聖火7
風や気流、大気と呼ばれるものは、意味は異なっていても、全て同じものから生まれている。
この世界は、空気で満たされていて、空気の流れを風と呼ぶ。
そして、竜は風を泳ぐ。
大空において竜族ほど風の動きを感知できる生物はいない。
彼らの巨体を飛ばすのは、巨大な翼と、体内の浮袋と、生来の風読みだった。
空とはすなわち竜の住処を現し、誰も近づけぬ聖域という認識が、どんな種族の中にも存在していた。
見上げる脅威は、常にそこにあった。
今の今までは。
そして――――天を統べる種族としての矜持が、崩れ落ちた瞬間があった。
「そんな……馬鹿なっ」
竜族のシュカが、部下の前であってさえ、驚愕を隠せなかった。
翼を持たぬ種族が。
空も飛べない脆弱な人族が。
この場に居る誰よりも、風を知っていた。
何も見えない暗闇の中で空を飛ぶのは、目隠しされているのと同じことだ。
それを恐れも知らず、堂々と飛んでいる。
どうにか後続の竜たちが付いていけているのは、人を乗せた竜の口から洩れる、竜撃光の光を追っているからに過ぎない。
「ふん」
面白くなさそうに、リイナが荒い鼻息を出す。
その彼女の背中でルグドは微笑んだ。
「何で機嫌が悪いのかな?」
「こんな雑魚共を連れて帰ったところで、あいつらに勝てるのかよ」
「え? 誰がいつ、勝つって言ったっけ?」
「……おい」
リイナの横目が向けられる。
この会話が聞こえているかもしれない、との注意と、彼の言葉の意味を測りかねてのものだった。
ただし、ルグドは態度を変えなかった。
「僕は屋敷を貰いに行くんだよ」
「だぁかぁらぁ、そんなことしたら、お前が私様のために引き下がった意味がねーだろっ! あいつらに会った途端、輪切りにされっぞ」
「それは大変だなぁ」
あまりに飄々とした彼の態度のため、リイナの瞳に力が籠る。
「どうしても言えねぇってのか。私様は、仲間じゃねーのか」
「違うよ。言っただろ、契約って。それをどう考えるかは君の勝手だ」
「ああ――――そうかよ。そうだったな」
呟くリイナの視線が、前だけに向けられた。
その背後でルグドは苦笑いを浮かべる。
思わず、彼女の背中を撫でそうになって、手を戻したからだった。
信頼は尊い。
友情は美しい。
それはルグドも認めるところだ。
この単純で愚かしくも――――彼が気に入った竜は、生き残らなければならない。
だからこそ、仲間と呼んではいけない。
「はあ――――」
諸々と事情を空気と共に吸い込んで、吐き出した。
彼の隣にシュカが並ぶ。
「このまま近づいて大丈夫なのですか? 『勇者』クラムからの妨害があると思うのですが……。それに、暗闇で飛ぶ部下たちにも疲労で飛行が怪しい者がおります」
「そうだね」
暗闇の中を、ただひたすら飛び続けるだけでも、並みの神経では務まらない。
一度でも空間識失調を起こせば、いとも簡単に地面へ吸い込まれてしまう。
平気な顔をして指示を出すルグドと、彼の言うことを迷いなく信じて飛ぶリイナこそが、異常と言って良い。
後追いの竜族たちの体力を考えるのならば、もう無理は出来ない時間が過ぎていた。
「もう、いいよ」
ルグドは頷いて見せた。
風に流されている彼の髪が、ふわりと揺れる。
風向きが変化していた。
竜通空帯が鳴動し、捩じれて揺れている。
竜の翼が風を拾った。
彼はシュカに向かって頬を緩める。
「竜通空帯が周囲の気流に乱されて、不規則にぶれるんだよね。夜だけの特別な風なんだけど、飛ばないから知らなかっただろ?」
「え、ええ、ですが、飛んでいるというよりは、飛ばされているのでは?」
「まあ、大体合ってる」
自信満々で頷くルグドに対し、冷や汗を流すシュカだった。
風の勢いに流され、既に体勢を整える暇もない。
鉄砲水に攫われる木の葉のように、一行は突風に流されるのだった。




