飲料 汗と涙に捧げる黄金の薬水 七杯目
「何故だ! あんなデブに手玉に取られる筈など……ッ!」
一方こちらは、おのれの敗北を悟りつつあるルシコフの談。
彼はドロドロとした赤黒い血の涙を流しながら、爪が手のひらの皮膚を突き破る程に強く拳を握りしめ、二匹の巨大なスケルトンを相手に大立ち回りするモラルの事を睨みつけていた。
そりゃあまあ、その判断も仕方のない話である。
無敵の存在とも呼ばれる竜の骨から作り上げたスカルスケルトンのしもべが、ちょっと身長と体重と胴回りの広さと醜悪な外見を持ち合わせた職業・魔術師に負けるなどとは、何人だって考えたり等しないはず。
だが現実として、ルシコフにとっての悪夢の様な光景は、現実的に繰り広げられているのだ。
「ふっふっふっ……甘く見たわね、モラルくんを」
突如ナインティーがしたり顔で声を出す。
ルシコフは唖然とした顔のまま、彼女の方へ振り返る。
その表情に気分がよろしくなったのか、ナインティーは得意げになって解説する。
「彼はもともと戦いの才に長けた魔術師だったけど、この村に滞在し、そして太ってしまって以来、あの身体がつぶれない様全身から常に微弱な魔力を放出して、全身を支え続けていたらしいのよ。つまり彼は呼吸を続けるかの如く、常日頃から魔術的な特訓を続けていたようなものなのよ!」
「そ……そ……そんな無茶苦茶な道理があるかぁっ!」
たまらずルシコフ、感情を爆発させる。
彼は死霊騎士という反社会的な技能を取得しておきながら、その感性は割と一般寄りであったらしい。
しかしどんなに非常識だと彼が訴えたところで現実が覆るはずも無い。
ナインティーの宣告通りモラルが魔力を強く放って跳躍すれば、両目と口をあんぐりと開け、降下しながらかかとを揃え、尻尾を踏みつけ砕いた様を目撃すると、今度は頭を抱えて悶絶する。
流石に同情こそしないものの、哀れみだけは、ナインティーも感じていた。
「それに、あの身体を支えているのは魔力だけじゃあないわ。骨格もさながら筋肉がね……すごいのよ、彼。当然だけど、あれだけの質量を持った身体であんなにも動けるって事は、とんでもない肉体を持っているって事なのよ」
これにも当然理由がある。
体格が大きくなれば大きくなるほど、体重が増せば増すほどに、運動するのに必要とされる筋肉の総量はとてつもなく増大する。
自分では身動き取れない類のデブならともかく、モラルは常日頃から畑仕事に精を出し、様々なお店を食べ比べする為に歩き回り、後にはバシュターナやペスなどが痩せさせる為にと徹底的に運動量を増やしていたという経緯がある。
いわば天然の重しを付けた状態で特訓を受けているようなものである。
生半可ではない体重を支え続けながら過度な運動をこなした結果、モラルの肉体は人間の筋力をはるかに超越してしまったのだ。
元々モラルは一つの物事に没頭してしまうきらいがあった。
三日連続徹夜は当たり前、呪文詠唱をただひたすらに繰り返す、ごくごく単調な特訓も日がな一日続ける事も得意である。
常に状況に適した呪文を思案して、時には作戦立案にも口出しをする場面もあった。
高い集中力という、圧倒的な長所と捉えられる気質を持った男を、仮に肉体鍛錬一筋に取り組ませてみればどうなるか――
まさにその答えの一つと呼べるのが、今現在のモラルの肉体なのだ。
さらに付け加える点があるとするなら、モラルが肉体労働等にいそしんだ理由には彼が抱いていた劣等感によるものもある。
シャレンドラ率いる勇者パーティの中で一人だけ、筋力も乏しく貧弱な肉体を持っていた所に引け目を持っていたのだろう。
彼は、鍛えなおしたかったのだ。
おのれの軟弱な体質を。
そして、手に入れてしまったのだ。
馬鹿馬鹿しいほどむちむちとした、無敵の肥満体型を。
「そんな、そんな阿呆らしい話があるかぁぁぁ――――ッ!」
ルシコフの魂の絶叫が木霊する。
しかしそんな言葉を吐いたとしても、現実問題モラルはその肉体を駆使し、とんでもなく大暴れを続けている。
這う這うの体で逃げ出そうとするジャイアントスケルトンの身体を鷲掴みにすると、翼の付け根の辺りに膝を当て、両の翼の中骨辺りを右手で握り、尾てい骨の辺りを左手で支え、モラルは自分が下敷きになるような形で地面に転がると、弓をしならせるがごとく全身に力を込めて骨ばった身体をへし折ってしまおうと決め技に入る。
ミシ、ミシミシィ――パキッ、パミッ。
摩耗していった骨の節々からひび割れていく音が響き渡る。
「やめろ、やめろォォ――――――ッ! 振りほどけ、振りほどけェェェェェッ!」
ルシコフが辺り構わず両手を振り回して最後の命令を与える。
死にかけ――否、機能不全を起こしかけているジャイアントスケルトンも、このままおとなしくばらばらに解体されてしまうのは簡便願いたいのだろうか、両手両足をじたばたさせて、拘束から逃れようと大暴れする。
肘打ち、踵蹴り、ひっかき攻撃の数々が繰り出され、頬を切られて思わずモラルは手を緩めてしまう。
それで調子を良くしたのか、ルシコフはぱあっと土気色をした顔を明るくさせるも、その顔色はすぐに絶望に塗り潰されることになる。
「だぁ――――――っ!」
ただでは拘束を解きはしない。
そう強い意志で告げるかの様に、モラルはジャイアントスケルトンの下で仰向けになったままの状態で四肢で大地をしっかり踏みしめ、腹を天へと突きだして敵を打つ。
大質量の脂肪の塊に打ち上げられて、ジャイアントスケルトンは無様な格好で宙を舞ってしまう。
三半規管など当の昔に腐り落ちてしまっただろう骨の身ではあるが、万全な体勢ではない状態で突き上げられてしまっては、身体の平衡を保つことなど不可能となり、じたばたとあがきながら再びモラルの腹の上へと降下する。
そこをモラルは逃さない。
さらに強く、さらに激しく腹を突き出し打ち上げる。
何度も、何度も、しつこいくらいに叩き出し、降下と衝撃の合わせ技で全身の骨という骨に微細な傷を蓄積させながら、何度も、何度も、何度でも、ぜい肉を利用した不可思議な当身と落下技を合わせた連続攻撃を浴びせ続ける。
そして――
「ツア――――ッ!」
「な……何を……うわあああああ!?」
モラル自身も大地を跳ねる。
これでもかと背筋を弓なりに反らせながら浮き上がり、毬の様に大地を跳ねる。
モラルが跳ねる高さが増していく度、ジャイアントスケルトンもより高く、高く、とてつもなく高く空へと打ち上げられて降下する。
熊が、シャチが、大型の動物が、獲物を空に打ち上げて弱らせるという同様の攻撃を繰り広げたという逸話は各地に伝わっている事柄である。
だが、腹のぜい肉を用いて同様の攻撃を繰り出せる生き物など、地上にはこれまで存在するとは思われていなかった。
この日までは。
「ツァリャアア――ッ!」
モラルは一時跳躍を止め、大地の上で待ち構える。
高高度から落下するひびだらけのジャイアントスケルトンを腹で完璧に受け止めると、これが最後とばかりに本気で腹を突き上げる。
――バラバラバラッ。
全身の骨をまき散らしながらジャイアントスケルトンが宙を舞う。
そしてモラルはそれを追いかける様に飛翔する。
「どぉらあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
飛び上がったモラルはそのままの勢いで、ジャイアントスケルトンの胸骨目掛け、突き上げの頭突きを食らわせる。
バギッバギャバキャッ――
限界を迎えた胸骨は、見るも無残に一撃のもとに砕かれる。
死霊術の要である、赤黒い色をした結晶体がむき出しになっていた。
「あっなっああぁぁぁ~~~~~~っ! りゅ、竜の骨がぁぁ~~~~っ!」
土気色を通り越し、ルシコフの顔色は灰褐色に染まりあがる。
だが角度的にも距離的にもそんな様子を確認できる状態でないモラルは一切躊躇せず、さらなるとどめの体勢に移行する。
背骨の両端に手をやってぐるりと回って背に跨り、丁度赤黒い結晶体の部分に尻と踵が当たる形で座り込む。
実はその間にも自由落下で降下しつつあったのだが、モラルは突き上げる角度と空中での動作にて落下する箇所を調整し、そのままジャイアントスケルトンだったものの骨格をぎりぎり締め上げながら、目標地点へ降下する。
彼が狙っていた場所とは、すなわち――
「よせっやめろぉ、そこは、そこは駄目だぁぁ――――――っ!」
「ぬおああああああ――――――ッ!」
制止するルシコフの声にも構わずに、モラルはスカルA目掛け、ジャイアントスケルトンだったものごと降下する。
すでに死に体のスカルAにその衝撃を耐える事などできうるはずもなく、腐ったミカンを踏みつけた時の様にグシャグシャになるまで粉砕される。
同時にジャイアントスケルトンだったものも、緩い泥の地面ではなく自身と同程度の硬度を誇っていただろうものに叩きつけられた衝撃で、赤黒い結晶体ごと粉になるまで踏みつぶされた。
自慢のしもべであったはずの竜骨で作ったスカルドラゴン二体とも、たった一人のデブに完膚なきまでズタボロにされるとは予想出来うるはずもない。
その死に体を目撃し、卑死操団最後の生き残りだと思われるルシコフ・ポルスターは奇想天外な結末に、全身が真っ白になって燃え尽きていた。
「おおっと、逃がしゃあしないよ」
もう彼に抵抗する意思は無いのだが、そんなこととは露とも知らずバシュターナが距離を詰め、矛槍を振う。
ぽきっとした手ごたえと共に容易くその胴体を両断されて、ルシコフの身体は宙を舞う。
あっ……と一瞬正気を取り戻した時にはもう遅い。
ナイントゥーが素早く呪文でこしらえた岩を足場に跳躍し、上半身を追いかけてきたペスの華麗な剣技によって、無数の肉片へと転ずるまでに切り刻まれる。
スカルスケルトン二匹の加護による鉄壁の防御呪文を失ってしまったルシコフには、勇者パーティの二枚看板の猛攻撃に耐えうる手段を持ち合わせてなどいなかった。
「生はおろか死をも冒涜する愚弄者め……素直にとどめを刺された幸福だけを抱きしめて、死ね」
有無を言わせぬ二人がかりの連携で、バシュターナとペスは悪しき死霊使いを惨殺する。
残心を意識した着地を取りながら気配を探ってみれば、汚れた薫りがみるみる晴れていくのを感じ取る。
二匹のスカルドラゴンが形成していた酸を降らす雨雲もあっという間に霧散して、辺り一面温かな陽光に照らし出されていた。
「勝った、な……」
「うむ」
二人は見つめ合って頷くと、互いの武器を交差し掲げ、自分たちの勝利を宣言する。
悪は、滅びたのだ。
「やった! やりましたよみなさん! 大勝利です! あんな化け物が現れたのに、ほとんど無傷で勝ちました! これはもう手放しで大勝利だと言えますねっ!」
「はしゃぎすぎよ、アイラちゃん。でも、ま、モラルちゃんの大活躍のおかげもあって、無事生き残ることができたのは確かね」
「そーだ、そうですよモラルさん! 貴方一体、どこにそんな力があったというんですか? もぉーっ、ほとんど一人で倒しちゃうだなんて、とんでもない力を隠し秘めてたんですねえ! 食い意地の張った卑しいデブ野郎だと思ってたのに、やるじゃないですか!」
「……口が悪いわよ、アイラちゃん」
アイラが、ナインティーが、遅れてペスとバシュターナが、直立不動で立ち続けるモラルに近づき、親愛の込めた拳や平手をその身に浴びせ、健闘を祝福する。
彼女たちがすぐさま駆け寄れたのは、その特異な体型や変貌してしまった性格に、慣れてしまっているからだ。
そういった免疫の無いシャレンドラには、即座の行動には移れずにいた。
それに、内心には複雑な感情もある。
勇者という誉れある立場にありながら、愛用の武具が無いという理由で後方支援と指揮に徹していたのだが、徒手空拳という装備一つ持ち合わせていない状態で、伝説級の化け物二匹を討伐してしまったモラルに対し、引け目や嫉妬といった様々な負の感情が、織り交ぜになってしまったものを感じてしまっている。
ただ単純に、誉め言葉だの親愛表現を翳すには、いろいろと込み入ったものを抱いてしまっていた。
だからこそ、なのだろうか。
一人だけ遠巻きに眺めていたからこそ、最初に気付く事が出来た。
「あっ――――――」
しかし、気付いた時にはもうすでに遅すぎる。
ぐらり、その巨体がよろめいたかと思えば、そのままドシンとひっくり返り、ピクリとも動かなくなってしまう。
周りを取り囲んでいたアイラたちも、その不穏な態度に気色ばみ、思わず動きを止めてしまう。
誰もが何も言えずにいた。
モラルは意識を失って、白目を向いたまま気絶していた。
「おま……えっ? どうした……なんで、動かな……」
「も――モラルさんっ! しっかり、しっかりしてください! い、今すぐ治癒の呪文を唱えます、だから気をしっかり……っ!」
「落ち着かぬか、アイラ! ええい、このような場所で転がしとく訳にはいかぬのう。人や力のある家畜をかき集めねばなるまい……!」
誰もが慌て冷静さを失い、倒れたモラルを心配する中、シャレンドラもまた心が凍り付き冷たくなっていく感覚に襲われていた。
「モラル……? お前、まさか……し、し、死――」
返事は無い。
巨体はただ、沈黙を守って転がるのみ。
シャレンドラたちがモラルを囲み、その容体を心配する中、遠くからは、村人たちや他の冒険者たちを引き連れて、タルタドポスも走り寄って来ていた――……




