30到着
『ここが私の家だ。いったん、ここで姫奈に身体を戻すぞ』
電車で一駅と言っていたので、大学の最寄り駅まで歩き、そこからは電車に乗っての移動となった。一駅なのであっという間で、すぐに電車を降りると、迷うことなく向井さんはどんどんと歩みを速めていく。中身が向井さんの時とは歩き方がまるで違う。まだ出会って間もないが、こんなにも配慮なく先を歩いていくようには見えないので、やはり、中身は違うのだろう。
雨は電車に乗っている間も、その後もずっと降り続いていた。土砂降りではないが、傘がないと困るくらいには降っていた。
住宅街にある一軒の家の前で立ち止まった向井さんの意識は、宣言通りに身体を本人である私の後輩の向井さんの意識に戻された。私たちは、向井さんの家の玄関の軒下に入る。そこでようやく傘を閉じることができた。
「ええと、私はどうして家の前に……」
「何を寝ぼけたことを言っているの?あなたが私たちを案内にしたに決まっているでしょう。さっさと私たちを家の中に入れなさい!」
突然、意識を取り戻したと思ったら、自分の家の前にいた、なんて誰でも戸惑ってしまうだろう。そんな困惑した表情の向井さんに容赦なくジャスミンが言葉をかけるが、意識がなかった時のことを詳しく説明するのは難しい。ジャスミンの言葉に乗っかり、この場の状況をうやむやにすることにした。
「こんな変な天気なので、多少の体調が悪くて記憶が飛んでいるのも無理はありません。今は天気痛というのもあって、天気が悪い日に体調を崩す人も多いそうですよ。とはいえ、せっかくここまで来たのですから、私たちをご家族に紹介していただけませんか。元々、今日はそのつもりで私たちを家に招いたのでしょう?」
「いきなり饒舌になりおった」
「うさん臭さ倍増ですね」
「だが、効果てきめんだ。理由は不明だが」
後ろから冷ややかな視線を感じるが、向井さんには狼貴君の言葉通り、効果はあったらしい。なぜか、目を輝かせて私の両手をガシッと握ってきた。
「朔夜先輩、そんなに私の家に来るのをそこまで楽しみにしていたんですね。家族に紹介なんて……。先輩って案外、大胆ですね。そんな先輩もすて」
「いい加減にしなさいよ。そこのガキ。蒼紗がてめえのものになると思うなよ。今回は仕方なくあんたの家にまで足を運んであげただけだから。調子に乗るな」
「ジャスミン、何もそこまで言う必要は」
私に興奮した様子で話しかけてきた向井さんにどうしようかと思っていると、両手がいきなり空になった。ジャスミンが横から向井さんの手をバシッと叩き落としていた。そして、怒りに満ちた瞳で睨み、向井さんに乱暴に言葉を吐き捨てる。
「佐藤先輩もいい先輩だなと思っていましたけど、今日からは朔夜先輩に関しての恋敵ということですね。わかりました。出会いが後だからって、なめてもらっては困ります。時間なんて関係ありません。今からの濃厚な時間が」
「言ってくれる」
バチバチといきなり火花を飛ばした喧嘩が始まった。この展開は別に初めて見たものではない。なぜか、私の周りの人間はこうしてたまに、私を争って喧嘩することがあるのだ。そのうち、収まるから黙ってみていてもいいのだが、今回は他人の家の前だ。さすがに止めに入った方がいいだろう。近所迷惑で訴えられても困る。
「パンパン!」
手をたたく音に驚いた私たちは一瞬、言葉を止める。手をたたいたのは翼君だった。少年姿の翼君は、目をウルウルさせて上目遣いで私たちを見つめてくる。
「喧嘩はよくありません。蒼紗さんもそう思いますよね?」
私に同意を求めてくる翼君はケモ耳少年ではないが、破壊的な可愛さである。やはり、幼い少年は神に等しい存在だ。例え、ケモ耳が生えていないとしても。
「ソウデスネ。彼もこう言っていることですし、私を争っての喧嘩は辞めてもらえますか?」
デレデレの顔をさらしているだろうことは自覚しながらも、何とか威厳を保ち、ジャスミンたちの言い争いを止めるために言葉をかける。
「はあ。結局、蒼紗の心を動かすのは、そこにいる少年もどき、というわけね。さすがに私は自分の姿を変えることはできないから、完敗だわ」
「朔夜先輩に嫌われてしまうのは困るので」
二人は素直に言い争いを辞めてくれた。向井さんは自分の家の前であることを思い出したのか、ようやく私たちを家に招く気になったようだ。
「お待たせしてすみません。今、玄関を開けますね」
向井さんがカバンから鍵を取り出してドアのカギ穴に差し込む。彼女は確か、ひいおばあさんと同居しているようなことを言っていた。改めて家の外観を観察する。家は三世代同居にふさわしい、いや、ひいおばあさんも住んでいるということなので四世代同居か。どちらにせよ、古めかしい家だった。瓦屋根に木造づくりでどことなく懐かしい感じがした。私が今住んでいる家は、私が住むにあたり、今時の家にリフォームをしたため、この昔ながらの瓦の家は懐かしく感じるのかもしれない。
ガラガラと横に開く玄関。向井さんは家の中に入っていく。
「お母さん!大学の先輩たちを連れてきたよー」
家の外にも響く大声で、奥にいるであろう、親に向かって叫んでいる。数秒後、どたどたと駆け足で玄関に歩いてくる足音が聞こえた。
「遅かったわねえ。あなたたちが姫奈の大学の先輩たちね。どうぞ、中に入ってください」
事前に親に話していたのか、母親らしき女性が玄関までやってきて、私たちを中に招き入れる。お言葉に甘えて、私たちは家の中に入ることにした。




