45物騒な言葉
会計を済ませて店を出ると、どんよりとした曇り空が広がっていた。すぐにでも雨が降ってきそうな変な天気に、気分が憂鬱になる。
「ぼさっとしてないで帰るぞ」
何気なく病院のある方向に目を向けて立ち止まっていると、不機嫌そうな声をかけられる。九尾たちが私を見上げていた。
「何を呆けているのか知らんが、ほれ」
九尾に腕を掴まれて、私の足は地面から遠ざかっていく。帰りもまた、彼らの飛行能力で帰宅するようだ。隣を見れば、翼君や狼貴君の心配そうな顔がある。私の顔に何かついているだろうか。
「蒼紗さんの幼馴染の件は悲しいですが、感傷に浸っている時間はありません。これ以上、彼らをこの町でのさばらせてはおけません!早いとこ、あいつらをせん滅させないと」
「翼の言う通りだ。これから、忙しくなる」
翼君がずいぶんと物騒なことを言っている。とはいえ、その言葉よりも気になることがあった。
私は今、感傷に浸っていただろうか。幼馴染が入院しているという病院から遠ざかっていくが、どうにも彼女が亡くなるという実感がわかない。彼らはあきらめろと言っていたが、私は彼女が亡くなってしまうと聞いて今、悲しいという気持ちになっているだろうか。
自分の気持ちがわからないまま飛行を続けているうちに、自宅に到着する。そこには、厳しい顔で私の家を睨みつけている雨水君の姿があった。
「朔夜!大変なことになったぞ」
私たちが雨水君の前に着陸すると、雨水君が切羽詰まった様子で話しかけてきた。大変なことになっているのは今さらだ。幼馴染が亡くなるというのに、助けもせずに帰ってきたのだ。雨水君が言う「大変なこと」は、彼女の死に関係があるだろう。
玄関前で話していると、ぽつぽつと空から雨粒が落ちてきた。どうやら、私たちが家に入る前に振ってきてしまったようだ。雨水君が感情を高ぶらせているので、そのせいで降り出したのかもしれないが、その辺は突っ込むことはしなかった。
「雨も降ってきましたし、家に入りましょう」
雨水君を家に招き入れことにした。そこでようやく、彼が一人で私の家の前までやってきたことに気付く。彼の隣には、九尾の元眷属である七尾の姿がなかった。
「七尾はすでに組合に向かってもらった。あいつらが怪しい行動を始めたから、尾行を頼んでいる」
「遅かったな。大変なことはもうすでに起こり始めている。我らもまた、お前らの組織に突入を考えていたところだ」
「雨水君は蒼紗さんの知り合いだから多めに見ますが、それ以外の連中は、どうなろうが文句はないですよね?」
「七尾もいることだし、目の前の男には手をかけないでおく」
リビングで私たちは向かい合って座って話していた。何やら不穏な空気が漂い始めるが、今回の件については、雨水君にも責任がある気がしたので、黙って見守ることにした。
「オレは別に朔夜を危険な目に合わせるつもりで組合に誘ったわけじゃない」
「でも、あなたの行動が結果的に蒼紗さんを危険な目に合わせることになった」
「私は別に危険ではなかったですけど……。まあ、迷惑は被りましたね」
黙っているつもりだったのに、つい口をはさんでしまった。今日はなんだか翼君の口調がずいぶんと辛辣な気がする。自分の生活が彼のせいで脅かされて怒っているのだろうか。それとも、純粋に私のことを心配してくれているのか。そういえば、先ほどもなにか物騒なことを言っていた気がする。
じっと彼の様子をうかがうが、ニコニコとほほ笑んでいてよくわからない。隣の狼貴君の様子も見てみるが、こちらは無表情で何を考えているのかわからない。とはいえ、一つだけ確かなことがある。
「何をしていても、ケモミミ美少年は最高で最強だということです!」
うさ耳に尻尾、狼耳に尻尾を生やした美少年が一人は微笑み、一人は無表情で男子大学生を追い詰めている。なんという素晴らしい光景なのか。
「なんだか、急に白けたな。話し合う気が失せた」
「蒼紗さんの性癖をすっかり忘れていました」
「一気に話し合うのが面倒になった」
急にその場の空気が緩くなった。今までの不穏な空気がどこかに行ってしまったようだ。三人のケモミミ美少年はなぜだか疲れたような表情を浮かべていた。
「……ということで、我たちは組合をつぶすことにした」
何をまとめたのかわからないが、九尾が妙にぐったりとした様子で結論を言い放つ。
「そうなの。つぶすって具体的にどうするつもり?」
物騒なことを言われたが、口にしているのは狐のケモ耳美少年である。そんな彼が可愛らしく首をかしげながら言うものだから、全然物騒には聞こえない。むしろ、可愛らしい仕草に言葉の内容はどうでもよくなる。とはいえ一応、聞き返す。
「蒼紗さん、聞いてないですね。僕たち、組合をつぶすって言っているんですよ!」
「ダメだな、戻ってくるまでに時間がかかりそうだ」
やはり、ケモ耳美少年は目の保養である。しかし、私は別に九尾たちの話を聞いていないわけではない。責めるような視線を私に向けるのはやめてほしい。だが、その視線もケモ耳美少年からだと思うと嫌な気分ではない。
「さすがに組合をつぶすのは危険だ。あいつらがいなくなったら、すぐに本部の京都に連絡がいくはずだ。そうしたら、彼らの精鋭部隊が俺たちの町にやってくるだろう。彼らの方が組合の連中よりも格段に手ごわい相手になる」
『それがどうした?』
私の脳内がお花畑状態になっている間にも会話は進んでいく。雨水君の焦ったような言葉には納得できる部分もあった。確かに組合をつぶしたら、西園寺家の本拠地である京都から誰か派遣されてくるのは間違いないだろう。とはいえ、私もケモ耳美少年たちの言葉に同意だった。三人の息の合った返事を私も心の中で叫んでいた。
「そもそも、さっきから言っているが、今回はお主がわれたちをそちらに引き込んだせいで起きた事件だろう?それなのに、お前だけは見逃してやると言っているんだ。破格の対応だ。これのどこに文句があるというのだ?」
「く、組合には西園寺家とは関係のない、一般の能力者たちもいるんだ。そいつらの居場所も奪うつもりなのか?」
「そんなものは我たちには関係ない。赤の他人がどうなろうと知ったことではない。今のわれたちにとって必要な人間は一人だけ。お前はただのおまけだ」
必要な人間。
九尾の言葉にひそかに嬉しさがこみあげて、思わず泣きそうになってしまった。私はすでに彼らの側の立場になってしまったのかもしれない。世間の常識にこだわって細々と目立たないように生きてきた『朔夜蒼紗』という人物はもう、この世に存在しない。今生きているのは、二回目の大学生活を満喫している、不老不死体質の能力者『朔夜蒼紗』である。
開き直った私は雨水君に声をかけることにした。




