36電話
「もしもし、朔夜ですけど」
「先輩!どこにいるんですか!ひいおばあちゃんが!」
スマホを手に取り電話に出る。私が名乗ると、すぐにスピーカーモードにしているかのような大音量の声が部屋に響き渡る。スマホから聞こえる叫び声に、何事かと九尾やジャスミンが私に視線を向ける。
「ええと、ちょっと急用ができまして、家に帰らせてもらいました。あらかわ……。いえ、向井さんのひいおばあさんは私の目の前でいきなり倒れてしまったので、救急車を呼んでおきました」
「どうしていきなり帰るの!」
「だから急用ができ」
「ひいおばあちゃんは持病なんてなくて、身体は健康体だったのに!どうして!先輩もいなくなるし、ひいおばあちゃんは倒れるし、私……」
私はただ、向井さんの家を訪ね、彼女、荒川結女と少し話をしただけだ。私だって、彼女の容態の急変に驚いている。向井さんは、自分の家族が倒れたことで気が動転しているのかもしれないが、いきなり開口一番で叫ばないで欲しい。その後も私の言葉に対して叫ぶような返事が続いたが、やがて声が沈んでいく。
とりあえず、向井さんとの電話を九尾たちも聞こえるように通話をスピーカーモードに設定する。おそらく、彼女の叫び声で、九尾たちも電話の相手がだれなのかわかっただろう。とはいえ、彼らにも電話の内容をしっかりと聞いてもらいたかった。スピーカーモードにしたスマホを机の上に置く。これで向井さんの声が部屋全体に聞こえるようになった。
ザーザーと向井さんの声に車の走行音が混じっていることに気付く。家の中ではなく、外で話しているのだろうか。散々叫び終え、少し落ち着いたのか向井さんの声が通常の音量に戻る。
「ひいおばあちゃんは、救急車で病院に運ばれました。私は今、病院の外にいます」
「そうですか」
どうやら、私たちが彼女の家を出たあとに救急車は到着したようだ。病院に入院できたのなら、ひとまず安心である。
「先ほども言いましたが、いきなり向井さんの家からいなくなってしまってすみません。突然、急用ができまして。本当に急なことだったので、救急車を呼ぶのがやっとでした。本来なら、向井さんたちを呼んで、一緒に救急車を待つべきだったのに」
ようやく話を聞いてもらえそうだ。自分の当時の状況を話すことにした。
「急用、ですか……。私たちもひいおばあちゃんの容態の変化に気付くことができず、先輩たちを家に招き入れてしまったので、先輩だけが悪いわけではありません。むしろ、救急車を呼んでくれたので助かりました」
「ひいおばあさんは、本当に持病とかなかったのですか?」
向井さんは健康体だと言っていたが、本当だろうか。高齢になってくると、健康とは言っても、身体の外も中も弱ってくる。そのせいで、倒れてしまった可能性は捨てきれない。
「無駄なあがきはよせ。みっともない」
「蒼紗、やめなさい。それ以上は」
私の横で九尾とジャスミンが首を横に振っている。彼らは私の質問の意図を理解していた。私だって本当はわかっている。彼女が倒れた原因は彼女自身の問題ではないことを。それでも聞かずにはいられなかった。質問の意図を理解していない向井さんは、少し考えるような間があったが、正直に答えてくれた。
「認知症が少し進んでいるかもしれない以外は、身体は至って健康です。あんな急に倒れるなんてことはありえません」
「わかりました。ひいおばあさんが無事なことを祈ります。では」
ひとまず、救急車で荒川結女は病院に運ばれた。家でそのまま倒れたままではない。それがわかっただけでも向井さんからの電話はありがたかった。相手からかかってきた電話にも関わらず、つい、荒川結女の安否がわかり通話をこちらから切ってしまった。
通話を終えた私に、複数の視線が突き刺さるのを感じた。顔を上げると、そこには難しい顔をしたジャスミンたちがいた。翼君も狼貴君も同じような表情で私を見つめていた。九尾だけは何を考えているのかわからない、薄い笑みを浮かべていた。