竜と風5
工房の中には、埃臭さと潤滑油の匂いが充満していた。
来客の気配を察知した青年が、工房の奥から現れる。
「っらっしゃい。何かお探しで?」
布巾で手を拭きながら、革のエプロンを揺らしている。
独特の雰囲気に懐かしさを感じながら、ルグドは工房の中を見回した。
「ああ、長距離用の天馬を探してるんだけど……」
そう呟きつつも、工房の中に一人乗りの天馬は少なかった。
殆どが貨物か牽引仕様の商用天馬で、冒険に向いたものが見当たらない。
彼の目当てを察知したのか、青年が苦笑いを浮かべる。
「そうですねー。ウチに来る依頼は、大抵が商用天馬の修理ですから。ウチで買うと竜峰価格で割高でしょ? 故障しても、何とかして帰ってから買いなおした方が得だもん。まあ長距離ってだけなら、商用でも貨物装備を取っ払えば形にはなりますがね」
「やっぱり、そうなりますか」
ルグドも相槌を打つ。
商用天馬が悪いわけではない。
荷物を運ぶことに特化されているため、トルクが太く魔鉱石の燃費が良い。
ただし、乗り心地や最大速が犠牲になっていることは否めない。
アリルが乗っていた天馬は冒険用の高級天馬だったので、この工房の天馬とは性能も価格も釣り合うものではないだろう。
彼が難しい顔をしていると、青年が先回りして言う。
「ちなみに、この竜峰で工房出してるの、ウチだけなんすよ。馴染みの商会に頼んで、取り寄せ出来なくもないすけど、高いし、相当待ちますけどね」
「はあ。幾らぐらいですか」
「金貨五百枚が、最低でしょうねぇ。それでも、星が二回りするくらい待ってもらうことになりますが」
青年の顔が、無理を承知していると言わんばかりに乾いていた。
確かにその金額を払うなら、竜峰から降りれば半額以下で同じ天馬が買えてしまう。
加えて、待ち時間というのも、ルグドが竜峰から降りて天馬を買い付け、その天馬で再び竜峰に返ってくるだけの時間と変わらない。
どうするべきか、と視線を彷徨わせていたところ、工房の壁に天馬のフレームが飾られていた。
「あれは……」
「ああ、この工房の前の持ち主が飾ってたので、そのままにしてるんですよ。古いフレームですけど、面白い形でしょ」
でも実用性がねぇ、とは青年の言葉だ。
ルグドが見る限り、工房の趣味品として作られたものに間違いない。
完璧に速度特化を目的とした、実に先鋭的な形をしていた。
何せ、ブレーキが見つからない。
安定翼さえ取り付けることが出来ない。
軽量化と流線型を求めすぎて、最早、乗り物というよりも、飛び出して墜落するための道具に成り下がっていた。
ただ、その設計思想から考えると、これ以上ない成功品だ。
組み上げ方さえ間違えなければ、最高速はどの天馬よりも早くなるだろう。
そして皮肉なことに、乗員の安全など全く考えていないくせに、空力だけは考えられていた。
乗る人間すら荷物に過ぎないと言わんばかりの純粋さは、既に毒と言っても過言ではない。
「確かに、面白いとしか言いようが無いなぁ。これでも魔導機関が載るの?」
「ええ、壁に飾られる前の完成品を見たことがあるので、乗るはずですよ。まあ、走ってるところは見たことないですが」
青年が両手を上げた。
ブレーキの無い天馬が走り出したところで、そのまま無事に済むとは思えない。
ルグドは腕を組む。
「…………ふむ」
たった一つの目的のために製造され、一度も空を駆けることが無かった趣味の粋。
実用性皆無の一点突破型ガラクタ。
その佇まいは、哀愁を感じさせるほどであった。
「これ、幾らです?」
「フレームだけで、金貨六十枚になりますかねぇ。でも、安全上に問題があるんで、ウチでも組み上げは出来ませんよ? そんなの販売したら、店の許可証を取り上げられますから」
「あー、はい、わかってます」
純粋過ぎる毒に充てられたルグドは、いつしか、その天馬から目を離せないでいるのだった。




