飲料 汗と涙に捧げる黄金の薬水 二杯目
「――見るがいい」
男は随分と誇らしげに両手を掲げる。
――ビクンッ。
そのわずかな所作にも機敏に反応してしまうシャレンドラたちを眺め、男はますますひしゃげた笑みを深めていく。
「我が見出し、我が死の淵より掘り起こし、我が蘇らせた古き力を。シャレンドラよ、如何に当代の勇者として称えられようと、これほどまでに強靭な存在とは対峙したことが無かろう? 恐ろしかろう? クカカッ」
落ちくぼんだ眼窩からぎょろりと覗く濁った眼でシャレンドラたちの事を舐め回す様に眺めながら男は挑発する。
しかしシャレンドラは宮廷作法の一環で、タルタドポスからやり過ごし方や挑発の返し方も学んでいる。
両脇に立つスカルドラゴンはともかくとして、ただ威勢のいいだけの死霊使い一人に対して臆することなど何ひとつ無い。
口の端だけでにやりと笑い、
「さあて、どうだか。生憎見掛け倒しのろくでなし共とは何度もやり合った経験がある。貴様も、そしてそこの木偶の坊も、そんな類の輩共とさほど差がある様には見えないな」
「貴様ァッ、我と我がしもべを愚弄するかっ! ムウゥゥゥンッ、許せん!」
返す言葉でむしろ相手の平静を奪う事に成功する。
さあて、これでどう出てくるかとシャレンドラたちが身構えるが、男は土気色をした顔にわずかに朱色を走らせるだけで何もしない。
変わりに二匹のスカルドラゴンが両手を天に大きく掲げ、狼の如く遠吠えを始めだした。
「なんじゃ、吠えたてるだけでワシらが今更怖気づくとでも思っとるのか?」
「クハハハハッ! 愚かな。その態度、これから起こる惨劇を前にしても続けられるか見せてもらおうか!」
「……!? みんな、見て! 空が……私たちの頭上に、不可思議な雨雲が!」
真っ先に異変に気付いたのは五感に優れたナインティーであった。
いつの間にやらもくもくと、不自然な雲が渦を巻きながら生まれる姿に指を指し、警告の声をあげる。
その雨雲の様なものは常識外の速度で広がって、辺り一面を覆っていく。
嫌な予感に背筋が凍り、シャレンドラたちは思わず行動を決めかねる。
結果その予感は最悪の形で降ってきた。
「雨……いえっ、これは違っ、熱ッ!」
「なっ、こ、これはもしや……降っているのは強酸か!?」
「キヒッ! 今更気付いてももう遅いわっ! そのまま竜の泪で焼けて死ね、シャレンドラァ――ッ!」
ぽつぽつ、ばらばら、雨脚が強まっていく。
最初の内はほんの一滴の零れた雨粒だったとしても、即座にその勢いが増していく。
あっという間に辺り一面に降り注ぎ、逃げ場なんてものが失われる。
あわや絶体絶命。
一同も、もはやこれまで、死傷者が出る事も承知の上で敵に捨て身の突撃戦を仕掛けようと、誰もが武器を握りしめ駆けだそうとしたその時――
「キエェァァァァァァァッ! きさまぁ、田畑になにを……ぬおおおおああああああああっ!」
シャレンドラたちの最後尾にて、沈黙を守り続けてきたモラルが動き出す。
モラルもまた二匹のスカルドラゴンと同様に両手を掲げ、声高らかに呪文を唱える。
突如の呪文の行使にシャレンドラはおろか、敵も戸惑う。
骨兵士を殴り飛ばしていた様子から、モラルの事は腕力任せの格闘家か何かと勘違いをしていた様で、まさか魔術師の類であったとは予想の範疇外であったらしい。
素手で骨を粉砕するわ身の丈が人の倍はあるわ体重なんて牛五頭か十頭分か? と推察するような相手の事を、呪文使いと認識すること自体どうかしてる為その先入観も仕方ない。
だが予測の件はさて置いて、モラルの唱えた呪文は敵の姑息な戦術を真正面から覆す、魔術師としての矜持と生活の知恵を感じさせる代物だった。
「――あ、雨が……頭上で弾かれてる……?」
「やるじゃねえか手前ぇ、今の事態にぴったしの呪文だぜ、それ」
「ぬうぅっ、貴様、雨除けの呪文を唱えたかっ! おのれ、こざかしい真似を……!」
太りに太って以来、雨具の類を着用できなくなってしまったモラルが愛用していた雨除けの呪文に見事活躍の機会に恵まれる形となった。
降ってくる液体が酸であろうが真水であろうが、それこそ油や血液の類であろうとも、この呪文を前にしてはどれも同じ液体として、魔力の障壁に弾かれ散ってしまう。
利便性に富んだ呪文に思えるが、しかしその保護対象は生きた存在のみに限られる。
シャレンドラやアイラといったモラルの仲間たちには問題ないが、肝心の田畑に関しては、この呪文で守ることは適わない。
雨除けの呪膜に弾かれ四方に散った酸の雨が、田畑を汚し焼いてしまうのを止める手立てには使えずにいた。
「あああああああああ! きさまあああああああ! ゆるっさんっ! ぜったいにゆるさんぞおおおおおおお!」
「な、なにを……何をいう貴様ぁぁぁぁ! 我の策を破った側の貴様が、何故に我に向かって切れるのだあっ! 訳が判らんぞ、貴様あぁっ!」
モラルが切れ、男もまた逆上する。
子供の喧嘩の様にお互いを罵り合う不毛な舌戦を、二人は繰り広げ始めていた。
一体何をやり始めているのだかと、シャレンドラたちは仕掛ける隙を伺いながら、二人の応酬を観察する。
それにしても対照的な二人だなと、皆内心では思っていた。
一人称は同じだが、モラルの方はデブ独特の間延びした肥満声に対し、男の方はガラガラとしわがれていて、これはこれで耳障り。
これでもかという巨漢デブで人かどうかを疑いたくなる体形だが、あちらさんは生きているのか死んでるのか不安になるくらいのガリガリ模様。
こちらは生きた人間に囲まれているのに、敵は無骨な白骨死体。
何処からどう見ても真逆な二人は、誰の目から見ても奇異な存在に映った事だろう。
「――――ッ! ……ッ! ――!!!」
「――――~~~~~ッッッ!」
いささか言語化するのも憚れる内容の悪口合戦に移行しつつある、強大な力を持った二人の魔術師。
シャレンドラは少し呆れかえりながらもナインティーに指示を出し、密かに弓矢を番えさせ、不意打ちで狙撃するよう命令した。
隙を見せる方が悪い。
無慈悲にも、不毛な言い争いに熱中している二人の間を割って入る様に、一筋の矢が閃光となって放たれた。
「――殺ったっ!」
意識外からの攻撃に、明らかに仕留められたと確信する。
だが不可思議な事にナインティーの放った矢は、頭に突き立つと思われた寸前何かに阻まれるように大きく弧を描いて明後日の方角へと弾き飛ばされてしまう。
これにはシャレンドラたちも目を剥いた。
「何をばするか!? 人が喋っている間に邪魔をするとは不届きものめが!」
男も流石に言い争いを止め、シャレンドラたちに再び注視する。
「……くっ、矢護の呪文かしら? それとも盾の呪文? まあどっちにしろ、事前に唱えた呪文の類で守護の面は万全という訳ね」
「用意周到だな、腹立たしい」
「言うておる場合か! きゃつめ、こちらに標的を改めおったぞ」
猫同士の喧嘩に横槍を入れた時、大抵はそこ邪魔をした輩に攻撃を加えてしまうものである。
男はまさに、あおの横槍を入れられた猫の面持ちであった。
キッとシャレンドラを睨みつけ、指を鳴らして二匹のスカルドラゴンに命令する。
「――殺せ、全てを!」
端的で、簡素で、具体的に過ぎる殺意が繰り出され、スカルドラゴンが声無き咆哮をあげる。
これは、不味い。
そう思った瞬間には、二匹はものすごい勢いで駆け出してきた。
「不味ッ――前衛、こちらも進……」
「ぶもおおおおおおおおおッ!」
「も、モラァール!? お、お前も突撃するのかぁー!?」
バシュターナとペスにどうにか食い止めて貰わねばとシャレンドラが命じようとした時に、モラルもまた駆け出した。
かれもまた、喧嘩に割り込まれた一匹の猫である。
敵との違いは唯一つ、最初の喧嘩相手を狙うか、そうでないかの所だけ。
怒れる猫の様に気が立っていても、仲間に向かって発作的な危害を加えてしまうほど、モラルは理性を失ってなどはいなかった。
それ故モラルは、今まさに殴り倒すべき敵が何であるかをしっかりと見定めて、スカルドラゴンへと突撃かましたのだ。
「ッダァ――――――ッ!!」
本能的な判断か、バシュターナを押しのける様にモラルから見て左側のスカルドラゴンに向けて直進する。
そしてそのまま加速を付けて機を測り、丸いからだをごろんと転がして両手で地を押し必殺の肉弾跳び蹴りをスカルドラゴンの頭部に当てる。
体格の上では劣るモラルだが体重の上では僅かに――あるいはそれなりに勝っている。
そこに加速の乗った勢いと、ひねりと遠心力を加えた一点集中の攻撃を加えれば、相手を弾き飛ばす事も不可能ではない。
事実右側のスカルドラゴン――便宜上、今後はスカルAと呼称する――は肉っ気のない骨むき出しの両足では大地を上手に踏みしめることも適わずに、あっさり後方へと蹴り飛ばされて転倒した。
この有様には敵も味方も驚愕する。
しかし感情というものを持ち合わせていないもう片方のスカルドラゴン――以後スカルBとする――は狼狽することなく起き上がったモラルに向けて右腕を振り下ろしす。
ガッ――!
モラルはスカルBの手首の部分に掴みかかり、鋭い爪の一撃を防ぐ。
続け左腕の攻撃も、同様に掴む。
ぎりぎりぎり、骨がきしむ。
ざりざりざり、踵が砂にめり込んでいく。
身長でいえば人の背丈半人分ほど上背が上回り、体長でいえばモラルの倍はあろうかというスカルBの攻撃を必死になって受け止めていた。
もはや巨獣対決である。
何人たりとも割り込む余地のないド迫力の光景が、そこには展開されていた。




