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竜の呼声  作者: 比呂
風の止む場所
17/44

聖火



 ――――空を飛ぶということは、一体誰の夢だったのか。


 ルグドは遠くに想いを馳せながら、心の中で呟いた。

 眼下には、竜峰の街並みが広がっている。


 肌に吹き付ける風は冷たく、上層特有の空気の薄さが肺に染みた。


「ちょっと、ご機嫌斜めかな?」


 魔導機関の出力は安定しているにも関わらず、高速域では風鳴りが発生した。


 後から付け加えた部品のためだろう。

 試運転をしなければ確認できなかった問題だった。


 流石に、問題の残る天馬を譲渡するわけにはいかない。

 改善個所を確認しつつ、隣を飛ぶ竜族に手を振った。


「まだ飛べる?」

「そりゃあ私様はいいんだけどよぉ……何だか嫌な風が吹いてる気がするぜ」


 竜の姿をしたリイナが、目を細めて言う。

 その表情は、普段の好戦的な態度とは裏腹なものだった。


 彼とて、その予兆を無視することは出来ない。


「どんな感じ?」

「いや何つーか、ビビってると思われたら癪なんだが」

「ふぅん」


 彼は口を曲げた。

 その姿を見て馬鹿にされたと捉えたリイナが、口を開こうとした時だった。


「……待ってくれ。確かにおかしい」


 ルグドにも、戦闘の経験はある。

 竜族の鋭敏な感覚が無くとも、違和感に気付くことは出来た。


 空から見下ろした竜峰の一端――――そこへ、ここに居るべきではない存在の気配を感じた。

 背中へ氷柱を刺し込まれるような悪寒に、手先が痺れた。


「あいつ――――」


 竜峰の中央に位置する広場に、鮮血が舞った。


 軽鎧を着た旅人風の剣士が、いきなり凶刃を振るったのだ。

 竜峰を警邏していた『竜族』の衛兵は、斜めにずれ墜ちて赤い血だまりを生む。


 こうなれば、騒ぎどころの話ではない。


 此処は竜峰で――――竜族の住まう場所だ。

 怒りと憎しみに染まった竜族が、その顎を容赦なく『人間』へ向けるだろう。


 それは凶行の原因だけにとどまらない。

 すなわち、すべての人族が犠牲になるということだ。


「何やってるんだ!」


 天馬を地面に向け、加速しながら広場へ飛ぶ。

 その背後からリイナが飛びつき、天馬を抱え込んだ。


「それじゃ墜落しちまうってーの。まだ私様の方が早く着く」

「――――っ」


 苛立ちを叫び出しそうな顔をした後で、ルグドはそれを堪えた。

 流石の天馬でも、体感的に空を飛ぶ生き物より繊細な動きなど、不可能な芸当である。


 そのことを考えられるくらいには冷静になった彼の様子に、リイナが安堵した。


「……ったくよぉ。もうちっとは頭を使えよな」

「すまない。けど、あいつを目の前に冷静でいられる自信が無いよ」

「ああん? 知り合いか――――おい、まさか」


 彼女の口元が驚きに歪む。


 竜族をいとも簡単に切り捨てる人間。

 そんな者が大勢いるわけは無い。


 人族の中でも英雄と呼ばれるに相応しい、希少な存在だった。

 加えて『ルゴス』の知人であるというならば、その名前は絞り込まれる。


 すなわち――――勇者『クラム・レオニルド』。


 聖王国エストレアに所属する、単身にして最大最高戦力の男だった。

 リイナにしても、今はまだ挑戦すべきではない相手に名を連ねる筆頭候補である。


「あれって、どうにかなるもんなのかよ……」

「どうにもならないよ。あいつなら、僕たちの存在も認識してるし、あそこから斬り落とすことも出来るからね。逆に『それ』をしないってことは、僕が向かうことも予定のうちだと思う」

「はあ? じゃあ何で逃げねーんだ!」

「僕が行くのはあいつを止めるためじゃなくて、何も知らずに戦おうとするエンテル公の方だよ。決闘なんかさせちゃ駄目だ」


 竜峰で騒ぎがあれば、真っ先に駆け付けるのが武闘派のエンテル公だろう。


 確かに、歴戦の竜族が本気を出して複数でクラムに挑めば、勝ち目は生まれるかもしれない。

 ただ、単身の戦いであれば、それでもクラムに軍配が上がる。


「けど、どうして此処に?」


 思わず、ルグドの呟きが漏れる。


 竜峰の中心に突如として現れ、竜族を斬り捨てる人族の勇者。

 そんなもの、竜族への敵対行為でしかない。


 以前にエンテル公が宣言した通り、これは裏切りとなるだろう。

 人族と竜族の全面戦争が起これば、勇者一人で守り切れるものではない。


 彼の疑問が氷解を迎えることなく、リイナと共に広場へ降り立った。


「――――」


 血に濡れた剣を持ち、殺意を孕んだ竜族の衛兵らに囲まれた男が、その視線をルグドに向ける。


「来たか。相変わらず呆けた顔をしている」

「クラム! 君は何をやったか分かっているのか!」


 ルグドは叫んだ。

 その剣幕を涼し気な表情で眺め、静かに頷く。


「お前に言われるまでも無い。我々は宣戦布告するために、わざわざお前の居る場所まで出向いてやったのだからな」

「は――――あ?」


 彼の両目は驚愕に見開かれた。


 この男は――――宣戦布告と言った。

 聖王国エストレアが、竜王国ファルニドに対して、戦争を仕掛けるということだ。


 邪竜を討伐するために手を組んだ――――組むしかなかった国同士が、殺し合う。

 そうすれば、大勢の命が失われることになるだろう。


 誰も望んでいなかったはずだ。

 とりわけ、彼の心の中で微笑む竜は――――。


「じゃあ何のためにレグリアが犠牲になったか、わからないじゃないか!」


 彼の言葉は、無残に散った。

 共に戦った男が、一笑に付す。


「いや。あれは良くやってくれた。決して無駄ではない。だからこそ、俺がここに居るわけだ」


 石畳を叩く音がする。


 それが誰かの足音だと理解するまで、ほんの僅かな時間が必要だった。

 頭から外套に身を包んでいた存在が前に出る。


 歩くたびに、その外套がずれおち、真っ白な肌が露になった。

 艶やかな銀糸の長髪が舞い、頭部から突き出た角が目を引く。


 憂いを含む表情が、ルグドに向けられた。


「――――ごめんなさい」


 その言葉は、彼の意志を砕くのには充分すぎるほどだった。




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