飲料 汗と涙に捧げる黄金の薬水 注文
「ふぐうううおおおおおおお! ぐおおおおおおっ!」
混乱で逃げ惑う村人たちの流れを逆走して、恐ろしく太った肥満体が道のど真ん中を突っ走る。
その勢いはたった一人によるものにも拘らず、十数頭の牛の群れをも凌駕する脅威の猪突猛進であった。
さしもの狂乱状態にある村人も、目の前からとんでもない勢いでとんでもない贅肉達磨が駆けてくるとなると、たちどころに正気を取り戻して左右に飛び退け道を開ける。
そうして開いた人波の間を駆け抜けて、モラルは雄たけびをあげながら直進する。
「――おい、おい! 落ち着け、落ち着けってモラルッ! ああ、クソッ! あンのクソデブ、一人で突っ走りやがって……!」
一拍遅れて追いかけてきたバシュターナも全く追いつくことが適わずに、モラルに負けじと声を張り上げ呼びかけながら走り続ける事しか出来ずにいた。
だが、バシュターナの声はモラルの耳には届かない。
彼は完全にキレていた。
丹精込めて育てていた作物が燃えている。
冷気と熱の呪文による綿密な温度管理を施し育てた甘い果実が駄目になる。
そして何より楽しみにしていた出店の食べ歩き計画が、見事ご破算にされてしまった事に彼は怒りと悲しみと絶望と、絶対に殺してやるという殺意の塊に身体を乗っ取られてしまっていたのだった。
故に誰の静止も届かない。
モラルは敵を殺す事しか考えていないのだ。
「おおおおおおおッ! おあああああああっ!」
逃げ惑う人の波を突き抜けて、とうとう戦火に包まれつつある畑区画に足を踏み入れる。
モラルはより一層力強く地面を踏み込んで、人の腰ほどの高さにまで軽く跳ねる様に跳びながら、荒らされていく畑の中を駆け抜けた。
その余りにも非現実的な光景に、追いすがるバシュターナも茫然としてしまい、思わず足を止めてしまっていた。
「う、う、うわぁ……なんだあの走り方、気持ち悪っ……!」
敵を踏み潰しながら飛んで跳ねてを繰り返すモラルの奇怪な移動法は、蛮族生まれのバシュターナの美的感覚でも流石に許容出来る範囲を超えていた。
視線を逸らし、頭を軽く振って平常心を取り戻そうとするバシュターナ。
その隙にモラルはどんどんと飛んで、跳ねて、翔けずって、あっという間に敵のニ割を踏み砕きながら丘向こうへと消えていく。
「……とんでもねぇコトやりやがるなぁ、アイツ。いよいよバケモンじみてきてんじゃねぇか、あれ」
本気とも冗談ともつかないボヤキを口にしながらバシュターナはモラルが討ち漏らした敵に視線を向け――苦笑ともニヤケ顔ともつかなかった表情が、一転して渋面一色に塗りつぶされてしまう。
彼女の目に留まったのは、ブンブンブンと蠅の群れを纏ったままさ迷い歩く、腐乱死体や白骨死体。
胸や頭の破損部位からチラリと覗く赤い結晶体にも、はっきりとした見覚えがある。
――卑死操団。
やつらが死者を操る生も死も一方的に冒涜した、神の御業に逆らう魔道の術式だ。
ありとあらゆる嫌悪の感情をない交ぜにして、バシュターナは激高した。
「あンの……腐れ外道共がああああっ! 生ぃぃき残ってやがったかああっ!」
感情の赴くままに、バシュターナはあだ名の由来ともなっている自慢の矛槍を振り回し、瞬き一つの時間のうちに首を二つ跳ね飛ばす。
普通の敵であるならばこれで確実に絶命するが、相手は死の淵から蘇った動く死体、この程度の損傷では行動にさしたる影響は無い。
生者に比べればやや緩慢とした動きでバシュターナに反撃しようと試みるが、それを黙って見過ごす様な素人でもない。
返す刃を二度三度、素早く振るって動く死体たちを解体する。
――ドサリ。
バラバラにされ、転がる残骸に向けてつばを吐きつけながら、ロモニー村を襲撃している不届き者に、ようやく見当がついていた。
「卑死操団……よくもまあやってくれたもんだなあ。壊滅してまだ日が経っていないというのに……大それたことをしやがって……」
「――おい、おい! バシュターナ、まったく勝手に突っ走りおって。ようやく追いつい……む?」
足を止めていたおかげもあり、シャレンドラたちがバシュターナに追いついた。
と、同時に彼女の足元に転がる動かないばらばら死体を目撃し、ようやく事態の一部を掌握する。
近隣の村からも人が集まる祭りの日を狙った卑劣な行い。
武器は持たぬが歩き回るだけで腐敗毒をまき散らす、動く死体。
――卑死操団、忌まわしき死霊使い。
目減りした兵力を補うために、比較的人口が多く、反面警備はさほどでもない農村を襲いに来たのかとシャレンドラたちは予測する。
それとも復讐の炎を燃やしていた残党が、自分たちを滅ぼしかけた連中の旗印、すなわち勇者シャレンドラがお忍びでロモニー村に向かったという情報を知り、好機とみなして襲撃を掛けたのかもと考える。
流石のシャレンドラたちも、まさか荒野の果てにて生き残りがとある神話時代の亡骸を見つけ、それを蘇らせるや否や、ただなんとなく帰省を図ったものだとは予想できるはずもなく、これは突発的な攻撃ではなく計画的なものであると断定してしまっていた。
とはいえ敵の方針が何であれ、取るべき方針はもう決まっている。
一匹残らず叩きのめす事、それ以外の案は無い。
シャレンドラたちは顔を見合わせた。
「ちょおっと数が多いわね。誰か一人か二人ここに残って、これ以上の進軍を阻止した方がいいんじゃないかな?」
最初に話を切り出したのはナインティー。
彼女はあたりをうろつく動く死体の数を数えながら、パーティの分断を提案する。
「なら、あたしが残るぜ。生き物じゃないからな、バラバラにするのにも遠慮はいらねえし、力いっぱい振りかぶってずたずたにしてやるよ」
「いや、貴様は皆と共に行け、バシュターナ。ここに残るのは……今だと某が適任であろうよ」
「タルタドポス、お前が?」
即座に志願したのはバシュターナだが、間髪入れずにタルタドポスが否定する。
彼は甘味屋で破壊したテーブルで作り上げた即席の大盾を軽く振りながら、その理由を説明した。
「生憎と普段の得物が無いのでな……これやら護身用のただの鉄剣しか持っておらぬ某では、首領格との戦いにおいて力不足であろうよ。この先に何があるのかまだ判らん。爆発力のある貴様はシャレンドラ殿と共に先に向かうのが最上よ」
確かにタルタドポスの言う通りだと、バシュターナは手持ちの装備を眺めながら納得する。
普段使いの重厚な鎧も、盾も、得物も持ち合わせていないタルタドポスは戦力としては半減している。
対するバシュターナはほぼいつも通りの塩梅だ。
誰の目から見てみても、ここで切るべき札が何であるかは明らかであった。
「……判った。ここは任せるぜ。無茶はすんなよ、おっさん! もういい歳なんだからな!」
「はっはっは、死なすぞ小娘が。男は三十路が花盛り、あのような枯れ果てた死体なんぞに負けはせんわ!」
「――良し、ではいざ行かん! 目標は依然変わらず、目指すは敵の本陣ぞ!」
最後の掛け声とともに、シャレンドラたちは再び駆け出しモラルの後を追うように、未だ立ち昇り続ける煙信号の先へと脇目も振らず直進する。
その姿を見送りながらタルタドポスはぽきり、ぽきりと指や首の骨を鳴らし、まるで誰かに宣言でもするかの如く、大声で名乗りを上げつつ自身の魂を昂らせていた。
「雄々、我こそはカスウェトの子、アーザヌフェボスの血脈なるもの、タルタドポスッ! 淫祠邪教の類に歪められし哀れなる死者共を、剣と盾をもってして打ち払わんとするものなり! さあこい、動く死体どもめ……某が、そなたらの無念を祓ってやろうぞ!」
そして彼は鈍い光を放つ剣を振りかぶり、たどたどしい動きで村に攻め入ろうとする動く死体の群れ目掛け、忌まわしい呪縛から解き放つ為にめまぐるしく戦地を駆け巡った。




