猫がはがれ落ちた
それは彼もよく理解しているようで、頷いてからそんな暇なかったからね、と微笑む。
(なんて優しく笑う人だろう)
つられてシャナも笑うけれど、ライアンの隣からひしひしと鋭い視線を感じて、その笑みはだんだんと引きつっていった。
見るのは嫌だが、これだけ視線をよこしているのだから気づかないふりもできない。恐る恐る、シャナは視線の主にむいた。
(ひっ・・!)
悪魔がいた。
どうしてそんなにも、睨みつけてくるのか。
(・・わたし何もしてないのに・・なんでこんなに目の敵にされてるの)
そもそもディオンという男は、シャナ以外には本当に友好的な優しい男だった。いや、シャナには冷たいかと言えばそういうことでもないが、いやそういうことかもしれないが。
基本的にエルーシャと共にいたから、嫌味止まりだったのだろう。
今は本当にそう思う。この視線は、どう考えても嫌われている。
もともとシャナはこの男のことは苦手だったが、さらに苦手になりそうだった。
「珍しいね」
感心するようにライアンは、その綺麗な指を自分の顎に添えた。
何が珍しいのか。訝しげに思いながらも、彼の次の言葉をまつ。
「ディオンが素を見せるなんてな」
「素?」
「ああ。猫を被らないなんて」
「猫?」
「・・うるさい」
「本当に、他の人には優しい紳士を振りまく君が。そういえばあの喋り方、私の真似していたらしいね」
面白い。なんとも楽しそうにライアンは海色の瞳を細めた。
(どういうこと?)
ちんぷんかんぷんな話を目の前に、ディオンの顔は嫌そうに顔を歪める。
「・・エルーシャに聞いたのか」
「ああ、そうだ。急に、ディオンが私の真似をし出したと泣きついてきたことがあったからね。それはそれはもう、気持ち悪いと、切実に語っていたな」
「・・・・、」
驚愕に見開かれる琥珀色の瞳と、引きつる頬が今のディオンの心境を語っていた。
そしてシャナはやっと納得した。
確かに今のどこかぶっきらぼうで砕けた喋り方は、普段の彼の紳士な喋り方に比べて、素なのだろう。しかもその紳士な喋り方をライアンの真似をして、陰でエルーシャに気持ち悪いと言われた彼を、少なからず不憫に思う。
(なるほど・・やっぱりこの人そのままの人だったんだわ)
敬語もなく、ぶっきらぼう、自分の主人を呼び捨てにする。そもそも兄弟のように育った彼らだ。今までがおかしかったのだろう。
「でも何故、他人なわたしにそんな素なんて見せているんですか?」
心からの疑問を口にしたシャナを、一度嫌そうな顔をしてジロリとディオンは睨む。
(・・っ聞いちゃ駄目なの?!)
一歩逃げ腰になっているシャナを助けたのは、ライアンだ。
「そうだね。それは私も気になる」
「・・・・」
「それともそんなに言えないことなのかい?」
「・・・・」
「まさか、この子を好きになったとかではないだろう?」
「っんなわけあるか!!」
それまで黙るだけだった彼は、間髪入れずに突っ込みを入れた。シャナも思わず否定しようと出かけた声は、その素早い突っ込みに消えていく。
(・・なんでかな・・ちょっと傷つくよ)
苦手な相手に何されても構わないけど、この時ばかりは頬が引きつる。そこまで嫌われているというのを再認識させられたからかもしれない。
「じゃあ、なんでなんだい」
再度ライアンは追求する。後ろで結った黒髪を乱れるのも構わずがしがしかくと、ディオンは一度大きくため息をつくいて思わぬ行動に出た。
腰に吊るしていた短い方の短剣を、サッと抜くとそのまま矢のようにして投げてきたのだ。
その目にも留まらぬ俊敏な動きを見ながら、左利きなんだななんて、どうでも良いことが頭を駆け巡る。
ライアンだって驚いて、シャナの方に一歩踏み出そうとしているところから見るに、助けようとしたことだろう。
けれどと、シャナは目の前に飛んでくる銀色を眺めながら思った。
ーー当たる。
ーーこれでやっと終われるかもしれない。
ーー何を?
どこか鈍い思考が、感覚を聴覚を奪っていた。
それはすべて一瞬のことで、次にまぶたを開いた時、あるはずの痛みはどこにもない。
「こういうことだ」
「・・・なるほど」
鋭い声に、どういうことだとシャナは首を傾げた。
ライアンはそれまで驚愕に見開かれていた瞳を一度閉じ、踏み出していた足を元に戻した。
「こんなことをやってのける奴を警戒するなという方がおかしい」
更に鋭くなった視線でディオンは、シャナを射抜く。
「・・どういうことですか?」
それまで黙っていたシャナが疑問を口にしたことで、ライアンはふたたび驚いたような顔をした。