侍女見習い
習った通りに紅茶をティーカップに注ぎ、少々びくびくしながらシャナは目の前に座る女性に差し出した。
今回はお昼ということと彼女があまり甘いものを好きではないので、香りの強いダージリンにした。
彼女の名前は、サラミラ・イーラン、侍女筆頭である。
詰襟の水色の広がりの少ないストンとしたドレスは足首までで、けれど袖や裾に至るまでに美しい百合の刺繍が施され、白のレースがふんだんに使われていた。
これはこのアルフォンス家に使える侍女の制服に当たるらしい。
サラミラがカップに口をつけたのを確認しながら、シャナはまだかまだかと感想を待った。
しばらく待つと、その赤茶色の伏せていたまつげをかっとひらいた。
(ひっ!)
思わず出そうになった悲鳴を喉の奥で必死に止めた。
「ーーまず、ダージリンを選んだところは褒めましょう。そして砂糖もつけずストレートで出したところも良いでしょう。私の好みをよく分かっています」
まずまずの答えに、シャナは心の中でホッと息を吐き出した。
だが、サラミラがけれどと付け足してシャナは頬を引きつらせた。
「貴女、ポットを温め忘れましたね!」
彼女にそう怒られて、シャナはうんともすんとも言わなかったが、その顔を見れば一目瞭然だ。
「いつも言っているでしょう?!お茶を入れるにあたって1つでも過程がぬければそれだけでその茶葉の本来の味を殺してしまうと!」
「は、はいぃぃぃ!」
これはここ最近でいつものやりとりである。今回はそれなりに手応えがあったのだが、さすがサラミラだ。その小さなことを見逃さない。
周りで他の仕事をしている女中たちはいつものことなので、気にすることもなく自分たちの与えられた仕事をこなしていた。
「こんなことではいつまでたっても侍女見習いのままですよ!!」
「す、すみませぇぇん!!」
鬼のごとく怒鳴られればシャナはもうひたすら謝ることしかできない。
しばらくひたすらサラミラに怒られていたが、それも乱入者によって終わりを告げる。
「サラったら、本当に容赦がないわ」
鈴のように軽やかな声で笑いながら現れたのは、美しい美貌を持つ、エルーシャ=ディア・アルフォンス公爵令嬢だ。
現金なことだが、シャナは彼女の登場にホッと息を吐き出した。
「あまり虐めないであげて」
「そういうわけには参りません。そもそもエルーシャ様はお優しすぎなのですよ!」
「まあまあ、サラ。まだシャナが来て3ヶ月でしょう。しかも最初の1ヶ月は絶対安静だったのよ」
「それでも侍女見習いになった以上、彼女を一人前にさせるのが私の役目です!」
そもそもなぜシャナが侍女見習いになったかという話だ。
まずシャナは1ヶ月安静にしなくてはならなかった。半月ほど経てば歩けるほどに回復していたが、アルフォンス家の担当医であるグエンザが、歩くことを許さず後の半月はほとんど車椅子生活だった。
その際お世話してくれたのは、エルーシャ付きの侍女であるサラミラたちだ。
そうしてグエンザから歩くのを許されたのは、アルフォンス家にお世話になり始めてから1ヶ月後。
いつまでお世話になるわけもいかないからと、シャナは出て行こうと思っていた。
ある日それを決行に移すことを決意したシャナを止めたのは、その頃はまさかという相手のサラミラだ。
彼女は最初からあまりシャナにいい顔はしていなかった。けれど、エルーシャの指示であるし怪我人であるシャナを、我慢してお世話してくれていたのだが、怪我が治ってからはその鳶色(赤みを帯びた茶色)の瞳を冷ややかに細めて、睨みつけて来ていたぐらいだ。
早々に出て言って欲しいのだろうと思っていた。
それなのに、
「貴女、いつまでエルーシャ様のお世話になっているつもり?!そもそもなんですその食事の仕方は!まったく何の素養もないなんて、アルフォンス家にいるんでしたらエルーシャのお役に立ちなさい!!私が全て叩き込んであげます!!」
それはエルーシャと2人で昼食をとっている時だった。最初何を言われたのかわからなかったシャナは、開いた口が塞がらず、ポカーンと馬鹿面を下げていたことだろう。
もちろん一緒に昼食をとっていたエルーシャも驚いたように止まっていた。けれど次の瞬間には線を切ったように笑い出して、
「サラ、貴女素直じゃないわね」
全て分かっているように呟いたエルーシャに、頬を赤く染めたサラミラに、わけのわからないシャナはとりあえず途中で止まっていたスプーンを口に運んだ。
そうしてシャナは晴れて侍女見習いになることになったのだ。
「わかっているわ。でもとりあえずは今日はこれでおしまいにして頂戴。街に出かけたいから、シャナを連れて行くわ」
「ですがーー・・」
「サラ。お前も少しは休みなさい。最近働きづめでしょう。シャナを一人前にしたいのはわかるけれど、休みまで返上しろとは誰も言ってないわ」
「ーー・・わかりました」
主人の命令に渋々サラミラは頷いた。
(そうか・・サラミラ様は休みまで返上してわたしを教えてくれていたのね)
理解した瞬間、申し訳なくなる。そういえば時間があればシャナの礼儀作法を教えてくれていた。彼女は侍女筆頭なのだから、たくさん仕事があるはずなのに。
「こら!」
シャナが考え混んでいると、ぺちんとおでこを弾かれた。驚いてエルーシャを見上げる。
「お前はすぐそうやって1人で考え込むわ!サラは好きでやっているのだから、気にする必要はないわよ」
まったくというように美貌の主人は苦笑する。
「そうですよ。貴女が気にする必要はこれっぽっちもありません」
冷たいようで優しい彼女はそう言うと、「ではこれで失礼いたします」綺麗なお辞儀をして退出して行った。
「それじゃあわたしたちも行くわよ。その前にシャナは着がえが必要ね。ディオンを馬小屋で待たせてあるの」
お茶目にウィンクするエルーシャを見て、やっとその服装に至極納得した。