聖火3
太陽は地に落ち、大空は暗闇に覆われた。
そして、ガーレンティア竜峰に一つ、燃え盛る灯火があった。
――――竜峰が陥落した。
人族史上、誰もが無しえなかった攻略戦に、勝利した結果だろう。
時折、大空に竜の絶叫が響く。
ガーレンティア竜峰が見える山脈の斜面で、ルグドはそれを聞いていた。
何も出来ない彼は、リイナと共に馬車へ押し込まれ、竜峰から遠ざけられたのだった。
「…………」
表情に色は無く、竜の焼ける火に照らされて、亡霊じみた顔をしている。
彼の隣には、角の折れた竜族が座り込んでいた。
何を言うでもなく、彼と同じものを見つめている。
そんな二人の傍に、外套を目深に被った従者が現れた。
「あまり見つめない方がよろしいでしょう」
「……君は?」
色の無い瞳で彼は問う。
従者が外套を下ろし、丁寧な敬礼を見せた。
顔に傷のある青年で、中肉中背の体躯をしている。
戦場を知らぬ若者の笑顔で、古参のような口ぶりだった。
「レオニルド様の従者をしております、ファルコと申します。ルグド様の御高名は聞かせて頂いております。――――先輩とお呼びしてもよろしいですか?」
「止めてくれ。それより、君がここへ来ることで、リイナに殺されるとは思わなかったのか」
ルグドは手を横に出す。
その後ろで、力なく立ち上がった彼女の姿があった。
しかし、ファルコが笑顔を崩すことは無い。
「『竜殺し』を持った手練れを周囲に潜ませております。殺さなければ良い、ということでしたので、手足を奪って延命するくらいの準備はしておりますよ」
「……うるせぇよ」
彼女の呟きから、勝機も勝算も度外視していることが理解できた。
彼は差し出した手でリイナを制しつつ、ファルコに言う。
「ここで『僕ら』が殺し合いを始めても良いと、クラムの許しは得ているのか?」
「いえ、出過ぎた真似を申し訳ありません。丁重に竜峰から下山させよ、と言われております」
彼の態度に、嘘は無い。
ただ、笑顔の仮面で本心を隠しているだけだった。
溜息を漏らしたルグドは、視線を横に向ける。
そこには、森の木々を伐採して作られた広場があった。
何機もの輸送用天馬が離発着を繰り返し、大規模な輜重部隊を運用している。
夜間にこれほどの輸送を行うのは、危険な賭けだろう。
視界の悪い中で天馬を操るのは難しく、損耗率が跳ね上がる。
それでも、迎撃に上がる竜族が同じ条件であれば、最後には数が物を言う。
ルグドは背後に言い聞かせるために口を開いた。
「これだけの人員と物量が流れてきてるんだとすれば、人族すべてが同盟でも組んだみたいだね」
「当然でしょう。さもなくば、竜王国――――ファルニドの王など獲れません」
彼の思惑に気付いた上で、従者が挑発を隠さなかった。
そこでリイナが暴れるかと誰もが覚悟していたが、何も起こらない。
若干、肩透かしを受けた様子のファルコが、言葉を続ける。
「ですが、流石はルグド様が考えられた作戦です。王族の空挺暗殺作戦に、天馬の物量使用による大規模遠征など、誰が成し得ましょう。……まさか、竜族を根絶やしにすることまで視野にありましたか」
「良く喋る男だな」
彼は目を細めた。
確かに、彼がまだルゴスであった頃、邪竜討伐の作戦として、天馬を用いた作戦を立案したことがあった。
だが、その全ては廃案にしたものである。
邪竜の空挺暗殺作戦にすれば、暗殺部隊の生還は絶望的なものであった。
精鋭を編成してさえ、成功率は限りなく低い。
天馬の物量使用については、人族の同盟が成り立たない限り、不可能なものだ。
邪竜が協力していたとはいえ、その難題を解決した手腕に対して、ファルコの能力は非凡であるのだろう。
ただ、その手がどれだけ血塗られているかは、見当もつかない。
ルグドの声が感情で震える。
「どれだけ殺した。……そして、これからどれだけの者が犠牲になると思ってる」
「ええ、目的に必要な数を殺しました。これからも、増える事でしょう。王を失って怒り狂った竜王国の復讐が始まりますからね。ルグド様の考えている通りです」
ファルコの笑みが、殊更に深まった。
王に対するかの如く、跪き頭を垂れる。
「我々と共に来ては頂けませんか。この戦争――――いわば人竜大戦の後に、人族が復興をしていくために、貴方様のお力が必要です」
「……勝手なことを言うな。僕は、こうならないように、犠牲を少なくするために、全てを失ったんだ! それを、君たちがひっくり返しておいて仲間になれだと、良く言えたな!」
「ええ、言いますとも。これが現状、人族の犠牲が一番少なく済む方法です」
頭を下げた彼の、偽りない気持ちだろう。
人と竜の全面戦争が起こってしまえば、人材を育成している暇など無い。
対竜族戦術に詳しい者であれば、是が非でも確保しておきたいのが心情だ。
それを理解してはいるが、ルグドの頭の奥で、感情の部分がひび割れて壊れてしまいそうだった。
「いい加減にしてくれ。僕はもう、関わりたくない」
「そうですか」
笑顔は――――崩れない。
そんなことは想定済みだとばかりに、手を叩いて人を呼ぶ。
すると、鎧を身に着けた大男が、長細いものを持ってきた。
ルグドの足元にそれを投げ落とす。
それは手甲であり――――魔導兵装であった。
「我々に反抗的な女を、街で捕えています。本人は『アウロン』の闘士だと言い張っていますが、これからの尋問で『何者』か明らかになるでしょう。誰かが証明してくださると助かるのですが……まあ、関わりたくないというのであれば無理強いも出来ません。では――――」
ファルコが背を向ける。
下草を踏む音がする。
ルグドは独り言でも漏らすように、言った。
「そうか、クラムは無関係か――――」
「はい?」
笑顔だったファルコの顔が、不思議そうに傾く。
かつては従者であった者の、酷く歪んだ表情が闇に浮かんでいた。
「――――あいつなら、大人しく引き下がった『俺』に、同じ手を使うことは無いよ」
「……何? い、あ、あれれれれぇ」
彼の顔が傾くまま、滑り落ちて地面に衝突した。
ファルコが最後に網膜へ焼き付けた光景は、顔を削り落とされた自身そのものだった。
顔を無くした身体が、ふらりと揺れて地面に倒れ込む。
「欲を出して、クラムの命令に従わないから、こういうことになるんだ」
ルグドの腕が揺れると、何もない場所で血飛沫が散る。
一瞬だけ、光に反射した線が暗闇に浮かんだ。
その光景を見た鎧の大男が逡巡し、声を上げそうになったところで、飛び出てきたリイナに殴り殺される。
一撃で頭の半分を吹き飛ばされ、生きている人間はいない。
血臭が漂う暗闇の中で、リイナが言う。
「なあ、今、『どっち』なんだ?」
「…………」
彼は無言だった。
応えられる答えが存在しなかった。
「まあ、どっちでもいいや。頼みがある」
「嫌だ」
「竜族を助けてくれ。私様が用意できるものなら、何でも用意する。何でも言うことを聞く。だから、助けてくれ。お願いだ」
「断る」
「なら、どうして私様を助けた? 人族に敵対してまで助ける必要はなかっただろ?」
「……うるさいな。少し黙れ」
「竜族を助けてくれるなら、私様は永遠に黙ってみせるぜ?」
リイナが手を伸ばし、最後に残っている角を、力づくでへし折った。
その角を両手で持ち、自分の喉へ突き刺す。
「……なあ、だからさ、どうして私様を助けるんだよ」
「…………」
角は、皮膚を斬り裂いただけで止まっていた。
彼女の腕を掴む、ルグドの手があったからだ。
彼は言葉に迷い、リイナから手を離した。
眦が吊り上がり、口元が大きく開く。
「これだから、人も竜も大嫌いなんだ――――でも、あいつが泣くのは、もっと嫌だ」
哀しそうに笑う男の姿があった。
彼を救える者は、この世界にはたった一人として居なかった。




