食前酒 ロモニー村名物のタルモニ酒 完食
「――ようやく到着か。まったくモラルの奴め、手間を掛けさせる」
「まあまあ、ペスさん。そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。それにほら、この村は風光明媚ながらも人々や商品の往来も激しくて、賑やかなところですからね。彼も中々離れがたい誘惑に駆られているのかもしれません」
村はずれの駅へ到着した馬車から降りつつ、二人組の乙女がああでもない、こうでもないと文句と気遣いを交わし合いながら会話を弾ませていた。
愚痴をこぼしている剣士の名は、ココカラ・ペス。
庇い立てする言葉を口にしているのは修道女のアイラ・シーラ。
二人はモラル同じパーティに属している仲間たちであった。
彼女たちはモラルを連れ戻すため送り出された、言わばお迎え係のようなものである。
人選はシャレンドラの独断であった。
もしもモラルが何等かの怪我や病気で身動きが取れない時は、神聖術による治療を行えるアイラの力が必要不可欠であると考えたのが、その理由である。
ペスが選ばれた理由は、護衛役を任されたというのも有るのだが、ここ最近で一番働きづめであったのが彼女であった為、モラルを迎えに行かせるついでに数日間の休暇を与えようという粋な計らいがあっての人選であった。
もっとも、ペスは特に休暇を望んでいる訳でもない。
できうることなら一日でも早く遺跡潜りや怪物討伐の任について、武功をあげたいと考えていたのだが、リーダーであるシャレンドラの命とあれば渋々従う他に選択肢は無かった。
彼女は命令には忠実な気質を持っている。
他人に何らかの要件を頼まれた場合、それが理にかなっている事と判れば無条件で従う性格をしていた。
もっとも、命令に従うからといって不満を述べないかといえば、決してそういうことはない。
目的地までの移動の間、口汚く罵る悪癖がある事を、パーティの皆は長年の付き合いで思い知っていた。
「アイラや。もしそなた言う通りであったとするならば、きゃつは随分腑抜けてしまったという事だな。それなりに礼節をわきまえた好漢であったと思っておったが、それも勘違いであったかもしれん」
「い、いえいえ……あくまで仮定、仮定ですからね? やむにやまれぬ理由があるのかもしれません。ですので、その、ええとですね、出合頭に怒鳴りつけたりは、無しでお願いしますね……?」
「フン。ワシはきゃつと話をするつもりは元々ない。同行を拒否し、小隊の元に戻るつもりが無いと判明した時実力行使で連れ戻す為ここにおる。その時は、そなたは邪魔立てせぬようにな」
「あ、あくまで最終手段、最終手段ですからね……? 力づくで連れ戻すのはなるべく避けてくださいよ?」
平和主義者のアイラはなんとか穏便に済ませたいなと思いながら、モラルが住み込んでいると思われる小屋へと向けて歩を進めていた。
小屋の場所についても事前に調査済みである。
人相屋に支払った、お金様様と言ったところだった。
二人は小麦畑や野菜畑の間を縫って、モラルの小屋へと向かっていく。
ロモニー村は交易品を出荷する側の村である様だった。
青々と天へその身を伸ばす小麦が茂る畑の姿は牧歌的でのどかな雰囲気を漂わせていた。
彼はこのような風景が好きだったのか。二人はそんな事を考えながら、目的地へとたどり着く。
その小屋は、立地からして家畜小屋か大型の農具置き場であったらしく、丁度小麦畑の中央あたりにぽつんと居を携えていた。
「ええと、ええと、どうしましょう? 最初はやっぱり明るく話しかけるべきでしょうか? いきなり怒った口調で物申すのも、私的にはよろしくないと――」
「――キェーッ!!」
小屋の大きな扉に手を当てながら、アイラは首をかしげて言葉を漏らす。
ここまでの道のりの間、話しかける内容を考える暇はいくらでもあったのに、アイラはモラルを取り巻く環境ばかりに気を取られていて全く考え付いていなかった。
なので思わずどうするべきかとペスに問いかけてしまう。
しかしその相談が間違いであったと気づいたのは、ペスが甲高い声をあげながら扉の閂を剣で両断し、勢いよく扉を蹴り破ってしまった後の事だった。
「な、な、なななあっ!? ななななんてっ、なんて事をするんですかペスさーんっ!」
「まどろっこしい! こんなもの、ぶち破って蹴り飛ばしてぶん殴ってふん縛って無理矢理連れ帰ってしまえばよいのだ」
「いえいえいえいえいえ!? そういう暴力的な行いは私どうかと思いますよ!? といいますか、もし仮にここに住んでいるのがモラルさんじゃなくて別人でしたら、私たち押し込み強盗か何かだと勘違いされてしま――」
「もう手遅れだ、諦めろ。さて……モラルは居るか……な……?」
スッパリと言い切って、ペスは蹴り破った扉を跨ぎ小屋の中へと入ろうとする。
だがしかし、鼻をつんと突く酒精の薫りに眉根を寄せて、顔を思わずしかめてしまう。
その小屋の中は随分と甘ったるい匂いに包まれていた。
人鍵するだけでも酔っ払ってしまいそうなほど、匂いが籠りに籠っている。
少し涙があふれてしまう程だった。
二人は思わず鼻をつまんで息を止め、空いたもう片方の手で虚空を仰いで匂いを散らそうと努力する。
乱暴に扉を蹴り開けた原因で舞い上がった埃も一緒にブンブンと手で払われた。
次第に透明度を増していく視界の中、積み重ねられた酒樽を隙間をかき分けて、大柄な影がもそもそとはい出ようとしていた。
間違いない。この小屋の持ち主である。
モラルか、あるいは人違いか。
だがいずれにせよ住民であることには間違いない。
アイラはどのような言葉を最初に投げかけようか、ほんの少しだけ考え込む。
その間にもその影は、どんどんどんどんどんどんどんどんその大きさを増していく。
それはとても人の大きさとは思えないほどの巨大な影の怪物であった。
「……は、はひ?」
「なん……え、あ、あ?」
アイラとペスはぽかんとした顔で見上げてしまう。
天を衝くその巨体は、オークなどよりも一回りは大きい。
知らぬ人がその姿を見れば、きっと人をむさぼり食らう恐ろしきオーガであると勘違いしてしまう事だろう。
とにかくそのくらいに大きかった。明らかに人から逸脱した巨体であった。
そしてその姿は縦にデカいだけでもなく、横の範囲も広かった。
その横幅、つまり身体の胴回りもほとんど身長と同じくらいの大きさがあった。
つまるところでっぷり丸々太っていて、直視できない程に肥えている。
ふつうここまで太ってしまっているのなら、衰えた老人の萎びれた乳房のように醜く垂れさがってしまうものである。
だが彼の贅肉は重力に抗い全力で球状に近い形を象っていた。
即ちたわんだ四角形。あるいは海中を漂う一部の毒魚にもよく似ていた。
だからこそ、かえって不気味な様相でもある。
眺めるだけでも吐き気を催してくるだろう。
二人は口元を抑えつつ、その肉塊から目を逸らせずに、執拗なまでに観察を続けてしまう。
その肉塊は、これまたぶっとい丸太のような……いや、丸太のと呼ぶにはパツンパツンに張っている、妊婦の腹よりもバッツバツな風体の四肢を生やしていた。
そして――何よりもその顔。
アイラやペスの見覚えのあるその顔は、まるまるでっぷり太り切った赤子のようなふくれっ面を、無理矢理押し入ってきた二人に向けていた。
二人は確信する。
その肉塊が、モラル当人か、もしくはモラルの縁者であるに違いないと確信してしまったのだ。
「――きゅうぅ……」
「え、えええええ!? ぺ、ペスさーんッ! ペッさあああーーーーーんっ!」
――バタン。
ペスが昏倒してしまう。
そのあまりの醜さに彼女の美的感覚が眩暈を起こし、意識を根こそぎ刈り取ってしまっていた。
あまりの事態に困惑しながらも、アイラは何とか気絶せずにペスを助け起こそうとした。
「待って、待って待ってくださいなんでいきなり気絶するんですかあああっ!」
「と、と、とつぜん押し入ってきたかとおもえば、きぜつするとかイミフメイなんだな」
「ひょえええええええええ! いやああああああ! モラルさんの声がするうううううううう! 待ってちょっと待って待ってください少しだけお願い待って待って待って下さいお願いですからお願いしますから!」
アイラは困惑し過ぎてしまい、普段なら絶対に荒げない声を荒げてしまう。
さながら巣穴にたいまつを投げ込まれたアナネズミの様相だった。
ペスの身体をがくがくと揺さぶり無理矢理起こそうと試みたり、それが適わないと悟るや否や、ぱっと手を放して今度は自分の頭を抱えブンブンブンブン頭を振って、今見た記憶をかき消そうと試みる。
後頭部をしたたか打ちつけられたペスもまた、気絶したまま起き上がらない。
モラルもまた意味が判らず、肉に埋もれた首部分をぎゅるぎゅる回しながらも事態の把握に努めていた。
「き、き、ききき! 気のせい気のせい気のせいです! モラルさんのおうちを尋ねてみたら妖怪ニクダルマンが転がり出てきただなんてそんなことあるはずないです! しかもそのニクダルマンがモラルさん本人だなんて絶対幻覚幻覚ですから私早く起きなさいっ!」
「なにゆ、ゆ、ゆってるんだぉ? もとメンバーのかおをみわすれるとか、ひどいんだ」
「えええあああああああああっ!! やだああああああああああ! 幻覚じゃないいい! 嘘です嘘ですこんな駄肉がモラルさんだなんて絶対あり得ないですよ大きくなりすぎですよ育ちすぎですよ絶対人違いですよ絶対ぃぃぃぃ!!」
「し、しばらくあわないウチに、せ、せ、せいかくかわったなああ、アイラぁ」
「ぎえええええええっ!」
どんなに否定しようとも、幻覚か何かと思われたその肉塊は話しかけてくる。
どころか名前まで呼ばれてしまう。
間違いない、彼はモラルだ。
変わり果ててしまったモラルその人だと理解する。
アイラもまた、その事実を脳が受け入れる事を拒絶してしまい、ペスと同じように白目を剥いて昏倒してしまっていた。
――ゴっすんっ。
切り飛ばされた蝶番の金具に側頭部をしたたかに打ち据えて、アイラは頭から血を流しながら気絶する。
うら若き年ごろの乙女が決してしてはいけない顔を浮かべたまま、二人は折り重なるようにその場に倒れ続けていた。
後には二人が訪れた理由も用件も知らない、巨体になったモラルだけが取り残されていた。
「まったくもう、わ、わ、わけぐぁわからな――――――ああ、しつれい。つい出ちゃったよ」
――ブボッブモボバッ!
モラルは気絶した二人を助け起こそうと、その巨体を折り曲げようとした際に、酒を飲みすぎて張りに張っていた腹を圧迫してしまい、思わず放屁を放ってしまった。
――バッバッバババボバッ!
――ブベッブババドバボッボッ!
人が屁を放つ音とは思えない音色ととてつもない臭気をまき散らしながら、モラルは気絶している二人の事をどうするべきかとフクロウの様に首をぐにゃり直角にかしげながらも、酒が回って上手く思考が働かない脳みそをどうにか全力稼働させていた。