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竜の呼声  作者: 比呂
風の止む場所
10/44

天馬の嘶き10


 星が散らばる夜空の中、大きな翼を広げた竜が怒りを露にした。

 牙を剥き出しにして、眦が吊り上がっている。


「小娘――――竜族の誇りを忘れたか」


 言葉の中には、煮えたぎるほどの怒りが込められていた。

 しかし、下から見上げるリイナの表情に不安はない。


「誇り? 大軍を引き連れて来たお前が言ってんじゃねーよ。寂しがり屋さんか? 私様とタイマンしたけりゃ、一匹で来るんだったなぁ」


 くけけ、と呷りながら笑う。

 彼女の背に乗るルグドは、溜息を吐いた。


「はぁ、余計なこと言うなよ」

「小娘が調子づいたのは、貴様の所為か」


 エンテル公の縦に割れた瞳が、矮小な人間に向けられる。


 通常であれば、怯え喚き散らし、命乞いを始めるのが当然であった。

 絶対なる力の差を前にして、恐怖を感じない者は稀なのだ。


 その稀有な例が、竜の背に跨って、虚ろな目で見返す。

 ルグドは、処刑を言い渡された時でさえ、同じ態度だった。


「似ておるな。その目は、戦場で何もかも失った者の目だ。……気に入らぬ。生を諦めた者が、何をこの世にしがみつく? 誇りを忘れた竜族にも、決闘をしてやる価値も無い。そなたら、冥府に落ちるがよい」


 エンテル公が、夜空に吠えた。


 竜の羽ばたきが聞こえてくる。

 周囲で待機していた領主軍が動き出したのだ。


 旋回していた竜が集結して編隊を組み、雁行隊形でリイナを標的に向かってくる。

 その彼女の背で、ルグドは目を細めた。


 何の感情も見えなかった虚ろな目に、仄暗いものが宿る。


「――――誰が『この世』を残したと思ってるんだよ」


 それは、とても小さな呟きだった。

 ともすれば、殺意と同じもので出来ていた。


 居心地が悪そうに、彼女が言う。


「おーい、やる気になったのはいいんだけど、動いて良いかー?」

「いいよ。右に飛んでくれると助かる」

「はいよー」


 浮かんでいたリイナが、前面へ飛び込む。

 下降して速度を稼ぎ、森の上を舐めるように飛んだ。


 上空から追いかけてくる領主軍の竜族が、二手に分かれる。

 一集団がそのままリイナを追いかけ、もう一方がそれぞれに竜撃光を吐き出した。


 流石に威力がエンテル公に及ぶことは無いが、翼に当たれば貫かれるだけの怪我を負うだろう。

 すぐに飛べなくなることは無いが、追いつめられるのは必至だ。


「よく訓練されてるね。統率が良い」


 やる気のない顔に戻ったルグドは、竜の背中にある鱗を、何か所も指で突いた。

 途端、リイナが回避行動を始める。


 空から降り注ぐ光の雨を、予定調和の如く避けていった。

 まるで、初めから射撃方向を知っている動きである。


 そして、訓練飛行でも無いだろう緊張感の無さだ。


「かはははっ、いいねぇ。やっぱり、ルゴスちゃんと私様が組めば、天下とれるわ!」


 得意気に笑う彼女だが、領主軍の別動隊に背後を取られる。

 上空からの攻撃は、牽制と足止め。


 リイナより高い場所から降りて来た別動隊は、速度も更に稼いでいる。

 追い付かれるのは時間の問題だった。


 加えて、竜撃光が水平射された。

 彼女に反撃する術はない。


 ルグドは鍵盤でも演奏するように、竜鱗を指で叩く。


「いや、マジでルゴスちゃん、便利だなー」

「だから、名前覚えてくれよ」


 背後から迫る光線に、リイナが翼の角度を使って減速しながら回避行動を取る。

 追いかける領主軍にとっては、絶好の機会が訪れた。


 速度を落とし、必殺の間合いに入った獲物を逃す手はない。

 狙いを定め、次なる竜撃光を放とうとして――――。


「あははははは」


 翼を広げ、急制動をかけたリイナが、追い縋る領主軍の中へ飛び込んできた。


 どうかしなくても、自爆覚悟の危険な賭けだった。

 衝突を予測して、目を閉じた領主軍の竜族もいた。


 その中で――――ただの半回転しただけの彼女が、領主軍の集団から抜け出てくる。


 先ほどとは逆に、彼女が背後を取った形となった。


「じゃあーなー」


 気の抜けた言葉と共に、リイナの竜撃光が横薙ぎされた。

 回避も間に合わず、翼を焼かれて墜落する竜族たちがあった。


 竜の呻きが木霊する。


 それに怒りを覚えたのが、領主軍の足止めを担っていた部隊だ。

 速度を限りなく落としたリイナに向けて、頂上降下とも見える追撃を始める。


「はあん? 懲りねー奴らだなぁ」

「こっちに寄ってくれ」


 ルグドが再び、彼女の鱗を突く。

 言われるがままに、リイナも移動した。


 空から加速度的に迫る竜たちが、それぞれの牙の間から光を漏らす。

 既に避けきれる余裕などない。


 その時――――横合いからの突風が吹いた。


 山肌からの吹き降ろしによる豪風だった。

 翼を広げていた彼女が、風に乗って体勢を入れ替え、加速する。


 急に目標を見失った領主軍が、一斉に散開した。

 何匹かは速度を殺しきれず、森の木々に捕まえられている。


 方々の体で墜落を免れた者どもは、速度に乗ったリイナの餌食となった。


 残るは――――カイラス・ゼス・エンテルのみとなる。


「貴様のその風読み、もしや――――いや、無粋か。牙を剥いたのは私が先であった。部下を落とされて尚、引くわけにもいかん」


 巨躯の竜が、油断も威圧も無く、ただ闘争のために翼を広げた。


 竜族は誇りを賭けて決闘を行う。

 名誉は尊く、ときに命よりも重く扱われる。


 強いということは――――すなわち、支配者たるを示す何よりの証だ。


 存在証明と言ってよかった。


「ゆくぞ!」


 強い決意と共に、エンテル公が飛ぶ。

 それを見たリイナが、呆れた顔で言う。


「そういうのが時代遅れっつーかなぁ。私様は最初っから『喧嘩』だ、て言ってんだけどなぁ」

「で、どうする?」


 ルグドのやる気のない呟きに、彼女が頬を吊って笑った。


「もちろん、勝つ。喧嘩だからな」


 二頭の竜が、空中で交錯した。

 咆哮が夜空へ響き渡り、光の筋が闇を貫く。


 星の瞬きが薄れゆく頃に、『喧嘩』の決着がついたのだった。





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