魚料理 魚介の酒蒸し~中サダラ王朝期の辛口仕立て~ 完食
ナインティーは勝利を確信していた。
彼女は元から早食いの気があって、昔から誰よりも早く食事を終える傾向があった。
胃袋の大きさそのものは成人女性と大して差が無い為大食いする能力こそは低かったが、一つの料理を二人で分け合って食べるのであれば、ナインティーの腹の容積には余裕がある。
何よりモラルには決定的な弱点が見受けられる。
それは、彼の体格だった。
横だけでなく何故だか不思議と縦にまで大きく成長していたモラルの座高はとても高い。
そんじゃそこらの男が横に立った状態でも見下ろせてしまう程である。
当然、テーブルまでの距離も遠くなる。
即ち、貝を掴んだ腕を口元へと運ぶのに、ずいぶん時間を取られてしまうという事だった。
例え背中を猫背にしてテーブルまでの距離を詰めたとしても、その肥大した腹が原因で、思うように前屈も出来ないはずである。
以上の理由で現在のモラルの体格では、早食い勝負は無謀である。
ナインティーが絶対の自信を抱くのにもしっかりとした理由があった。
「ではいざ尋常に……勝負ッ!」
合図と同時に二人は素早く手を繰り出す。
ナインティーは小手調べとして中央やや手前側に自分側へと蓋を開いた貝へと標的を定め、左手をすばやく動かした。
人差し指と親指が殻に触れる。
やった――そう思ったのもつかの間の事、指先に妙な手ごたえが伝わると同時に、手にしていた貝の重さが急に少なくなっていた。
「なあぁ……ッ!? き、君ぃ、それは……串だと!?」
モラルは手にした木串でナインティーが掴んでいた貝の本体に突き刺して、器用にそれをかすめ取っていた。
奪い取った貝をもっちゃもっちゃと咀嚼しながら、不敵に笑うモラル。
その木串の端っこは焼け焦げていて、何かのたれもこびり付いていた。
やられた――ナインティーはおのれの失策を悟る。
道具の使用を問わなかったのは、明らかな失敗である。
店員が置いていった食器が貝の乗っている大皿と、殻を入れる為の小皿だけであった為、無意識のうちに素手で掴んで食べる料理であると勘違いをしてしまっていた。
これには大きな計画のズレが予想された。
木串の長さはおおよそ人の手のひら一枚分。
つまりそれだけの長さがモラルの腕の長さに加わったものと推察される。
その分腕を動かす時間も大幅に短縮されてしまった事だろう。
ナインティーは一瞬、モラルを舐めてかかっていた自分の迂闊な部分を責め立てた。
しかし、それでも自分の勝利は疑わない。
なまじ指で直接掴まない分、貝の身を殻から確実に取り外す事など出来ないはずと、たかを括っていたからだ。
早食いとは獲物を掴み口元へと運ぶ速度も大切だが、それと同じくらいに状況をより正確に調べる観察眼と、丁寧に過食部位だけを取り分ける器用さも大事な要素とナインティーは信じていた。
「今のはマグレ、そうマグレよ。勘違いしないでよね、次は本気を出すんだから……はいそこォッ!」
再び繰り出される左の指先が電光石火の勢いでテーブルの上を滑空する。
狙いは再びの中央、中身がナインティー側に向いた貝。
しかし結果はまたもや空振り。木串がその身に襲い掛かり、すんでのところで身を奪う。
得意な表情を浮かべるモラル。
だが、それはナインティーも計算の内、わざと誘った罠である。
左手の下に隠していた右手が伸び、あえてモラルのすぐそばの貝の殻を掴み取る。
「ふふふ、甘いわねモラル、これで私も一個目よ――あれっ?」
殻の中身はカラである。
中には身が詰まっていなかった。
「ちぇ……身の零れていたスカだったかぁ、命拾いしたわねモラ……あーっ! あ、あ、あーっ!」
ナインティーがいちいち勝ち誇ったり悔しがったりといった反応を示す間もモラルは一心不乱に木串を貝に突き刺して、殻からその身を抜き取り口元へとせわしなく運び続けていた。
「ひっ、ひっ、ひとがっ! 感想をっ! 述べてる時にっ! とりゃっとりゃっこのおっ! もくもくとっ! とるのはっ! 卑怯じゃっ! なっ!? おりゃっ! このっ! えいっ! おりゃあーっ!」
勝負事の最中に無駄口を叩くという愚行の骨頂を冒したナインティーは、見る見るうちに大差をつけられその差を大きく広げてしまう。
もはや完全に追いつくことは不可能で、彼女の敗北は濃厚である。
おしゃべりな性格と妙に見栄っ張りな部分が足を引っ張った、見事なまでの敗北だった。
「あぁぁ~~~~っ、もうっ! 待って待って、待ってってばあ! ちょっとぉー中止、中止勝負は一旦中止でーすーうーっ!」
「……皿をどかすのははんそくだ」
ナインティーは魚介の乗った皿を引っ張り上げて、モラルが貝を食べるのを無理矢理に中断した。
彼女は大人げないと知りながらも、何とか上手く言いくるめて、再度仕切り直しての勝負を持ちかけるつもりでいた。
「いやあのね、串を使って食べても良いだなんて言ってないもんね! そう、手づかみ! 手づかみのみの対決なのです! 他の道具は使っちゃ駄目ッ! という訳で、最初からやり直そうね?」
「……まあ、よかろう。ただし、サイセンをもうしこむからには、バッソクをひとつうけてもらおうか」
「ば、罰則って……一体何かなぁ……?」
ナインティーは卑猥な要求をされるのではないかと予感して一瞬怯んでしまったが、たまに下品な発言をするタルタドポスならいざ知らず、それなりに真面目な性格であったモラルならばそれも無いかと思い直す。
事実モラルが言い渡した罰則は、拍子抜けするほどに軽いものであった。
「きんか、いちまい」
「……えっ?」
「これから、あんたがしょうぶを我にいどむたび、きんかいちまいをしはらってもらおうか」
それは罰則と呼ぶよりは、モラルからの盛大な挑発である。
いわばナインティーの心が折れない限り、あるいは財布の中身が空にならない限り、何度でも早食い勝負を挑んできても構わないという宣言である。
流石にナインティーも、これには少し腹を立てた。
あまりに自分をなめている、と。
「……身体つきだけじゃあなくて、随分態度も大きくなったのね、モラル。いいでしょう、ほえ面かかせてあげるわね!」
パチン――金貨を一枚取り出して、テーブルの上に叩きつける。
モラルはそれを受け取ると、店員を呼びつけ再び同じ料理を注文する。
次の勝負もまた同じ料理、サダラ王朝期に流行った辛口仕立ての酒蒸し貝の早食い勝負であった。
注文が届くまで、おそらく五分か十分か。
その間にモラルはテーブルの上に残された料理をぺろりと片付ける。
やはり自分を舐めている、とナインティーは憤る。
勝負の前に腹を多少なりとも膨らませて、それでも尚自分に勝つ気でいるのかと、モラルの行動によって彼女の闘争心に火が付いた。
「……ぶっ潰してやろうじゃないの!」
そうこうしないうちに店員が、新しく出来上がった貝料理を持って来る。
アツアツの蒸気を放つそれを間に挟んだ状態で、二人はひとしきり睨み合い、そして勝負が始まった。
――こうして、ナインティーの敗北の記録が刻まれ続ける事となるのだ。
以下は、仕切り直した勝負毎の、ナインティーの発言である。
「ちょちょちょ、ちょっと待って待ちなさいモラルッ! 君がすでに食べ終えた貝の殻を使って邪魔をするのは止してよねっ!? なんで、なんでなんで私が取ろうと手を伸ばした貝の前に投げ込んでくるのよ!
これ反則、はーんーそーくー! そういう邪魔はしないでよ! ええい、次、次の勝負行きましょう!」
「ああああああああっ!? 口に運ばず手の中に何粒も何十粒もほじくり取った貝をため込むのは禁止ィィィィィィィッ! あんたそれ、邪道食いってやつじゃないのッ!? 外道ーッ、卑怯ーッ、邪道食いーッ!」
「ふっふっふ……今度は素手で触るのを禁止して、木串のみで勝負よ! 貝殻に触るのは駄目ね! ふふふ、これなら手先が器用な私の方が間違いなく有利よ! 勝負ッ!」
「えええええええええっ!? ちょっとモラルそれ一体どういう木串の使い方よぉ!? 両手に二本ずつ持って、なんで器用に挟んで貝を取ることが出来るのよ! 何かの呪文使っている訳じゃあないわよね!? ……え、ペスから以前食事作法を教わった時に学んだ食べ方? オハシっていうの、その木串の使い方……? ええっと……こう、みょうちきりんな持ち方で、本当に掴めるの……? え、無理でしょ、これ……」
「ぐ、ぐああああああっ! こ、こいつ普通に食べてもものすごく速いぃっ! もう十皿分近くは食べてるはずなのに、全く食べる速度が変わらないなんてッ! ああああああああ、負けたあああああああ」
結局のところ食に関する勝負を持ち込んだ時点でナインティーの敗北は明らかであった。
それでもまだ、一人一皿の早食い勝負であれば勝ち目も見えたかもしれない。
だが、同じ皿を二人でつつき合うという最初の提案に拘り続けたが為に、ナインティーは微かな勝利の可能性の芽をも自らの手で摘まみ取ってしまったのだ。
連戦連敗の末に財布の中はすでに空。
結果手的にナインティーは、ただいたずらにモラルに貝料理を食べさせただけという、何をしに来たのだかまるで判らない結果だけを残していた。
テーブルに突っ伏し、項垂れるナインティー。
と、モラルは何を思ったのか、パチン――金貨を一枚、ナインティーの正面に音を立てて置いた。
彼女は顔をわずかに上げて、ぎろり、モラルを睨みつけた。
「……なによぉ、それ。何のつもりなワケ?」
「かえりのばしゃだいまでかけるやつがあるか。いや、やどにひとばん泊まってからかえるのかもしれんが、どっちにしろきんかいちまいは、のこしとくべきだ」
「勝者の余裕ってやつなわけ? 別にいいわよ、春を売ろうが何をしようが、帰りのお代くらいなら自分一人で稼げるわよぉ」
ふてくされているナインティーの発言は無視して、モラルは彼女の白いふわふわの癖毛頭を軽く撫でながら、どこか遠くを想うような視線を宙へと浮かべつつ、少し躊躇しながら慎重に言葉を発した。
「我はもうパーティをぬけた身だが、それでももとなかまたちのことは、と、と、ともだ……」
「……小声で聞こえないんだけどぉ?」
「……ともにシセンをくぐりぬけた、知り合いだっておもっている。だから、かおみしりには、あんまりむちゃなこととか、むぼうなことは、してほしくない」
「………………」
心配だという発言を真正面から言われてしまえば、ナインティーもぐうの音を出せなかった。
突如パーティから抜け出す奇行だとか、脈絡もなくブクブクデブデブ太ってしまう謎の体質だとか、早食い勝負における意地の汚い食べ方だとか、彼女も言ってやりたい事は山ほどあったが、自分の身を案じてくれる元々の性格は残っていたのだなと、ナインティーは少しだけ安堵していた。
少なくとも、先にモラルと接触したアイラやペス、バシュターナの件といい、仲間たちと出会うこと自体を忌避している様子はない。
ならばこうやって、何度も何度も足しげく通って馬鹿な騒ぎでも起こしていれば、いずれは自分たちの所に戻って来てくれるのではないか。
そう考えれば、今日一日の自分の無駄な行為にだって意味があったとナインティーは笑みを取り戻し、モラルの置いた金貨一枚ひっつかんで立ち上がりながら元の調子を取り戻し、人差し指を突き付けながらこう言った。
「仕方ないわねえ、これは次の勝負の時まで貸しにしておいてあげるわっ! 今度の勝負では絶対に私が勝つんだから、容赦しないわよっ!」
「いや、かけごとはやめとけって。おまえ、こういうのむいてないわゼッタイ」
「はあぁー!? 言ったわねぇー君ぃ! そんな余裕の態度でいられるのは今の内だってことを、その食事の事しか頭の中にない脳みそに、叩き込んでやるんだからっ!」
今日一番の満面の笑みを浮かべながら、ナインティーは敗者にも拘らず、満面の笑みをもって宣誓する。
その真っ直ぐな視線は余りに眩し過ぎて、モラルの分厚い脂肪ですら受け止めきれず、心の臓をしこたま強く叩いていた。
宣言と共に勢いよく駆け出して、飯屋を出ていくナインティーの背を見送るモラルの表情は、天井に付きそうな程に高い位置にあるせいで、誰一人として拝むことは出来ずにいた。




