二箱目
「あるじ様!あるじ様!」
誰かの声がする。肩も小さく押されて、まるで親父と二人で暮らしていた時みたいだ。夢を見ているのかも知れない。夢を見ているときにこれは夢だと気がつくことが稀にある。今日はきっとその稀な夢なのだろう。心地良くて懐かしいこの感覚。目覚めたくない。そう思うほどにこの世界は俺に優しいーーーーッ!
心地良く眠っていた体は、意識が浮上すると同時に飛び起きた。心臓がバクバクとうるさく、目の前にちょこんと座る狐を見て数秒時が止まったように感じた。
狐の尻尾はユラユラと揺れて機嫌が良さそうだ。頭が正常にはたらくまでその尻尾を視線だけで左右に追いかける。
「おはようございます。あるじ様。よくお眠りになってましたねぇ。ところで、シロはお腹が空きました。何かないですか?例えば金平糖とか!」
期待を込めた視線を寄越すその狐に顔を向け、意識は昨日の出来事を思い出していた。
そっか、やしろが帰ってきたのか...
緊張が解けて体はもう一度布団に吸い込まれていく。背中から倒れ込み腕を広げて天井を見上げた。倒れた拍子の振動が伝わったのか電気からぶらさがる紐が微かに揺れている。
携帯のアラーム以外で起こされたのは何年ぶりだろうか。
この感じ懐かしいな
冬の朝は寒いはずなのに、体は火照って汗ばんでいる。
けれど、昨日の出来事を思い出し頭の中で整理していくと、一気に体温を奪われた。
「今日からどうすっかな...」
学校は行ってなかった。修行があったから。でももう修行はない。祓い師にはなれないから。
「ねぇねぇ、あるじ様。金平糖ないですー?」
「...角砂糖なら台所にある」
「えぇぇ...仕方ないですねぇ。角砂糖で我慢しましょうか...」
尻尾が垂れて背中に残念と書いたやしろは、とぼとぼと台所に向かって行った。
布団から出て一通り身支度を済ませた。いつもならそのまま、師匠の寺へと向かうけれど、もう行けない。今から何をしていいか分からずとりあえず縁側に腰を下ろした。
「おはようございます。絹江さん」
「あら、つむぐ君。おはよう。今日は祓い師様の修行はお休みかい?」
昔からボランティアで寺の掃除に来てくれている絹江さん。寒い今日も箒を片手に落ち葉を掃除しに来てくれた。さて、なんて言おうか。つってももう誤魔化しようもないけど。
「いやぁ、祓い師向いてなかったみたいで。これからどうしようかなって、ははは」
笑うしかない。かっこ悪りいな。
「あらあら、そうなの?」
絹江さんは小さい時から知ってる人だから。
なんでも聞いてきたり、言いふらしたりする人じゃない。それが救いだった。
「じゃあ、ちょうど良かったわぁ。駄菓子屋の梅おばぁちゃんが、昨日から腰を悪くしたみたいなの。代わりに店番をしてくれる人を探していたのだけれど、つむぐくんどうかしら?」
「梅ばぁちゃんが?」
「駄菓子屋!!あるじ様!あの駄菓子屋さんですか?!あそこの金平糖、シロ大好きです!行きましょう!すぐ行きましょうあるじ様ぁぁあ」
「あら、シロちゃん戻ってきたのね。元気そうで嬉しいわ」
隣でやしろがぴょんぴょん跳ねる姿を見て絹江さんは笑ってる。それにつられて俺も少しだけ笑えた。やしろそんなに金平糖好きだったのか。
そういえば、小さい頃、金平糖取り合ってよく喧嘩したっけ。
「梅ばぁちゃんとこ行ってみるか」
やしろの頭をがしがし撫でれば満更でも無さそうだった。
そんなこんなで、しばらくの間駄菓子屋の店番を任された俺は今日もこうして店に来る子供たちを相手にしている。
「よう!ゆうた。今日は母ちゃんと一緒か?」
「つむにぃ今日発売のドグウレンジャーのカードある!?」
「こんにちはつむぐ君。
ゆうたまずはご挨拶でしょ?」
「うるせぇなかぁちゃん」
「ごめんねぇ、つむぐ君」
「いえいえ、大丈夫っスよ。ゆうた、入ってるぞー」
「やった!さすがつむにぃ!」
「いやいや、あんだけ毎日入荷しろ入荷しろ言いに来られたら流石に遅らせる訳にはいかねぇだろ」
駄菓子屋のお客は基本的に子供ばかりだ。特にゆうたはお得意様で手伝いでお駄賃をもらえばその足でいつも駄菓子を買いに来てくれる。売り上げが上がれば、時給上げてくれるって梅ばぁちゃん言ってたし、俺にとっては大事なお客様の一人だ。
「ありがとな!つむにぃ!また来るからなー!!」
受け取るとゆうたは嬉しそうにカードを抱えて外に飛び出した。はやく開けたくて仕方ねぇんだなあ。俺も小さい頃はそうだった。
「こら!ゆうた飛び出すと危ないでしょ?ほら、手繋いで」
「やだよ!誰が手なんて繋ぐか!!!」
「もう、こら!走らない!!転けたらどうするの。もう、あの子ったら」
「はは、照れてるだけっすよ」
「小学生になってからめっきり手を繋いでくれなくなったのよ。寂しいわ」
「そういうの揶揄う子もいますからね。男ってそんなもんですよ」
「そうよね。ありがとね、つむぐ君。また来るわね」
「はーい」
店の外にでて見送った後、辺りを軽く見回した。もう、閉めても大丈夫そうか。
「片付けるか」
もう夕方。子供らは帰って家族と過ごす時間。閉店時間は決まってないがそろそろ片付けても良さそうな頃合いだ。まずは、外に出してた棚を中に入れるか。
この店の仕事にも大分慣れてきた。片付けもそこまで難しくないし時間がかかることもない。全て中に仕舞い込んだらあとはシャッターを閉めるだけだ。
店の手前の隅に立てかけてあったシャーターを下ろす棒を取ってフックになってる部分を穴に掛けて引っ張り下ろす。ギギギと鈍い音を立ててそう簡単には降りてきてくれない。何度も引っ張ってようやく下すことができた。今度、滑りの良くなるスプレーでも見に行くか。
上に伸びをして見上げた。2階の窓にゆらゆら揺れる白い影がある。
どうもご機嫌が良いらしい。
「やしろー!そろそろ帰るぞー」
やしろは俺が店番をしている間、二階で梅ばぁちゃんにおやつをもらってぬくぬく寛いでいる。今日もご満悦そうに降りてくるだろう。
「呑気な奴だなぁ」
「お前もな」
独り言に返事が聞こえて後ろを振り向いた。声が聞こえた瞬間から嫌な気分だ。
「何しに来たんですか。雪哉さん」
「兄弟子に向かってその言い草。ひどいねぇ」
「もう、あなたとは関係ありませんから」
修行していた寺の兄弟子で、今は祓い師のその人はいつも鼻で笑っている。俺はこの人に馬鹿にされてる。ずっとずっと馬鹿にされてきた。でももう関係ない。俺は祓い師なることはない。この人とは今後関わる事なんてないのだ。
「可愛い弟弟子の顔を見に来たんだよ。この寂れた駄菓子屋よく似合ってるよ、お前。祓い師よりもな」
「それを言いに来ただけなら、もう帰ってください」
「ほんと、面白くないね。お前」
「あるじさまぁーー」
ピリついた空気を呑気な声が割って入った。
場違いにも程がある声なのに、妙に安心した。イラついたって意味なんか、もうない。
「あらあら、あなたは確か、風見家の雪哉殿ではありませんか」
「な、なんで渚さんの妖狐が...」
「ふふふ、その驚かれたお顔、お父様にそっくりでございますねぇ」
「もう帰るぞ、やしろ」
「はーい。では、失礼致します」
そうか、親父が生きてた頃にやしろは雪哉さんに会った事があるのか。
はぁ、、
ほんと会いたくない人に会っちったな。気持ちがしんどい。同じ祓い師の息子で、跡を継げた雪哉さんと才能がなく継げなかった俺。ほんと、とうちゃんに合わす顔がないわ。
無言のままやしろと二人帰り道を歩いていく。
「・・・・・。
あ、あるじさま!!」
「ん?どうした?」
「私、梅ちゃんのところに金平糖忘れて来ちゃいました。取りに戻ってきますので、先に帰っててください」
「一緒に行こうか?」
「いえいえ、では後ほど〜」
そう言ってやしろはあっという間に行ってしまった。
ほんと好きだな金平糖。基本やしろは甘党だしな...でも身体に良くねぇよな。そもそも妖狐って栄養とか関係あんのかな?
ま、とりあえず今日の晩飯は野菜多めに出しとくかぁ。スーパー寄って帰ろ。
「おやおや、まだ居たのですか、雪哉殿」
「なぜ、祓い師でもないあいつに貴方みたいな高位の妖がついているんだ!!」
「なぜって、私の主人はつむぐ様だけですから」
やしろは心底不思議そうに首を傾げた。質問の意図がまるで理解できないかのように。
そんなやしろの姿に雪哉は苛立ちと焦りをさらに募らせた。
「あんな出来損ないに貴方は相応しくない」
雪哉はさらに声を張り上げてやしろに怒鳴った。青年が狐を責める異様な光景を見ている人は幸いにも誰もいない。
やしろはただその青年の目を見つめた。まるで凍えてしまうのではないかと思うほど冷たい視線で。その瞬間雪哉は身震いをした。まるで、捕食される寸前のような感覚に陥り心拍数が跳ね上がる。視線は外さない。けれど、小さく一歩、また一歩と後ろへ下がり距離をとっていく。頭で考えて動いているのではなく、本能がそうさせているのだ。
「まったく、弱い犬ほど吠えるとはまさにこのことですねぇ」
「あ、、、あ、ぁぁ」
雪哉は尻餅をついた。目の前には愛らしい狐の姿はなく、それに代わって人の丈以上もある九尾が牙を光らせこちらを睨んでいる。
「あマり、調子ニ乗ルナヨ。小童」
怒りを孕んだその言葉に雪哉は、目尻に涙を浮かべながらなんとか立ち上がろうとして何度も足を滑べらせた。
そうなるのも無理はない。駆け出しの祓い師である雪哉がやしろの凄まじい妖気を身に浴びて正気でいれるはずがないのだ。
「も、もも、も申し訳、、ありません」
何に対してなのか分からない謝罪をしながらなんとか立ち上がった雪哉はその後何も言わずに走り去った。
残されたやしろは、やれやれといった表情で元の姿に戻っていく。
「ちょっと大人気が無かったですかねぇ。
さ、お家にかえろっと」
やしろは金平糖を取りに行くこともなくそのまま、つむぐと暮らす家へと帰っていった。
「ふ〜、お腹いっぱいでございますぅ」
作った晩飯を平らげたやしろは、畳の上で仰向けで寝そべっていた。
「やしろって好き嫌いないんだな」
「あるじ様が作ってくださるものは昔からどれも美味しゅうございますからね」
「....昔は下手だったろ」
「いえいえ、あるじ様のご飯はずっと前から美味しいままですよ」
「そうか?お前いいやつだなぁ」
久しぶりに誰かから褒められて、なんかむず痒い。でも、まぁ、気分はいい。
「アイスあるぞ。食うか?」
「アイス!!食べます!食べますぅ!」
腹一杯で横になってたのに、アイスと聞いた瞬間に目を輝かせて飛び跳ねるやしろがちょっと可愛くて笑える。
「じゃあ、棒のアイスだから器に移してきてやるよ。その方が食べやすいだろ」
前足じゃ、流石に棒は持てないだろうし。
「あ、いえいえ、そのままで結構ですよ」
ッポン
聞き覚えのあるなんとも間抜けな音と共に少しの白い煙がもこもことやしろを覆った。
「ふ〜。やっぱり現世はこの姿が便利ですね。さ、あるじ様。アイス!アイス!」
「お、お、お前...人に化けれたのか...」
妖狐が居たはずの場所には着物を着た同じ年頃の男が座っていた。
「化けるというか、こちらも私自身の姿なのでね」
「え、やしろ、お前いくつなの?俺と同じくらいに見えるんだけど!?」
「いくつ?さぁ。年を重ねるということは生きている者のみに許された権利でございますからねぇ。私たち妖はそこに含まれません。まぁ、しいて言えば今のあるじ様よりは年上ですよ」
「そうか...それにしてもイケ、メンだな.....」
「あははは。そりゃもう、私は妖界の一二を争う美形でございますからねぇ。あれ、なんですその顔は。あ!わかりました。さては、私が女の子じゃないかと期待してましたね?残念ですが、私は男ですよ。まぁ、ただ、性別は変えられませんが、髪を伸ばせば女の子に見えなくはないかもしれませんねぇ」
肩まであった綺麗な銀髪が見る見るうちに伸びていき、畳に着くほどの長さになった。そして足を折り曲げ、袖を持って口を隠しこちらを上目遣いで見つめてくる。たしかにそうすれば美しい女性だ。ただ、裾からみえている筋張った足が男そのものだ。
「あ・る・じ・さ・ま♡」
「ちょっ、やめろ、やしろ」
面白くて笑ってしまった。
面白いし、綺麗だけどなぁ、
まぁ、正直俺は
「髪、元に戻せよ。その方が似合ってるし」
俺は、そのままのやしろがいいと思う。
「そうですかぁ?じゃあ、元のままで」
それから、二人並んで胡座をかき、アイスを食べながらテレビを見た。なんか変な感じだ。妖狐の姿のやしろと過ごす時とはまた違う。人の姿をしたものが一緒に家にいて隣に座ってるってなんか...懐かしすぎて変だ。
「なぁ、やしろ」
「なんですか、あるじ様」
「お前のその姿俺小さい時見たことあった?」
「いいえ」
「そうか」
「どうかしましたか?」
「いや、なんか見たことある気がして」
「.....」
べちょッ
「あーーーー!シロのアイスがぁああ」
「うわっ!急に大きな声だすなよ、びっくりするだろ。ほら、ティッシュ!新しいアイス持ってきてやるからそんな悲しそうな顔するな」
今日はなんだかより一層賑やかな日になった。