前菜 麦餅の果実と魚卵乗せ 配膳
「ナニって……ナニがだ? なにかヘンなところでもあるかなあ?」
さして気にする風でもなくモラルはおのれの身体を見下ろした後、首をぐるんっと回して逆に問う。
アイラはそのフクロウが如き頭の動き――直角に曲がった――を直視し、再び気が遠くなりかけるもなんとか意識を手放さないように堪えモラルへ指を突き付けて、再び行う大絶叫。
「何もかもがおかしいです! 何なんですかその姿っ! ブクブクとこれ以上ないほど醜く太ってしまって、いえいえ太るだけならまだいいです、いえ本当は全く太って欲しくはなかったんですけどそこは良いです諦めます! ですが問題はそこではなくて、その身長っ! なんなんですかその身長っ! 以前の二倍以上に伸びてませんか縦も横も奥行きもォこれ以上ないほど大きく太く醜くありえない程醜悪に変わり果ててもう一体全体なんなんですかもおおおおおおおっ!」
ほとんど息継ぎも行わず、一気にアイラはまくし立てる。
彼女はここに来てから積りに積もった全ての不満と疑問と不快感を、一緒くたにまとめてモラルに向かって投げつけた。
しかしその問題の当人はいたって何も疑問を感じていないらしく、首を左右にぎゅいっぎゅいっ回すように動かしながら腹をゆすってムンズと肉を手で掴む。
「いやあぁ、まあたしかにまえよりはニクはついたけど、そんなには変わってないげっふぅー!」
「いやああああああああ、喋りながらゲップ浴びせないでくださいますかデブ語訛りでしゃべるのもやめていただけませんかいやああああああああっ!」
「ぶしつけなチューモンがおおいげふぅ」
顎に手をやり、物憂げな表情――と、当人は思っている――を浮かべるモラル。
そんじゃそこらの長パンに負けないくらいにブッとい指で顎をなでると、顔に張り付いていた食べ残しのカスがぼろぼろぼろぼろ落下していた。
「おっと、もったいないもったいなぁい」
「ひぃっ!」
ベッドに落ちた食べかすをひょいパクひょいパク抓む姿に、アイラは全身サブイボをたてながら身震いする。
以前のモラルからは想像つかないほどに、その衛生観念は落ちぶれていた。
「も、も、モラルさん……あなた、一体どうして……?」
「んんーっ? どうかしたのかなあ、アイラぁ。ああ、ひょっとしてアイラもおなかがすいているのかなあ」
「――えあっ!? いえっ、え、そういうわけじゃ……」
「まあまあまあ、我のふところジジョーはきにしなくていいのだ、カケゴトでもうけたからねえ。そんなことよりごはんだよ、ごはん。いやあ、このムラのしょくじはおいしくてねえ、いくらでもたべられるんだなあっ!」
「ひピィ――ッ!」
むんずと腕全体を掴まれて、そのむっちりとした感触と異様に生温かな体温に、言葉では言い尽くせない感情を溢れさせながら逃げ出そうとするものの、アイラの身体能力をものともしないモラルの握力が彼女を引きずりテーブル側へと無理矢理連れ出す。
ごく一般的な二人用ベッドの隣には数多くのテーブルが横並びに置かれており、その上にはたっぷりすぎるほどの食糧が積み重ねられて置かれていた。
その量、軽く十人分か。
下に敷かれた食材に至っては過重で半分潰れていた。
「アイラはぶどう酒いがいはのまないんだったよねえ。だけどいまはぶどう酒はきらしてるんだ、ごめんねえ。かわりにおみずがあるからそれをのむといいよお。まあ、我はこのムラめいぶつのおさけ、タルモニ酒をのむけれど、いいよねえ?」
アイラを無理矢理ベッドに座らせると同時にモラルは即座に阿部者に向かって手を伸ばす。
普通の人間の手のひらほどはありそうな麦餅を手に取るが、彼のべらぼうに大きな指に摘ままれればその大きさはとても小さく見て取れた。
何せ、彼の指二本か三本分ほどの大きさでしかないのである。
遠近感が狂ってしまう光景に、アイラは軽く眩暈を覚えていた。
「う、う、うすくのばしてカリカリにやいたムギヘーにはたっぷりのジャムをのせるとンマいんだなぁ~これがぁ~」
攫う部分が人の頭ほどもありそうな大きな匙でジャムを掬うと、落とさないように気をつけながら麦餅へとたっぷり乗せて、そのままパクリ、ぬっちゃあぁ~り。
バリバリ、ぬちゃねちゃ。
ゴリボリ、もっちゃめっちゃ。
手のひらに垂れたジャムを舐めとりながら、もう片方の手で次なる麦餅を三枚重ねで掴んでいた。
そのあまりにも卑しすぎる行動に、直視するのも耐えきれなくなり、アイラは両目を固く閉じて神に向かって祈りを捧げる。
――神よ、どうか私の心に平安をもたらし下さい。ですが、仮にこれを私にお与えした試練だと呼ぶのなら、このデブの腕を貴様のケツにぶち込むぞ!
現実逃避する為に、散々すぎる暴言が祈りに込められていた。
もちろん神も想定外。
いちいち下界の住民に直接干渉するなどという面倒くさい行いをするはずもない神々からすれば、彼女の呪詛はまさしく冤罪そのものであった。
不敬な態度に天罰を与える事はしなかったが、変わりに救いの手を差し伸べたる事もなかった。
つまりは、アイラの隣で食欲の化身が卑しい食事を続けるという光景が、延々と続くという意味を示していた。
「んほぉ、ほっほっほ、サカナのたまごをスパイスでつけこんだものとモモをあまぁ~くつけこんだものをいっしょにのせると……んっまぁぁ~いんだぁ!」
平常心、平常心。
ブタが餌をむさぼり切った後に話を切り出そう。
食事の最中にこの小屋へと訪れた理由を話でもしたら、どんな態度に出るかも判らない。
いやさ暴れ出したりわがままを言うくらいならば耐えられる。
真に耐えきれないのは彼の咀嚼音のほうなのだと、アイラは何とか心を落ち着かせようと試みつつ、嵐が過ぎ去るのを待っていた。
何せ隣に座っているだけで、こんなにも不快な音が聞こえてくるのである。
もし仮に相槌を打たせたり返事をしてきた暁には、声を出す為開いた口内から一体どんな不快な音が鳴り響くのか、予想だに出来ないのだ。
にいっちゃねえっちゃ、にいっちゃねえっちゃとした粘度の高い唾液とジャムと魚卵の脂とその他たくさんの食材が潰され混ぜ合わせられぐっちゃぐちゃにされた食物たちが奏でる交響曲など、例え大神官長の座を明け渡そうと約束されたとしても、絶対に聞きたくない不快な音であったからだ。
だが、目を固く瞑り耳を塞いで困難を乗り越えようと努力する姿勢には、一つの欠点が存在した。
五感が鈍くなってしまうため、外部の急な変化に対して一歩遅れた対応になってしまうのだ。
――がじっ。
――ぼとり。
モラルが一口で食べようとした麦餅は若干大きすぎたらしく、端の方を口から漏らしたままかみ砕いてしまった。
それはそのまま重力と慣性に従い斜め方向へ落下して、見事アイラの太ももの位置に落下してしまったのだ。
「――あっ」
「おっと、ごめんごめん、アイラぁ。おとしちゃったよ、ごめんよお」
一瞬の硬直。
その間アイラの脳裏によぎるのは、先ほどの意地汚い食事作法。
ベロリと手のひらを舐めた、モラルの痴態。
――舐めとられる!
――太ももごと、ぺろぺろと!?
無論それはアイラの突飛な想像の中の話であって、モラルも流石に他人の太ももの上に落ちた食べ物に口を付け舐め回すなどという愚かな行いを取りはしない。
だが、変わり果てたモラルの姿を目撃したばかりのアイラにとって、その悍ましい想像は、まかり通ってしまいかねない現実的な恐怖であったのだ。
「あ、あ、あ、あ、あ、――」
「え、どうしたアイラ、おこってる? おこってるのかな? ごめんって、あやまるからさあ――」
「ああいいいいいあああああああああッ! 嫌ぁっ、待って、待って下さい今ちょっと私急用とか思い出したりなんかしたりしまして実は今すぐパーティのみんなと合流して神聖術をたくさんいっぱいいっぱい使わないといけない案件がある事を思い出しちゃったなんかしちゃいましてすぐに帰らないといけなくなったと思うんですよねえええええだから私急いで帰りますねえモラルさんの元気なお顔も拝見出来た事ですし皆さんには私の方から宜しく伝えておきますのでしばらくはこの村に滞在して美味しい食事なんかを自由気ままにとっていただければ幸いだと思っておりますのででは私はこれにて退散させていただきますああペスさんでしたら私が担いで持って帰りますので心配はご無用ですではではではではではではではあっ!!」
つむじ風を思わせる素晴らしい勢いでアイラはシュタッと椅子から立ち上がるや否やバク転を二度決め見事に着地。
一瞬のうちに空中で取り出したハンカチで太ももを拭うともう不要とばかりに折りたたんでベッドの脇に置きながら、未だに意識を手放し続けているペスの身体をあっという間に担ぎ上げ、駿馬もかくやという凄まじき脚力を披露しながら全速力で駆け出した。
まさしく息をつく暇もない、とんでもない勢いであった。
モラルが同意も返事も伝える僅かな時間もないほどに、一瞬の出来事であった。
さしものモラルもしばし食欲を忘れてあっけにとられた顔を浮かべてしまう。
だが、次第にその表情には諦めと達観の表情が浮き出でていたのだった。
「なんだ、アイラのやつ、我よりヒリキであったはずなのに、いつの間にやらあんなにたくましくなっていたんだなあ」
ぐびり、ぐびりとタルモニ酒を飲みながら、素晴らしき脚力を思い返す。
「ココカラをかかえたじょーたいで、あんなそくどではしれるだなんて。やっぱり、みんな呪文なんてつかわない、ブツリシジョーシュギにかぶれはじめてたんだなあ……。はぁ、我のいばしょ、なくなっちゃんだな……」
しみじみと、悲観的な事を述べながらタルモニ酒をもう一杯、樽ごと抱えて一息で飲みつつモラルは自虐的にゲップを漏らしていた。