と」

「そ、そういうことなのよ!」

うつむきながら頬を染めて答えるグレモリーは可憐だが、マルティンはそんなグレモリーがメリーナお嬢さまとの契約を解除していないこと、つまりメリーナお嬢さまはまたいつか闇のメリーナになり得ることを忘れていない。そこでマルティンは条件を出した。

「あのさ、教えるのは構わないし、何なら僕が作ったお菓子や料理をあなたが作ったことにしてあげてもいいけど、あなたは僕に何をしてくれるのさ?」

「え?…マルティンはアタシに何を望むの?」

「それはもちろん、メリーナお嬢さまとの契約の解除だよ!」

「…そ、それは出来ないわ!いえ、理論的には出来るわよ!アタシたち悪魔との契約は、アタシたちが保管している契約書を燃やしてしまえばその効果を失うからね。だけどそんなことをするわけにはいかないの。アタシが交わした契約書の数と内容はアタシの一存でどうにかできる問題ではなく、アタシが所属している派閥…つまりアシュタルテさまの派閥全体の威信にかかわる問題だからね!」

強い語気で言い切るグレモリー。だがマルティンもここで引き下がるわけにはいかない。

「僕は何もあなたが締結した契約のすべてを解除してくれと頼んでいるわけじゃないよ。あくまでもメリーナお嬢さまとの契約だけを解除してくれればいいんだ。おそらくあなたはこのミュンツァー市やその近郊に住んでいる人と契約を何件も結んでいるんだろうけど、他の人の事はどうでもいいから、メリーナお嬢さまとの契約書だけは燃やす形であれ何であれ破棄して、今後はメリーナお嬢さまが淫らになったりしないようにしてほしいんだ……」

マルティンの表情には「たとえ僕がメリーナお嬢さまと恋仲になれないとしても、メリーナお嬢さまには元の状態に戻ってほしい」という真剣さがあらわれていた。グレモリーもそれは感じていたが、かと言って自己の花嫁修業のためにたとえ一件だけとはいえ契約書を燃やすことなどできない。というか、そんなことをしたと上官のアシュタルテに知られたらどんな目に遭わされるかと考えると恐ろしくなってしまうのだ。それゆえグレモリーは強い口調で言い放った。

「とにかく、それはダメ!メリーナの契約書だろうと、その父親のベンヤミンの契約書だろうと、契約書は渡さないし燃やさないよ!」

この言葉にマルティンは驚いた。

「え?あなたはベンヤミン・フォルツァーさまとも契約を交わしていたの?」

だがグレモリーは悪びれることなく冷静に言った。

「そうよ。ベンヤミン・フォルツァーが体調を崩して寝込んでいるのは、アタシが彼と契約して彼の魂の一部が魔界の保管庫にあるからなの。ベンヤミンは商売の領域を手広くしようとしていたから、アタシが契約に基づいて記憶力を高める魔法を使ってあげたの。フォルツァー家の扱う商材がふえたのは、このアタシのおかげよ!」

「で、でも結局ベンヤミンさまが病床に臥してしまったので、メリーナお嬢さまが代理人になって苦労しているじゃないか!…というか、そもそもお嬢さまがあなたと契約して記憶力を高めてもらう必要が生じたのも、あなたとの契約が原因だったのか!」

「その件でアタシを責めるのはお門違いじゃない?だってベンヤミンもメリーナも記憶力が高まることで一時的にとはいえ商売がうまくいったんだし、それに対する債務として魂の一部をもらったり精神を一時的に支配されて淫らになったりしても、それは悪魔と契約した以上、避けられない事よ」

「……で、でも人間同士の契約ならば解除が出来るものだろう。悪魔との契約でそれに該当する制度は無いのか?」

「そんな制度は無いわ。強いて言えば契約をした悪魔の派閥の長が許可すればその契約書を渡してもらえるから、それを燃やせばその後の債務は発生しないから魂は元来いた場所……つまりその契約をした本人の肉体に戻るわね。でもアタシの上官であるアシュタルテさまがそんなことを許可するとは思えないので、アタシと交わした契約の場合は何も代案は無いわね」

「……そうか…わかったよ。あなたがそう言うなら……」

「え?」

「あなたがそう言うなら、僕はあなたに料理やお菓子の作り方を教えないよ!」

マルティンは強気に出た。マルティンとしては「ここまで言ったらさすがのグレモリーもメリーナお嬢さまと交わした契約書を僕に渡してくれるだろう」と思ったのだ。だが、そんなマルティンに対してグレモリーは最終手段に訴えた。

「そう?だったらアタシはこうするわ!」

その直後にグレモリーがマルティンの胸を指さすと、またもやマルティンの胸部や腹部、さらには頭部にまで紫色の雷撃が走り、マルティンは苦痛に顔をゆがめた。

「ほらマルティン。トーマスのように強力な天使の加護があるならともかく、アンタ(ドゥー)が魔王であるアタシに逆らっても痛い思いをするだけなんだから、おとなしく言う事を聞きなさいよ!」

その後マルティンは、フォルツァー家と商売上の協力関係にあるシュルツ家当主のガリオン・シュルツがベンヤミン・フォルツァーと同じく体調を崩したのもグレモリーと契約を交わした結果だと知らされた。そしてミュンツァー市およびその近隣の地域で体調を崩している人々の中にグレモリーとの契約が原因である場合が少なくないことも知らされた。

結局またもやグレモリーによってさんざん痛い目にあわされ、やむを得ず料理を無償で教える事になったマルティンだったが、「本業である料理の練習をする機会が増えた」と前向きに考えることでどうにか自らを奮い立たせた。

料理人の服装に着替えたマルティンは、グレモリーとともに魔界と人間界をつなぐ黒い穴を通ってグレモリーの居城の厨房に着くと、気を取り直して言った。

「グレモリーさん(フラウ・グレモリー)、まずは僕と一緒に手を洗いましょうね」

「はーい!」

そしてマルティンとグレモリーは料理の準備の第一段階として手を水で洗うと、すぐに食材の準備に取り掛かった。

今回マルティンがグレモリーに教えるのはシュトレンというお菓子の作り方だ。小麦粉やバターそして甘みを出すために砂糖も使って作る、レシピも特に複雑ではないお菓子だが、グレモリーは普段料理を含む家事全般を召使にさせているからなのかそれとも小柄だからなのか、マルティンが指導してもなかなか思うようには作業が進まない。とはいえマルティンが手伝ったおかげもあり、それに何よりグレモリー自身がキマリスを喜ばせてあげたいという想いが強く、何とかそれなりの出来栄えのシュトレンが出来上がった。

作る過程では少なからずマルティンが手伝ったシュトレンだったので、それを「グレモリー自身が作った」と言い張るには無理がある。だがマルティンは

(まあ、普段は料理もお菓子も作らないグレモリーが初めて作ったんだから、僕が手伝うのは仕方ないよな)

と思っており、「僕の助力のおかげ」などと自慢するつもりは無かった。グレモリーもマルティンと同じく普段は料理もお菓子も作らないのだから手伝ってもらうのは仕方ないと考え、マルティンの助力があるとはいえ頑張って作ったシュトレンを誇らしく思った。

微笑んでいるグレモリーを見たマルティンの胸中は複雑だった。

(こうして好きな相手のために料理をしている姿を見る限り、グレモリーは単なる恋する乙女だよな。いや、実際に恋する乙女なんだけど……でも僕を殺そうと思えば殺せるほど強力な霊力を持っているし、以前も今回も致命傷を負わせない様に手加減したとはいえ霊力の稲妻で僕を苦しめたし、やっぱりなるべくかかわりたくない存在だよな……)

第三者的視点で見れば可愛らしいお嬢ちゃんに過ぎないグレモリーだが、マルティンとしてはそんなグレモリーに対して「僕の秘密をメリーナお嬢さまにバラした上に今回も僕を痛めつけた憎い相手」という気持ちをぬぐい去ることが出来なかった――


その後もマルティンは非番の日に時々グレモリーから呼び出されたが、しまいには料理人としての仕事がある日にもマルティンに頼みごとをしたいというグレモリーの要求に対して、メリーナを通すことになった。

料理長のルドルフも他の先輩シェフたちも「メリーナお嬢さまのお使いに行くなら仕方ない」と考えてマルティンが時々仕事を休むことを認めたが、料理人に限らずフォルツァー家の人事全体を統括するアルフレートの内心はメリーナの決定に対して穏やかではいられなかった。

ある日の夕方、メリーナはアルフレート爺やからの質問に戸惑っていた。

「お嬢さま、最近のマルティンはどうしたのですか?」

「え?『どうしたの』とはどういう意味?」

「料理長のルドルフも『お嬢さまのおつかいという事情ならば仕方ない』と言ってマルティンがどこかへ行くのを認めていますが、最近のマルティンは時どき疲れている様子が見受けられます。お嬢さまは何故そんなに頻繁にマルティンをお使いに出すのでしょうか?お嬢さまやマルティンに何があったのか、この爺やに教えていただけませんでしょうか?」

「そ…それはぁ…ええとぉ……」

メリーナは言い淀んだ。説明しようにも、まさかグレモリーという魔王に逆らえず魔界で料理の指導をしているなどと言っても信じてもらえるわけがない。とはいえウソをついたらそれもそれで後々やっかいだと感じたメリーナは、ウソではないが核心をぼやかした形で回答をした。

「それはね、私の知り合いの御婦人ダーメから『料理の指導のためにマルティンを派遣してほしい』という依頼があって、断り切れなかったのよ」

「左様ですか。ちなみにメリーナさまとその御婦人とは昔からのお知り合いで?」

「それほど昔からの付き合いではないわ。父が病気で寝込むようになってから知り合ったのよ」

この発言は嘘ではない。そもそも父のベンヤミンが病床に臥せなければベンヤミンの代わりにメリーナが貿易商としての仕事をする必要など無く、それゆえ記憶力を高めてもらうためにグレモリーを召喚する必要も無かったのだから。だが、メリーナの回答を聞いたアルフレートは根本的な疑問が拭えなかった。

「お嬢さま、おっしゃることは分かりました。でも何故マルティンを派遣したのですか?マルティンは年齢の割には有能な料理人だとは思いますが、このフォルツァー家にはマルティンより年長で経験豊富な料理人もおります。そうした者を派遣した方が良かったのではないですか?」

「ええと…まあ、たしかに料理の技術ならば我が家の厨房にはマルティンより上の人は居るけど……でも、マルティンじゃないとダメだわ。その子は彼になついているのよ(ダス・キント・マーク・イーン)。」

「『そのダス・キント』とはどういう意味です?お相手は御婦人ダーメと言うよりもお嬢ちゃん(メートヒェン)ですか?」

「う…ええと、まあ…確かにお嬢ちゃん(メートヒェン)と言えないこともないわね……」

どうにかギリギリ嘘をつかないでアルフレートの問いに答えようとしたメリーナは返答に窮した。外見上は第二次性徴を迎えていない女児であり精神年齢も幼いグレモリーだが、実際にはどんな人間よりも長く生きている魔王たちの一翼を担っている。そんなグレモリーを「お嬢ちゃん(メートヒェン)」と呼んで良いのだろうか?

何故メリーナが言い淀んでいるのかは分からないアルフレートだったが、素朴な疑問を投げかけてみた。

「ならば、そのお嬢ちゃんの父親あるいは母親が料理を教えれば良いのではありませんか?よそさまのご家庭についてあまり立ち入ったことはくべきじゃないかもしれませんが、そのお嬢ちゃん(メートヒェン)のご両親はそろってご不在なのですか?」

「……そ、そういうことはないと思うけど……と、とにかくその子ども(ダス・キント)に料理を指導するのはマルティンでないとダメなのよ!詳しい事情は言えないの!」

「かしこまりました。何か事情はおありの様ですが、マルティンの所在をお嬢さまが把握なさっているなら、これ以上は問いません」

アルフレートは恭しく頭を下げてその場を去った。

どうにかアルフレートの追及をかわしたメリーナは、気苦労のあまりベッドに身を投げ出しながら考えた。

「今まで考えたこともなかったけど、悪魔の家族構成ってどうなっているんだろう?」

グレモリーは恐らく悪魔の中では相当に年少だろうし、ひょっとしたらいま生きている悪魔の中では最年少かも知れない。だがそれでもどんな人間よりも年長である。天使や悪魔は全般的に人間よりはるかに長寿であろう。ならばもしグレモリーに親がいるならその親というのはどれくらいの年齢なのだろう。そして悪魔だけでなく天使にも親がいるとするなら、その者たちは何という名前で、いつごろ生まれたのだろう?

そんな疑問が湧いてきたメリーナだったが、ベッドでしばしの仮眠を取った後は今までどおり再度自身がやるべき仕事、そしてマルティンがグレモリーの居城での仕事を速く終えてくれることだけを気にする様になり、天使や悪魔の家族構成に関する疑問は頭からすっかり消えてしまった。


●第十六章

トーマスが神父を務める教会の懺悔室。普段は様々な懺悔に対して的確なアドバイスを与えて罪の意識を軽くして、更には懺悔した人と一緒に被害者に謝罪に行くこともあったトーマスは、様々な相談に慣れていた。だが、今回はそれまでにない難解な質問に直面していた。

その日の懺悔室には、とある美青年が来ていた。トーマスはその人物から「旧約聖書に関してどうしても納得できず、ぜひとも神父さまのご意見をうかがいたい」と頼まれたのだ。

「『出エジプト記』ですか?」

「そうです。どうしてもその内容に納得できないのです」

美青年の放った強い語気に少し気圧けおされながらもトーマスは尋ねた。

「どういった点が納得できないのですか?」

「なぜ神は直接ファラオに罰を下さなかったのでしょうか?」

「ん?と言いますと?」

「古代エジプトにおいてモーセおよびその同胞が奴隷として酷使されたのはファラオのせいです。なのに『出エジプト記』において神はエジプト全体に悪疫をもたらしたり子どもを多数殺したりする一方で、ファラオ自体を病気にはしませんでしたよね?悪いのはエジプト人の子どもでなくてファラオなのですから、ファラオを病気にするなり殺すなりすれば良かったのではありませんか?」

美青年の投げかけた鋭い質問にトーマスはしばし沈黙したが、何とか『出エジプト記』における神の行為を正当化しようと試みた。

「そ…それは確かに…おっしゃる通りですね。ですが最終的にはモーセは同胞を引き連れて海を渡ってエジプトを脱出したのですから、結果的には神のご意向のとおりになったわけですし…」

だが、その青年はトーマスの説明に納得できなかった。

「その海を渡った過程も問題ですよ。一度モーセが割った海を元に戻した際にエジプトの将兵が溺死したようですが、それらの将兵はファラオの命令に従ってモーセたちを追っだけではありませんか?ファラオの命令に従っただけの将兵が溺死したときファラオは無傷でしたよね?エジプト中の子どもが殺されたのも納得できませんが、ファラオ自身ではなくその命令に従っただけにすぎないファラオの部下たちが殺されたのも納得できません」

「……」

トーマスはこの疑義に答えることが出来なかった。そこでやむを得ず話題を変えた。

「た、たしかにあなたの言う点はもっともです。とはいえイエス様のご意志を疑うべきではありません。イエス様に対する信仰を失ってはなりませんよ」

だが相手もトーマスのはぐらかしには動じない。

「はい。私もイエス様に対する信仰は揺らいでいません。ただ、『出エジプト記』における神はイエス様の言動とは別種の、まるで単なる嫌がらせ(ベレスティグング)をしているように思えてしまい、その点が釈然としないのです」

「……」

その後、結局トーマスはその美青年による「出エジプト記」に関する疑問に答えられず、数日にわたって落ち込む結果となった。

青年の方はそこまで長きにわたってトーマスが落ち込むとは予想していなかった。トーマスが少しの間でも落ち込んで、その結果たとえ一時的にであれトーマスの霊的な感性が弱まればその間に魔法を使って任務を達成できるのだから。それゆえ落ち込むトーマスを尻目に懺悔室を出た美青年は、

(よし。これで陽動作戦は成功だな)

などと考えながらほくそえんだ。

ところで、ここで言うところの「陽動作戦」とはどういう意味だろうか?話は数週間前にさかのぼる。

その青年の居住地、すなわち魔界の東方において、彼は上官である高位魔王アマイモンから、ある懸念を聞かされたのだ。

「アシュタルテが発案した『アシュタルテを模した聖母マリアの像や絵画を人間どもにあがめさせる』という策略は確かに興味深い。しかしそれをミュンツァー市でやってのけるのは困難かも知れん」

「なぜですか?」

美青年魔王のSeirザイアは尋ねた。

アマイモンとは別の派閥であり、さらに言うとアマイモンとあまり仲の良くない派閥の長であるアシュタルテの案ではあるが、アシュタルテの案がかなり巧妙なので美青年魔王のザイアはアシュタルテの智謀に感心していたところだ。そのザイアは、上官であるアマイモンの意見に納得できなかった。

だがアマイモンは懸念の根拠を明確に述べた。

「ミュンツァー市…というか、その教区にトーマス・ミュラーがいるかぎり、よほど手際よくやらないとならないだろう。奴の見識および霊能力は人間としてはかなり高度なものだからな」

「……」

アマイモンの懸念を聞いたザイアはしばらく考えていたが、やがて口を開いた。

「ならば私がそのトーマスとかいう神父の気を引きます。さらに可能ならばそいつの気分を滅入めいらせます。その間に私自身あるいは私の部下がそのトーマスの近辺にアシュタルテを模した美術品を配置します」

「ふ~ん。それがうまくいけばトーマスの教会の近辺に…いや、ひょっとしたらトーマスの教会の中にさえもアシュタルテを模した絵画や像を配置することが出来るな」

「それは大変有意義な任務ですね!どうぞその任務、わたくしザイアにお任せください!」

ザイアは自己の属する派閥の長であるアマイモンに向かって深々と頭を下げながら言い、アマイモンはザイアに同意した――


人目に付かない場所では霊力の消耗が少ない念動力で、そして人目に付く場所では霊力の消耗を我慢してでも瞬間移動で、アシュタルテをモデルにした絵画や彫刻を広く普及させることはザイアにとっては容易なことだ。だが、トーマスの教会の様に霊能者のいる場所で魔法を使えば霊力の波動を感じられてしまう。その懸念があったザイアは、トーマスを落ち込ませて、その間に魔力で教会の倉庫や近くの民家においてもアシュタルテの像や絵画を普及させることにしたのだ。

念動力よりも霊力を消耗する瞬間移動を使用したとはいえ、たかが十枚にも満たない絵画、そして数個の像を動だかすだけだ。それらを得意とする魔王のザイアにとっては特に疲労する任務ではない。なのでザイアが懸念していた点は、魔法を使ったことが霊能者であるトーマスに気づかれる事だけであった。

しかし「出エジプト記」における神の行為に異議を申し立てられた結果、まるでトーマスの信仰している『聖書』全体に異議を投げかけられたかの様なやりきれなさを感じたトーマスは、普段なら感じられるはずの強さの霊波を感じることが出来なくなるほどに落ち込んでいた。

トーマスが落ち込んでいる、その間隙をってアシュタルテそっくりの像や絵画を教会の倉庫やその近辺に配したザイアは、

「よし。これでトーマスの教会およびその近辺での任務は終了だ!」

と言いながら、任務を終えた満足感からニヤリと笑った。

(教会なんていうのは我々悪魔にとっては長居なんてしたくない場所だが、せっかく来たんだから散策してみるか……)

などと考えて倉庫近くの裏庭を歩いていたザイアだったが、その裏庭に小走りで駆けてくる女性がいた。修道女のクラーラである。

「あれ?おかしいわね……この辺りから何らかの霊力の波動を感じたんだけど、トーマス神父は懺悔室から出ていないようだから……この辺に神父さま以外に誰か霊能者がいるっていうこと?」

クラーラが周囲をキョロキョロ見回しながら言った言葉にザイアはギクッとした。

(しまった!この教会にはトーマスの他にも霊能者がいたのか!)

ザイアは焦った。自身の霊力の波動を感じ取られたのは間違いないだろうと懸念したからだ。うかつと言えばたしかにうかつだった。トーマスの霊力が人間としては稀に見るほど強力なものであることを知らされた時点で「ならばひょっとしてこの教会には他にも霊能者がいるのではないか?」と注意をするべきだったのだ。ザイアは、その可能性を見落としていた自身の不注意を後悔した。

だが、その直後に彼は思い直した。

(いや、待てよ?この女はまだ単に「霊力の波動を感じた」と言っただけで、具体的に「誰が何のために霊力を使ったか」についても気づいていないし、ましてや私が魔王の一柱ひとはしらであることなど気づいていないはず)

そう判断したザイアは、豊満な乳房を持つ二十代半ばのその修道女に話しかけてみた。

「そ、そうですか?私にはそうしたことは分かりませんが、あなた(ズィー)は霊能力をお持ちなんですか?」

あくまでも無関係の一般人を装って話しかけたザイアだったが、クラーラの方はザイアを見ると親しげに話しかけてきた。

「あら?ハンス!…ハンスじゃないの!?」

「え?」

「私よ…クラーラよ!…あなた(ズィー)なんて他人行儀だからドゥーって呼んでよ!」

豊満なバストを揺らしながら駆け寄ってくる魅惑的な女性の意外な発言に一瞬だけ戸惑ったザイアだったがすぐに理解して応じた。

「ああ、クラーラ!ドゥーだったのか!いや、ついウッカリしてたよ!」

「ええと…まあ、ハンスでは分からないと思うけど、私はさっきこの辺から霊力の波動を感じたのよ。この辺に誰かほかに居なかった?」

「え…ええと…よく分からないけど神父さまの霊力じゃない?」

「でも神父さまは懺悔室から出ていない様なのよ。それなのにこの辺から霊波を感じたの。だから誰か霊能者がこの辺にいたんじゃないかと思ったんだけど……誰か見なかった?」

「さあ?僕は誰も見ていないけど……」

「そう…おかしいわねぇ……」

「君の勘違いじゃないの?懺悔室にいる神父さまの霊波をこの辺からのものと勘違いしたとか……」

ザイアは相手がなるべく納得できそうな可能性を挙げた。霊波を感じたこと自体を「君の勘違い」と言ってしまうと反発を招きかねない。そこで「君が霊波を感じたのは事実だろうけど、霊波の発生源を勘違いしたのではないか?」という言い方にしてみたのだ。するとクラーラは

「そうね。ひょっとしたらそうかもね……まあ、それほど大きな霊波じゃなかったので別に危険なことではないと思うけど……」

と言って納得した様なのでザイアは安心した。

だが、クラーラが次に言ったセリフにザイアは驚いた。

「でもひょっとしたら、天使さまのどなたかがこの辺で何らかの霊力をお使いになったのかもしれないわね。気になるから後で神父さまに相談してみるわ……」

「――!?」

クラーラの言葉を聞いて一分以上は沈黙したザイアだったが、やがて口を開いた。

「こ…この教会には、たまに天使が来るのかい?」

「え?…そ、そうよ。というか天使の方たちは、ミュンツァー市全体を見回すために巡回なさっていて、この教会にも定期的にいらしているのよ……それがどうかしたの?」

「い、いや何でもない。貴重な情報を教えてくれてありがとうクラーラ!」

ザイアはそう言うと、急いで教会を後にした。

(冗談じゃない!天使どもがこのミュンツァー市を巡回しているなら、魔法を使ったら俺の所在がバレてしまうかもしれない!)

念動力と瞬間移動を最も得意とするザイアであるが、攻撃用の魔法においてもグレモリーとおおむね同格の能力がある。それゆえたとえ天使と交戦する事になっても相手がよほど高位の天使の場合や多数の天使を同時に相手にする場合でもなければザイアが勝つだろう。だが、そもそもこのミュンツァー市およびその近郊での任務は戦闘に勝つことではなく、アシュタルテを模した聖母マリアの図像を隠密裏に普及させて悪魔崇拝を人間界にはびこらせることなのだ。魔力を使って霊波を天使に気づかれたら、その時点で隠密行動としては失敗である。

その後ザイアはどこに天使がいるか分からないミュンツァー市とその近隣の地域では念動力も瞬間移動も使わず、自らとその部下が直接手で運んで移動する事にした。それでもザイアの最も得意とする能力はミュンツァー市から離れた地域ではいかんなく発揮されたので、アシュタルテを模した聖母マリアの図像を人間界に普及させる任務にザイアが最適だったことは間違いないのだが。

その後、クラーラがハンスとザイアを見間違えたことはハンスの知ることになった。ハンスと再会したクラーラが

「ところでハンス、こないだは何の用事で教会に来ていたの?お仕事?」

と尋ねたからだ。この問いを聞いたハンスは怪訝そうな表情をした。

「教会って言うと君が勤務している教会のことかい?」

「そうよ」

「いや、しばらくその教会には行っていないよ。君はそこで僕を見かけたって言いたいの?」

「見かけたどころか、お話ししたじゃない!?覚えていないの!?」

「え!?そんなはずはないよ!最近は仕事が忙しくて教会に行っていないんだから!」

「?」

その後クラーラは教会での会話をハンスに伝えたが、しばらく教会に行ってさえもいないハンスには当然そんな会話をした覚えなど無い。そこでハンスは推理した。

「クラーラ、おそらく君は誰か僕によく似た人を見たのだろう。そして僕にソックリなその人物は僕のふりをしたに違いない」

「う~ん。でもそうだとすると、何故その人はすぐに『人違いです。僕はハンスじゃありません』って言わなかったのかしら?」

このクラーラの疑問を聞いてしばらく考え込んだハンスだったが、やがて何か重大なことを思いついたように話し始めた。

「おそらくその人物は、何か本名を名乗れない事情があったんだろう。もしかすると、本来その場にいてはいけない人だったんじゃないかな?それで君がその人を『ハンス』と呼んだから、そのまま僕のふりをした、というところだと思うよ」

「う~ん…まあ、たしかにそう考えれば筋が通るわね……」

いまひとつ納得できていないクラーラに、ハンスは提案した。

「また何か変わったことがあったら、僕を呼んでくれないか?父は画商として教会の近くの画廊も所有している。僕はそこで勤務させてもらうから、教会あるいは君の知り合いで何か異変があったら、その男性と関係がある話かもしれないので、僕を呼んでほしいんだ!」

この提案にクラーラは不安を覚えた。

「でもハンス、そんなことをして本店の仕事は大丈夫なの?」

画商に限らず資産家の跡取りとあれば、自らは本店に身を置いて支店に該当する画廊は部下に任せるべきだとクラーラは考えた。

だが、ハンスは笑いながら答えた。

「大丈夫だよ。僕が一番信頼している側近に本店の仕事を任せるから。それに、最近は良質な像や絵画がたくさん安く買えたんだ。あれだけ多数の聖母マリアの像や絵画を売れば、たとえ少しぐらい商売が下手な人でも儲けられるさ」

自信に満ちたハンスの表情を見てクラーラは安心した。

こうしてハンスは、自分にソックリな謎の男の正体をいつか見極めることが出来るんじゃないかという期待を持ちながら、トーマスやクラーラのいる教会のそばの画廊で仕事をすることにした。とはいえそれは単なる好奇心ゆえの行動ではない。自身とそっくりなその人物というのがもしも犯罪者だったら、その人物の顔を目撃した人が「犯人はこいつだ」と言いながら真犯人ではなくハンスを指さすかもしれない。「そんな紛らわしい男を放っておいたら、いつ僕が犯罪者あつかいされるか分かったもんじゃない」という懸念が頭に渦巻いたハンスは、

(もしもその男が犯罪者なら、僕自身が捕まえてやる!)

とまで思う様になっていった。


●第十七章

アマイモンの命令を受けたザイアの気転でアシュタルテを模した聖母マリアの像や絵画がミュンツァー市を中心として近隣の地域にまで拡散しているころ、グレモリーは激しく落ち込んでいた。

せっかくマルティンから習ってグレモリー自身が作った料理、あるいはマルティンに作ってもらった料理をキマリスに提供したのに、それをキマリスは花嫁修業の成果と考えずグレモリーからの料理の提供を「ともにアシュタルテさまの配下として貢献しよう」という同僚に対するエール、あるいは今まで幾度かかばってくれたことに対するお礼、としか受け止めてもらえなかったのだ。かといってグレモリーは直接言葉でキマリスに「愛している(イッヒ・リーベ・ディッヒ)」と言うことも出来ず悶々としていた。グレモリーにとって年下の女性である彼女の方からキマリスに「愛している」と言うのは何となく恥ずかしいことの様に思えたのだ。そんな風に自分の恋心を意中のキマリスに言えずにいるうちに、グレモリーはマルティンに愚痴を聞いてもらいながらやけ酒を飲みたい心境になっていたのだ。

そんなグレモリーは、再びマルティンが非番の日を狙ってマルティンの部屋を訪ねた。

「ねえ、マルティン!」

「グ、グレモリー!?……一体どうしたの!?」

いきなり現れたグレモリーを見て驚きが隠せないマルティン。そんなマルティンに向かってグレモリーは言った。

「実はさ、マルティンにはちょっとアタシの愚痴を聞きながら、一緒にお酒を飲んでほしいなって思ってね」

「え!?お酒!?」

「そうなのよ。それで、せっかくだからフォルツァー家の厨房からお酒を持ってきてほしいんだけど…いえ、アタシのお城にもお酒ぐらいあるわよ。でも、フォルツァー家の人たちがどんなお酒を飲んでいるのかに興味があるから、この家のお酒を持ってきてほしいの」

「そ、そんなこと言っても、倉庫にあるお酒を僕が勝手に持ちだしたら、僕は泥棒になっちゃうじゃないか!?」

「だったらあとから酒屋さんで買って補充しておけばいいじゃない。そのぐらいのお金は払うからさ……」

グレモリーは硬貨の入った袋をマルティンに渡そうとした。食材およびお酒を頻繁に買い出しに行っているマルティンにはお酒の値段が分かるので、今回持ち出すお酒の代金に該当する金額分の硬貨を受け取ると残りの硬貨はグレモリーに返した。

「僕がグレモリーのところに行くのも、お酒を持ち出すのも問題は無いよ。僕は今日は非番だし、それに今回持ち出すお酒は近いうちに買い足しておくから。だけどメリーナお嬢さまにだけは一筆手紙を書いておきたいんだ。その間少しだけ待ってくれるかい?」

「分かった。そんなの一時間もかからない用事でしょ?それくらいなら待つよ」

「うん。一時間どころか三十分もかからないさ。少し待っててね」

その場にグレモリーを待たせて急いでペン便箋を取り出したマルティンは、メリーナに宛てて手紙を書いた。そして書き終わると、マルティンは大急ぎでメリーナに渡しに行った。だがあいにくメリーナが不在だったので、彼女の部屋のドアの下に滑り込ませておいた。

その手紙には以下の様に書いてあった。

「グレモリーが一緒にお酒を飲んでほしいと言うので彼女の居城に行ってきます。うまくすればお嬢さまをお助けすることが出来るかもしれません。ご心配なさるかもしれませんが、たぶんグレモリーは僕以外の人に対しては油断をしないでしょうから、誰も同伴しないで僕が単身で彼女の居城に乗り込むのが最適だと思います。用心のためにトーマス神父とか修道女のクラーラさんにはお伝えなさるとありがたいですが、エルマさんを含めフォルツァー家の人々には僕が外出していることは言わないでください。――マルティンより」

マルティンがメリーナの部屋を去った数分後、入れ違いの様に自室に戻ってきたメリーナはマルティンの手紙を読むと仰天し、あわててトーマスの教会に向かった。

そんなメリーナの驚く様子を知らないマルティンは、酒類を保存している貯蔵庫に行くと、ワインやラム酒のうちなるべく強い酒を数本選んで持ってきた。

(ここにあるお酒の在庫なんてたまに点検するだけだからしばらくなくてもバレないだろうな。でもなるべく早く買い足しておこう……できれば明後日の買い物の際に!)

まさか悪魔であるグレモリーと付き合いでお酒を飲まざるを得ないという状況など説明してもメリーナお嬢さま以外の誰も信じてくれないだろうと思って、マルティンは「酒瓶の本数が少ないことがバレない様に一日も早く補填しておかなくちゃ」と判断した。

「ごめん、待たせたね。さあ行こう!」

「うん。アタシの城でたくさん飲もうね!」

グレモリーが作った魔界と人間界を結ぶトンネルは、グレモリーの居城の正面玄関の前にある庭とつながっていた。マルティンとグレモリーが玄関を通ってグレモリーの自室に着くと、グレモリーはワインと言わずラム酒と言わず、フォルツァー家から持ってきたお酒をマルティンに勧めた。

「さあさあ、どんどん飲んでねマルティン!」

「ありがとう!ただ、僕だけが頂いては悪いので、どうぞあなたも飲んでください」

マルティンは自らも飲みながらグレモリーにも同じくらい飲ませてあげようと、ほぼ等量の酒をグレモリーに勧めた。

「ありがとう。ではアタシも遠慮なくいただくわ!…と言うか、飲まずにいられないのよ!アタシの話を聞いてほしいからね!」

「分かったよ。おそらく恋の悩みなんだろうけど、お酒を飲みながらゆっくり聞かせてもらうよ!」

マルティンがグレモリーの勧めるお酒を遠慮せず飲む一方、礼節を尽くす様にお返しのお酌をする(ゲトレンクツリュクゲーベン)様子に好感をいだきながら、良い気分で飲み続けた。

この時のグレモリーは、自らが酒に強くないを忘れていたわけではない。それは以前ガブリエルの部隊との戦闘前にお酒を飲み過ぎてウッカリ奇襲経路を暴露してしまうという失態によって上司のアシュタルテに大目玉を食らったという苦い経験があるからだ。だがそのグレモリーが、マルティンの能力を軽んじていたことも事実だった。

(マルティンなんて小柄で童顔、男子としては非力な部類だし、前にメリーナの前でさんざん大恥をかかせたら泣き出した様なお子さまよ!アタシと同じペースで飲んだら絶対マルティンの方が先に酔いつぶれるわ!)

などと考えたグレモリーは、マルティンを甘く見ていた。しかしマルティンは、もともとお酒に強いわけではなかったものの、数年にわたる見習いシェフとしての経歴の中で師匠の勧めるまま様々なお酒を試飲して、徐々にお酒に強くなっていたのだ。別に趣味でお酒を飲むわけではないが、「このお酒に合うのはどんな料理か」とか、逆に「この料理に合うのはどんなお酒か」といった師匠の問いに即答すべく、料理人としての修行の一環としてお酒に慣れていったのである。

そんなマルティンを「すぐに酔いつぶれるだろう」と軽く見たグレモリーは既に甘く見るべきでない相手を甘く見ていたが、おまけにグレモリーはお酒を飲むと口が軽くなるので、マルティンからの挑発についつい乗ってしまったのだ。

一杯目のお酒をグレモリーよりも速いペースで飲みながら、マルティンは言った。

「そう言えばさあグレモリーさん(フラウ・グレモリー)。あなたは以前、料理を作ることを練習したり僕に料理させたりしたけど、あなたがそうまでしたくなるほど想いを寄せている相手は、どんな男性なの?」

この問いかけにグレモリーは、自身が想いを寄せる相手を誇りたくて、満面の笑みを浮かべながら答えた。

「それはねえ……とってもたくましくて素敵な男性なの!」

「そ…そうなの?その男性は何ていうお名前なの?」

「名前はキマリスっていって、アタシと同じくアシュタルテさまの配下なんだけど、魔力はともかく体格の方はすごくたくましいの。おまけに徒手格闘も剣術も槍術も超一流なのよ!」

「へ…へえ…キマリスさん(ヘア・キマリス)っていう魔王はそんなに武芸に秀でているのかい。だったら男性としての魅力は十分にあるよね……」

「魅力はいっぱいあるよおっ!たくましいし、アタシが困ってるときは助けてくれるし、男としての魅力は他のどんな魔王より上よ……まあ、顔だけならSeirザイアという魔王の方が上だけど、アタシは絶対にキマリス一筋よ!美形だけど冷たい感じのザイアなんて、彼氏にしたくないわ!」

「ふ~ん。そう…で、そのキマリスさんには、お菓子や料理を振る舞う以外に何かあなたの方からアピールしたの?」

「う…そ、それはぁ…ええと、たいしたことはしてないんだけど……」

グレモリーは急に乙女チックに恥じらう仕草を見せながら下を向いてしまった。グレモリーの口調と行動から、マルティンは「たいしたことはしてない」と言いつつ「何か」はしたのであろうと察し、グレモリーの盃にお酒を注ぎながら尋ねた。

「たいしたことじゃなくても、何かはしたんだね?あなたの恋を成就させるお手伝いをしてあげるから、僕で良ければ相談に乗るよ」

などという言葉とは裏腹にグレモリーが何か失態を告白するんじゃないかと期待に胸を高鳴らせたマルティン。そんなマルティンにグレモリーが言ったことは予想外の内容だった。

「う~ん、実はね…キマリスが眠ってた時、キマリスの…あの…そのう…ペ、ペ…ペニスがね…す、す、少し勃起してたのよ。それがあまりに大きいサイズ……おそらく三十センチくらいだったのよ。その大きさを見て『怖い』という気持ちもあったけどとても素敵に思えて、ズボン越しとはいえその男性器にキスをしてしまったの……」

「――!?」

グレモリーは実際の年齢こそマルティンよりはるかに年上とはいえ見た目は九歳あるいは十歳の幼女にしか見えない。そんな幼女の様なお嬢ちゃん(メートヒェン)がとんでもなく大胆な行為をしたと知ったマルティンは度肝を抜かれた。とはいえここでさらに何かもっとヤバい秘密を聞き出せないかという期待から、あえて冷静さをよそおった。

「そ…そうなの。ふうん。まあ、それは恋する乙女ならついやってしまうかもしれない事だから許容範囲だよ。決して気にすることじゃないさ」

マルティンは、もし恋する乙女たちが聞いたらそのほぼ全員から「いや、私はそんなことしないし」と突っ込まれるであろうほどに強引な言い分を述べてグレモリーの罪悪感をいだ。

「そ、そうかな?…アタシはちょっと淫ら過ぎたかとおもったんだけど…人間の女性でも恋をすればそれぐらいは普通かな?」

「うん、普通だよ。それよりも、あなた自身はそんなキマリスさんとどんな関係を持ちたいのかについて教えて欲しいな。そうしてくれたらあなたの恋のためにAmorキューピッドになってあげるよ」

「うう、そんな風に思っているの?ありがとうねマルティン…実はね。アタシはその行為の前からも、つまり…あのう……」

もじもじしてなかなか話を進めないグレモリー。相当お酒を飲んで酔っているはずなのに言えないとは、よほど恥ずかしい内容なのか?それでもマルティンが優しい声色を使って

「いいんだよ。無理しないで、ゆっくり話してくれれば」

と言うと、急に意を決したように話し始めた。

「あのね、アタシも実はマルティンと同じく好きな相手…つまりアタシの場合はキマリスを…思い浮かべながら…そのう…自分を慰めるという行為をしていたの……し、しかもキマリスのペニスにキスをしてしまってからは、ついついキマリスに失礼な妄想をしながら、そんな妄想でキマリスをけがしながら自らを慰める行為をするようになったのよ……」

「そうなの?…で、その『失礼な妄想』って、具体的には何なの?」

「そ…それは、そのぅ……」

グレモリーは再び言い淀んでしまったが、マルティンがチェイサーとして水を勧めつつお酒を注ぐと、チェイサー及びお酒を飲みながらやがて話し始めた。

「実はね…アタシのオシッコをするところだけじゃなくて、その後ろにある穴までもキマリスに舐められることを想像しながら自慰をするようになってしまったのよ……」

「――!?」

あまりに予想外なグレモリーの告白に再度二の句が継げなくなったマルティンだったが、気持ちを落ち着けるためにチェイサーを飲んで一息つくと何とか言葉をつなげた。

「そ、それってつまり、お尻の穴をキマリスさんに舐められる妄想っていう意味?」

「……」

いくらAmorキューピッドの役を果たしてくれると言った相手とはいえ男性であるマルティンに対してあまりに恥ずかしい秘密を言ってしまったグレモリーは、お酒のためばかりでもなく顔を紅潮させながらもうなずいた。マルティンは

「そ、それもまあ…あまり一般的じゃないけど、恋する乙女ならいだく人は多いはずだよ…そうだな。たぶん恋をしている女性の三人に一人は思い描く、理想の関係の一種じゃないかな?」

世界中の恋する女性から「そんな女性が三人に一人もいるわけないだろ」と言われること必定の、無理がありまくりの発言で、どうにかグレモリーに「自分の妄想は特殊じゃない」と思い込ませようとしたマルティンだったが、同時に「いやさすがにこんな言い訳は通じないか」とも思った。

それゆえ最悪の場合グレモリーが「アタシのこんな恥ずかしい秘密を知ったマルティンを外に出すわけにはいかないわ!」と判断して自身の居城にマルティンを永遠に幽閉するのではないかと思って遁走の態勢を整えたマルティンだったが、グレモリーは

「そう?そうなのね?マルティン、あなたの言葉を信じて良いのね?」

すがるような目つきで話しかけてきた。

「あ、ああ。もちろんさ。ひょっとしたら恋する乙女の二人に一人くらいはそんな妄想をいだくんじゃないかな?さすがに六割という事は無いだろうけど……」

まさか今さら「そんなわけないでしょ!いいかげん僕のウソに気づきなさいよ!」とは言えないマルティンは、さらに無茶なウソを上塗りしてどうにか誤魔化した。

「そう?だったら、アタシの他の行為も、三人に一人ぐらいの女性がしてしまうことなのかな?」

「え?」

マルティンが「他の行為って何の事だ?グレモリーは他に何を言うつもりなんだろう?」と思いながら待っていると、グレモリーは恥じらいながらも付け加えた。

「あのね、実はアタシ、自慰の際には女性器を愛撫するだけじゃなくて……その後ろにある穴に指を入れて楽しむこともあるの。でもそれって…いくら何でもさすがに異常な行為かな?……」

「……」

マルティンはしばし言いよどんだ後、真剣な顔で答えた。

「う~ん……たしかにその行為は女性の三人に一人がしているほど一般的とは思わないけど、でも別に異常じゃないと思うよ!……ただ、そういう行為をすると指が汚れちゃうから、その点は気になるかな?」

「も、もちろん、その行為の後にはお尻の穴に入れた指は丁寧に洗うよ!そうじゃないとみんなに迷惑をかけちゃうからね!」

「だったら何も気にすることはないさ!他の人はどうか知らないけど、僕はもし好きな女性がそんな素敵な行為をしていたら、むしろ彼女に惚れ直すよ(イッヒフェアリーベミッヒヴィーダーインズィー)!女性のマスターベーションは女性器という美しい器官を愛撫する、いわば自らを清める行為なのだから自身を清める女性を淫らだなんて思わないし、ましてや女性器よりも可憐な女性のアヌスを刺激して自慰するなんて、女性器を愛撫して二回絶頂するのと同じくらい……いや、それ以上に清らかな行為だからね!」

マルティンの今回の言葉はその前の二つの返答とは違って嘘ではなかった。そのマルティンの言葉に救われる思いだったグレモリーは、心底嬉しそうに述べた。

「そう?マルティンはそんな風に思ってくれるのね?アタシはてっきり、女性器はともかく、ごくたまにとはいえアヌスに指を入れて自慰している事を知られたら軽蔑されると思っていたのよ!」

「まあ、たしかにそういう行為をする人は多くは無いとは思うけど、でも僕はその件でグレモリーを軽蔑なんかしないよ!女性のそういう行為は女性が自らを清める行為だと僕は本気で思っているよ!」

マルティンの先ほどの二度のウソも信じたグレモリーだけあって、今回マルティンが本当のことを言った際にもマルティンの言葉を信じたグレモリーは、満足そうに満面の笑みを浮かべた。

その後グレモリーは、キマリスの体格のみならず男根の大きさにも惚れたと言いつつそんな大きな肉竿を受け入れるには自分が成人してからでないと無理であろうということ、そして魔力によって一時的に成人女性の姿になることは可能であるがその魔法は不得手であるのですぐに解けてしまうこと、そしてもしその魔法が解けないという自信があればその魔法を使ってキマリスの寝込みを襲って自らのバージンを強引にキマリスに捧げたいとまで思っていること、それが出来ない以上は逆にキマリスの体を一時的にでも魔法で小さくしない限りキマリスの陰茎を自身の女性器に受け入れることは出来ないこと、そして他者の体を小さくする魔法に関してはまだ会得していないこと、などをつつみ隠さず話した。

そして、酒に強いマルティンがほろ酔い加減になったころ、マルティンと同じくらい飲んだグレモリーは酔いつぶれて眠ってしまった。

(しめた!今ならグレモリーとお嬢さまがかわした契約書を探し出せるぞ!)

マルティンは眠っているグレモリーを見ながら彼女の机の引き出しと言わず箪笥たんすと言わずおよそ書類が入っていそうなところをすべて物色しようとした。だが、その前に

(でもグレモリーがこのまま眠り続けて風邪をひいたら可哀想だな)

と判断して、そばにあった上着とおぼしき布切れをグレモリーにかぶせてあげた。

(これで風邪はひかないだろう)

そう判断したマルティンはさっそく物色を始めた。タンスや机を色々調べたマルティンは

(よし!これだ!この束になってる書類だ!)

と、叫びたくなるほどの興奮を覚えた。そしてパラパラとその束の上の数枚をめくると、それらには難しい契約の文書そして末尾にはミュンツァー市の男性たちの名前が書かれていた。

(おそらく何枚目かにはメリーナお嬢さまの名前もあるはず!)

そう判断して、グレモリーが目を覚ます前に退散するのが最善と思ったマルティンは、契約書の束を持ったままグレモリーの居城の玄関までは誰にも会わずに済んだが、

「そこの者、しばし待て!」

背後から聞こえた声にマルティンは心臓が止まるほどの衝撃を受けた。

思わず後ろを振り向くマルティン。そこにはグレモリーの配下らしき男悪魔が立っていた。だが、あまり大きな体格ではなかったため「最悪の場合は殴り合いになっても勝てるかもしれない」という希望をいだいた。だがその直後、たまたま大柄な悪魔が通りかかった際にマルティンは「まずい、急いで逃げるしかない」とばかりに玄関に向かって駆け出した。

ガチャッ!――

玄関のドアが開いたが、開けたのはマルティンではない。

(まずい!グレモリーの配下の誰かが帰ってきたのか!?これじゃ挟み撃ちじゃないか!)

と思ったマルティンが絶望の淵に落とされると、その直後に

「マルティン!ここにいるんでしょ?大丈夫?」

「え?その声はお嬢さま!?」

開かれたドアの向こうからやって来た数名の人陰にマルティンは安堵を覚えた。そこにはメリーナとトーマス神父と修道女のクラーラ、そのほかにも二名の男性が立っていた。

メリーナとトーマスは他の者に先駆けてマルティンに駆け寄ったが、マルティンが持つ契約書の束を取り返そうと男悪魔の一柱がマルティンの肩をつかんだ。だがマルティンはとっさに振り返ると敵の悪魔がマルティンを殴ろうとしたがそのパンチをかろうじてかわしながら逆にその悪魔を殴ると、マルティンが放ったカウンターパンチで悪魔は昏倒した。マルティンは反撃の際に契約書の束を落としてしまったが、そばにいたもう一柱の悪魔が拾う前にトーマスがそれを拾い上げ、さらにトーマスが悪魔に向けてかざした手から出た黄色と白の中間くらいの色の光がもう一柱の悪魔を昏倒させた。

だが、騒ぎを聞きつけた他の悪魔が二柱、そして酔っぱらって足元がフラフラした状態のグレモリーがその場に駆けつけた。

駆け付けた二柱の大柄な男悪魔はトーマスに遅れて入ってきた二名の男性とボクサーの様な殴り合いを開始。悪魔の拳は紫色に光り、それに対抗する男性の拳は黄色みがかった白い光を放っていることから、お互いに霊力を込めた拳で殴り合っていることは分かるが、互いの拳闘術は互角の様で、なかなか決着がつかない。そこで加勢しようとしたトーマスは抱えていた契約書の束をメリーナに渡すと、両手に霊力を込めて殴りかかろうとした。その刹那

「そうは…いかない…わよ!」

まだ酔いが抜けていないせいでとぎれとぎれの口調になっているグレモリーが叫びながら、両手をかざし、その人差し指と親指で三角形を形成すると、その三角形から飛び出した紫色の光が帯状になってメリーナの周囲をかこんでしまった。

悪魔と殴り合いを続けている青年に加勢しようとしたトーマスは向きを変えた。「メリーナさんを囲んでいるこの光の呪縛を解くのが優先だ」と判断したトーマス。そしてそのそばにいたクラーラ。二名の霊能者が霊力を込めてメリーナを拘束する光の輪を打ち破ろうとしたが二人がかりでも破れない。マルティンは「グレモリーを押さえつければ光の輪も消えるだろう」と思ってグレモリーに駆け寄ったが、グレモリーが放った紫色の雷光の様な霊力を胸部に食らって、痛みのあまりしゃがみこんでしまった。

トーマスとともにメリーナを拘束している呪縛を解こうとしていたクラーラは

(これ以上ここに居たら騒ぎを聞きつけた近所の悪魔も参戦して、数で押し負けるのではないか?ここは一時撤退して人間界あるいは天界から援軍を呼ぶしかないのではないか?)

と思ったのだが、その直後に背後から

「マイン・カッツヒェン(僕の子猫ちゃん)!」

という声を聞いて顔を輝かせた。彼女が振り向くと、そこには美青年の画商ハンスが立っていた。

「マイン・シャッツ(マイダーリン)!」

駆け付けた美青年に向かって微笑みながら呼びかけたクラーラに、ハンスはキスをした。メリーナは「何故この場にハンスが来たの?」と不思議に思ったが、トーマスの教会の近くの画廊に勤めているハンスはクラーラに、前に会ったハンスそっくりの男性が気になり「何か変わったことがあったら僕を呼んでほしい」と頼んでいたのだ。とはいえ魔界とつながっている穴の手前まではハンスを連れてきたクラーラだったが「この先は危険だから来ないで」と言って穴の前でハンスを待たせていた。だがハンスは、クラーラとトーマスと二人の青年そしてメリーナまでが行ったのにしばらく待っても帰ってこないので、クラーラが心配になって自らの意志で穴を通って魔界にやって来たのだ。

グレモリーはお酒の飲み過ぎで足元がふらついてついにはその場にしゃがみこんでしまったが、ハンスとクラーラがキスをした様子を見て思わず叫んだ。

「え?!ザイア!?あなた悪魔なのに人間の女性と付き合ってるの!?」

グレモリーの言葉を聞いたクラーラは答えた。

「ちがう!彼はハンス!悪魔じゃなくて人間よ!」

当のハンス本人は

(またも僕は他の人…もとい、悪魔と見間違われた様だな!そのザイアっていう悪魔はそんなに僕と似ているのか?)

と思いながらクラーラに再度キスをした。その瞬間、クラーラの霊力が一時的に向上した様だ。トーマスとクラーラという二人の霊力がついにメリーナを拘束していた光の帯を断ち切った。

その後は胸部を押さえながら逃げたマルティン、悪魔と霊力を込めた殴り合いをして傷だらけになった二名の青年、無傷のトーマスとクラーラとメリーナ、そしてもちろんハンスも含め、全員が魔界と人間界をつなぐ黒い穴から脱出。全員そろってフォルツァー家の中にあるマルティンの部屋に生還し、直後にその黒い穴に向かって傷だらけの青年二人とトーマスそしてクラーラが手をかざすと、その穴はあっという間に小さくなり、一秒とたたずに消えた。

その後、事情を知らないアルフレートはフラフラになっているメリーナやマルティンを見て驚愕した。「トーマス神父の知り合い」と名乗る二人の青年にはエルマが傷薬を塗って応急処置を施した。実は天使である彼らは人間よりも高い回復能力を持っているから多少のケガなら放置しておいても早期に治るのだ。エルマが彼らの回復能力を知っていれば、いくらマルティンの方が軽傷とはいえマルティンを先に看護すべきと思ったかもしれない。だが、エルマがマルティンを見ると、自らの胸部を少しさすっているが大したケガはしていない様だったのでエルマは安心した。

徐々に落ち着きを取り戻したメリーナはしみじみと思った。

(あの夢は、一部だけが本当だったのね……)

かつてメリーナが見た夢では、魔界にとらわれたメリーナを助けるべくマルティンやトーマスそしてクラーラがやって来たがトーマスとクラーラは恋人同士という結末だった。だが実際にはハンスとクラーラこそが恋人同士だったのだ。クラーラと恋人同士なのは意中のトーマスではなくハンスであると知ったメリーナは安堵した。

その後、メリーナが抱えていた契約書の束はフォルツァー家の裏庭で燃やされた。これでメリーナおよび他の者を拘束する呪縛は無くなったはずだ。もっとも、あくまでもそれはグレモリーの引き出しに入っていた契約書に関して言えることで、他の場所にある契約書にまでは影響が及ばない話ではあるが。

(これでメリーナお嬢さまが再び闇のメリーナになることはないだろうし、契約書で魂の一部を拘束されていた人たちも健康を回復するだろう)

マルティンはそう思ったし、今回グレモリーの屋敷に乗り込んだ全員も同感だった。だがマルティンにはもうひとつ個人的にやっておきたい事があった。

その日の夕方――

(さてさて。それではグレモリーが想いを寄せるキマリスとかいう魔王に、ご登場ねがおうか!)

ベンヤミン・フォルツァーの書斎から『魔術書』を取り出し、キマリスを召喚する方法のページを開いたマルティンは、これから自分の計画を実現できるという期待にワクワクしながらその方法を試した。

バシッ!――

メリーナがグレモリーを召喚した時と同じく馬を鞭で叩いた時の様な音が響き、その直後にこぶし大の黒い球体らしきものが出現した。その黒いもの――すなわち魔界と人間界をつなぐ穴はグングン大きくなり、直径においてグレモリーを召喚した時の穴の三倍以上、つまり円周においては九倍以上の大きさになった。

そしてその穴の中から、マルティンがこれまで見たどんな大男よりも巨躯を誇る、筋肉質な男性が出てきた。

(この巨漢が、グレモリーが想いを寄せる魔王キマリスか!?)

あまりに威風堂々とした風貌に、マルティンはすっかり威圧された。そんなマルティンにキマリスは問いかける。

「そなた(ズィー)が私を呼んだ人間か。して、私に如何なるご用件かな?」

「う…ま、まあ用件と言っても……」

マルティンはキマリスの風貌に圧倒された。見たことのないほどの巨漢で筋肉質。顔は特別美男子とまでは言えないがそれなりに整った顔立ちであり、何とも言い難い深みのある威厳がただよっている。単に悪魔の中で高位に叙せられる魔王の一柱だという理由だけでは説明がつかない、貴公子の如く堂々とした雰囲気がキマリスからは滲み出ていた。

マルティンは

(いくら悪魔だといっても、こんな威厳のある存在に対してグレモリーの自慰の話なんてするのは気が引けるなあ……)

などと思ったが、直後には

(いやいや、グレモリーは僕がお嬢さまを想いながら自慰したことをお嬢さまにバラしたし、僕を何度も痛い目にあわせた奴だ!このキマリスとかいう魔王にどれだけ威厳があっても、臆することなくグレモリーの秘密をバラしてやる!)

という風にも考えた。キマリスは何らかの理由で逡巡している様なマルティンを見て言った。

「そなたは何か躊躇している様だな。話をしづらい事情があるなら待ってやろう。話す気になったら話すが良い」

対してマルティンは

「いえいえ、ご心配には及びません。今すぐお話いたします。実はあなたにお伝えしたい事がありましてね。それはあなたと同じく魔王のグレモリーについての話なのですが……」

「ん?グレモリーがどうかしたのか?」

「はい、実はグレモリーは、あなたに恋をしているのです」

「何?!それはまことか!?」

驚いた様子のキマリスに向けてマルティンは断言した。

「はい!本当ですとも!」

「しかし、何故そなたがそれを知っている?仮にグレモリーを召喚したことがあるとしても、そんなプライベートな内容など、滅多なことで話すはずが無いだろう」

「そのご指摘はごもっともです。実はですね……」

マルティンはゆっくりと話し始めた――


●第十八章

数日後、マルティンは少し落ち込んだ様な、くやしそうな表情をしていた。そんなマルティンのそばをたまたま通りがかったメリーナはマルティンの表情を見て心配になり、話しかけてみた。

「どうしたの?マルティン。何となく元気がない様だけど……」

「あ、お嬢さま。お気遣いいただきありがとうございます。実は僕はグレモリーに関する話を、彼女が恋しているキマリスという魔王に伝えようとしたんですが……」

「ふ~ん。それでマルティンは、うまく伝えられなかったから落ち込んでるの?」

「いえ、確かに伝えました。そして、キマリスは『グレモリーの事を今まで以上に大切にする。彼女の恋心を私に教えてくれたことに感謝いたす』とまで言ったので、今ごろキマリスとグレモリーは相思相愛になってるかもしれません」

「え?それならうまく伝わったんだから、マルティンが気に病む理由はないんじゃないの?」

見事にAmorキューピッドの役を果たしたのに浮かない顔をしているマルティンを見たメリーナは釈然としない気持ちで尋ねた。マルティンは答えた。

「まあ、確かに僕はキマリスに対するグレモリーの恋心を当のキマリスに伝えましたから、Amorキューピッドの役割は果たしましたよ。でも単にグレモリーがお酒に酔った際に『キマリスに恋をしているのにそのことをキマリスに伝える勇気が出せない』とか『アタシが何も言わなくてもキマリスの方からアタシの恋心に気づいてくれれば良いのに』と言ってたっていう事を伝えたんです。本当はAmorキューピッドの役割を果たすのはついで……というかその役割を果たすという口実のもとにグレモリーに復讐してやるつもりだったんです。なのに何故か急に『さすがにこんな復讐をしたらグレモリーが可哀想だ』なんていう気持ちが湧いてしまったんですよ。それで自分の甘さを後悔しているんです」

「『復讐』ですって?…マルティンはグレモリーの事を恨んでいるの?」

「もちろん恨んでいますよ!だって僕はお嬢さまを想いながら自慰で射精エヤクラツィオンしたことを他ならぬお嬢さまご本人にバラされ、しかもお嬢さまの目の前でお尻を叩かれたんですからね!魔力を込められた手によってお尻を叩かれたせいで翌日まで痛みが残りましたし、その後グレモリーの料理を手伝ったこともありますがその際にも僕に痛みを与えて協力を強制しましたからね。だがらグレモリーをとてつもなく恥ずかしい目に遭わせて復讐するつもりだったんですよ!」

マルティンの言葉を聞いたメリーナはようやくマルティンがグレモリーを恨んでいた理由を理解した。だが、だとしたら何故その恨みを晴らさなかったのか?というかそもそもどうやって復讐するつもりだったのか?

「マルティン、あなたがグレモリーを恨んでいる理由は分かったわ。でも、『残酷』とまで言うからには、あなたはよっぽど凄まじい復讐を思いつたのかしら?一体どうやって復讐するつもりだったの?」

「それはですね……」

そこでマルティンは、グレモリーが自分の行為をお酒に酔った際に打ち明けてしまったという点を伝えた。眠っていたキマリスの男根にキスをしたこと、グレモリーだが魔法で一時的に大人の女性に変身するのは可能であるが、その魔法が持続している間に急に幼児体形に戻るかもしれないからその魔法を使ってキマリスの寝込みを襲うことが出来なかったこと、そんな不安があるにもかかわらずキマリスに女性器だけではなくお尻の穴まで舐められるという妄想をしながら自慰をしていること、さらにはお尻の穴に指を入れて自慰をしていること、そしてマルティンがそれらすべてをキマリスにバラすつもりだったのに結局はバラさなかったこと、そうした経緯をマルティンは包み隠さずメリーナに話した。メリーナはマルティンの言った内容は分かったが、どうしても腑に落ちないことがあった。

「マルティン、グレモリーがあなたに何を言ったのかは分かったけど、どうしてマルティンはそれをキマリスに伝えなかったの?マルティンはグレモリーの魔力を受けて何度も痛い思いをしたんでしょう?」

グレモリーの秘密をキマリスにバラすという復讐を思いとどまったマルティンの意図を理解できないメリーナは尋ねずにいられなかった。マルティンは答えた。

「僕もキマリスを召喚した時はグレモリーの恥ずかしい秘密を明かすつもりだったんですが、明かそうとした直前に何故か急に『そんなことをキマリスに伝えたらグレモリーがどれだけ恥ずかしい思いをするだろう』と考えてしまい、可哀想すぎて言えなくなってしまったんです」

「ふ、ふうん…そう?…そうなのね……」

メリーナは少し釈然としなかったがマルティンの言葉を待った。するとマルティンは話をつづけた。

「たしかに僕はグレモリーの魔力のせいで痛みに苦しんだし、自慰の事をお嬢さまにバラされたことについてもグレモリーには恨みがあります。でも、やっぱりグレモリーは女性ですし、魔王だから僕よりずっと年上だろうけど人間の年齢で言うなら十歳くらいですよね。そんな少女が自分が想いを寄せるキマリスにそんな恥ずかしい秘密を知られたらさすがに可哀想に思えてしまって、それで言えなかったんです……」

憎いグレモリーに対して復讐するつもりだったのに、自分が思いついた復讐の方法は、たとえ魔王とはいえ外見のみならず精神年齢もまるで十歳児の様なグレモリーには残酷すぎるとほぼ無意識のうちに判断して実践しなかった。マルティンはそんな自分の気持を非常に矛盾したものだと感じて、それが理由で先ほどから釈然としないでいたのだ。

だがメリーナは、目を輝かせながら言った。

「マルティン!あなたがしたことはとても素晴らしいわ!」

「え?…す、素晴らしいんですか?」

「そうよ!あなたの判断は正しい!あなたがAmorキューピッドに徹したのは正しい判断だったわ!」

メリーナの意図が分からず呆然としているマルティンに、メリーナは言葉を続けた。

「マルティン、確かにあなたがお尻を叩かれたときは魔力のこもった手で叩かれたせいで翌日まで痛みが残ったのでしょう。それに私を想いながらマスターベーションしたのかを私にバラされるという仕打ちもむごいと思うわ。でも復讐のためとはいえ、女性であるグレモリーに対して彼女の想った相手にグレモリーの自慰をバラすのは、さすがにやりすぎだと思うの。その点を無意識に自制したマルティンはとても良いことをしたのよ!あなたは自分を誇りに思うべきだわ!」

「そ…そう…ですか?」

憧れのお嬢さまに褒められて悪い気はしないマルティンだが、特段に思慮深く英明な判断をしたとまでは思ってないので、そんな自分が褒められるのは奇妙な気持ちだった。

メリーナは釈然としないマルティンを納得させるためだろうか、キッチリと説明をしないとならない気持ちになっていた。

「あのねマルティン、女性にとって自慰をしていることを意中の人に知られるのは、男性にとって多数の公衆の前で自慰をするのと同じくらい恥ずかしいことなの。グレモリーがマルティンにした仕打ちは確かにひどかったけど、たとえそれに対する復讐でもグレモリーがキマリスという同僚を想いながら自慰していたことを当のキマリスに知らせるのはさすがに残酷よ」

「そ…そうですか。残酷ですか」

「そうよ。たとえばマルティンがつまみ食いをしたと仮定して、その罰として『今からミュンツァー市の住民全員が見ている場で自慰をしなければならない』って言われたらどう思う?」

「そ…それはもう恥ずかしすぎて泣きたくなりますね。いくら何でもそれは厳しすぎる罰ですよ」

「でしょ?つまりマルティンは当初その厳しすぎる罰をグレモリーに与えようとしたのよ。でも結局マルティンはそんな残酷なことを自制して、それどころか逆にAmorキューピッドの役を演じたんだから、私はマルティンを尊敬するわ!」

「そ、そうですか!…ありがとうございます!」

マルティンは「女性にとって自慰をしていることを意中の人に知られるのは、男性にとって公衆の面前で自慰をするのと同じくらい恥ずかしいこと」という言い分が少し気になった。いくら何でも男女でそんなに羞恥心に差は無いだろうという気はする。ひょっとしたらメリーナお嬢さまだけの特殊な感じ方ではないだろうか?とはいえ、自分がグレモリーに対する残酷な仕打ちを思いとどまり彼女の秘密をキマリスに言わなかったことがメリーナお嬢さまに評価されたこと自体はうれしかった。

他方のメリーナは

(グレモリーを恨んでいたとはいえ、あまりに残酷すぎる復讐は思いとどまったマルティンは立派だわ。私自身はマルティンに恋心はいだいてないけど、マルティンに恋のチャンスがあったら絶対に応援してあげよう)

などと、自身がマルティンのためのAmorキューピッドになるという決意をいだいた。だがその一方で、マルティンを教育しようとも考えた。

「あのねマルティン。あなたがそのキマリスという悪魔に言った内容は合格点にあたいするよ。でも満点じゃないわ。せっかくだから満点の答えを教えてあげるわ」

「は、はい。お願いいたします」

マルティンはかしこまってメリーナに向き合った。

「女性にとって意中の人に自慰を知られることはとてつもなく恥ずかしいことだから、たとえ実際は自慰をしている女性であっても『私は自慰なんてしていない』というウソを言うのは女性の当然の権利ナテューリッヒ・レヒテよ。そして男性はそんな女性に対しては……少なくともその男性の意中の女性に対しては『君が自慰をしているとは思っていないけど、もし仮に君が自慰をしていても淫らとは全く思わないよ。それにもしも自慰の際に女性器だけじゃなくてお尻の穴を愛撫していても、絶対に君を淫らだなんて思わないよ』とまで言うのが当然の義務ナテューリッヒ・フェアプリヒトゥングよ!」

マルティンは、メリーナが「当然の権利」だの「当然の義務」だのとまで言う点には釈然としなかったが、こまかい点はともかくおおむねメリーナの主張に納得した。ただ、メリーナはマルティンの表情が少し曇ったのを見て概ねも納得していないからではないかと思って尋ねた。

「ひょっとしてマルティンは私の意見に納得していないの?もしもマルティンの好きな女性がグレモリーと同じく自慰の際にお尻の穴を愛撫してたら、マルティンはその女性を淫らだと思う?嫌いになる?」

この問いはマルティンには心外なものだったので、マルティンは全力で否定した。

「もちろんなりませんよ!むしろ好きな女性がそんな素敵な行為をしていたら、僕は彼女に惚れ直しますよ(イッヒフェアリーベミッヒヴィーダーインズィー)!女性のマスターベーションは女性器という美しい器官を愛撫する、いわば自らを清める行為ですから、ご自身を清める女性を淫らだなんて思うわけがありません!ましてや女性器よりも可憐な女性のアヌスを刺激して自慰するなんて、女性器を愛撫して二回絶頂するのと同じくらい……いや、それ以上に清らかな行為ですよ!」

マルティンの返答に気を良くしたメリーナは話を続けた。

「そう。マルティンは『女性が自慰をすると自らを清める事になる』と思ってるのね。私もそう思うわ。男性のマルティンが私と同じ様に思ってくれてうれしいよ。ところでマルティンは、意中の女性から頼みごとをされたらどうする?」

「頼みごと…ですか?頼みごとの内容にもよるでしょうね。具体的にはどんな頼みごとでしょうか?」

マルティンはメリーナの意図が分からず、尋ねずにいられなかった。

「それはね、さっきマルティンが言っていた、グレモリーのいだいた妄想よ!」

「?」

そこまで言われても意図が分からないマルティンはキョトンとした表情を見せた。

「つまり、その女性のお尻の穴を舐めて欲しいっていう頼みごとよ」

さすがにそこまで言われて漸く意図を理解したマルティンだったが、少しだけ躊躇した後、ある懸念を述べた。

「た、たしかに好きな女性のお尻の穴ならとても清楚だと思うでしょうけど、もしも……もしも、たとえ少しであっても、そこに便が付いていたら……どうしましょう?」

だがマルティンとは対照的に、メリーナは即座に応じた。

「『便が付いていたら』ですって?そんなの何かでぬぐえば済むだけのことでしょ!それに少しくらい便が付いていても好きな女性の最もプライベートなところなのよ!マルティンは好きな女性の最もプライベートで、しかも可憐な箇所を舐めたいと思わないの?」

「も、もちろん思います!…そうですよね!便なんてぬぐえば済む話だし、たとえ少しだけ付いていても、好きな女性の最もプライベートで可憐な箇所を舐めるためなら、その程度の事は気にしません!気にするなんておかしいです!」

「そう!それが満点の回答よ!……あ、でももちろん相手の女性が恥ずかしがって『イヤ』と言ってる場合はダメよ。たとえ結婚して何年も経過した妻の場合でも、そこを舐められるのを拒絶している場合に強引に舐めると不和になるかもしれないからね」

「不和…ですか?」

「そう、不和よ。…まあ、さすがにそれだけで原因で離婚するなんてことはないかもしれないけど、夫婦関係を修復するのに少し時間がかかるかもしれないわ。だから女性のお尻の穴は男性にとっては女性器以上に慎重に接しないとならない箇所ね。ましてやそこに男性器を入れるなんて、その女性自身が望む場合以外は厳禁よ!」

「はい。分かりました。……というか僕はそこを舐めることはともかくそこに男性器を入れるなんて、お願いしませんよ!それはあまりに特別な行為ですからね!相手の女性が求めない限りしてはダメなことだと僕は思ってますよ!」

「そう?だったら、私がいま教育した内容はすでにマルティンの心の中にあったっていう事かしら?」

「ま、まあ部分的にはそうですね……でも、女性にとって意中の人に自慰をバラされるのがそんなに傷つくことだというのは知りませんでしたので、その点はとても勉強になりました。ありがとうございます!」

マルティンはメリーナに深々と頭を下げた。その表情には「僕は男性として学ぶべき性愛の礼節をキチンと学んだのだ」という自信が満ちていた。そしてメリーナはマルティンの自信に満ちた表情を見て強い好感をいだいた。その好感とは「私がキチンと教育してあげた」という満足感と「マルティンの素直さ、純粋さを高く評価する」という二つの気持ちの混じったものだった。


●第十九章

それは、マルティンがメリーナに元来はグレモリーに復讐するつもりだったが可哀想に思って復讐を出来なかったと告げた日の数日前の出来事である。ミュンツァー市とその近郊に住む人々の契約書が燃やされたその日、アシュタルテの部下たちの契約によって保管されていた魂のうち、燃やされていた契約書に名前の載っていた者たちの魂だけが人間界にいる本人たちのもとに戻って行ったのだ。

翌日のグレモリーは二日酔いに加えて契約書の多くを奪われてしまったことで落ち込んでいたが、自身の居城の外では落ち込んだ表情を出さない様に気を付けていた。しかしグレモリーの表情の異変に気付いた魔王がいた。不和をもたらす能力を持つアンドラスである。

グレモリーの表情を見て「病気ではなく二日酔いではないか?」と推測したアンドラスはヴィネに頼んで千里眼を使ってもらった。

「グレモリーの居城を千里眼で見通してほしい、だと?」

「そうだ。お前の能力を使えばそれぐらい簡単だろう?」

「簡単だが、グレモリーとはあまり対立したくないなあ。俺の部下たちはアイツの部下たちと仲が良いし……」

「ただでとは言わない。それなりの謝礼はさせてもらう」

ヴィネは先日グレモリーから言い値を金貨で払ってもらった上に、その後口止め料とも言うべき金貨十枚ももらったのでグレモリーがアンドラスを殺そうとしたことは誰にも明かしていない。だが、それはそれとして、アンドラスから金貨二十枚を提示されると、ヴィネは自身の遠隔視聴能力を水晶玉に投影し、グレモリーの居城の中を映し出した。そして厨房の隅に多数の空っぽの酒瓶があることに気づいたアンドラスはその後もグレモリーの動向を追って、ついには彼女が側近の男悪魔に「多数の契約書を奪われた」という内容について相談しているのに気づいた。その男悪魔は言った。

「グレモリーさま、その点はアシュタルテさまに正直に報告するしかないのではないでしょうか?」

「で、でもそんなことを報告したらどれだけ怒られるか想像も出来ないわ……何とかバレない様に出来ないかな?」

「それは難しいのではないでしょうか?……あ、でもグレモリーさま!ひょっとしてアシュタルテさまは魂を保管している『保管庫』には時々しかいらっしゃらないのではないでしょうか?」

「そうね。だとすると今すぐ気づかれることはないわよね。アシュタルテさまが気付く前に新しく契約を取ってある程度の数の魂を保管庫に入れておけばバレないかな?」

「ひょっとしたらそうかもしれませんね。今回奪われた契約書の数と同数の魂が減ってしまっていれば気づかれるでしょうが、保管庫にある魂の数が前回確認した時より少なくても、その差がわずかならおそらく気づかないでしょう」

「わかったわ。あと、この件をキマリスに相談したいの!今日のキマリスの予定って知ってる?」

「ええと、たぶん今日のキマリスさまは夕方アシュタルテさまとお会いするご予定です……」

「そうなの?」

「ええ、最近キマリスさまが取得した契約の数を本日報告しようと思っていらっしゃるはずです」

「そうなの!?だったらアシュタルテさまの居城のそばの広場もキマリスは通るよね。そこで彼と会いたいわ!」

「と、おっしゃいますと?」

「キマリスには申し訳ないんだけど、キマリスが取れた契約の数をアシュタルテさまには実際の数の半分以下で報告してもらいたいのよ」

「かしこまりました。要するにグレモリーさまはキマリスさまが最近得た魂の数の半分以上をグレモリーさまが得た魂を保管している場所に置いておくおつおりですね?」

「そうなのよ!キマリスには悪いけど、アタシがお酒に酔って多数の契約書を奪われたことをキマリスに言えば、補填をしてくれるはずだわ」

「たしかにキマリスさまならグレモリーさまの損失を補填してくださるでしょうね……かしこまりました。私の飛行能力でグレモリーさまの今の意図をお伝えいたします」

「ありがとう。おねがいするわ。アタシ自身もキマリスにアシュタルテさまの居城のそばの広場で会って話すつもりだけど、今アタシが言った話を事前に伝えてくれると助かるよ」

「了解です。さっそく行ってまいります」

グレモリーの配下はそこまで言うと、飛行能力を使ってキマリスの居城の方角に向かった。グレモリーはその後姿を見ながら言った。

「本来は今回失った契約書の数ぐらいの契約をアタシ自身が取って補填したいけど、二日酔いが治るまでは働きたくないわ。…でもまた明日から仕事を頑張らなくっちゃ!」

このグレモリーの言葉を聞いた後、アンドラスはアシュタルテの身の回りの世話をしている女悪魔に「急いでアシュタルテさまに報告したい事があるので取り次いでほしい」と伝えた。

その日のうちにアシュタルテは伝令を送り、「今なら時間があるから会える」という伝令の言葉を聞いたアンドラスはアシュタルテのもとに飛行能力を駆使して大急ぎで参上した。

「アンドラス。私の配下でもないお前が何故急に私に会いたいと言うのだ?何か緊急な用事か?」

「はい、アシュタルテさま。何しろあなたの部下の失態に関する話ですから、こうして大急ぎで参ったわけです」

「すると…もしや、またもグレモリーの問題か?」

「左様です。ヴィネの遠隔視聴能力を使って調べさせたのですが、グレモリーは酒に酔って契約書を奪われてしまったと彼女自身の部下に言っていました」

「何だと!?それが本当ならとんでもない大失態ではないか!?」

アンドラスの言葉を聞いたアシュタルテは血相を変えた。

「はい。しかもその大失態をアシュタルテさまに報告はせず、彼女自身がこれから取る契約およびキマリスが最近取った契約を使って補填するつもりだそうです」

「……」

アンドラスの報告を聞いたアシュタルテはしばし沈黙した。その表情を見たアンドラスは「彼女はおそらくグレモリーにどんな罰を与えようかと考えているのだろう」と推測し、笑いたくなるのを必死でこらえながら神妙な顔つきを保った。やがてアシュタルテは口を開いた。

「そうか。分かった。報告に感謝する。幾分かの謝礼を取らせよう!」

部下を通してアンドラスに金貨二十枚を与えさせたアシュタルテは、魂の保管庫に向かった。

かつて魂の一部を削り取られた人々がマルティンたちが契約書を焼くことによってどんどん健康を回復していくなか、アシュタルテはその保管庫における魂の数が減っていることを確認した。

「やはりアンドラスの言っていたことは本当だったな。ならばグレモリーを私の居城に呼ばねばなるまいな……」

夕方になってようやく二日酔いから回復したグレモリーは、アシュタルテが送った伝令に呼び出されてしぶしぶとはいえその居城に向かった。キマリスとの待ち合わせの時間より少し前だったから行けたのであって、仮に呼び出されたのがキマリスとの待ち合わせの時間だったら伝令と入れ違いになっていたところだ。

グレモリーはアシュタルテの配下の女悪魔から居城の裏庭に通された。グレモリーとしてはキマリスとの待ち合わせの時間に間に合う様になるべく早く話を終わらせたいところだが、話の内容が予想できないので

(ひょっとして、キマリスとの待ち合わせの時間を過ぎてもアタシはアシュタルテさまの居城を出られないのかな?)

などと不安になったが、アシュタルテの裏庭に着いたグレモリーはなるべく平静を装って言った。

「アシュタルテさま、アタシをお呼びでいらっしゃいますか?」

「グレモリー、お前は私に何か隠し事をしていないか?」

そこには、かつてグレモリーが「アシュタルテさまよりもガブリエルという女天使の方が胸が大きい」と言ってしまったときに匹敵する、いやそれ以上に恐ろしい形相のアシュタルテが立っていた。

「ア…アシュタルテさま。な…何をおっしゃっているのでしょうか?アタシが何かアシュタルテさまの所有物を奪ったわけではないですよね?」

必死に弁解するグレモリー。だがアシュタルテは容赦ない。

「ほほう。そうきたか。たしかに『私の所有物』は何も無くなっていない。しかし我が派閥全体の所有物、つまり私が占有している多数の物に異変があった。それでもお前は『私には責められる様な落ち度はない』と断言できるか?」

「も、もちろんです!アタシには責められる様な落ち度はありません!」

アシュタルテの剣幕に威圧されながらも断言したグレモリー。だが彼女はその直後

「あ…あれっ!?…こ、これはまさか……」

と言ったまま、両手と両ひざをついて四つん這いの格好になってしまった。

「あ、あのう…まさかアシュタルテさまは……」

「その『まさか』だ。と言うかむしろ『またか』と言ってもらいたいな。以前もお前は『ウソをついたら体の自由が利かなくなる呪法』によって身動きとれなくされただろう。その経験があるのに堂々とウソをつくとは、いい度胸だ」

その後グレモリーは、アシュタルテに魔法を解いてもらいたい一心で、お酒に酔ってしまって契約書を何枚も奪われたことを正直に話した。とはいえ、被害を何とか軽く報告したいグレモリーはその直後に言葉を付け足した。

「で、ですがアシュタルテさま!アタシがお酒に酔った間に契約書を奪われたと言っても、それはあくまでもともとアタシの取ってきた契約のみです。ほかの悪魔の取ってきた契約書まで失ったわけではありません!」

「たしかにそうだ。だが、お前は今『私には責められる様な落ち度はない』というウソをついたわけだ。契約書を奪われたことが落ち度でないはずはないだろう。それに……」

「それに……何ですか?」

「それに、奪われた理由も問題だ!前回の戦の敗因と同じく酒に酔ったせいで失敗したのだろう?同じ失敗をくりかえしたお前は、厳罰に値する!」

「げ、厳罰ですか!?」

グレモリーの顔は哀れなほどに青ざめ、は今にも泣きそうな表情になった。そして四つん這いになった彼女は腰も自由に動かせなくなり、さらに前回以上にお尻を突き出して、非常にみっともない姿勢になったのを感じた。

「こ、これはまさか…アシュタルテさまはアタシのお尻を叩く…あるいは足の裏をくすぐるというご意図でいらっしゃいますか?…ど、どうかそれだけはお許しください!せめて背中を叩くだけにしてください!」

可愛い顔を悲痛にゆがめて必死に哀願するグレモリー。だがアシュタルテは冷酷に言った。

「大丈夫だ。安心しろ。そんなことはしない。というかそんなことで済ませるつもりはない」

「え?…で、ではアシュタルテさまはどうなさるおつもりで?」

「私は何もしない。たしかにお前がこの裏庭にいることは部下を使って喧伝けんでんするつもりだが、私以外の誰にもお前が触られない様に結界を張って守ってやろう」

「は?…」

一体それのどこが厳罰なのかと疑問に思ったグレモリーにアシュタルテは告げた。

「ただし…この様にしたうえで、だがな!」

アシュタルテの言う「この様に」がどの様にすることなのか分からないグレモリーが戸惑っていると、彼女のズボンがアシュタルテの魔力でスルスルッと下ろされ、清楚な純白のパンツが丸出しの姿になった。

「え?ま…まさかアシュタルテさまはアタシをこの状態のまま長らく放置なさるおつもりで?」

「放置するという読みは正しい。だが『長らく』というのは違うな。たった二十四時間だけで済ませてやるから安心しろ」

「二十四時間!?…そ、そんなに長時間この姿勢のまま動けないんでしたら…どれだけたくさんの部下や魔王にパンツ丸出しの姿を見られるか分かりませんし、それにそもそも……あのう…そのう……出るものも出てしまいますよね。だ、だ、大便はまだしもガマンできるでしょうけど、さすがにオシッコは、そのう……」

「尿意を二十四時間我慢すればお漏らし姿を人に見られずに済むんだから、お前が放尿する姿を見られるか否かは私の責任ではない。お前次第だ」

「そ…そんなの無理です!途中でお手洗いに行かせてください!」

「駄目だ!それでは厳罰にならないし、そもそもどうせお前は手足が自由に動かせる様になったら『お手洗いに行く』という口実で逃げるつもりだろう!」

図星を指されてギクッとするグレモリー。さすがに自身の意図を言葉にこそ出さなかったグレモリーだったが、その表情を見たアシュタルテは「やはり私の読みは正しかったか」と言わんばかりの表情をした。

「思った通りだな。逃亡を考えていた以上、さらに罰を重くせねばなるまい」

「え?…お、『重く』とおっしゃいますと?」

グレモリーの問いにアシュタルテは答えなかった。だがアシュタルテが何も言わなくても、その意図するところをグレモリーは嫌でも知る羽目になった。第二次性徴を迎えていないグレモリーの、特段ふくらみのないお尻を覆っていた清楚な純白の下着という最後の砦が、先ほど下ろされたズボンと同様に魔力でするりと下ろされた。

「ま、まさかアシュタルテさまは、アタシのお尻を丸出しにした状態で二十四時間も放置なさるおつもりで?…そ、そ、それは絶対にイヤです!それだけはお許しください!それなら先日の様に足の裏をくすぐられる方がはるかにマシです!」

「駄目だ!足の裏を一時間くすぐる程度では許せない!お前はその可愛いお尻を出したまま一日放置されるのだ!何なら尿を出しやすいように尿瓶しびんくらいは置いてやっても良いがな」

「いや!絶対にイヤです!……た、助けてキマリス!お願い!アタシを助けてー!」

可憐な乙女にとって最大のピンチに陥ったグレモリーが泣き叫ぶと、約五分後にバタバタバタッと激しい足音が響き、近所の広場でグレモリーの悲鳴を聞きつけたキマリスがやって来た。

だが、まるで赤ん坊のほっぺた、はたまたマシュマロの様にきめ細やかで滑らかなお尻を丸出しにされた状態でキマリスが到着したので、グレモリーの可憐な生尻をもろに見てしまった。しかもお尻を突き出した状態での四つん這いであったので、双丘の谷間にひっそりと息づく可憐なアヌスまでもキマリスの視野に入ってしまったのだ。

最も大切な女性の最もプライベートな場所を見てしまったキマリスはバツの悪そうな表情をした後に目を伏せてしまった。アシュタルテはキマリスの様子を見てニヤリと笑った。

「ほほう。こんな幼女の尻を見て目を伏せてしまうとは、キマリスよ。お前ほどの豪傑にはふさわしくない態度だな。いや、欲情して目を伏せたというわけではあるまい。今のお前はまるで『直視しては申し訳ない』と言わんばかりの様子だったぞ。……ところでキマリスよ、私がグレモリーに対して与えた罰は重すぎると思うか?」

アシュタルテの問いかけに、キマリスはうやうやしく膝をついた状態で話しかけた。

「おそれながらお尋ねいたしますアシュタルテさま。アシュタルテさまはグレモリーをこの様な状態のままどれぐらい長く放置なさるおつもりで?」

「なあに、そんなに長くは放置しない。ほんの二十四時間だ」

アシュタルテは、キマリスの表情にグレモリーに対する深いいたわりの気持ちがあるのを見取ったうえで、皮肉を込めて答えた。

「ア…アシュタルテさま!それはグレモリーの様な年少の女子にはあんまりな仕打ちです!どうかご再考を!」

「『再考』だと?フンッ!…ではもし私が『嫌だ』…と言ったら、お前はどうする?」

アシュタルテは「念のため」両手に魔力をまとわせた状態でキマリスの返事を待った。キマリスほどの巨漢を相手にして肉弾戦となればアシュタルテといえども勝てる道理はない。とはいえそんなキマリスも魔力ではアシュタルテどころかグレモリーにも劣る存在だ。それゆえ懐に入られず肉弾戦を避ければ霊力の稲妻でキマリスを昏倒させることがアシュタルテにならば可能である。さながら一触即発とも思える状況だが、「魔王たちの中で最も秩序を重んじるキマリスのことだから、たとえ親しいグレモリーを救うためとはいえ上官であるアシュタルテに暴力を振るう事はあるまい」という読みもアシュタルテの胸中にはあった。

それゆえあくまでも霊力は「念のために」いつでも発動できる状態にしておいたに過ぎないのだが、そんなアシュタルテに対してキマリスが言った発言は意外なものだった。

「ならば恐れながら、グレモリーに下すおつもりの罰を私に対してお下しなさる様、進言いたします!これはお願いではありません!進言でございます!」

「何?進言だと?」

キマリスの発言の意図をはかりかねたアシュタルテにキマリスは言った。

「この魔界には『妻のとがは夫があがなっても良い』という不文律がございます。よもやアシュタルテさまともあろうお方がそれを忘れたという事はございますまい?」

この発言にアシュタルテは驚いたが、グレモリーも驚いた様だ。

「え?キマリス!どういうつもり?それをここで言っちゃうの?」

「すまん、グレモリー。たしかに私もグレモリーの趣味嗜好に付き合って、他の悪魔たちが楽しく祝賀出来る場を設けてから言うつもりだった。だが、ドゥーがアシュタルテさまからこんなに厳しい罰を与えられた以上、今ここで私たちの婚約を明かすしかないだろう!」

グレモリーとキマリスは昨日婚約したばかりだったが、側近を含めそのことをまだ誰にも言っていなかった。それはグレモリーが「親しい悪魔たちに祝福してもらいたい」と言って祝賀の準備をしていたものの、その準備がまだ完了していなかったからだ。それはグレモリーが「花や蝶をかたどった飾りや甘いお菓子を用意して、そしてグレモリーのみならずキマリスにも可憐な柄のドレスを着てもらったうえで結婚披露宴をしたい」と望んでいたのが原因である。キマリスは当初はもとより今でもそんなグレモリーの乙女趣味に共感はしていないが「いとしいグレモリーの気持ちを尊重してあげよう」と妥協して準備が整うのを待っていたのだ。

だがそうした準備よりも、今こうして罰を受けそうなグレモリーを救うためには婚約したことを明かすことの方が大事だと判断して、自身とグレモリーの婚約をアシュタルテに告げたというわけだ。

そんなキマリスを見ながらアシュタルテは言った。

「ほほう。今までどんなに親しい魔王でも『貴殿ズィー』としか呼ばなかったキマリスが、グレモリーだけは『ドゥー』と呼ぶとは……お前たちが婚約したという話は嘘ではないようだな。面白い。グレモリーの罰を免除する代わりにキマリスを罰するとしよう。とりあえずグレモリーに対する呪法は解いてやる」

アシュタルテがグレモリーの体を指さすと、先ほどまで石化したかの様に微動だにしなかった手足が自由になり、グレモリーは思わず立ち上がった。

「ありがとうございます、アシュタルテさま!いえ、それ以上にキマリス!あなたにはどれだけ感謝してもしきれないわ!」

信心深い人間の如くキマリスに両手を合わせて拝むグレモリー。だが、彼女はまだ自分が下着まで足元にずり下ろされた状態であることを忘れていた様だった。

性格に難があるとはいえ性的には無垢なグレモリー。その純潔を象徴する様な無毛の割れ目を見てしまったキマリスは、バツの悪そうに再び目を伏せた。そしてグレモリーも自身の乙女の部分を見られてしまったと気づき頬を染めた。

そんな二柱の魔王の様子を見たアシュタルテは思わず吹き出してしまった。

「お前らは何を恥じらいあっているんだ!?夫婦ならばお互いのプライベートな部分を見せあうのは当然だろう!?だが今の照れ具合からすると、お前たちはまだお互いのプライベートな部分を見てもいなければ触ってさえもいない様だな!」

この指摘にはグレモリーだけではなくキマリスも頬を染めてしまった。「徒手格闘でも剣術でも槍術でも多数の人間や天使を倒してきた魔界きっての豪傑が、年下の婚約者に対して未だに肉体関係を求めていない」という事実が面白くて再び笑ったアシュタルテだったが、一通り笑い終えると言い放った。

「まあいい。それだけキマリスはグレモリーを大切にしている……つまり未来の妻の意向を重んじているという意味だからな。良い心がけだ。とはいえグレモリーが受けるべき罰をキマリスが代わりに受けると言うのなら、その点に関してはキッチリけじめをつけさせてもらうぞ」

その間に大急ぎでパンツとズボンを履きなおしているグレモリーは不安そうな顔をしながらも何も言えなかったが、キマリスは堂々とアシュタルテに答えた。

「もちろん、我が妻グレモリーに対してアシュタルテさまがくだそうとなさったのと同じ罰をお受けいたします」

「いや、それは辞めておこう……」

「え?…何故ですか?『妻のとがは夫があがなっても良い』という魔界の不文律からすれば、同じ罰こそがふさわしいはずです。たしかに別の罰をくだす方もいらっしゃいますが、そうした場合は相応の理由があるはずです」

キマリスはこれまでの魔界の慣習を思い出しながら尋ねた。アシュタルテは少し逡巡した後に答えた。

「いや、まあたしかに一般的には妻が受けるべきだった罰を受けるのが慣習だが、お前の様な豪傑をそんな姿勢で長時間放置するのは私の美学に反するのだ……それにな、キマリス。お前は自覚してない様だが、お前が尻を出した状態で四つん這いになると…まあ、そのう…つまり……」

「?」

「?」

言い淀んでいるアシュタルテの意図が分からずキマリスのみならずグレモリーもキョトンとした表情をしている。だがアシュタルテは、しばらくの逡巡の後に話を続けた。

「要するにキマリス、お前が四つん這いになって尻を出したら、お前の股間にあるあまりに大きな男根まで見えてしまう。それでは恥をさらすというより逆に他の男悪魔に嫉妬されてしまうという事だ」

「そ、そうですか?私の陰茎はそんなに大きいのですか?」

他人のその部分と見比べたことなどないキマリスは驚いたような表情だったがグレモリーは納得した。何しろ彼女は眠りながら若干勃起した状態のキマリスの男根をズボン越しとはいえ見ており、その長さが約三十センチにも及ぶ事を知っていたからだ。

アシュタルテはキマリスの勃起時の陰茎を見たわけではないが、勃起していない状態でもそれなりに大きいことは推測できるし、そもそも男悪魔からそうした噂も聞いている。なので、キマリスのその部分を衆人環視にさらすことは無用な嫉妬をもたらすと判断したのである。だがアシュタルテは、ふと何かを思いついた様に言いなおした。

「いや、だが考えようによってはそれも罰になるな!何しろそんな立派な陰茎の持ち主と結婚したグレモリーは、女悪魔はもとより同性愛者の男悪魔からも嫉妬されるからな。嫉妬に狂った男や女にグレモリーが今後どういう目にあわされるかと考えると……クククッ…なかなか楽しい罰になりそうだ!」

アシュタルテの意地悪な思い付きにグレモリーは青ざめて無言になり、他方のキマリスは顔を赤くして激しく叫んだ。

「アシュタルテさま!それでは私自身ではなくて私の妻に罰を与える様なものではありませんか!どうか罰はこの私だけにお与えくださいませ!」

キマリスがグレモリーのため必死に弁護する様子を見たアシュタルテは「やれやれ」と言わんばかりの表情をした。アシュタルテの胸中には

(せっかくキマリスに罰を与えるという口実でグレモリーに罰を与えることが出来ると思ったのに残念だ)

という悔しさと、そしてそれ以上に

(意中の女性を擁護するためとはいえここまで必死になるとは、恋する者の気持ちというのは理解不能だ)

という、あきれた様な心境が渦巻いていた。

「わかったよキマリス!今の案は撤回しよう。グレモリーが全悪魔の半分以上から嫉妬される様な残酷なことはしない。お前には通常の罰を与えることにするさ」

この言葉にはキマリスのみならずグレモリーもホッとした。

その後キマリスは、アシュタルテの側近の男悪魔を使ってキマリスの背を鞭で二十回打つという罰をくだした。

キマリスが罰から解放されてグレモリーとともに自身の居城に行くと、グレモリーは背中の傷に膏薬を塗ってあげながら言った。

「ごめんねキマリス。アタシの代わりにこんな罰を受けてしまって申し訳ないわ」

「気にするな。夫にとって妻を守るのは当然の務めだ。それに君の様な年少の女子にあの罰は残酷すぎる。アシュタルテさまの当初のご判断自体が厳し過ぎたのだから、たとえ君が私の妻でなくても私がかばうのは当然だ」

「妻のとがは夫があがなっても良い」という不文律がある魔界とはいえ、それは実際に婚姻関係にあるか、せめて婚約している場合に適用される不文律に過ぎない。それゆえグレモリーの恋心を受け入れる以前のキマリスがグレモリーをかばっても代わりに罰を受けることは出来なかったであろう。とはいえそんな不文律以前に、「グレモリーがあんな恥ずかしい姿勢を二十四時間もさらすのは耐えられない」というのがキマリスの心境だった。キマリスの優しさに感謝したグレモリーだったが、その数分後には「そもそもアタシが罰を受けそうになったこと自体がおかしいのよ!」という不満が湧いてきた。

「アイツだ!マルティンだわ!全部アイツのせいよ!」

キマリスに対する感謝を忘れたわけではないが、それ以上にマルティンに対する怒りこそがグレモリーの胸中に噴出した。

事情を知らないキマリスは尋ねた。

「マルティンと言うと、フォルツァー家の見習い料理人のマルティンか?彼が何かしたのか?」

「『何かしたのか』ですって?そもそもアイツこそが今回の問題の元凶なのよ!」

「?」

グレモリーの言う意味が分からず首をかしげたキマリスに対して、グレモリーは自身がマルティンの勧めた酒を飲んで酔いつぶれた際に契約書を奪われたという経緯を話した。

「ふ~ん。そういうことか。事情は分かった。だがなグレモリー。私はそのマルティンに感謝しているぞ」

「え?どうして?」

「それはな、私がこうして愛しい君と婚約できたのはマルティンのおかげだからだ」

「?」

「私は昨日マルティンに召喚されたのだ。それもマルティンは別に私に頼みごとがあるわけではなく、単に私に向かって『グレモリーはあなたに恋をしている』と言うためだけの召喚だった。マルティンがそんな風に教えてくれなければ、私は君の気持に気づいてあげる事が出来なかったであろう」

「そ…そうなの?」

「そうだ。本当は私が君の気持に気づくべきだったとは思う。だが私は恋愛にうとくて気づいてあげられなかった。それに君も私に対して友人と同じ程度のアピールしかしていないだろう?」

「う…うん。まあ、たしかにそうね……」

グレモリーは若干の不安を感じた。酒に酔って記憶を失ったので、具体的に自分がマルティンに何を言ったのかは覚えていない。しかし自らが以前キマリスに対してしたことも、何を夢想しながら自慰したかについても、そしてさらには自慰の際には時としてアヌスに指を入れて快楽を得ていることも当然覚えている。そんなグレモリーにとって、自身が一体マルティンに何を話したのかという点はどうしても気になる大問題だった。

(まさかアタシは、ズボン越しとはいえ眠っているキマリスの男根にキスをしたこととか、キマリスにお尻の穴を舐められることを妄想しながら自慰をしたこととか、ましてや自慰の際にお尻の穴を時々愛撫している事なんて言ってないわよね?)

グレモリーの内心を知らないキマリスは急にソワソワし始めたグレモリーを気遣った。

「どうした?何か不安な事でもあるのか?」

「い、いやまあ。そのう…マ、マルティンは他に何か言ってなかったかな?と思って……」

「他に?いや、マルティンは単に君が酒に酔った際に私に対する恋心を告白したと言っただけだぞ」

「そ、そう?本当にそうなのね?」

あまりに落ち着きのない様子のグレモリーに、キマリスは不安を感じた。

「なあグレモリー。君は何かを隠していないか?」

「べ、別に何も隠してなんかいないわよ!キマリスはどうしてそんな風に思うの?」

痛いところを突かれながらも何とか平静を装ったグレモリーにキマリスは答えた。

「いや、なんとなく雰囲気が……まるで自分の秘密をバラされてしまったのではないかとビクビクしている様に見えるから尋ねたのだ。私の気のせいなら良いのだが……」

「べ、別にアタシにはバラされてこまる様な秘密なんてないよ。アタシは単にマルティンを信用できなかっただけ!」

「?」

「要するに、キマリスを呼んだのは本当はアタシの恋心をキマリスに伝えるというAmorキューピッドの役を果たすためじゃなくて、アタシに関するウソの情報を伝えるためだったんじゃないかって疑ってたのよ!でもアタシの恋心を伝えただけだと聞いて、少しはマルティンを見直したわ!」

「そ、そうか…そういう意図だったのか…うん、マルティンは単に君の私に対する恋心を伝えただけだからな。何の悪意も感じられなかったぞ」

「そう…うん。わかった!マルティンがウソの情報を吹き込んだりしていなくて安心したよ」

キマリスはグレモリーに対してそれ以上何らマルティンの話をしなかった。グレモリーは自身の性的な行為や妄想をマルティンがバラしていないと確信し、その件に関して不安を感じる事はなくなり、夜はぐっすりと眠った。

(契約書を奪われた事には腹が立つし、そのせいで愛しいキマリスがアタシの代わりに罰を受けたのは可哀想だけど、恋の仲介をしてくれたことだけはマルティンに感謝しないとね……)

グレモリーはマルティンに対してそんな風に思った。


●第二十章

数日後、マルティンは意外な来客に驚いた。それはあのキマリスだったのだ。

「すまない。どうしても教えて欲しいことがあって、こうしてお邪魔する事にしたのだ……」

召喚していないのにキマリスが突然現れて驚いたマルティン。だが、真剣に悩んでいるキマリスの顔を見たマルティンはすぐに気遣った。

「一体どうしたんだ?何か悩み事かい?」

「いや、まあ…そなたに教えて欲しいことがあるんだが、いま少し時間をもらえるかな?」

「うん。別にいいけど……教えて欲しいことって何さ?」

「以前そなたが私にグレモリーの恋心を教えてくれたことには感謝するが、その際そなたは何か隠し事をしなかったか?」

「え?隠し事?」

キマリスの意図が分からず尋ねるマルティンに、キマリスはハッキリ告げた。

「要するに、グレモリーは酔った際に単に私に対する恋心を吐露しただけなのか、という事だ。『何か他にも言っていなかったのか?』というのが私の尋ねたい事なのだ」

「そ…それは、そのう……」

マルティンはウソをつきたくないとは思った。だが同時に先日メリーナが言った「女性にとって意中の人に自慰を知られることはとてつもなく恥ずかしいこと」という発言を思い出し、キマリスに対して堂々と言った。

「別に変ったことは何も言ってないよ。だけどグレモリーは、キマリスに対する恋心がとても強いのにその恋心を伝えられないのは彼女自身の落ち度なのではないかと落ち込んでいたよ。それに対して僕は『そのキマリスという相手が鈍感なのが問題じゃないのかい?』と尋ねたけど、グレモリーは『キマリスは絶対に悪くない!キマリスはいつも正しい!そんなキマリスに対して恋心を上手に伝えられないアタシが全面的に悪いのよ!』と言って自分自身を責めていたんだよ!」

実際にはグレモリーが全く言っていないことを堂々と「言った」と言い張るマルティン。その真摯な表情を見たキマリスは、マルティンにすっかり騙された。

「そ、そうだったのか。教えてくれてありがとうマルティン!それにしても本来なら年長の私がグレモリーの恋心を察してあげるべきだったろうに、私が鈍感なせいで彼女がそんな自責の念をいだいていたとは……」

自身を責めるキマリスを見たマルティンは、うまく騙せたことを喜ぶよりむしろ自己嫌悪に陥ったキマリスに対して申し訳なく思った。

「で、でもあなたはこれからグレモリーとは夫婦としての暮らしがあるよね?そこで埋め合わせをすれば良いのではないかな?あなたと彼女の間の溝は、きっと埋まっていくよ!」

「そ…それもそうだな!まさにそなたの言うとおりだ!」

豪傑らしくすっきりした表情でキマリスは笑い、その爽快な笑顔を見たマルティンも微笑んだ。

ただ、マルティンはもうひとつ伝えておくべきことがあると感じた。

「と、ところでキマリス。こないだメリーナお嬢さまに『あること』を言われたんだけど、その問題に関するあなたの意見をうかがいたい」

「ん?どんな問題だ?」

マルティンは、自身とメリーナの会話の後半部分を伝えることにした。

「もし…もしも…もしも仮に、仮にだけど……グレモリーがあなたに『アタシのお尻の穴を舐めて欲しい』なんていうお願いをしたら、あなたはどうする?」

マルティンの発言に驚いたキマリスは尋ねた。

「そ、そんな願望をグレモリーが言っていたのか?!」

「いや、実際にはグレモリーはそんなことは言ってないよ!あくまでこれは僕がメリーナお嬢さまから『もしマルティンが意中の女性からそんなお願いをされたらどうする?』って問われたからさ、キマリスが同じ立場ならどうするのかなって思っただけ」

マルティンのウソに再び騙されたキマリスは、実際はグレモリーがキマリスにお尻の穴を舐められることを妄想しながら自慰していることに気づかなかった。

マルティンの問いにキマリスは堂々と答えた。

「それはもちろん舐めるさ。グレモリーの最もプライベートな場所を舐めさせてもらえるのは光栄だし、もし仮にグレモリーがそれを望んでいるならグレモリーを喜ばせる結果にもなるからな。舐めない理由など無いではないか」

「うん。そうだよね。僕も同じ意見さ。ただ、僕は少し躊躇してしまったんだ」

「ん?躊躇とはどういう意味だ?」

「それが…実は、そのう……『もしも…たとえ少しであっても、そこに便が付いていたら…どうしましょう?』なんて言ってしまったんだ」

マルティンはためらいながらも最終的には伝えるべきことを伝えた。そんなマルティンにキマリスは堂々と言った。

「そんなの何かでぬぐえば済むだけのことだし、たとえ便が付いていても少しぐらいなら気にしないぞ!好きな女性の体の一部ではないか!そんなことを気にする方がおかしいぞ!」

マルティンは、キマリスがメリーナお嬢さまと同じ答えを述べたことに安心した。「これならばキマリスにお尻の穴を舐められることを妄想していたグレモリーが、その素敵な妄想を実現できる日は近い」と確信したマルティン。そんなマルティンにキマリスは少し深刻な面持ちで話を続けた。

「実はなマルティン。その点については、私の方こそ相談があるのだ。こんなことを他の誰かと話す機会は他に巡ってこないかもしれないのでこの機会に尋ねたいのだが、良いかな?」

「え?別にいいよ」

「実はな、私はグレモリーの最もプライベートな場所…つまりお尻の穴を偶然見てしまったのだ……」

「――!?」

キマリスの意外な告白に驚いたマルティンだったが、キマリスとグレモリーは恋人同士何だから偶然そういうことになる機会もあるのかなと思い直した。だがキマリスは事情を説明した。

「いや、わざと見ようとしたわけではない。ただ、グレモリーがアシュタルテさまから罰を受けていて、その罰と言うのがお尻を出した状態で四つん這いになったまま放置されるというものだったので、彼女のお尻の穴を偶然見てしまったというわけだ」

かつてマルティンの自慰をメリーナにバラし、しかもメリーナの前で翌日まで痛みが残る様なお尻叩きを食らわせたグレモリーがそんな恥ずかしい罰を受けたと知ったマルティンは内心では喜んだが、グレモリーの心配をするキマリスの手前そんな気持ちはおくびにも出さず、冷静さを装いながら言った。

「ああ、そういう事情だったのか。…それで、その点について僕にどんな相談があるの?」

「それで私は、偶然見てしまったグレモリーのお尻の穴が…あ、あまりにも可憐な形状をしていて、まるで薔薇の蕾の様に清楚だったので…それ以来そんなグレモリーの最もプライベートな場所を舐めたいという妄想が頭から離れなくなったのだ……」

「するとあなたの心の中では、グレモリーのお尻の穴を舐めたいという願望が消そうとしても消せないっていう事?」

マルティンの問いかけにキマリスはコクンとうなずいた。マルティンは思わず

「だったら、その通りに言ってみたらいいんじゃないかな?もちろん強引な言い方はダメだろうけど、『君が罰を受けて四つん這いになった時、偶然お尻の穴を見てしまったんだ。その場所があまりにも可憐で薔薇の蕾の様に清楚だったから、それ以来その場所をどうしても舐めたいという願望が消えないんだ』と言ってお願いすれば許可してくれるかも知れないよ」

などと、本当はグレモリーの方が先にそこを舐められる妄想を繰り返す様になっていたことなどおくびにも出さずに言ってのけた。

「そ、そうか。そんな風に頼めば私はグレモリーのお尻の穴を舐める事を許可されるのか」

「確約は出来ないけど、たぶんそうだと僕は思う。なにしろグレモリーは優しい女性だからね」

マルティンは実際には優しいなどと思っていないグレモリーを「優しい」と評した自分自身の発言に戸惑った。だが他方のキマリスはそんなマルティンの戸惑いに気づくよしもなく、満面の笑みを浮かべながら言った。

「そ、そうか。うむ、そうだな!そなたの言った様な言い方で頼んでみる。感謝するぞマルティン!」

「気にしないでくれ。何しろグレモリーは一緒にお酒を飲んだ時も、彼女自身が飲むより僕にお酌する事を優先してくれたんだ。そうした気遣いに対するお礼として、僕は彼女とキマリスの仲を取り持ってあげようと思ってたんだよ」

マルティンは再度事実に反する事を言ってしまった自らに戸惑い、もはや「ひょっとして僕はずっと嘘をつき続ける魔法をかけられたんじゃないだろうか?」とまで思ってしまった。だがキマリスはそんなマルティンの気持を知ることもなく、深々と頭を下げると、黒い穴を通って魔界に帰って行った。

キマリスを見送った後、何故あんなにウソをついてまでグレモリーを称揚しょうようしたのか、その自分自身の気持ちが理解できずにいたマルティンだったが、数分後に気づいた。

(そうか!僕はグレモリーをもはや恨んでないんだ!何しろグレモリーはアシュタルテから重い罰を受けたのだからな!)

元来は恨んでいたグレモリーなのに、ウソをついてまでそのグレモリーを弁護したくなった理由、それはグレモリーが四つん這いにさせられたうえにお尻の穴までさらされるという罰を受けたと聞いた直後の事だった。要するにあまりにも恥ずかしすぎる罰を受けたグレモリーを、それ以上さらに恨む気になれない。それがマルティンがグレモリーに対する恨みを払拭ふっしょくできた理由だったのだ。

その後キマリスは魔界に帰るとグレモリーに会い、マルティンのアドバイス通りの言い方でグレモリーのお尻にある、薔薇の蕾の様に清楚なアヌスを舐めさせてほしいとお願いした。グレモリーはもちろんそのお願いを受け入れた。

こうしてグレモリーは「実はグレモリーこそ先にキマリスにお尻の穴を舐められることを妄想しながら自慰をしていた」という事はもとより、そもそも自慰をしていたことさえもキマリスに知られずに済み、さらには「グレモリーは優しい女性だ」というマルティンの弁護を信じたキマリスに支えられ、夫婦生活においては円満に過ごしていた――


●第二十一章

とある非番の日。その日のマルティンはお茶の入った二杯のカップとお茶のたっぷり入ったポットを乗せたお盆を自室のベッドの上に置いた後、グレモリーを呼び出した。これからグレモリーに話したい内容は契約を結ぶときの様な冷徹な態度で伝えるべきではなく、むしろゆったりとした心境で聴いてほしいと思ったからだ。

マルティンの自室に呼び出されたグレモリーはマルティンを恨んでいる様には見えなかったものの、一体どういう要件だろうかと言わんばかりの、マルティンの意図をはかりかねる様な表情をしていた。

マルティンはそのグレモリーをベッドの縁に座らせて、

「これから僕は少し驚く内容を話すけど落ち着いて聞いてほしいんだ。心配しないでいいよ、あなたにとって得になる話だからね」

と言うと、グレモリーにお茶を勧めながら話し始めた。

グレモリーは、勧められたお茶を飲みながらマルティンの話を聞くことにした。

「実はねグレモリー、前にあなたの部屋でお酒を飲んだ時の話なんだけどさ……」

その時のことに触れられるとグレモリーは複雑な心境になる。何しろ酔いつぶれた隙にマルティンが契約書の束を奪って燃やしたせいでメリーナを含むミュンツァー市とその近郊在住の人々の精神や魂がその肉体のもとに戻っていった一方で、その時グレモリーがキマリスに対する恋心を明かしたおかげでマルティンが恋の仲介をしてくれた、愛憎半ばする思い出だからだ。とはいえその件についてもう何も話すことはないと思っていたグレモリーは

(今さらその件についてマルティンは何を話すつもりなんだろう?)

という疑問をいだいた。そんなグレモリーの疑問を知ってか知らずかマルティンは、なだめるような口調で話を続けた。

「実はさ、あの時あなたはキマリスさんに対する自らの想い以外に、ひとつだけご自身のプライベートなことを話したんだよ」

実際にはひとつだけではないが、他の事まで話したことをバラしてもグレモリーが恥ずかしい思いをするだけで誰の得にもならないと判断したマルティンは、あくまでも「ひとつだけ」と限定したうえで切り出した。

マルティンの言葉を聞いたグレモリーは尋ねた。

「え?それってどういう話?」

「ちょっと驚く様な内容かもしれないから、お茶を飲みながら落ち着いて聞いてほしいんだ」

言われた通り話を聞こうと思ってお茶を口に含んだグレモリーに、マルティンは言った。

「実はあのとき、あなたはご自身のお尻の穴を指で愛撫しているって言ったんだ」

ブホッ!!――

マルティンの話を聞いて思わずお茶を吹き出すグレモリー。そんなグレモリーを見たマルティンは心配そうに言った。

「だ、大丈夫かい!?むせったのかい!?」

話の内容のせいではなく、お茶がうっかり気管に入ってむせったのだと判断したマルティンはグレモリーを心配したが、当然グレモリーにとっては話の内容の方が心配である。グレモリーは大慌おおあわてで言った。

「だ、大丈夫よマルティン。それよりも気になるわ。その件についてあなたはアタシに何を言いたいの?」

お酒に酔った時の会話をまったく覚えていないグレモリーの問いかけに、マルティンは前回と同じ説明をした。つまり女性が自慰をすることは女性が自らを清める行為だと思っているしその際にお尻の穴に指を入れて快楽を得ることは女性器で絶頂することの二倍以上に清らかな行為だと思っている、というマルティンの価値観をグレモリーに伝えたのだ。

マルティンに軽蔑されていないと知ったグレモリーは安心したように言った。

「ふ…ふ~ん。マルティンはアタシの事を…というかそういう行為をする女性をそんな風に思ってくれているんだ……」

「そうだよ。そしてたぶん、キマリスさんも僕と同じ価値観の持ち主だと思うんだ」

「うん。そうかもね。何となくそんな気がするわ」

「でも、キマリスさんの価値観がどうであれ、あなたとしてはアヌスどころか女性器であっても自ら慰めている場面をキマリスさんに見られるのは恥ずかしいでしょ?」

このマルティンの問いにグレモリーは真っ赤になって答えた。

「そ…それはもちろん恥ずかしいわよ!いくら夫婦でも女性のアタシがキマリスにそんな場面を見られたら、あまりに恥ずかしくて泣いちゃうわよ!」

あわてふためくグレモリーに対してマルティンは心配するように発言を続けた。

「まさにその問題についてなんだけど、あなたとキマリスさんは夫婦なんだから一緒に住むつもりだよね?」

「え?『住むつもり』じゃなくて、もう一緒に住んでいるよ」

「だったらさ、あなたが自らを慰めているところをキマリスさんに見られる可能性もあるよね?」

「ま…まあ、アタシはちゃんと自分の部屋に鍵をかけてから『そういう行為ゾルヒェ・ターテン』をしているからバレないとは思うけど、もしうっかり鍵をかけ忘れたらバレる可能性はあるわね」

「そこがまさに僕の心配していたところなんだ。そこでもしもバレたら、キマリスさんに愛撫されて性的な感性が高まったのでお尻の穴も含めて自らを愛撫する様になった、つまり『アヌスに対する自慰も女性器に対する自慰もキマリスさんに愛撫されるようになってから始めた』というウソをつくのがいいんじゃないかと思ったんだよ」

「えッ!?マルティンはアタシがキマリスにそういうウソをつくべきだって言うの!?」

「うん、そうだよ。だってあなたは女性でしょ?意中の相手にそういうウソをつくのは女性にとって『当然の権利』(ナテューリッヒ・レヒテ)だと僕は思うよ」

メリーナの言葉にならって「当然の権利」(ナテューリッヒ・レヒテ)という表現を使ったマルティンは、メリーナと同じ女性のグレモリーならば共感してくれると思ったのだが、グレモリーは少し逡巡した後に答えた。

「ありがとうマルティン。もしかしたらそういうウソをつくかもしれないわ。でも実際はどうなるか分からない。今のアタシの心の中には『キマリスに対しては正直でいるべき』という気持ちと『そういう種類のウソならついても問題ない』という気持ちの両方があるから、どっちにするかは実際にそういう場面にならないと分からないよ」

グレモリーなりに正直に言ったことの返事に、マルティンはそれなりに安心した。別にマルティンの意見を全面的に取り入れてくれなくても、一応マルティンの意見も選択肢に入れてくれた様だったからだ。

マルティンは

(よし、これでグレモリーとキマリスはどう転んでも夫婦円満のままでいてくれる。僕もこれでひとまず安心だ)

と思った。だが、その直後にグレモリーがシクシクと泣きだしたので、マルティンは激しく驚いた。

「ど、どうしたの?僕は何か嫌なことを言った?」

「違う!逆だよマルティン!マルティンがそんな風にアタシのこと心配してくれているのに、アタシは今までマルティンを痛い目にあわせたりマルティンがメリーナの事を考えながら自慰していたことをバラしたりで、意地悪ばかりしてきた!そんなアタシ自身が嫌になったの!だから悲しいの!」

マルティンはグレモリーの言葉を聞いた後、少し迷ったが正直に言う事にした。

「でもねグレモリー、実は僕は、キマリスを召喚した時点ではあなたに復讐するつもりだったんだよ!」

「え?」

「僕がキマリスを呼んだとき、本当はあなたがご自身のお尻の穴を指で愛撫していることをキマリスに教えてあなたに恥をかかせるつもりだったんだ!」

「じゃあ、どうしてそうしなかったの?」

マルティンの発言に驚いたグレモリーは尋ねた。マルティンはしばらく答えにくそうにしていたが、やがて口を開いた。

「それはね、あなたがアシュタルテから罰を受けたと聞いたからなんだ。あなたはアシュタルテによってお尻の穴まで丸見えの状態にされたんでしょ?その姿を誰に見られたのかについて僕は知らないし、ひょっとしてキマリスさんにしか見られていないのかもしれないけど、でも十分に恥ずかしい思いをしたでしょ?そうやって重い罰を受けたあなたに復讐する気持ちは無くなったんだよ」

「そうなの?……でもマルティン、それでもあなた(ズィー)は素晴らしいよ!」

「え?」

「アタシがマルティンの立場だったら、自分が恨んでいる相手がどんなに重い罰を受けても恨む気持ちは消えないと思う!……ねえ、マルティン!アタシからあなたに一つお願いがあるの」

「え?お願い?」

「そう。アタシをこれからは『あなた(ズィー)』じゃなく『ドゥー』って呼んでほしいの」

「え?でもあなたは僕よりも年上でしょ?」

「たしかに悪魔は全般的に人間よりも長寿だからアタシはどんな人間よりも年上よ。でもアタシの精神年齢は人間で言うとせいぜい十歳ぐらいだし、それにマルティンの方がアタシよりも度量が大きいよ。だからアタシを呼ぶときは『ドゥー』って呼んでほしいの」

「そう?…分かったよ、あなたがそう言うなら…じゃなくて君がそう言うならそうするよ。ところで、君はもう一杯飲むかい?」

「え?…ありがとう。いただくわ」

一杯目のお茶をほぼ飲みほしたグレモリーのカップにポットからお茶を注ぐマルティン。その直後にグレモリーはあることに気づいた。

「でもマルティン。あなたの方こそ全然飲んでいないじゃないの!アタシに気を遣わなくていいから、あなたこそ飲んだらいかが?」

「あ、そうだね!」

グレモリーに言われて少しずつお茶を飲みはじめたマルティンに、グレモリーは言った。

「でもさあ、やっぱりアタシがマルティンにしたことは残酷すぎたと思うわ。それでアタシとしてはアタシが一番得意な魔法を使ってマルティンを助けてあげようと思うの……マルティン、あなたにはアタシの協力が必要じゃない?」

「え?協力?」

グレモリーは何を言いたいのだろうかと怪訝に思いながらも、ゆっくりとお茶を飲むマルティン。そんなマルティンにグレモリーは言った。

「うん。マルティンも『闇のメリーナ』を見たから分かると思うけど、アタシが一番得意な魔法は『女性からの愛情を獲得する能力』なのよ。その能力をマルティンのために使ってあげる。…だってマルティンはメリーナと付き合うのを諦めてから、今度はメリーナ以外のとある女性のことばかり考えながらマスターベーションしてるんでしょ?」

ブホッ!!――

グレモリーの話を聞いて思わずお茶を吹き出すマルティン。そんなマルティンを見たグレモリーは心配そうに言った。

「だ、大丈夫!?むせったのかしら!?」

話の内容のせいではなく、お茶がうっかり気管に入ってむせったのだと判断したグレモリーはマルティンを心配したが、当然マルティンにとっては話の内容の方が心配である。マルティンは大慌おおあわてで言った。

「だ、大丈夫だよグレモリー。それよりも気になるよ。その件について君は僕に何を言いたいんだい?…っていうか、君は僕の自慰を毎回見てるのかい?」

マルティンの問いかけに、グレモリーは安心させてあげようとして言った。

「毎回じゃないわよ!アタシの暇な時間とヴィネの暇な時間が合致してる場合はほとんど毎回ヴィネにお願いしてマルティンの自慰を見せてもらってるけど、そもそもアタシとヴィネはそんなに頻繁には会ってないし、アタシ自身の魔力では遠くの場所の音や映像を視聴することなんて出来ないもの!」

グレモリーに自慰を毎回見られているわけではないと知ったマルティンだったが、安心は出来ず再度問いかけた。

「で、でも要するにその『ヴィネ』とかいう悪魔が君と会ってお話し出来る時は、君はほとんど毎回『マルティンの自慰を見せてほしい』って頼んでるんだよね?」

「そうよ。フォルツァー家の当主であるベンヤミン・フォルツァーとアタシは契約したことがあるって以前アタシは言ったでしょ?その時にヴィネに頼んで少しフォルツァー家の様子を見てたのよ。そうしたらあなたが自慰で射精をした後に『メリーナお嬢さま、またあなたをけがしてしまいました。ごめんなさい』って謝っている場面に出くわしたの。それ以来、マルティンのそういう健気なところは立派だと思って、時々見て感動しているの」

「あ、ああ…そうなんだ。君はそれ以来僕の自慰を何度も見てるんだね……」

「そうよ。それであなたがメリーナを諦めて以来、今度は別の女性を毎回想いながら自慰をしているも知ってるのよ。あなたは先週も射精の後にその女性の居る方角に向かって『また君を穢してしまった。ごめんなさい』って謝ってたでしょ?マルティンのそんな健気さにアタシは毎回感動しているから、その女性との仲を魔法で取り持ってあげようと思ってるのよ!」

「え…ええとねえ、グレモリー……僕はそういう『女性との仲を取り持つ』という行為に魔法を使うべきじゃないと思うんだ」

「え?どうして?……あ、わかった!マルティンはアタシが何か見返りを求めると思ってるんでしょ?でもそれは大間違い!あなたに意地悪したアタシに対して、単に『アタシがお尻の穴まで丸出しにされた』っていう理由だけで恨みを捨てて優しくしてくれた、そんなあなたには無償で協力したいのよ!」

「君が僕に感謝しているのは分かっているよ。だからそんな君が僕に何かを要求するとは思っていない。でも、やっぱり恋愛については魔法の力を借りるべきじゃないって思ってるんだ。それに僕は僕自身がその女性と付き合って良い人なのかどうか分からないしね……」

「え?…それってどういう意味?」

「僕は僕自身が不誠実ウネアリッヒかもしれないっていう懸念があるんだ。まあ、その点については説明が長くなりそうだし、君が気にすることじゃないよ。でもそれよりも僕は君に二つお願いしたい事があるんだ。お願いと言っても難しいことじゃない。魔法を使う必要なんて無いことだよ」

「二つのお願いって、何?」

「一つ目は、僕の自慰を今後は見ないでほしいっていうこと!」

「え!?で、でもマルティンがその行為の後に毎回相手の女性の部屋に向かって謝る姿を見てアタシはマルティンの健気さを素晴らしいって思っているのよ!そんな素晴らしい姿を見られるのがどうして嫌なの!?」

「でも、君は自分が自らを慰めている姿を…たとえ夫のキマリスさんにでも見られたら、恥ずかしいでしょ?」

「もちろんそうだよ!さっきも言ったけど、アタシがキマリスにそんな姿を見られたら恥ずかしくて絶対に泣いちゃうわ!!」

「僕だって同じ気持ちなんだよ。さすがに僕の場合、泣きはしないと思うけどね!……たしかに、その行為の後は相手の女性に謝らずにいられない僕をグレモリーが『素晴らしい』って思ってくれる気持ちは嬉しいよ。でもいくらその点がうれしくても、やっぱり僕は君にであれ他の誰にであれ僕のマスターベーションを見て欲しくないんだ、お願いだよ!」

「うん。分かった。もうマルティンのマスターベーションは見ないよ!」

「ありがとう。それでもう一つのお願いなんだけどさ……」

そこまで言いかけた時点でマルティンは少し躊躇した。というのも、それはあまりにも困難と思えるお願いだったからだ。言い淀んでいるマルティンの次の言葉が待ち遠しいグレモリーは、思わず尋ねた。

「ねえ、二つ目のお願いって…何?」

グレモリーに催促されて、ようやくマルティンは決心したかのように話しはじめた。

「僕の二つ目のお願いは、『君とキマリスにはもう人間と何の契約もしないでほしい』っていうことなんだ!」

「えッ!?…そ、それはさすがに無理よ!だってアタシもキマリスも他の悪魔たちも、悪魔はみんな人間の魂を得るために、あるいはアタシがメリーナに対してした様に人間の心を支配するために生きているんだから……それに、アタシやキマリスだけがそうした行為をやめたらアタシたちの部下の立場もなくなるし、だいたいアシュタルテさまに殺されてしまうかもしれないわよ!」

「そ…そうなのかい!?…だったらこのお願いはさすがに無理だな」

「そうね。…でもマルティンたちのいるミュンツァー市とか、その近郊の地域では契約を取らない様にすることぐらいならアシュタルテさまにお願いして認めてもらえるかもしれない。そういうお願いをアシュタルテさまにしてみるから、それで妥協してくれる?」

「ああ、それで充分だよ!君やキマリスさんが殺されるなんて、考えたくもないほど悲しいことだからね…でもさ、グレモリー」

「何?」

「でも、君とキマリスさん、そしてその部下たちが天界に逃げるわけにはいかないのかな?」

「え?」

「人間界だと、故郷の国で暮らせなくなった人が外国に亡命するっていう選択肢があるけど、君たち悪魔は天界に亡命するっていうわけにはいかないのかな?」

「そ…それは分からないわ。でも確かにアシュタルテさまは以前、ご自身の直属の眷属けんぞくたちが天使たちに捕まった後は最下層の天使に転生して天界の雑用係になったと言っていたわね」

「そう?だったら君やキマリスさんもそういう風になればいいんじゃない?……いや、でも最下層に落とされて雑用係になるのはイヤかな……」

「う~ん、たしかにイヤだけどキマリスとアタシの部下、それにキマリスの部下も一緒なら最下層の天使に転生しても我慢できるかも」

「そう言えばトーマス神父には非常に高位な天使の加護がある様だけど、ひょっとしたらトーマス神父に取り次いでもらえば君とそのお仲間は天使に転生できるかも……」

「う…で、でもアタシのみならずキマリスとかアタシたちの部下の全員が転生を認められるのでなきゃイヤだから、取り次いでくれなくてもいいよ」

「そ、そうなの?…わかった!君が仲間を大切にする気持ちはわかったよ!でももしかしたら君とそのお仲間がそろって天使に転生できる方法があるかもしれないから、やっぱりトーマス神父に相談してみるよ!」

「ありがとう。まあ、もしも出来るなら、キマリスたちに提案してみるけど、彼はアタシと違ってアシュタルテさまに対する忠誠心が厚いから説得に苦労しそうだわ……」

「僕も君に無理なお願いをするつもりはないよ。でも、もし最下層の天使に転生して仕事に苦労したら僕が手伝ってあげるから、そのつもりでいてよ」

「え?でもそんなことをしたらマルティンは休める日が無くなるんじゃない?」

「ま、まあ確かにそれは困るけど、でもグレモリー、君とは何となく親友っていう気がするんだ。だからそういう時には助けたいんだよ」

「そう?ありがとう、マルティンって優しいね!」

「そう?…う~ん、でも君も優しいと思うよ」

「そう?そんな風に言ってくれてうれしいよ……」

そうした会話の後、グレモリーはマルティンに「また会おうねマルティン!アタシはキマリスの良いところをまだまだ話し足りないからさ!」と告げて魔界に帰り、その日のマルティンとグレモリーの交流は終わった。

その後グレモリーは魔界に帰ると、自慰の際には夫であるキマリスにも見られない様に細心の注意を払い続けた。とはいえ、もともとグレモリーもお尻に息づく可憐な蕾を自慰のたびごとに愛撫するわけではなく、そこに指を入れるのは時々でしかない。そしてグレモリーの心の中から、自らのアヌスを指で愛撫したい願望はだんだんと薄れていった。それはひとえに、キマリスの舌がそこをグレモリー自身の指以上に優しい所作で愛撫してくれることに満足したからだ。グレモリーが自らの指を臀部の谷間に息づく清楚なすぼまりにどれだけ激しく指を出し入れしても、その結果どれだけ激しく歓喜にあえいでも、キマリスはそんなグレモリーを絶対に軽蔑なんてしない。ただ、その薔薇の蕾をキマリスの舌で愛撫されることによって身も心も満たされる事が多くなったグレモリーの中で、自らの指による愛撫を求める気持ちが徐々に薄れていったのだ。

また、グレモリーの料理の腕はマルティンが教えてあげたおかげで上達しており、キマリスに手料理を振る舞った際には毎回喜ばれている。召使がいるので料理を召使に作らせることもあったが、召使に比べれば幾分ぎこちない手つきではあれ定期的に料理をするグレモリーの献身ぶりにキマリスはあらためて惚れ直した。

全般的な夫婦の営みとしては、グレモリーの立派過ぎる男根を受け入れられない小柄なグレモリーなりに何とかキマリスの陰茎を感じさせてあげようと努力をしている。キマリスはキマリスで、いたわるように優しい舌遣いでグレモリーの女性器及びお尻の穴を舐めているが、グレモリーもお返しにキマリスの男性器をほおばろうとした。だがそれがあまりに大きい上に持久力のある肉竿なので、小柄なグレモリーがフェラチオでキマリスを射精させるのはかなり困難である。それゆえキマリスから「グレモリー、愛しい君が苦しむ姿は見たくない。無理なことはしないでほしい」と言われて以来、グレモリーはキマリスを手で射精に導いたり、股間にはさんで相互に腰を振る行為で射精に導いたりすることが多くなった。

キマリス自身は「グレモリーを気持ちよくしてあげたい」という気持ちが優先しており、たとえグレモリーが一方的に舐めてもらう事だけを望んでもグレモリーの希望を満たしてあげるつもりでいる。ただ、グレモリー自身がキマリスに対する愛情ゆえに射精させてあげる事を望んでいたので、幼年のグレモリーも無理をしているわけではない。とはいえその後のグレモリーは、自身の体を大人の女性に変化させる変身能力の訓練には熱心に打ち込む様になった。今のところ最長で五分しか大人の女性の状態を保てないが、もっと長く大人の女性でいられるほどにその能力を磨いたら、手や口ではなく女性器でキマリスを射精に導いてあげたいと願っている。

アシュタルテはミュンツァー市から手を引くことにした。それは彼女の配下のキマリスとグレモリーの願いを聞き入れた結果であった。キマリスもグレモリーもマルティンに恩義を感じており、それゆえマルティンに縁のあるミュンツァー市の人間の魂を買い取ることは辞めて欲しいとお願いしたのだ。もっとも、アシュタルテの胸中には契約を通じて人間の魂を買い取るよりも手堅い方法によって自身の人間界における支配を強めたから、その余裕ゆえに「たかが一つの行政区に過ぎないミュンツァー市において魂の買い取りを諦めても問題ない」という判断もあったのだが。

人間の魂を契約により買い取るというよりも手堅い方法、すなわちアシュタルテを模した聖母マリアの絵画や彫刻をミュンツァー市およびその近郊の市町村に普及させたアシュタルテだったが、普及の際にアマイモン麾下きかのザイアに協力を得たため、人間界における悪魔崇拝の最大の功労者がアシュタルテなのかその命令を受けた画家なのか、それともザイアなのかに関して魔界で意見が割れる結果となった。

アシュタルテの正体を知らずにアシュタルテを模した聖母マリアの像や絵画を買ったハンスは利幅の大きい商売で得をした。部下に任せていた本店はハンスの父のガリオンの病気が快復したことから再度ガリオンが総責任者に復帰した。

クラーラはハンスとの交際を続けている。トーマスに比べれば劣るとはいえ霊能力を持っているクラーラだが、そのクラーラがハンスの買った像や絵画がアシュタルテをモデルにしていると気づくことはなかった。

一方「闇のメリーナ」に変わってしまう事が無くなったメリーナは、父のベンヤミンの病気が快復したので父の代理人として多忙な日々を過ごす必要は無くなり、トーマスと交際を続けている。側近のアルフレートとしてはメリーナには仕事上の交流があるハンス・シュルツと結婚してほしかった。だがトーマスが人格者であり知識人であることもあって、アルフレートもメリーナとトーマスが交際することに別段意見は言わなかった。

メリーナはトーマスを神父としても人格者としても、そして霊能者としても頼りにしているが、一方でマルティンに対する感謝も忘れていなかった。魔界に単身乗り込んだマルティンの勇気とグレモリーの所有していた契約書を人間界に持ってきたことを評価したメリーナは、マルティンを優遇する様に――要するに父のベンヤミンに頼んでマルティンの給料を上げさせ、料理長には将来の料理長候補として特に目をかける様に――と伝えてあげた。マルティンはもちろんそんなメリーナに感謝したが、メリーナにとってはその程度の地位の向上はマルティンの功績からすれば不十分とさえ思えるものだったので、別に恩着せがましくすることはなかった。

とはいえ、メリーナにはマルティンの言動について気になることもあり、いつかはそれをマルティン本人に言わないとならないと感じてもいたのも事実であった――


●第二十二章

ある日の午後、フォルツァー家の居間でメリーナはマルティンに話しかけた。

「ねえ、マルティン」

「何ですか?お嬢さま」

「どうしてマルティンはエルマの気持に応じてあげないの?」

「ど、どうしてと言われましても……」

メリーナがエルマを話題に挙げたので、マルティンは不安になった。

(ひょ…ひょっとしてグレモリーがお嬢さまに「あのこと」を話したんだろうか?)

マルティンは、しばらく前にグレモリーと会った時の会話の内容を思い出した。その際にマルティンは、メリーナと付き合えないと知った後のマルティンがエルマを想って何度も自慰をしているのをグレモリーが知っているという事を告げられたのだ。

それゆえマルティンは、メリーナに対して「マルティンはエルマを想いながら自慰しているよ」とグレモリーがメリーナに教えたのではないかと不安になり、その点を尋ねずにいられなくなった。

「あのう…お嬢さま?」

「え?」

「ひょっとしてお嬢さまは、最近グレモリーから僕に関して何か話をお聞きになったのでしょうか?」

「え?…どうして今グレモリーの事が気になるの!?…そもそも私はグレモリーとは長い間会ってないわよ!」

メリーナは「何故マルティンはいきなりグレモリーの話を切り出したのだろう?」と言わんばかりの怪訝な表情をしている。その表情を見たマルティンは「僕がエルマさんを想いながら自慰をしているという事をグレモリーはお嬢さまにバラしていない」と確信して安堵した。

そんなマルティンの心境に気づかないメリーナは言葉を続けた。

「私が長らく会っていないグレモリーのことは今回の話題に関係ないわ。私はマルティンの最近の言動で気づいたのよ。最近のマルティンは何かというとエルマの事を気遣っているでしょ?エルマは前からマルティン一筋の様だし、どう考えても相思相愛だと思うんだけど、どうしてエルマとお付き合いしないの?マルティンとエルマは結婚しても良いくらいお互いに愛し合っていると思うのに…実に不思議だわ」

「ええと…それは、そのう……」

しばし躊躇したマルティンだったが、意を決したように話し始めた。

「それは…以前あの様な経緯があった僕がエルマさんと付き合うのはエルマさんに対して不誠実ウネアリッヒだと思うからです」

「え?不誠実ウネアリッヒ?」

「そうです。不誠実ですよ。だって僕はお嬢さまにずっと想いを寄せていて、そしてお嬢さまの事を考えながら、マ…マ…マスターベーションを繰り返していたんですよ。お嬢さまの事を考えながら何度も射精エヤクラツィオンをした僕なんかが、お嬢さまとお付き合い出来ないと知ってからまだ日が浅いのにエルマさんと付き合ったら、まるで『お嬢さまと付き合えなくなったからエルマさんと付き合った』と言っている様なものではありませんか。それに、そもそもそんな経歴のある僕のことをエルマさんが受け入れてくれるとは思えませんよ」

マスターベーションのくだりになると言い淀んだマルティンだったが、「射精」という言葉は言い淀まずに言った。おそらくマルティンは発言の途中で、正直に自分の不誠実さを伝えるべきだと覚悟を決めたのだろう。

「ふ~ん、そういう事情なのね。あなたの気持はわかったわ。でもねマルティン、今のあなたのエルマに対する気持ちはどうなの?もしも私との件が無かったら、あなたはエルマとお付き合いしていたんじゃない?」

「……」

メリーナの問いかけにマルティンはしばし返答に窮した。だが、やがて正直な気持ちを告白した。

「さ、左様ですお嬢さま!もしもお嬢さまとの件が無ければ、たとえばフォルツァー家ではなく別の名家の従者同士としてエルマさんと同僚になっていれば、僕はエルマさんとのお付き合いを望んだと思います…というか、今でもエルマさんとお付き合いをしたいのです。ですが先ほど申した通り、お嬢さまを想いながら自慰をしていた僕なんかには、エルマさんと付き合う資格がないと思うんです」

「『資格がない』ですって?何を言ってるの?それはあなたが決めることじゃないわよマルティン!エルマが決めることよ!あなたは自分自身の気持がどうなのか、今のあなたがエルマ一筋なのか否かさえハッキリさせればいいのよ!今のあなたはエルマ一筋なんでしょ?」

「は、はい!左様です!実は今の僕はエルマさんとお付き合いしたいと真剣に考えているんです!」

メリーナの強い語気に威圧されて、ついにマルティンは本心を言ってしまった。マルティンの発言を聞いたメリーナは勝ち誇ったようにニマッと笑った。

「だったら話は早いわ!エルマはマルティン一筋なのよ!あなたとエルマは絶対にお付き合いできるわ!」

「ほ、本当ですか?!」

「本当よ!」

マルティンの問いかけに自信満々で答えるメリーナ。だが、次にマルティンが投げかけた問いには当惑した。

「でも、何故お嬢さまはそう断言できるんですか?エルマさんが僕一筋だという証拠が何かあるんですか?」

「う…そ、それは…そのう……」

メリーナは思わずうつむいてしまった。まさか「エルマがマルティンの事を想いながら自慰をしていた」というエルマの秘密をバラすわけにはいかない。メリーナの顔から先ほどまでの明るさが急に消えたことに気づいたマルティンは、メリーナ以上にしょんぼりした表情に変わった。

「や、やっぱりそんな証拠は無いんですね?エルマさんが僕一筋だなんて、お嬢さまの単なる楽観的な印象に過ぎないのではないでしょうか?」

「え?…そ、そんなことないわよ!」

「で、では具体的にどういうご理由でそうおっしゃるんですか?……」

「そ、それはぁ…ええとぉ……」

メリーナは返答に窮した。単にエルマから「私はマルティンの事が好きなんです。どうすればマルティンとお付き合いできるでしょうか?」と相談されたと伝えるだけではインパクトが弱い。自信なさげなマルティンなら「エルマさんがそんな相談をするとは思えません。エルマさんはお嬢さまも含めてからかっているだけじゃありませんか?」とまで言うかもしれない。だが次の瞬間にメリーナは、とある案を思いついた。

「そ、それはね……こないだエルマの部屋に行ったときに確証を得たのよ!」

「え?エルマさんのお部屋に?」

「そう。前にマルティンがエルマの落とし物を拾ったことがあったでしょ?でもあのときマルティンは私にその落とし物を届けて欲しいってお願いしたじゃない」

「ああ、そう言えばそんなことがありましたね」

かつてマルティンが、エルマさんの部屋に入るのは何となく気が引けると言ってエルマの落とし物をエルマに届けることを躊躇した時を話題にあげた。メリーナはその時のエピソードを自分なりにアレンジしてエルマの想いを伝えようとしたのだ。

だがその直後、

「ちょ!…ちょっと待ってくださいお嬢さま!!」

いきなり響いた大声に、メリーナもマルティンも肩をビクッと震わせた。

それは近くをたまたま通りかかったエルマの声だった。声のあった方を見ると、血相を変えて青ざめた表情のエルマが呆然と立っている。

「あ、あのう…お嬢さま!あのお話は絶対になさらないとお約束なさったではありませんか!?」

「エ、エルマ?今の話を聞いていたの?!」

驚くメリーナ。そしてマルティンも何が起こるのかとハラハラした表情だ。エルマとしては「マルティンの名を呼びながら自慰をしていた」という、絶対に言って欲しくない事をバラされるという恐怖ゆえに青ざめた表情をしていたのだが、事情を知らないマルティンは、エルマのあまりの顔色の悪さゆえに「風邪をひいているのだろうか」と心配するほどだった。

だがメリーナはエルマに近づいて優しく微笑むと言った。

「大丈夫。私は嘘なんてつかないわ。絶対にエルマとの約束を破ったりしないわよ」

メリーナの表情と口ぶりからマルティンの名を呼びながら自慰した件をバラすことは無いという安心を得たエルマだったが、では何を言うつもりなんだろうという疑問も湧いてきた。そんなエルマの方をぽんぽんと軽く撫でて安心させたエルマはマルティンに向き合うと言った。

「あのね、忘れ物を届けに行った時、エルマは眠っていたのよ。そして寝言で言ってたの。『マルティン、愛してるわ!私が愛しているのはあなただけよ!』ってね。それで私はエルマが起きた後に落とし物を渡して、エルマに彼女の寝言について尋ねたの。そうしたらエルマは『私がマルティンを愛してるって言ったことは、まだマルティンに伝えないでください』って言ったのよ。それで私は『どうして?』って尋ねたわ。そうしたら『まだマルティンの気持がハッキリしてないから』ってエルマは言ったのよ。だから『マルティンの気持を確かめるまではエルマの気持を絶対マルティンに伝えない』って私は約束したのよ」

メリーナの発言を聞いたマルティンの表情は一気に明るくなった。

「そ、そういう事だったんですか!」

その顔にはメリーナの言葉に対する疑いは一切見られなかった。実際には自慰の際にマルティンの名を呼んでいたエルマだったが、メリーナはエルマが「夢の中でマルティンの名を呼んでいた」というウソをついたのだ。マルティンはそんなメリーナのウソに完全に騙された。

マルティンの表情を見て「してやったり」と言わんばかりの笑みを浮かべたメリーナは再度エルマの方を向いた。

「ねえ、エルマ。私は約束通り『マルティンの気持を確かめるまでは』エルマの気持ちを伝えなかったわ。今こうして伝えたのは、すでにさっきマルティンの気持が明らかになってたからなのよ!あなたの寝言の件はマルティンであれ他の誰に対してであれ、今まで言っていなかったし今後も言わないわ。これなら約束を破ったことにならないでしょ?」

そう言ったメリーナはマルティンからは死角に入っている方の目をウィンクして意図を伝えた。

「は…はい!メリーナお嬢さま!おっしゃる通りでございます!まことにありがとうございます!」

エルマは深々と頭を下げ、「自慰の最中ではなく寝言でマルティンへの熱い想いを述べていた」という体裁を取ってくれたメリーナの咄嗟の気転に、最大限の感謝を示した。

<Ende>

このたびは本作『闇のメリーナ』をお読みくださり、まことにありがとうございます。以下はネタバレというか執筆に至った経緯です。

まず、メリーナ・フォルツァーという女主人公の名前の由来および彼女が「闇のメリーナ」に変化して淫らになるという展開の由来ですが、ローマ帝国第四代皇帝クラウディウスの妻である皇后メッサリーナ、および中世イタリアの女性領主カテリーナ・スフォルツァがメリーナお嬢さまのモデルです。皇后メッサリーナが(メリーナお嬢さまとは逆に)「元来は淫らだったのに、ガイウス・シリウスという美青年と出会って以後は貞淑になった」という歴史上のエピソードを読んで「だったら逆に、元来は淫らでないヒロインが急に淫らになったら面白いんじゃないか?」と思って考えたのが本作の執筆のきっかけです。

魔王たちについては、ソロモン七十二柱という魔王の図鑑を見て「グレモリーやキマリスも面白い!他の魔王も面白い!というかストーリーの展開に必須な魔王が複数いる!」とワクワクしたので、幾名かの魔王にご登場いただきました。

ただ、本作で「Seirザイア」と表記している美青年魔王はドイツ語読みだから「ザイア」なのであって、「Seir」は英語読みでは「セイア」になるかもしれません。というかそもそもその美青年魔王については「Seere」という別のスペルもあるようですが、本作では「Seirザイア」としました。

ところでそのザイアですが、彼が「出エジプト記」に対しておこなったツッコミは私自身の疑問でもあります。「モーセおよびその同胞を苦しめたのはファラオなんだから、神はファラオ一人に対して罰をくだすべきだった」という私の意見を、ザイアという美青年魔王に代弁してもらった次第です。

末筆ですが、『闇のメリーナ』を読了してくださった皆様に、この場を借りて深い感謝を評します。まことにありがとうございました。


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