飲料 汗と涙に捧げる黄金の薬水 一杯目
タルタドポスが男を見せた丁度その頃、モラルは相変わらず顔を真っ赤に鼻息も荒く、見苦しい形相で農地の中を跳ねていた。
脳の九割ほどが食欲か食に関する事柄への思考に支配されてしまっている彼にとって、農地に多大な被害を与える不届き者とは絶対悪の存在であり、排除せねばならぬという妄執に取り憑かれてしまっていた。
つまり理性的な行動ではないという意味である。
モラルは今、完全に本能そのもので動いていた。
ナイントゥーがあげた煙信号をいち早く読み取って駆け出した、などという事実もない。
強烈な悪意と魔道の流れに引き寄せられて、がむしゃらに突っ走っているだけなのである。
故に、現在進行形で田畑を汚している動く死体には目もくれていない。
目指しているのは邪悪の気配の中心地、即ち悪の親玉が控えている村はずれの丘陵地であった。
だが、孤軍で一直線に向かうという事は、敵からしても要注意の対象である。
なまじ外見も人の二倍の背丈と数十倍の体積を持っている分隠密性も乏しくて、どうしようもないくらいに目立っていた。
なので、敵もモラルを食い止める為、伏兵を向かわせて対処に当たらせることにした。
「ぬううう~っ! ジャマをするかぁ、こンの骨っこがあ~っ!」
遺骨そのものを武器とした白骨死体の兵士が二体立ちふさがる。
これ以上先には進ませまいと、やや距離を置いた位置から得物を振りかざし威嚇する。
だが、モラルはこれを前に躊躇しない。
構わず直進し、これを踏みつぶす。
次は四体現れた。
今度は威嚇も行わず、俊敏な動きで武器を突き出し攻撃する。
しかしこれにも頓着せず、モラルは平手でまず一匹目を打ち払う。
バキャッと乾いた小気味良い音を響かせて、骨兵士は粉々に砕け散る。
命と知性を持った生き物であれば、この時点で怯んで道を譲るか後方に下がったかもしれないが、生憎と骨兵士たちはすでに死んでいて、知性も無い。
術者である死霊使いの命ずるがままに、臆することなく仲間の破片を踏み越えて、二匹同時に襲い掛かる。
あわや串刺しの危機、しかしモラルは頓着しない。
左右の張り手が振るわれる。
ばちこーんと容易く骨身を打ち砕き、飛び散った頭蓋骨などをもろに浴びた最後の一体も衝撃によって砕かれた。
職業魔術師とは何だったのか。
そこらの武道家も正気を疑う強烈な一撃を披露しつつ、モラルは今一度慟哭する。
もはや人とは思えない。
虎だ、熊だ、人食い鬼だ。
むしろそれら以上に獰猛な、馬鹿みたいな体格を駆使する一種の災害だ。
モラルは両腕をぶんぶんと振り回しながら進行の邪魔をする骨兵士たちを薙ぎ払いつつ突き進む。
モラルが殴る、敵が飛ぶ。
モラルが殴る、敵が散る。
バシバシと容赦のない連撃が、邪魔な連中を始末する。
あまりに異常な光景に、空よりモラルを観察していた死霊使いも舌を巻く。
というよりもすっかりあきれ果てていた。
行動が異常。
見た目も異常。
行動原理も予測不能。
そんな相手を目の前にしてしまえば、如何に常識外れの悪逆思考な死霊使いでも放心してしまいがちである。
どんなに骨兵士を送り込んでも拳の一振りで粉砕されてしまっては、もはや目を覆う事しか出来そうもない。
彼は――死霊使いルシコフ・ポルスターは、デブの肉弾格闘家と化したモラルをどう扱うべきかと思い悩んでしまっていた。
そんなルシコフにも思わぬ転機が訪れる。
空から俯瞰の視点でロモニー村への襲撃模様を観察していた訳なのだが、流石に村の中の光景までは、遠く距離が離れすぎて漠然とした状況でしか把握できていなかった。
しかし自分の位置から程よく近い場所に居るモラルに注視していると、なんとその脂肪の塊目掛けて近づいてきている憎き勇者パーティの姿が目に入るではないか。
これぞ僥倖。
ルシコフは、早くも自分の復讐の機会が訪れたという状況に、造死神ヒビュ=イコラ・カシムの思し召しに違いないと思い込み、喜色に塗れた気味の悪い笑みを浮かべてしまう。
もっともそれは空の上での光景なので、地上を這うモラルやシャレンドラたちには全く察知のできない情景だった。
「あーーーーーったく! やあっと追いつけたわね、もう。モラルくん、デブってるくせに足速すぎ」
「ふいいいい……! ぶふぃ……!」
「お、おい、豚みたいに嘶くなっての。どうどう、落ち着け落ち着け」
骨兵士たちの健闘の甲斐もあり、進攻速度が著しく落ちたモラルに追いついたシャレンドラたちはモラルを落ち着かせようと試みる。
まずは一番足の速いナインティーが立ちふさがり、続けて一番腕力のあるバシュターナが腕をひっつかんで食い止める。
そして少し遅れてアイラとペス、シャレンドラの三人が順次身体にしがみつくなり服を掴むなりしてこれ以上の独断先行を阻もうと努力――する、のだが……その様な妨害をするまでも無く、モラルは立ち止まり空の一点に向けて睨みを利かせていた。
その視線の先、禍々しい気配の根源、この事態を引き起こした卑死操団の生き残りであるルシコフが、白骨の異形に跨りモラルたちの事を見下ろしていた。
二人の視線が火花を散らして交差する。
怒りと復讐と暴力という名の衝動が、互いの身体を駆け巡り、ぐるぐると唸り声をあげていた。
「……モラル? 一体どうした、お前らしくもない。何をそんなに憤って――」
「シャリッ! 違うぞ、視線を追うのじゃっ! 敵は真上に、否、空におるっ!」
「な、何っ!?」
久々に会ったばかりの為にどうしてもモラルの変貌具合にばかり目が行くシャレンドラに対し、ペスは僅かな苦言と指摘と共に、今まさに注視するべき相手が空にいる事を告げ関心を向けさせた。
皆がほぼ同時に空を見上げ――
――それが、居た。
「なっ……なんだ、ありゃあ……」
「……あれは、まさか、まさかまさか……ッ!?」
それが何の白骨であるか予測がつかないバシュターナと、慄きからか、それの名前を告げることが出来ないアイラに代わり、ペスが言葉を引き継いだ。
「……ああ、そのまさかもまさか、白骨竜に違いなかろうて」
「スッ、スカルドラゴンッ!? そんな、神話級の怪物が居る訳……な、何か別の生き物の見間違えとか、敵が態々竜の形に形成したとかは考えられないかなぁ……?」
「いや、どうもあの気配は本物らしい。しかも二匹か……降りてくるぞ、構えろッ!」
よりにもよって、相手は腐っても竜と知り、受け入れがたい現実に戦々恐々の面持ちで見上げていたシャレンドラたちなのだが、敵は果たして余裕の表れなのか、その禍々しい巨体を地表に向けてふわりと降下させていた。
骨のみの身体の為、皮膜の無いスカスカの翼ではあるのだが、その翼を羽ばたきもさせずに二匹のスカルドラゴンは空を泳ぐ。
おそらくは放出している魔力の類で浮遊の力を得ているのだろう。
生き物としては不自然な軌道を描きながら、それらは大地に降り立った。
「くっ……目の前で見ると身が得てた時よりデカく感じるなぁ」
「……いえ、伝承にある竜の体格に比べると、あれはかなり小柄な代物に見て取れます。恐らくは幼竜かまだ若い個体の竜の死体を利用しているのではないでしょうか」
「あれで小柄か。まったく、化け物というものは道理の通じぬ輩どもよ」
人の倍はあろうかというモラルの体格の、その更に数倍を行く巨体を前に軽口を叩き合う。
戦いとは度胸を張り合う正念場。
最後まで正面を向いていた者たちが勝つことをよおく理解しているシャレンドラたちは、どんな事態に陥ろうともおのれを失わずに戦い続ける覚悟を持って対峙していた。
たとえそれがスカルドラゴン二匹でも、その覚悟は変わらない。
故に戦意喪失という名の敗走は、シャレンドラ率いる勇者パーティには存在しないのだ。
「クカ、クカカカカカカカッ、流石は勇者よ、その一行よ! 我が最強のしもべを前にしても、逃げ惑う無様な姿は見せぬか! 敵ながらあっぱれ――だが、それ故に倒し甲斐のある宿敵よ!」
「何だぁ!? 敵の親玉の声はするが、一体どこに居やがるってんだ!?」
「――居たっ、あそこよバシュターナ、よく見なさい!」
ソロリソロリとごく自然な動作でバシュターナとナインティーが左翼に、ペスが右翼に散開しながらスカルドラゴンの背を指さした。
そこにはちょこんと、まるで水草に紛れ込んだ小魚が隠れ潜んでいるかの様に、不気味に痩せ細ろえた小汚い男が一人座っている。
卑死操団の生き残り、死霊使いの大罪者だ。
男はフワッと枯れ葉が舞う様にスカルドラゴンの背から飛び降りて、同じく大地足で踏みしめながら巨体の傍らに立つ。
その顔には不敵な笑みが張り付いていた。




