風の行方4
狭い洞窟の中で、竜種に出来ることは多くなかった。
竜撃光を放てば、生き埋めとなりかねない。
大空を飛ぶ翼は、壁に当たって動きを阻害する。
天空の覇者がその長所を封じられてしまえば、争いも泥臭くなるのは必至だ。
「――――ふっ」
レグリアが裂帛の気合を吐く。
翼をコンパクトに畳み込みながら、右拳を見舞う。
それをアルガゲヘナが、後退して避けた。
すると、レグリアが勢いを殺さずに胴を回転させ、重量級の尾を振り下ろす。
「シっ!」
寸でのところで体を半身に入れ替えたアルガゲヘナが、必殺の尾を最小限の動きで躱した。
地響きの衝撃と共に、天井から小石が落ちる。
姉の尾は地面に半分ほど埋まり、その上を妹の尾が押さえつけた。
尾を支点にして、滑るようにアルガゲヘナが踏み込む。
対応しようとするレグリアの腕を、伸ばした翼で押さえつけた。
「姉さま、大人しくしてください」
「嫌よ――――がっ」
竜の牙が、レグリアの側頭部に叩き込まれた。
長い首を振って、何度も攻撃が往復する。
アルガゲヘナが攻撃を続けて腰が浮いたところで、レグリアの尾が彼女を持ち上げた。
「そう何度も、舐めるんじゃ――――ないわよ!」
互いに超重量級の竜種が、反対方向へ吹き飛んだ。
派手に背後へ倒れ込む姉と、水面さえ揺らさぬ足取りで降り立つ妹だった。
アルガゲヘナの声が、冷たく響く。
「舐めるに決まっているではありませんか。正直に申しまして、姉さまを殺すのは簡単なことなのですよ」
「ふぅん。なら、やってみればいいじゃない」
姉の挑発じみた言葉にも、子供の戯言程度しか反応しなかった。
「おわかりでしょう。私は姉さまを殺す気はありません。……もしもその気であれば、牙を首元に差し込んでいれば終わりでした」
「出来てもいないのに講釈ばかりね」
「では聞きますが、私が姉さまを殺す理由がありますか?」
「知らないわよ。でも、こちとらアルを殺す理由には事欠かないけどね」
口元を歪ませるレグリアであった。
白く尖った牙を隠す気も無い。
戦闘意欲を失わない姉に、妹が暗い決意を下した。
「わかりました」
「へえ、大人しくするって?」
「いえ。姉さまが私の言うことを聞いてくれないことが――――わかりました。なので、姉さま。貴方の頭だけ頂きます」
「……頭だけ?」
「はい。ここの研究施設を使えば、姉さまの頭部だけを生かしたまま持ち運ぶことが出来ます。実験もしました。成功しました。ですから、後で一杯、お喋りしましょう?」
「実験って――――ああ、なるほど。無駄のない事ねぇ」
レグリアの眼が細められ、竜種の残骸に向けられた。
彼らは残虐性だけを以って残骸にされたのではなかった。
怜悧で冷徹な意思によって、アルガゲヘナの礎と成り果てたのだ。
姉を洞窟へ誘い込むことも、単純に力で制圧できることも、全て織り込み済みだったのだろう。
「だったら、無駄だらけにしてやりたいところだけど――――」
最後の手段として、自爆覚悟の竜撃光という手段もあった。
この洞窟ごと吹き飛ばしてしまえば、全ては終わってしまうことだろう。
しかしそれも、今となっては手遅れだった。
側頭部を牙で突かれ、竜撃光の器官が一部壊されている。
全力で竜撃光を放ったとして、その前にアルガゲヘナに組み伏せられるに違いない。
そして、レグリアの背後にいる人間。
彼を巻き込んでしまうことに、少しだけ躊躇する気持ちもあった。
「――――アルの言う通りにするのも癪だわ」
彼女の口元が光る。
ならば――――己だけが吹き飛べばいい。
悔いはある。
恨みもある。
ただ、心にあるのは。
「何でもかんでも、言うことを聞いてやると思うなよ」
彼の言葉が、静まり返った洞窟に広がった。
男の声だった。
取るに足らない、人間の声だった。
竜種にとっては蚊ほどの存在にも満たない哀れな生物が、耳障りに喚く。
「確かに竜種は――――君たちは美しいよっ! その流線型に描かれた姿は、何にだって負けやしないし、輝く宝石のような眼も、自然美としか言いようのない牙も、爪も、力強く艶めかしい尻尾に勝るものなどあるものか!」
息を吸い込み、人間が吠える。
あらん限りの個人的な欲望を吐露する。
「だから、君たちは美しいまま生きていて欲しい!」
「……いきなり何言ってるの? 馬鹿なの? 壊れたの? この子は世界を滅ぼそうってのよ?」
レグリアの呆れた顔にも、人間は意を介さない。
「そんなこと知らないね。美しさの前ではすべてが無意味だよ」
「口だけなら何とでも言えるわ」
「まあね。だったら僕は、全身全霊を尽くすのみだ。この僕の気持ち――――竜にだって届けて見せる」
空間が――――鳴く。
竜種たちが暴れている間に流していた糸が、一気に張られた。
空中に立つ人間の姿は、道化師のそれだ。
場違いで奇妙な最弱の種族が――――最強種の前で笑う。
人間であるクラムが、最後の希望として送り出した『切り札』によって、場は崩されたのだった。




