聖火2
その存在は、世界の敵として認識されていたものだった。
街を焼き、人竜問わずに虐殺を行った邪竜――――アルガゲヘナ。
彼女の咆哮は空を裂き、巨大な鋭爪は大地を割って見せた。
悲しみに憂いた表情をする女が背負う罪悪は、余りにも大き過ぎた。
「――――ごめんなさい」
彼女が同じ言葉を繰り返す。
誰に向けての謝罪であるか、理解するまでに幾分か時間を必要とした。
それは、かつての恩人へ向けた謝罪であった。
ルグドは眉根を寄せる。
「アル。何で君が、謝るんだよ」
親し気な言葉だった。
謝られる理由が分らない、と震える口に憶測が見え隠れする。
彼が思う最悪の予想を、どうか裏切って欲しいと、願っているように見えた。
だからこそ彼女が、目を合わせられずに下を向き、三度目の謝罪をする。
「ごめんなさい。貴方との約束は、守れませんでした」
「何でだよ……何でっ!」
ルグドは視線を変え、強い眼でクラムを睨んだ。
「君が居ながら、どうしてだよ!」
「これが人の世だ、とでも言えば満足か?」
勇者然とした態度が消えて、嘲笑の混じる表情が浮かび上がった。
言葉が続けられる。
「理由は幾らでもある。人の王が、打倒竜族を目指したんだよ。それくらいは誰でも考えが付くだろう。一度は虐げられたことのある竜に、恐怖しない人族は無い。それが、たまたま王であっただけだ。手元に邪竜が居れば、共食いを狙うのは悪くない作戦だ」
「君は、約束を――――」
「ああ、焼かれて地に落ちた竜の娘との約束だろう? ならばお前は、どうしてアルガゲヘナの隣に居てやらなかった」
「…………それは」
「愛する者がああなれば、理解くらいはしてやれる。だから俺も何も言わなかった。国から逃げ出したことも、見逃してやれた。しかし、お前はこの竜を見捨てた。そうだろう」
「見捨てた? 僕が?」
「その気があろうと無かろうと――――すべてが遅すぎた。俺は王国の剣で、この竜は邪竜として使われる、ということだ」
クラムが感情の無い眼をしていた。
彼が手を横に出すと、背後から袋を持った従者が近づき、手渡した。
ずしりと重い袋は、宙に投げ出され、地面に落ちて鈍い音をさせる。
袋の口から、ルグドの見知った顔が転がり出た。
リイナの両眼が限界まで見開かれる。
「親父ぃっ――――」
短く息を吐いたクラムが、腰の剣を抜いて白刃を晒す。
「総員、抜剣」
彼の言葉が響くと同時に、近くの荷馬車へ隠れていた兵士たちが躍り出る。
竜峰で暮らしていた人族までもが、武装して集結し始めた。
「お前は逃げ出していたから、知らなかっただろう。史上最大規模の反抗作戦だ。……願えば止められる立場に居たんだ。その犠牲は、覚悟しておけ」
剣を振りかぶった兵士たちが鬨の声を叫びながら、竜族へ襲い掛かる。
竜族たちも戸惑いつつ、応戦を始めた。
戦力差は明らかで、面白いように人間が吹き飛ばされていく。
数で勝りつつも、種族の差で超えられない壁は存在していた。
しかしそのうち、竜族達が異変に気付くまで、時間は必要なかった。
人を薙ぎ払っていた竜族の衛兵が、静かに倒れる。
その衛兵が起き上がることは二度となく、その場に血だまりを生んでいた。
ルグドは、原因に心当たりがあった。
「――――竜殺し」
竜の素材を使って作り上げられた魔導兵装。
それは禁忌の業とされ、特に竜族から目の敵にされていた。
竜族と友好を深めるために、途絶えたはずの技術だった。
クラムの持つ抜き身の刃が、怪しい色を見せる。
「人は安寧を求め、自分より強いものを恐れる生き物だ。そして、手に入れていない物さえも惜しめる欲深さを持つのだと、お前が一番よく知っていただろうに――――馬鹿な男だ」
勇者の殺意が、慄くリイナに向けられた。
危険が迫っているというのに、戦う素振りさえ見せられない。
何故なら、今から動いても遅すぎるから。
どのみち彼の剣の間合いに入っており、彼女が動いた時点で命が終わる。
既に勝負はついている。
故に、今この時間が与えられているのは――――ルグドに対してだった。
クラムとリイナの間に、彼が割って入る。
この結末を、知っていたかのようにクラムが言う。
「馬鹿で、愚かだな。望めば英雄にでも勇者にでも成れた男が。この様か」
「……無理だよ。僕には、無理だ」
リイナを見捨てて逃げ出せば、クラムは決してルグドを追わなかっただろう。
そして各地の竜族と彼が協力すれば、人族の反抗作戦に対抗できる一つの勢力となることは間違いなかった。
それほどまでにルグドと竜の組み合わせは手強く、クラムにして最大の難敵と思わせるに相応しい。
だからこその――――人質。
ここでリイナを殺さない代わりに、人族に逆らうな、という交換条件だ。
目前の竜族の娘と、竜族全体を天秤にかけて、娘を取った大馬鹿者。
決して英雄とは呼ばれない。
決して勇者とは名乗れない。
息を吐いたクラムが、落胆と憎しみが綯い交ぜになった顔をした。
「お前が、人族の世界と可哀そうな竜の娘を天秤にかけて、人族の世界を取った時とは真逆だな。あの時に、お前が今の選択をしておけばと思うと、悔恨でお前の首を捩じ切ってしまいそうだ」
それだけ言うと、ルグドの隣を通り過ぎた。
彼の剣が、リイナを除くすべての竜族を殺すために振るわれる。
「――――っ」
ルグドには――――彼を止めるための言葉は持ち合わせていなかった。




