38最期の言葉
『蒼紗、私はもうダメみたい。最期にあなたに言っておきたいことがあるの』
「ゆめ!体調はもう大丈夫なの?」
私は病院の一室にいた。目の前にはベッドに横たわる荒川結女の姿があり、ベッドわきに私は立っていた。当然のことだが、年を重ねていることを証明するかのように、彼女の顔や体にはしわが刻まれていた。髪も白髪となり、どこからどう見ても高齢の女性に見える。そんな彼女が『最期の言葉』などと口にすると、不吉なものに聞こえてしまう。
「最期だなんて言わないでよ。確かにずいぶんと年を取ってしまったけれど、まだまだ身体は元気だって、向井さんが」
『そう、あの子は辛い現実を直視したくはないのでしょうね。私のことを一番慕ってくれていたから……。私がいなくなることを受け入れがたいのよ』
「だったら、長生きすればいいだけじゃないの!人間は100歳を越えても生きていられる。あなたもまだまだ生きて」
『それは無理ね。何者かによって、私の身体は死に急速に近づいているの』
荒川結女は自分の死について恐怖を覚えてはいなかった。むしろ、死を受け入れ安らかな表情を見せている。私の言葉はもう、彼女の心には響かない。きっと、彼女の中で「死」というものが確実なものとして視えているのだろう。
何を言っても彼女が生にすがることはないのだ。そうとわかれば、どんな言葉をかけて良いのかわからない。よく見ると顔色が青白く、少ししか話していないのに息切れしていた。
彼女をこんな身体にした犯人が何者かはすでにわかっている。彼らを断罪するのは簡単だが、私のせいで、彼女はこんなことになってしまった。私のせいで、彼女の寿命を縮めてしまった。私のせいで。
『そんなに自分を責めないで。私はこんなことになったけど、あなたに会えたことに感謝しているの』
「でも」
「でも、なんてこどもっぽいこと言わないの。自分を責めている時間があるのなら、最期に私の話を聞いてくれる?伝えたいことがあるって言ったでしょ」
じっと、死が近づいているとわかるような生気のない青白い顔で見つめられると、断ることはできない。近くに置いてある椅子に腰かける。私が素直に自分の話を聞く態勢に入ったことを確認して、彼女は語り始めた。
『私がこの町であなたを見かけたのは、偶然だったの。ずいぶん前に、あなたはこの地から離れていったでしょう?ちょうど一度目の大学卒業後で、就職のために家を出たのだったかしら?』
「まあ」
『私はそのまま地元に残って、地元の男性と結婚して子供を産んだ。連絡がつかなくなっても、蒼紗のことは気にかかっていたの。私の幼馴染はどうしていたかなって』
最期に話したいことが昔話ということだろうか。今さら昔話をする理由は不明だが、とりあえず黙って話を聞くことにした。彼女はそのまま話を続けていく。
『そうこうしている内に、こんなに年を取って、私にはひ孫までできた。私の人生、とても良いものだったなって思えるような年まで来てしまった。最近はもう、自分の幼馴染のことなんて頭に浮かぶこともなかったのに』
ちらりと視線を向けられるが、何と返していいのかわからない。あいまいに頷くだけになってしまう。そんな私の反応に彼女は苦笑する。
『蒼紗には言っていなかったけど、私には普通の人にはない特別な力がある。まあ、知っているかもしれないけど、私の能力は』
「他人の身体を乗っ取ったり、他人に憑りついたりできる能力、でしょ」
彼女が話すより早く、幼馴染の能力を口にしていた。私の言葉に彼女は満足そうに微笑む。
『便利な能力よねえ。だって、この力を使えば、他人の身体を思い通りに操ることができるんだもの。とはいえ、私が思い通りにできるのは、自分と血縁関係にある者だけ。限定されていたから、そこまで多用はできなかったけど』
うふふと、目の前で口元を抑えて笑う姿は、当たり前だが高齢女性である。しかし、その姿は彼女の若いころの姿と重なった。昔からそんな笑い方をするなと懐かしさがこみあげてくる。
とはいえ、感慨にふけっている場合ではない。笑ってごまかそうとしているが、その能力のせいで、私は彼女に見つかってしまった。向井さんが急に人が変わったような雰囲気と話し方になったのは、荒川結女が身体を乗っ取っていたからだった。
『それで、この能力を使って姫奈の身体に憑りついて大学に行ったら、偶然、蒼紗を見かけたの』
「どうして私があなたの幼馴染の朔夜蒼紗だと気づいたの?」
まさか、昔の容姿のままの幼馴染が、ひ孫が通う大学にいるとは夢にも思わないはずだ。それなのに、なぜか彼女は私のことを自分の幼馴染だと確信していた。いくら容姿が自分のかつての幼馴染に似ているからといって、信じるものだろうか。
『そんなの簡単なことよ。蒼紗、あなたの周りの人間を見れば、すぐにわかったわ』
あなたの周りにいるのが能力者とか、人外ばかりなんだもの。
あっけらかんと放たれた言葉に唖然としてしまう。ただそれだけで、自分の幼馴染と判断したのか。
『そんなに驚くこと?昔から変な人間に好かれていたでしょう。ああ、姿が変わらないのは体質で、幼馴染の本質は変わっていなかったんだって思ったの。まさか、こんな近くに幼馴染がいたなんて。私はうれしさと同時に、あなたのことが心配になったの』
まだまだ話は続きそうだが、時間は大丈夫だろうか。ここは病室で、彼女は入院中の身である。親戚などが面会に来たら、私は邪魔になってしまうのではないか。急に目の前の女性には見舞いの客がいるのだと思い出す。心配してくれる身内がいるのだと気づいた。
「あの、話はこの辺にしましょう。私はいったん、家に帰ります。その話はまたの機会に」
『それは無理ね。私はもう、あなたに会うことはないと思うから』
急にめまいがして意識が遠のくのがわかった。
『長々と話してごめんなさい。本当に最期の言葉だから、これは聞いて頂戴』
あなたのお友達に手紙を出したのは私なの。でも、私は手紙を出しただけ。これ以上、あなたに辛い別れを経験させたくなかったの。私はあなたの幸せを……。