愛と言葉9
木々の間から優しい木漏れ日が差し込んでいた。
肌に当たる向かい風は、程よく涼し気だった。
商用に使われる荷台付きの天馬を運転するのは、ルゴスの役目だ。
昔からの馬車のように、天馬に荷台を繋ぎ、御者が後方から操作する方式だった。
「まあ、良いんだけどね」
誰にともなく独り言ちる。
荷台に座っている竜族のレグリアは言うに及ばず、クラムも天馬を運転しない。
彼曰く、『運転していると剣が振れない』ということらしい。
ともすれば戦いになるということを、肌で感じ取っているのかもしれない――――と考えてしまうのは時期尚早だ。
簡単に言えば、クラムの運転は下手だった。
ほぼ大半の生物を乗り物酔いさせてしまう才能の持ち主である。
彼の運転に耐えられる者は、後にも先にもルゴスだけだ。
ルゴスの視線は、御者席の隣に座る村長へ向けられた。
「それにしても、よくこんな天馬を隠し通してたもんだね」
「は、はあ。『風喰い』のことがあって、天馬を使うなと言われましたからな。元々使っていた馬小屋がありまして、そこに隠しておったのです」
「でも、魔鉱石の採掘には使うよね?」
「そちらには実際の馬を使ってますので――――それよりも、本当に大丈夫なんでしょうか」
「ああ、うん」
もう幾度目かもわからない問いかけに、苦笑いしか浮かばないルゴスだった。
村長が村の安全と引き換えに、鉱床の場所を白状することになっていた。
そもそも村人が鉱床を見つけて、領主に報告するまでは通常のことだ。
そこから領主が国王に報告せず、私腹を肥やそうとしていたのだろう。
ルゴスたちが『風喰い』のことで調査に入らなければ、見つかることは無かったかもしれない。
「色々とあるからね」
「色々、ですか」
村長が小首をかしげる。
隠れて資金を増やしていたとなると、謀反の可能性さえ疑われても仕方がない。
ルゴスたちが『風喰い』の調査を報告するとき、隠すわけにもいかないのだ。
どう転んでも領主の首がすげ変わる事案だった。
その際、報告書に村を庇う言葉を付け加えるのに支障は無い。
だから問題は、荷台に居る竜族だった。
「んまーい」
蜜の入った壺を抱え込んだレグリアが、頬を蕩け落ちさせている。
彼女の幸せそうな顔を見ると、食べ物で簡単に懐柔出来そうだと思わせてくれた。
ともあれ、一応の忠告はしておく。
「あ、ハチミツはその壺で最後だからね」
「な――――そんな、どうしてそんな大事なことを今になって言うのよ!」
「いや、最初に言ったんだけどね。この村にあるものは、それでおしまい」
「……この村にあるものは?」
指先ですくった琥珀色の蜜を、口に含みながら目を細める。
過剰な糖分が、レグリアの思考を加速させていた。
「この世全ての蜜を集めようかしら」
「蜂が全滅するから、やめようか。この仕事が終わったら、また買えばいいさ」
「この仕事が終わったら――――終わったら?」
彼女の瞳が、壺の中の液面に映る。
忘れていた何かを、必死に思い出しているようにも見えた。
しかし、何も得られなかったのか、陰りのある微笑みを浮かべる。
「そうね。私はお金を持ってないから、ルゴスが買ってね」
「あ……うん」
突然の言葉に、虚を突かれたのだった。
しっくりこない感情を持て余していると、今まで黙っていたクラムが目を開けた。
「近いな」
「そうですな。もうそろそろです」
村長が頷く。
木々が晴れて、開けた場所が現れた。
削られた山肌に木枠が埋め込まれ、人の手で掘った洞窟が見えてくる。
広場で休憩していた村人の男たちが、腰を浮かせていた。
それを村長が、手を振って落ち着かせようとする。
「おーい、この方たちは大丈夫だ――――」
そのとき、ルゴスの耳奥で奇妙な音が響いていた。
誰もその音に気付いていない。
か細い絶叫が、暗い洞窟の奥から這い出している。
遅れて、レグリアが顔を洞窟へ向けた。
「これ――――」
「何かに掴まれ!」
彼は思い切りハンドルを切った。
天馬が大きく傾き、道べりの草むらへ突っ込んだ。
圧縮された空気の塊が通り過ぎる。
それだけで周囲の木々が削り取られ、草葉が舞い上がった。
御者席から放り出されたルゴスは、急いで背後を振り返る。
「大丈夫か」
「……俺は慣れている」
気を失った村長を小脇に抱え、既に臨戦態勢のクラムが立っていた。
彼が表情を消して見つめる先には、空気の塊に弾き飛ばされて血を流している村人たちの姿がある。
そして、ルゴスたちを覆う巨大な影が差した。
――――竜の咆哮。
牙を剥き出し、巨大な翼を広げて飛び立つ竜種のものだった。




