天馬の嘶き10
星が散らばる夜空の中、大きな翼を広げた竜が怒りを露にした。
牙を剥き出しにして、眦が吊り上がっている。
「小娘――――竜族の誇りを忘れたか」
言葉の中には、煮えたぎるほどの怒りが込められていた。
しかし、下から見上げるリイナの表情に不安はない。
「誇り? 大軍を引き連れて来たお前が言ってんじゃねーよ。寂しがり屋さんか? 私様とタイマンしたけりゃ、一匹で来るんだったなぁ」
くけけ、と呷りながら笑う。
彼女の背に乗るルグドは、溜息を吐いた。
「はぁ、余計なこと言うなよ」
「小娘が調子づいたのは、貴様の所為か」
エンテル公の縦に割れた瞳が、矮小な人間に向けられる。
通常であれば、怯え喚き散らし、命乞いを始めるのが当然であった。
絶対なる力の差を前にして、恐怖を感じない者は稀なのだ。
その稀有な例が、竜の背に跨って、虚ろな目で見返す。
ルグドは、処刑を言い渡された時でさえ、同じ態度だった。
「似ておるな。その目は、戦場で何もかも失った者の目だ。……気に入らぬ。生を諦めた者が、何をこの世にしがみつく? 誇りを忘れた竜族にも、決闘をしてやる価値も無い。そなたら、冥府に落ちるがよい」
エンテル公が、夜空に吠えた。
竜の羽ばたきが聞こえてくる。
周囲で待機していた領主軍が動き出したのだ。
旋回していた竜が集結して編隊を組み、雁行隊形でリイナを標的に向かってくる。
その彼女の背で、ルグドは目を細めた。
何の感情も見えなかった虚ろな目に、仄暗いものが宿る。
「――――誰が『この世』を残したと思ってるんだよ」
それは、とても小さな呟きだった。
ともすれば、殺意と同じもので出来ていた。
居心地が悪そうに、彼女が言う。
「おーい、やる気になったのはいいんだけど、動いて良いかー?」
「いいよ。右に飛んでくれると助かる」
「はいよー」
浮かんでいたリイナが、前面へ飛び込む。
下降して速度を稼ぎ、森の上を舐めるように飛んだ。
上空から追いかけてくる領主軍の竜族が、二手に分かれる。
一集団がそのままリイナを追いかけ、もう一方がそれぞれに竜撃光を吐き出した。
流石に威力がエンテル公に及ぶことは無いが、翼に当たれば貫かれるだけの怪我を負うだろう。
すぐに飛べなくなることは無いが、追いつめられるのは必至だ。
「よく訓練されてるね。統率が良い」
やる気のない顔に戻ったルグドは、竜の背中にある鱗を、何か所も指で突いた。
途端、リイナが回避行動を始める。
空から降り注ぐ光の雨を、予定調和の如く避けていった。
まるで、初めから射撃方向を知っている動きである。
そして、訓練飛行でも無いだろう緊張感の無さだ。
「かはははっ、いいねぇ。やっぱり、ルゴスちゃんと私様が組めば、天下とれるわ!」
得意気に笑う彼女だが、領主軍の別動隊に背後を取られる。
上空からの攻撃は、牽制と足止め。
リイナより高い場所から降りて来た別動隊は、速度も更に稼いでいる。
追い付かれるのは時間の問題だった。
加えて、竜撃光が水平射された。
彼女に反撃する術はない。
ルグドは鍵盤でも演奏するように、竜鱗を指で叩く。
「いや、マジでルゴスちゃん、便利だなー」
「だから、名前覚えてくれよ」
背後から迫る光線に、リイナが翼の角度を使って減速しながら回避行動を取る。
追いかける領主軍にとっては、絶好の機会が訪れた。
速度を落とし、必殺の間合いに入った獲物を逃す手はない。
狙いを定め、次なる竜撃光を放とうとして――――。
「あははははは」
翼を広げ、急制動をかけたリイナが、追い縋る領主軍の中へ飛び込んできた。
どうかしなくても、自爆覚悟の危険な賭けだった。
衝突を予測して、目を閉じた領主軍の竜族もいた。
その中で――――ただの半回転しただけの彼女が、領主軍の集団から抜け出てくる。
先ほどとは逆に、彼女が背後を取った形となった。
「じゃあーなー」
気の抜けた言葉と共に、リイナの竜撃光が横薙ぎされた。
回避も間に合わず、翼を焼かれて墜落する竜族たちがあった。
竜の呻きが木霊する。
それに怒りを覚えたのが、領主軍の足止めを担っていた部隊だ。
速度を限りなく落としたリイナに向けて、頂上降下とも見える追撃を始める。
「はあん? 懲りねー奴らだなぁ」
「こっちに寄ってくれ」
ルグドが再び、彼女の鱗を突く。
言われるがままに、リイナも移動した。
空から加速度的に迫る竜たちが、それぞれの牙の間から光を漏らす。
既に避けきれる余裕などない。
その時――――横合いからの突風が吹いた。
山肌からの吹き降ろしによる豪風だった。
翼を広げていた彼女が、風に乗って体勢を入れ替え、加速する。
急に目標を見失った領主軍が、一斉に散開した。
何匹かは速度を殺しきれず、森の木々に捕まえられている。
方々の体で墜落を免れた者どもは、速度に乗ったリイナの餌食となった。
残るは――――カイラス・ゼス・エンテルのみとなる。
「貴様のその風読み、もしや――――いや、無粋か。牙を剥いたのは私が先であった。部下を落とされて尚、引くわけにもいかん」
巨躯の竜が、油断も威圧も無く、ただ闘争のために翼を広げた。
竜族は誇りを賭けて決闘を行う。
名誉は尊く、ときに命よりも重く扱われる。
強いということは――――すなわち、支配者たるを示す何よりの証だ。
存在証明と言ってよかった。
「ゆくぞ!」
強い決意と共に、エンテル公が飛ぶ。
それを見たリイナが、呆れた顔で言う。
「そういうのが時代遅れっつーかなぁ。私様は最初っから『喧嘩』だ、て言ってんだけどなぁ」
「で、どうする?」
ルグドのやる気のない呟きに、彼女が頬を吊って笑った。
「もちろん、勝つ。喧嘩だからな」
二頭の竜が、空中で交錯した。
咆哮が夜空へ響き渡り、光の筋が闇を貫く。
星の瞬きが薄れゆく頃に、『喧嘩』の決着がついたのだった。




