竜と風
気位の高い竜族達は、見晴らしの良い山岳地帯に居を構えることが多い。
それは『竜通空帯』を監視するためにも都合が良く、尚且つ、戦闘になれば高度を稼げるからである。
そして、竜族が住み着いた山は竜峰と呼ばれ、恐れ崇められていた。
エンテル公が収める領地もその一つであり、ガーレンティア竜峰と呼ばれている。
その山脈の頂上にある巨大な邸宅に、ルグドは連れてこられていた。
金で装飾された客間は輝きに溢れ、柱に埋め込まれた水晶が光を彩る。
腰が全て埋まってしまうソファに座りながら、彼は横を向いた。
「帰りたい……」
心の底から漏れた呟きが、空虚に木霊する。
ソファからテーブルを挟んで向かい側――――下座に位置するエンテル公が口を開いた。
彼の頭に巻かれている包帯が痛々しい。
「ルゴス殿。せめて、もてなしを受けてからにしては貰えませぬか。下の者に示しがつきませぬ」
「いや、もう別人ということにして欲しいんだけどね」
「私はそれでも構いませぬが、部下どもに止められましてな」
エンテル公が向けた視線の先には、角を生やした人間の恰好で膝をつく竜族たちがいた。
「はあ……」
ルグドが溜息を吐くと、膝をついていた竜族の女が顔を上げた。
「ルゴス様、ご容赦ください。それでもお気に召されないのであれば、この私の首を捧げて――――」
「止めて。絶対止めて」
彼は苦い顔で首を横に振る。
一事が万事、大げさに対応される身にもなって欲しい、と視線で訴えかけた。
誇り高い竜族は、その謝意の表し方も極端だった。
じゃあやってみろ、とでも言おうものなら、即座に生首が床へ転がることになる。
それも、一つではないだろう。
人間からすれば冗談でも、竜族が本気にすれば、結果は大惨事だ。
迂闊なことも言えない状況に、冷や汗すら流れる。
それもこれも、ルグドの正体が判明してしまったからだ。
無名の人間に敗れたのであれば、エンテル公も領主の資格が無いと言われて当然の結果だ。
世が世であれば爵位を剥奪され、恥をさらしたと石を投げられ追われる立場となろう。
しかし、竜族の間でも名高い人間であれば、結果は変わる。
首を差し出そうとした配下の身を案ずるように、身を乗り出したエンテル公が言う。
「それにしても、邪竜討伐の英雄殿にお会い出来るとは光栄だ。流石はジギウス王から直々に名誉大公爵の許しを得られた御方であるな。是非にとも武勇をお聞かせ願いたい」
「……わかってるから、もういいだろう? 僕からの要望は無い」
ルグドは頭を下げた。
大公爵と言えば、王族分家が名乗る爵位であり、名誉だけとは言え王に次ぐ階級だ。
公爵が逆らえる相手ではない。
ただ、名誉大公爵も、誇り高い竜族に跨ることを彼に許すために作られた臨時の役職であり、正当な権利として他領へ命令を下すには難しいところがある。
彼としても事を荒立てることは望まず、早くエンテル公の領地から抜け出したいだけなのだ。
この二人のやりとりは、ルグドの正体を隠すことを条件に、知らないとはいえ英雄を処刑しようとしたエンテル公の罪も無かったことにするということであった。
手打ちが成ったことで、公爵配下たちの息が漏れる。
エンテル公が口元を緩めた。
「では貴殿の仰る通り、名を改めさせて頂く――――以降は友として扱わせてもらう、ルグド」
「それがいいと思います、お互いに」
「では酒を飲もう。友と再会したのであれば、祝わぬ道理はない」
「結局そうなるか……」
「まあそう言うな。そなたと一緒にいたあの不良娘など、先に食い散らかしておるぞ」
「あの子、僕とは関係無いですから」
無表情で手を横に振るルグドだった。
途端、客間の外から大きな足音が響き渡り、豪奢な扉が角の生えた執事によって開かれた。
鶏の丸焼きを片手に持ったリイナが、勢いよく飛び込んでくる。
「うらー、何だか私様の悪口を言ってなかったか!」
「そうであるか? 英雄の手助け無くば、逃げることしか出来なかった若竜のことしか言っておらんが」
エンテル公が口髭を揺らした。
明らかな挑発だったが、珍しくリイナが喧嘩腰では無かった。
代わりに、手元の丸焼きを一齧りしてから言う。
「あああそーかよ。だけどな、言ったろ。『喧嘩』だって。勝てばいーんだよ。別に」
「確かに道理ではあるが、好きになれんな」
「負けた分際で、何を偉そうに語ってやがる」
「そなたに負けた覚えは無いが? その気であれば、今からでも再戦に応じてやろう」
「はん、いいぜ! なあ、ルゴズ!」
「嫌です」
いきなり話を振られた彼は、真顔でそう言った。
リイナが鶏肉の欠片を口から飛ばして叫ぶ。
「はぁぁぁぁ? 何でだ!」
「僕とエンテル公は友達だからね。戦いたくないんだ」
「友達だと! なら私とは友達以上だろーが!」
堂々と胸を叩くリイナの姿に、周囲から疑惑の声が持ち上がる。
主には、あの娘とよく付き合えたな、だとか、流石は英雄色を好む、だったり、ゲテモノ食い、という言葉だった。
彼は聞こえないふりをしつつ、横を向く。
「……そんな関係になった覚えはないけど」
「股を叩いた仲だろうが!」
彼女の真剣さと言葉選びが、見事に周囲の誤解を生んでしまう。
これにはルグドも慌てた。
「誤解されること言うな!」
「いーや、叩いたね。あれは激しかったなー。びっくりして雌の顔になっちまったぜ」
リイナが喋ると、疑惑の声が確信に変わっていた。
あれが嫁か、であったり、俺なら要らん、などと好き勝手に呟いている。
そんなことも知らずに、彼女が自信満々の笑みを浮かべた。
「だって、マブだもんなぁ」
「頼むから黙ってくれ……。後で聞いてやるから」
「あん? 話? あ、そーそー。私様、『ルグド』に話があったんだわ」
彼女が飛び上がり、彼の座るソファへ尻から落ちた。
ぽよん、と跳ねながら丸焼きを齧り、上目遣いで言う。
「なあ――――レグリアの遺骸が見つかったってさ」
その言葉が紡がれ、彼の頭で意味が理解できた瞬間に、リイナの胸倉が掴まれていた。
青ざめた表情とは裏腹に、どこか他人の声を聴くように言う。
「どうして、そんな、見つかるだと?」
「……痛ぇーよ」
リイナが遠くを見て言う。
だが、決して力づくでルグドを振り払うことだけはしなかった。
その彼女の表情は、どこか優し気だった。




