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僕と彼女の恋のジャンケン

作者: 甲田ソーダ

満天の青に覆われた学校の屋上。


バクバクと、今にも破裂しそうな胸を力の限り押さえつけた。


ガクガクと、子鹿のように震える足で立つ。


しばらくの口の開閉のあと。


僕は告げた。




「僕と! 付き合ってください!」



――一生に一度の勇気を振り絞って。




◇◆◇




美島有紀みしまゆき


彼女を四文字で言い表すとすれば……そう。


完璧超人。


この一言に尽きるだろう。


男女問わず、誰もが見とれてしまう、モデル顔負けの容姿を持ちながら、それを飾ることはなく、誰にも分け隔たりなく接してくれる。


かと思えば、テストで一位を独占したり、運動部でもないのに運動ができるとまで来る。


容姿端麗、品行方正、文武両道。


これを完璧と言わずして、何を完璧と言えばいいのだろう。


それに対して。


僕という人間を四文字で言うなれば。


完璧平凡。


という言葉がお似合いだろう。


とりわけ見た目がいいわけでもなければ、頭がいいわけでも、運動が得意なわけでもない。


人と変わったものなんて一つもない。


『佐藤』という町を歩けばものの数分もかからず見つけられるであろう名字と『栄太』というこれまたいかにも平凡といった名前。


なんの取り柄もないそんな僕がこうして、何を思ってか、雲の上の存在である美島さんに告白するとは誰が思うのだろう。


理由だって大それたものではない。


刺激が欲しかった。ただそれだけだ。


この平凡極まりないこの人生に。この先も決して変化することはないであろう僕の人生に。


若気の至りでも、黒歴史でも、ちょっとした出来心でも、何でもいい。


たった一度だけでも変化のない人生に色を一瞬だけでもつけたいと思った。


そういう刺激が欲しかった。


自分の存在する意味を世界に訴えたかった。


僕はここにいるのだと、宣言したかった。


勘違いしないでほしいのは、この告白がまったくの遊びではないことだ。


何度でも言うが、僕には人に誇れるものがない。


それでも何かないかと考えたとき、僕の中にあったのは、想い人がいる。


ただそれしかなかった。


例えこの行為が卑劣なものだと言われようと、僕にはこれしかなくて、これが僕の全力であることだけは理解してほしい。


この告白は、理由はどうであれ、嘘偽りなく僕の全てなのだ。


でも、答えなんて聞くまでもなくわかっている。


当たり前だ。そんなこと。


僕の彼女の差はあまりにも開きすぎている。


片や学校外にも知れ渡っている有名人、片や学校内でもいるかどうかもわからない幽霊のような存在。


彼女と僕ではあまりに不釣り合いで、あまりに無謀なことだとわかっている。


しかし「わかっている」と「期待しない」はイコールにはならないのだ。


「予想外の結果」を考えてしまうと、どうしても僕の心臓は高鳴りを潜めることはできなかった。


「……佐藤くん」

「は、はい!」


僕の裏返る声とは反対に、美島さんの声はやけに落ち着いた様子だった。


「本気で言ってるのかしら?」

「っ……」


何かのドッキリ、もしくはいたずらだと思われている。


そう思われても仕方ないとは思っていた。


けれど、実際にそう思われているとわかってしまうのは思った以上に心が傷ついてしまう。


やっぱり僕程度の人の本気は伝わってくれないのだろうか?


「ほ、本気です!」


違う。そんなわけがない。


美島さんはそんな人じゃない。


僕はそんな美島さんに想いを抱いたのではない!


「ずっと、ずっと美島さんのことが好きでした! 僕と! 付き合ってください!」


フラれるならフラれてもかまわない。


けれど、なかったことにだけはされたくない。


今、この場所、この瞬間だけは。


僕は、僕でも、僕が。


主人公なのだから。


「っ」


今にも何かを吐きそうな、そんな気分だ。


心臓よりももっと辛い何かを。


吐いたら絶対にフラれるぞ。


そう自分に言い聞かせ、グッと口を手で隠すふりをして押さえる。


告白する前よりも顔が熱い。頭から湯気が立ってもおかしくないほどに。


「……………………」

「……………………」


長い沈黙が続いた。


やっぱりダメだろうか?


そう思った矢先だった。


「……そうね」

「っ……!?」


肯定とも受け取れる彼女の言葉を聞いたその瞬間、本当に心臓が口から飛び出るのかと思った。


あぁ、やばい。自分の体温でフラフラしてきた。


ズレた焦点を美島さんに合わせると、彼女は優しげな表情で僕を見つめていた。


これは……やっぱり!



()()()()()()()()()()()?」



「………………………………え?」


一瞬、何を言われたか理解できなかった。耳を疑った。


何を今、美島さんは言った?


「ジャ、ジャンケン?」

「そう、ジャンケン」


反応に困る僕に、美島さんはもう一度繰り返して言ってくれた。


そして、それでは早速とばかりに握り拳を作ろうとしている。


「ちょ、ちょっと待ってください!?」

「どうしたのかしら?」


不覚にもきょとんと首を傾げた美島さんに見とれてしまったが、今はそれどころじゃない。


首を傾げたいのは僕だっていうのに……。


「……ジャンケン?」

「ジャンケンよ?」


何度尋ねても帰ってくる言葉は一緒。


……うん、落ち着け。何かおかしな状況なのは間違いなさそうだぞ?


僕は額に手を当てて、これまで経緯を事細かに振り返った。


きっと何か、僕達の間ですれ違いというものが起きてはいないだろうか。


あるはずだ。じゃなかったらこんなことにはならない。


しかし、考えれば考えるほどジャンケンという結末にはたどり着かない。


これは……どうしたらいいんだろう?


「あ、あのぉ?」

「何かしら?」


結局、答えが出なかった僕は最終手段である『本人に確認する』ということにした。


少し……いや、すごく恥ずかしいんだけど仕方ない。


「ぼ、僕って今……こ、告白……しましたよね?」


じ、自分で告白っていうのもすごく恥ずかしい……!


「何を言っているのかしら?」


そんな僕に、美島さんは呆れた様子を見せた。


「数秒前に告白したことも忘れる人なんていないと思うけど?」

「え?」


なぜかその事実に驚いてしまう僕に彼女は続けて。


「それで、どうなの?」


痺れを切らすようにそう尋ねた。


「な、何がですか?」

「ジャンケン。するの、しないの?」


当然のように言う彼女のその毅然とした態度に、思わず僕が間違っているかのような錯覚を覚えるのはなぜだろうか。


そのジャンケンへの経緯がわからずこうなっているのに。


「どっち?」

「え……。し、します……?」

「それなら準備してちょうだい」

「あ。は、はい」


美島さんに急かすように言われ、僕はなされるがままに握り拳を作る。


すると、彼女は突然顔を僕に近づけて。


「私、グーを出すから」

「えっ!?」


グー!? なら僕はパーを出して、いやそれより顔が近いよ、美島さん!?


「ジャンケン――ポン」

「うわぁあ!!」


とりあえずグー!


という単純な考えからグーを慌てて出し、それに対しての彼女の手を見ると、


「……あ」

「私の勝ちね」


僕の力の限りのグーを嘲笑うように、彼女の手はパーを出していた。


つまり僕は負けたことになる。


「よし」


互いの手を見比べては呆然とする僕の耳に、彼女の嬉しそうな声が聞こえた。


どういうことかと説明を求める僕に、彼女は優しく微笑んで、


「ごめんなさい。付き合えないわ」


と、丁寧に僕の告白の返事を今になって返した。


それで、たった今フラれた僕だけど、悲しいという気持ちに追いついたのは少し後だった。


けれど、その感情を思い出したところで、それ以上に僕の心の大半は困惑だった。


「み、美島さん?」


それでも、ようやくこぼれ落ちるように名前を呼ぶと、


「何かしら?」


と、彼女は不思議そうに首を傾げた。


だから何も理解できていないのは僕の方なんだって。


「これは……何?」

「何、と言われても」


彼女は当然のように、僕のグーを見つめると、


「ジャンケンね」


何を当たり前のことを、と言わんばかりの目で答えた。


そうだけど。そうなんだけど、そうじゃなくて。


「どうしてジャンケン?」

「告白の返事をするためよ?」


うん。


ジャンケンが告白の返事で、ジャンケンをした理由も知りたいけど、それよりもジャンケンがジャンケンでジャンケンジャンケン――


お、落ち着け! 僕!


「ジャンケンに勝ったから、告白を断ったの?」

「ええ」


間髪入れずに答える彼女はあまりにも潔くて、もはや感心するほどだ。


「どうしてジャンケンで?」


僕の一生の告白を、ジャンケンで決められるなんてことがあるだろうか?


そう尋ねると、美島さんは何が面白かったのか、少し笑った。


「私、自分より弱い人とは付き合えないの」

「……?」


何度も言っているが、僕と美島さんではあまりにレベルが違いすぎる。


しかし、彼女を基準にしてしまったら、それこそあまりに彼女と付き合える人物は限られてしまう。


下手すれば、いないかもしれない。


やはり、僕と彼女は付き合えない運命にあるのだろう。


それはいい。わかっていたことだ。


けれど、なぜそこでジャンケンが出てくるのだろう?


そんな僕の考えを読み取ったのか、美島さんは、


「だからジャンケンなのよ」

「え?」

「ジャンケンだったら佐藤くんでも勝てるかもしれないし、何より勝敗がわかりやすいじゃない?」


それはそうかもしれない……が、果たしてジャンケンは本当に勝ったと言えるものだろうか?


「運も実力のうち、って言うでしょう?」

「う~ん……」


あまりにも都合のいいように言葉を受け取ってはいないだろうか。


僕はイマイチ納得できていなかったが、美島さん的には納得しているらしい。


「でも、佐藤くんの思うところもわかるわ」


美島さんはわざとらしく腕を組むと、こう言った。


「運だけじゃ、不公平と思っているのよね?」

「……えぇ、まぁ」


端的に言えば。


「だから、さっきのジャンケンのように、最初に私が佐藤くんに心理戦を仕掛けるの。そうすれば、本当の実力のように思えない?」


そう言われれば思わなくもない、くらいだけれど、先ほどよりは少し納得できた。


「私の言葉に驚いた佐藤くんがグーを出す。予想どおりだったわ」


美島さんは心の底から楽しそうに先ほどのジャンケンの感想を述べると、屋上から見える町を見た。


夕焼けにも負けない輝きを放つ美島さんに見とれていると、彼女はクスッと笑った。


「そろそろ暗くなってきたし、今日はここまでね」

「え……」


それはどういう意味? と聞く前に、美島さんは屋上のドアを開けると、


「明日のこの時間も楽しみに待ってるわ」


そう言い残して、最後に僕にピースを見せて帰っていった。


…………。


「えぇっと……」


僕は中途半端に開かれた手を見て、美島さんの最後のピースの意味に気付くと、


「なん、だったんだ……?」


と、どこか理解できない気持ちを抑え込むようにグーを作った。



《二日目》


次の日、僕は疑惑を抱えながらも、昨日と同じ時間に屋上に向かった。


すると、確かに屋上に美島さんがいる。


「ちゃんと来たわね」

「あ。は、はい」


まさか本当に今日もいるとは。


驚く僕を尻目に、美島さんは握り拳を作ると、


「それじゃ、今日はパーを出そうかしら?」


と、昨日の宣言どおり、僕に揺さぶりをかけてきた。


言いたいことはたくさんあるが、とりあえずはこのジャンケンに集中しよう。


――パーが本当に来るとすれば、僕が出すべき手はチョキだ。


けれど、昨日嘘をついた美島さんがその通りに手を出すとは思えない。


となれば。


「ジャンケン――ポン」


グーとパー。


勝者は――


「今日も私の勝ちね」


美島さんだった。


彼女は宣言どおりパーを出し、僕は裏をかきすぎてパーに負けるグーを出してしまった。


「負けた、か」

「残念だったわね」


悔しくないと言われれば嘘になるが、しかし、このジャンケン。一体何の意味があるというのだろうか。


「あの、美島さん」

「……? 何かしら?」

「どうして僕たちはジャンケンしているの?」

「佐藤くんは勝ったら私と付き合えるのよ?」

「っ……それは、まぁ……」


やっぱりそういう認識で間違いなかったのか。


昨日は最後の最後でうやむやになっていた気がしていたが、やっぱりそういうことでいいのか。


「でも、どうして今日もジャンケンなのかな、と思いまして」

「あら、チャンスがたくさんあるのは嫌?」

「そ、そりゃぁ。嫌ではないんですが」

「ならいいじゃない」


そういうことじゃなくて。


僕がいいんじゃなくて、美島さんがそれでいいのか。


美島さんは僕と嫌々付き合うことになるのではないだろうか、それを聞きたいのだ。


しかし美島さんは、僕がそれを尋ねる前に、


「でもあれね。なんだか、これも不平等な感じがするわね」

「っ……!」


わかってくれたんだ。と思ったのもつかの間、


「うん、やっぱり私が勝ったら佐藤くんには罰ゲームが必要ね」


いや、そういうことじゃないでしょ! と、思わず叫びそうになった。


けれど、そんな僕の思いを彼女は聞こうともせずに、僕に鞄を押しつけると、


「下駄箱までお願いしていいかしら?」


そう言って、彼女はまた楽しそうに屋上を後にしていった。


残った僕は、今日もまた。


「一体なんなのさ……」


美島さんのことがわからなくなった。



《三日目》


その次の日も、僕達は揃って屋上でジャンケンをした。


「また勝ったわ」

「また負けたね」


今回は一昨日と昨日とはまた違う心理戦を仕掛けられた。


『パーを出してほしいわね』


と、今度は僕の手を懇願してきて、まんまと僕はお願いどおりパーを出して負けたのだ。


でも、仕方ないじゃないか。


あの顔でお願いされたら断るのが無理ってものだ。


これで三連敗。


美島さんの手のひらで完全に踊らされている。


「でも、優しいのね。ちゃんとパーを出してくれるなんて」

「優しい、のかな?」

「ええ。佐藤くんは優しいわ」

「えっ?」


美島さんは僕をいかにも知り尽くしたかのような顔で言った。


「一ヶ月くらい前だったかしら? 憶えているかしら?」

「一ヶ月前、ですか?」


何かあったかなと思い出してみるも、これまで平凡極まりない生活を送ってきた僕に、何かあったわけがない。


悲しいことに、それだけは自慢できる。


しかし、美島さんはそんな僕を見つめると、


「帰宅途中で、小学三年生くらいの二人の男の子が喧嘩しているのを憶えてる?」

「あっ」


そのことなら憶えている。


確かその日、二人は授業中に騒いじゃって先生に怒られたんだっけ。それで、どっちも相手のせいにしてたら喧嘩になった。そんな話だったはず。


帰り道にお互いの悪口を言い合ってたところを、たまたま通りかかった僕が仲裁に入って、その場は仲直りさせたんだけれど、あの後のことは僕も知らない。


「あの二人ね。今もちゃんと二人で仲良く帰ってるのよ」

「そうなんだ。よかった」

「でも、それって簡単にできることじゃないって知ってるかしら?」


そうだろうか?


でも、あれは小学生の喧嘩だったから、っていうだけで、同じ高校生の喧嘩だったらきっと逃げるように帰っていたはずだ。


「過大評価だよ、それは」

「そうかしら?」

「そうだって」


本当の僕は自信も勇気もない、ちっぽけな存在。


たかが子ども二人の喧嘩の仲裁が上手くいっただけで、傲るほどのものでもない。


「それより、今日の罰ゲームは何?」

「あら? 自分で言うなんて変わってるのね?」


しまった。言わなきゃよかっただろうか。


「なら、今日は暑いしアイスでも奢ってもらおうかしら?」

「お金も取るの!?」

「早く勝てばいいだけの話よ」


それはそうだけれど……。


僕の貯金が底をつく前に早く勝たないと、僕は勝利を渇望するようになった。


一緒に食べたアイスは少し美味しかった。



《一一日目》


土曜日で学校が休みでも僕達のジャンケンの日課は変わらない。


この時間に毎日来ては、この屋上でジャンケンをする。


さて、それでは今日の勝敗は。


「今日も勝ったわ」

「……むぅ」


二週目に入っても僕はいっこうに勝つことはできなかった。


勝てるように日々いろいろ考えているのだけれど、美島さんにとってはただの小手先らしい。


勝つ未来がどんどん遠ざかる気さえする。


「どうして僕の出す手がわかるの?」


そう尋ねたところ、


「佐藤くんはわかりやすいのよ」

「わかりやすい?」


顔に出てしまっているのかも、とほぐすように自分の頬をなでていると、美島さんはそんな僕を面白おかしそうに笑う。


「顔もそうだけれど、それ以上に考えがわかりやすいのよ」

「……単純ってこと?」


コクリと頷かれてしまった。そんなのどうすればいいんだろうか。頭を複雑にする方法なんてあるだろうか。


「いっそ、頭を空っぽにしてしまったら……」


いや、ダメだ。


美島さんの心理戦に引き込まれるのが目に見える。


そういうのだけ見えても仕方ないだろうに。


自分で自分を戒めていると、美島さんがまた面白そうに笑った。


「そんな佐藤くんも好きだけれどね」

「えっ!?」

「あら、聞こえちゃったかしら?」


わざとらしく口に手を当てている美島さんを見て、僕の思っているような意味ではないことを察してしまった。


いや、わかっていたんだよ。うん。


「それより罰ゲームなんだけれど」


今日も罰ゲーム。


今のところ、大きな買い物はないが日々使われては、さすがに僕の財布も悲鳴をあげる。


しかし、なぜだろうか?


今週は一回も奢ってもらってはいない。


何かあるのだろうか、と最初は思っていたんだけれど、結局今日まで何もなかった。


「……」

「……?」


いつまで経っても罰ゲームの内容を教えてくれない美島さんを疑問に思っていると、ようやく口を開いて出た言葉が、


「今日はいいわ」

「え!?」


その言葉に素直に喜ぶ自分と、反対に何かを悲しんだ自分がいた。


しかしすぐに、


「その代わり」


と続いた美島さんの声に間違いなくがっかりした。


「明日のお買い物に付き合ってね」

「んんっ!?」


それはもはや噂に聞くデートというものでは!?


「デートじゃないわ」


だけど、そんな甘い考えは粉々に砕け散った。


「だってまだ私達、付き合ってないでしょう?」

「……」


砕け散った欠片をゴミ箱に捨てられた気分だった。


「好きな人と一緒にお買い物。でも、デートじゃない。罰ゲームにしてはよくないかしら?」

「ぐ……」


まさに正論だった。


勘違いされてもおかしくない状況。でも、付き合ってない。


簡単な事実だけれど、胸を縛り付けられる思いだ。


「その様子じゃまだまだ私に勝てそうにないわね」

「……顔に出てましたか?」

「思いっきり、ね」


ぐっ……。また勝利から遠ざかった気がする。


「それじゃ、明日頑張ってね」

「それはどっちの意味でしょう?」

「どっちも」


彼女はそう言って今日も僕より早く階段を降りて行く。


まだまだ追いつきそうにない背中を見守る僕。


「……はぁ」


ため息をついた後に僕も階段を降りる。


感情が表情に出ないように、ちゃんとほぐしながら。



《三〇日目》


さて、僕が告白してから一ヶ月が経ったわけだけれど。


今日も僕たちは。


「今日も勝ったわ」

「今日も負けました……」


四つん這いになって悔しがる僕に、彼女は今日も変わらず嬉しそうに言い放つ。


「今のところ完勝ね」

「うっ」


そう。彼女の言うとおり、僕は完敗だった。


ジャンケンに完勝も完敗もないと思うかもしれないが、そんなことはない。


僕と彼女のジャンケン。


これまで一度もあいこが出たことがないのだ。


つまり、僕はいつも初手で負けているのだ。


そんなことがあり得るだろうか? 三〇回もやっているのに。


「少し手加減してくれてもいいのに」


思わず出てしまった言葉だったが、今のは愚問だったとすぐに思った。


「それだと、佐藤くんが私より強いことにはならないでしょう?」

「ですよね」


美島さんがそう言うことはわかっていた。


それもあるけれど。


「それに、佐藤くんはそれでいいの?」

「ううん。全然」


僕自身が美島さんにそんなことをしてほしくなかった。


美島さんは誰が見ても完璧な人だ。実際はそうじゃなくても、僕から見れば完璧な人。


そんな人が、こんなことのために汚れてほしくなかった。いや、こんなことだからこそ、汚れてはいけないと思った。


もしも美島さんが僕にわざと負けるようなことがあれば。


「そのとききっと、僕は美島さんを嫌いになりそうだから」

「それは困るわね」


その言葉に他意はない。彼女はそういう人だ。


「次こそは勝ってみせるから」


自分でも無理だと思っていながら、それでも僕は言った。


「期待してるわ」


それでも彼女は心の底から応援するようにそう答えた。



《四五日目》


僕は手元のチョキとにらめっこをしていた。


「むむむ……」

「明日は土曜日ね」


ここ数週間、僕たちは週末のどちらかは必ずと言っていいほど、一緒に出掛けていた。


けれど、これはデートではないのだ。あくまで罰ゲーム。


僕はただの荷物持ちなのだ。


今週もまた筋肉痛かな、と思って遠い目をしていると、美島さんが小さく頷いた。


「明日はゲームセンターに行こうかしら?」

「ゲームセンター?」


美島さんには似使わない場所だ。今度はどうして?


「たまには趣向を変えようと思って」


趣向?


「佐藤くんは正直言って、私とのお買い物楽しい?」

「えぇ、まぁ」

「隠す素振りすらしないのね」

「あ」


しまった。罰ゲームだってことすっかり忘れていた。


美島さんにジト目で見られ、目を慌てて逸らすと、ため息が聞こえた。


「やっぱり勝ちたいという気持ちが少し足りないのね」


そんなことない!


と、断言できない僕が少し恨めしい。


でも、絶対に勝ちたいという気持ちは本当で、忘れたことはない。


一緒に出掛けていても、これが本当のデートだったら、と毎週思っているのだ。


けれど、罰ゲームを少し楽しんでいるのも事実で。


「だから今回は趣向を変えるのよ」

「というと?」

「佐藤くんはゲームが好きかしら?」

「一応、ですけれど」


上手いわけじゃない。でも、好きか嫌いかと言われれば、やっぱり好きだと思う。


「だから明日は本当の罰ゲーム」

「え?」

「私の横でずっとゲームを見ていなさい」

「え……」


毎週の荷物持ちは、実は思ったよりも苦しくないのだ。


美島さんを助けている、とか、頼られている、と思えば。


しかし、ただ目の前のゲームを見ているだけとなると、これがなかなかキツいものがある。


目の前で誰かがゲームしていれば、どうしたって自分もゲームしたくなるわけで。


何より、彼女のためになっているとは到底思えない。


いろんな意味で僕にとっては最大の苦痛となる。


これまでの罰ゲームの中で何よりも嫌な罰ゲームだ。


「その様子だと効果が期待できそうね」

「ぐぅ……!」


早く勝たないと生き地獄を味わい続けることになりそうだ。


僕は美島さんの思惑どおり勝利を渇望するようになった。



《九〇日目》


ジャンケン連敗記録三ヶ月。


ジャンケンの連勝連敗記録の世界記録なんてあったかなぁ、と思い始めた頃。


いつものように対決が終わった後、二人で話していると、美島さんが突然ある話題を口にした。


「佐藤くん、知ってるかしら?」

「何がですか?」

「私達が付き合ってるって周りから思われてるそうよ?」

「そうなんですか!?」

「違うのにね? まだ(・・)付き合ってないのにね?」

「もしかして、僕をからかってる?」

「あら、今頃? でも、噂は本当よ」


そう言われてみれば、最近僕の周りがざわざわしているような気がする。


「今日も友人からそう言われて否定はしたんだけれど」

「否定したんですね」

「だってそうじゃない」

「そうですけれど」


わかってはいるけれど、面と向かってそんなこと言われるとさすがにちょっと傷つく。


「でも確かに、僕としてはその噂は複雑な気分になりますね」

「あら意外ね」


そう言った美島さんだけれど、その顔は全然驚いていない。


最初の僕だったらきっと、手を挙げて喜んでいたかもしれない。


けれど、今の僕はそれを素直に喜ぶことができない。


「それに……」

「……どうしたの?」

「ううん。何でもないよ」


ふと胸に生まれた感情を美島さんに悟られないよう、胸の奥にしまい込む。


そのおかげか、美島さんは不思議そうに僕を見つめたが、僕は微笑み返すだけだった。


こういうことだけうまくなってもなぁ……。


「今日の罰ゲームは何ですか?」


あれからもう三ヶ月経ったというのに、美島さんの背中に追いつくどころか、遠いことを身に染みる毎日。


今さらだけれど、やっぱり僕なんかじゃ美島さんには釣り合わないな、と改めて思う。



《一〇一日目》


金曜日の放課後。


明日は恒例の美島さんとのお出掛け。


にもかかわらず、どこか重い足で階段を登っているときだった。


ふと、顔を上げると、階段の上に一人の男子生徒が僕を見下ろしていた。


「やぁ、佐藤くん……だよね?」


優しい声色で声をかけてきた人物は、爽やかさを全面にまとったような美青年だった。


その男子生徒の名前を僕は知っていた。


美島さんと同じくらいこの学校では有名な生徒だ。


愛田あいだ、くん?」


愛田正吾しょうご


美島さんを学校の王女様と言うなれば、この愛田くんは学校の王子様という名がふさわしい。


学校の中ではこの二人が公式のカップルと言われるほどだ。


美島さんの公式パートナーであるそんな愛田くんが、僕に一体何の用なのか。


「美島さんと付き合ってるって話は本当なのかい?」

「っ……」


実を言うと、それを聞かれる前にもうわかっていた。


わかっていながら、見ないようにしていた。


僕と美島さんとの差。


そして僕と愛田くんの差も。


わかっていながら今までずっと目を背けていた。


だけれど、ついにぶつかってしまった。


「ううん。付き合ってないよ」


正直に答えた。


嘘をつくこともできた。けれど、しなかった。


そんなことをしてしまったら、美島さんに嫌われるとわかっていたから。


すると、愛田くんは眉を細めて聞いてきた。


「前に一緒に出掛けてたのを見ていた人がいるんだけれど、それってデマだったの?」

「それは本当だよ。でも、僕たちはそういう関係じゃないよ」

「友達、ってこと?」

「それは……」


どうなんだろう?


恋人ではないことは確かだ。


でも友達と言われれば、それも少し違う気がする。


果たして僕たちは友達なんだろうか?


何と答えればいいのだろう、と言い淀む僕を、愛田くんは訝しげに見つめて、やがて小さく頷いた。


「佐藤くんには悪いけど」


そう言って僕の肩に手を乗せると、


「美島さんとはもう関わらないでほしいんだ」


はっきり告げられた。


「僕は美島さんが好きだ」

「……」

「やっぱり好きな人の周りに他の人がいると、醜いようだけどさ。嫉妬しちゃうんだよ」


僕は黙ってそれを聞く。


わかっていたことだから。そして、あのときの胸のざわめきを思い出していたから。


「佐藤くんはさ。あまり目立つのが好きじゃないでしょ?」

「……」


図星だった。


僕と美島さんが付き合っている、そういう噂が学校に流れ始めたと美島さんから聞いたとき、僕は少しだけ恐怖を感じてしまったんだ。


前まではただの冴えない地味な男子高校生。


美島さんの前でもそうだった。結局、ジャンケンには一回も勝てなかったのだから。


人前に立つのでさえガチガチに緊張してしまう僕が、目立つのを得意とするはずがなかった。


「それに……」


愛田くんが追い討ちをかけるように言葉を紡ぐ。


「佐藤くん、けっこう他の生徒から……その、ね?」

「……」


他の生徒の視線が少しずつ変わってきていることに気付いていた。


でも、ずっと気のせいだと自分に言い聞かせてきた。


けれど、やっぱりそれは気のせいではなかったのだ。


「僕も見かけたら注意してはいるんだけどさ……」


根本的な解決には至っていない。


「でもね、佐藤くん。それだけじゃないんだよ?」

「え……?」


これだけじゃない? でも、他に何が?


「君と付き合ってるって噂を立てられている美島さんだよ」

「っ……!」


そうだ。少し考えればわかることだった。


僕たちが付き合ってることで被害を受けるのは僕だけではないのだ。


僕だけでなく美島さんにも被害が出ることをどうして考えなかったのか。


「だから……その」


愛田くんのはっきりしないその言い方が、優しさが少し嬉しかった。


「……うん。わかったよ」


僕はそう言って、背を向けた。


「じゃあ、僕は行くよ」

「あ、うん……」


愛田くんは気まずそうに手を振った。


優しい人だ、と思った。


やっぱり彼みたいな人じゃないと支えられないんだろうか。


そんなことを最後に思いながら階段を降りて行く。


とても悔しくて、泣きそうなくらい悲しいのに、僕の足は登るときよりも軽くて、それがまた悔しかった。



《一〇三日目》


それから僕の日常は一変した。


いや、一変した、というのは少しおかしいだろうか?


元に戻った、と言うべきなのだろうか。


美島さんと僕は屋上ではよく会っていたけれど、教室ではまったくと言っていいほど話はしない。


僕たちの関係は結局のところ、そんなものでしかなかったのだ。


告白した人と告白された人。


その延長線上でしかなかったのだと思うと、少し虚しかった。


「……はぁ」


あれから美島さんとは目を合わせていない。


僕が合わせようとしない。


「怒ってる、かな?」


そう言ってみたものの、すぐさま「それはないだろうな」と否定の言葉を口にした。


「もう終わった……んだよね」


自分に言い聞かせるように口に出してみると、心臓がギュッと締め付けられるような感覚がした。


「……はぁ」


気付けば放課後になっていた。


時計を見ると、僕たちがいつも待ち合わせする時間になっていて。


「やばっ!」


と、慌てて立ち上がろうとして……また座った。


チラリ、と美島さんの座っている席を見た。


当然のように、そこには美島さんの姿はない。


あの場所に向かったのだろうか、はたまた、僕のことを忘れて帰ってしまったのだろうか。


先週の金曜日から土、日とあの場所に僕は行っていない。


もう諦めて帰っていても、なんらおかしくない。


「……」


黙って鞄を手に持って立つと、窓ガラスにうっすらと自分の姿が映った。


どこにでもいる平凡な高校生。


きっと彼女なら、彼なら窓に映ってもきっと輝いているに違いない。


元から住む世界が違うのだ。


ちょっと話しただけで、ちょっと見てくれただけで舞い上がってしまってなんて恥ずかしいんだろう。


そんなことを考えながら、昇降口を出たときだった。


空はもう夕暮れ時で、校舎の影が長く、校門のところまで伸びていた。


「っ……」


その終わり。校舎の影のさらに上。


屋上に誰かがいた。


手すりにつかまって何かを見ているのか、探しているのか。


そんな影が一つだけ。


「っ……」


その影を見たくなかった。


影からでもわかるその輝きに、僕という存在が押しつぶされそうな気がした。


これが彼女と僕の差だとはっきりと伝えられた気がした。


勝ちたい、なんて思うんじゃなかった。


あの影に、あの姿に、僕程度の人間が勝てるわけがなかった。


「っ……!」


僕は目をつむって、真っ直ぐに駆けだした。


光に当てられないように、見ないように。


閉じた瞼から何かがこぼれ落ちた。


でもきっと、それもいつかは消えてしまうのだろう。



《一〇八日目》


今日も屋上の上から影が灯されていた。


手すりにつかまって、必死に何かを探していた。


「っ……」


見るな。見てはいけない。


あれを見てしまったら、また僕は光を望んでしまうから。


僕は影の住民でなければいけないのだから。


だから、今日もまた目をつむって校門を駆け抜ける。


校門を出た後も、僕は振り返らない。


今にも罪悪感で押しつぶされそうな心臓を強く握って、僕は帰宅する。


心臓の痛みを、違う痛みで誤魔化すために力強く押さえつける。


そうしていたときだった。


「なにやってんの、兄ちゃん!」

「具合でもわるいのかぁ!」


なんとも場違いな、でも聞き覚えのある明るい声が聞こえた。


「おい、兄ちゃん!」

「こっちだぁ!」


振り返ると、そこにはかつて喧嘩をしていた二人の男の子が僕を見ていた。


「びょういんいくか!?」

「あんないするぜぇ!」


僕の苦しい思いとは裏腹に、二人はやけに楽しそうだった。


そのあまりのはしゃぎように思わず僕は笑みがこぼれた。


どうやら、美島さんの言っていたとおり、二人は仲直りできていたらしい。


「ううん、大丈夫だよ」

「ほんとか!」

「ほんとかぁ!?」

「うん、ほら。この通り」


安心させるために、心臓の握り拳を大きく開いてヒラヒラさせると、男の子達は突然腹を抱えて笑った。


「兄ちゃん、バカだなぁ!」

「バカだ、バカだぁ!」

「い、いきなりなんで!?」


理由を聞いてみると、二人は僕の手のひらを指差して、


「一人でジャンケンはできねぇんだぞ!」

「それ、あとだしっていうはんそくなんだぞぉ!」

「え……?」


驚いて出た言葉だったが、二人は僕を本当のバカだと思ったらしい、さらに腹を抱えて笑う。


「ジャンケンなら俺もやるぞ!」

「負けねぇからなぁ!」

「ちょ、ちょっと待って!」


いつの間にか乗り気になっていた二人は、僕の制止も聞かずに手を隠すと、


「「ジャンケン――ポン!」」


と、僕も慌てて手を出した。


どうやら美島さんのおかげで突然のジャンケンにも対応できるようになっていたらしい。


だが。


「「兄ちゃんの負け~!」」

「えぇ……」


僕がグーで、二人がパー。


何だか既視感のある負け方だ。


「これで……一〇一、いや一〇二敗目かな」


負けの数をつい癖で言ってしまい、そのとき、男の子達は首を傾げた。


「兄ちゃん、今日まで何回負けたの!」

「え?」

「早く答えろぉ!」

「いてっ!」


なぜか脛を思いっきり蹴られ「一〇〇回だよ」と正直に答えると、二人は目を合わせて僕にグーを見せてきた。


「……?」


その意味がわからないでいる僕に二人は、


「これであいこだ!」

「あいこだぁ!」


と、楽しそうに言った。


でも、それって……。


「今のあとだしだから負けじゃない?」

「あ!?」

「ちげぇし! さっき兄ちゃんもあとだししてたからあいこだし!」

「そうだ、そうだ!」


「あいこ! あいこ!」と訴え続ける二人に、僕は観念してあいこということにした。


けれど、あいこにして何の意味があったのだろうか?


そう尋ねようとする前に、二人は僕の目をジッと見て、


「昨日、お姉ちゃんがジャンケンしたいって言ってた!」

「一〇〇回勝ってんだって!」

「逃げんなよ、兄ちゃん!」


そう言って彼らは、わぁっと走り去っていった。


僕はただ呆然とその二人を見送っていたが、ハッと気を取り直すと、言われた意味をゆっくり考えた。


「……そうだね。逃げちゃダメだよね」


子どもに説教されるとは相も変わらず僕は情けない。


でも、そんな僕を美島さんは、一度でも情けないと笑ったことはあっただろうか。


「関係、ないんだよね」


周りにどう思われようと、何と言われようと、僕は諦めちゃいけない。


伊達に一〇〇連敗していないのだから。


「明日こそ。ちゃんと美島さんに」


覚悟を決めた心臓は新たな鼓動を生んでいた。



《一〇九日目》


次の日、土曜日のあの時間。


僕はちゃんと屋上に続く階段を登っていた。


美島さんがそこで待っていることは、もう確信していた。


彼女は僕が一度諦めた日からでもずっとそこで僕のことを待っていたのだ。


第一声は謝罪の言葉にしようと決めていた。


それで、何と言われても仕方がない。そういう選択をしてしまったのは僕なのだから。


例え、美島さんに嫌われたとしてもかまわない。


それもすべて覚悟したうえで、僕は一つ一つ階段を登っていく。


あのときへの後悔をすべて噛み締めるように。


そして、僕は屋上のドアの前に立った。


最後にもう一度、深呼吸する。


そうしてドアノブに手をかけようとしたとき、


「……あれ?」


ドアが少し開いていた。


おかしい。


美島さんはいつもちゃんと閉めていたはずなのに。


たまたま今日は閉め忘れたのだろうか?


そう思ってドアノブに手をかけたとき、


『――僕と付き合ってほしい』

「…………え?」


ドアの奥からの声に身体が硬直した。


『……本気で言ってるのかしら?』


その後に聞こえたのは聞き慣れた美島さんの声?


そして、あのときと同じ言葉。


『本気だよ』


それに返事した声は怖れていた相手だった。


「嘘、だよね?」


嘘に決まってる。嘘だと誰か言ってほしい。


けれど。


『ずっと僕は君のことが好きだった』

「愛田……くん」


僕と同じ言葉で告白した人は愛田くんだった。


僕よりもふさわしい人が今、美島さんに告白してしまったのだ。


「……いや、まだだ。まだだ!」


まだだ。告白だけじゃ美島さんには届かない。


美島さんと付き合うことがそんな簡単なことじゃないことは、僕が一番知っている。


『――ジャンケンをしましょう?』

『ジャ、ジャンケン?』

『準備して』


そう。彼女とのジャンケン。


僕が一〇〇回負けても勝てなかったジャンケン。


たとえ愛田くんでも美島さんに勝てるはずがない。


そう信じたい。そう信じてる。お願い、だから。


『私、グー出すから』

『え?』


『ジャンケン――ポン』


どっちが勝った!?


ドア越しから覗いてみるものの、二人の陰になって見えない。


心臓をバクバクと音を立てながら、二人の声に注意深く耳を傾けると……


『僕の勝ちだね』

『……そうね』

「そ、そんな……」


その瞬間、僕の全身の力が空気のように抜けていくのを感じた。


どうして? 美島さんが、愛田くんに負けた?


立ち上がる気力もない僕に気付かないまま、二人の会話は続いていく。


『そうね。なら明日は一緒にお出掛けでもどうかしら?』

『デートのお誘いかな? だったら喜んで』


もはや聞いていられなかった。


どうして僕だけがいつもこんな目に遭わなきゃいけないのだろう。


どうして僕だけが嫌な目で見られ。


どうして僕だけが平凡であって。


どうして僕だけが美島さんに勝てないのだろう。


僕の一〇〇回の負けを、愛田くんという天才は負けることもなく乗り越えていく。


人生というのはどうしてこんなにも不平等なのか。


平凡な僕にやれることは何一つないのだと、どうして嘲笑っていくのか。


「全部……ただの……」


僕のしてきたことはすべて価値のないものだったのだ。


何をしても僕という人間は報われないのだ。


「……帰ろう」


階段の手すりにつかまって、力なく階段を降りて行く。


やっぱり僕は下がお似合いなのだ。



《一一〇日目》


と、思ったくせに。


「何やってんだかなぁ」


僕は二人が来るであろうデパートに足を赴いていた。


自分でも何がしたいのかなんてわからない。


二人の恋を応援したいのかもしれないし、邪魔したいのかもしれない。


何がしたいかなんて、こっちが聞きたいくらいだ。


「二人を探すところから始めようか」


そう言って、首をキョロキョロ動かしていると、やけに騒がしい一帯があった。


「……まぁ、そうだよね」


二人が揃えば当然のことだった。


美島さんは僕が隣にいたとしても注目の的だった。


それこそ、周りが隣の僕に気付いていなかった可能性があるくらい。


だが今度は、その美島さんの隣にいるのが愛田くんだ。


「目立たない方がおかしいか」


その一帯に目を向けると、漫画でしか見たことがないような人だかりができているじゃないか。


さすが美島さんと愛田くんと言ったところか。


「うわぁ……」


僕もそれに紛れるように近づいてみると、それはもうお祭り騒ぎのようだった。


そしてその中心にいる二人も。


「すごいなぁ」


本心から出た言葉だった。


やっぱり僕なんかとは全然違う存在だ。


どちらに対しても思った。


「敵わないなぁ」


どこかかっこよさを匂わせる表情を見せる美島さんと、周りからの声に照れながら笑う愛田くん。


モデルのように写真を撮られ続ける二人だったが、やがて、美島さんが愛田くんの服の裾を掴んで、話しかけると二人は移動を始めた。


たったそれだけなのに、なおいっそう声援を送られる二人。


二人を言い表せる言葉なんてないのではなかろうか。


そう思いながら、二人に合わせて移動した僕と他のお客達。


自分達のお買い物はいいのだろうか?


二人が最初に向かったのは服屋だった。


定番のデートコースだ。


行く途中、愛田くんが何度もポケットから紙を取り出しては時間を見ていたことから、今日のデートプランは愛田くんが考えたのだろう。


そういえば、僕はいつも美島さんに振り回されっぱなしだったな、と思い出して少し笑った。


僕たちに見張られるように見られながらも、二人は、というより美島さんが何度も試着を行っていた。


愛田くんが服を選んで、美島さんがそれを着る。


僕だったらきっと、周りから気持ち悪いなんて言われそうだが、愛田くんが選んだ服と言われればむしろ誇れるくらい彼はファッションも完璧だった。


『その服もいいね』

『そうかしら?』


しかしなぜだろう?


その完璧なはずの愛田くんの選んだ服なのだが、美島さんはどこか気に召さないらしく、試着はしても買うことはない。


僕から見ても似合ってると思うんだけど……?


『周りも似合ってるって言ってるのに』

『周りがよければいいのかしら?』

『お金を心配しているなら僕が』

『遠慮しとくわ』


今日の美島さんは少しおかしい。


僕だけがそれを感じていた。


いつもだったら、あれもこれもと買っていたはずなのに。


『次、行きましょう』

『うん、そうだね』

「……?」


二人の温度差がどうも気になった。


美島さんも僕のときより口数が少ないし、愛田くんも、なんというか美島さんを見ているようで見ていないような。


「気のせい、なのかな?」


付き合い始めのカップルとはそういうものなのだろうか?


少しすれば元の二人に戻るのだろうか?


そう思いながら二人の観察を続けていた僕だったが、結局最後まで、その違和感を拭い去ることはできなかった。


そろそろ日も暮れて、あの時間に近づき始めた頃だった。


愛田くんはボソッと美島さんに話しかけたと思ったら、すぐにどこかへ立ち去ってしまった。


お手洗いだろうか?


「あ、だったら」


僕はその愛田くんを追うようにお手洗いへと向かう。


最後に、愛田くんと話しておきたかったからだ。


今日のデートを見て、少し気にかかるところはあったけれど、それでも愛田くんこそが美島さんにふさわしい。そう思えたからだ。


だから愛田くんに、僕からのさよならを伝えてほしい。


僕から美島さんに話しかけたら未練がきっと残ってしまうから。


きちんと別れられる自信が僕にはない。


「って、まだ付き合ってもないんだって」


そう俯きながら笑ったとき、床に一枚の紙が落ちていることにたまたま気付いた。


「よいしょっと」


ついでだからゴミ箱に捨てておこう、そう思って何気なく拾った紙だったが、何やら文字が書かれていた。


読む気などさらさらなかったのだが、ある文字が目に飛び込んできた。


「美島さん?」


確かにそこには美島有紀という彼女の名前が書かれていた。


その次に飛び込んできたのは、


「計画、書?」


それには、今日の愛田くんと美島さんが辿ったデートコースとまったく同じ時間、同じ場所が事細かに書かれていた。


それだけでこの紙が愛田くんのものなのだとすぐにわかったわけなのだが、問題は最後の方に書かれている、つまりこの後の予定についてだ。


「なに、これ……」


その後に書いている店とおぼしき名前は、聞いたことはないけれど、それでもわかるあるホテルのような名前。


そして最後に浮ついた文字で「最高の一夜」とだけ書かれている。


この言葉の意味とは。


「あれ? 佐藤くん?」

「っ……!?」


ドキッとして顔をあげると、愛田くんが驚いた様子で僕を見ていた。


「ここで会うなんて奇遇だね」

「そ、そうだね」

「どうしたの? こんなところで?」


そう言った愛田くんだったが、すぐに僕の手元の紙を見つけた途端、急に動きを止めた。


「佐藤くん、それって……」

「っ……!」


指を差され、慌てて手を後ろに回したのだが、かえってそれが裏目に出た。


愛田くんはその意味を瞬時に理解すると、やってしまった、と言わんばかりに顔を手で押さえた。


「あぁ~。見ちゃったんだ、それ」


開き直るかのようにくつくつと笑い始めた愛田くんを呆然と見ていると、


「それで? どう思った?」

「どう、って言われても……」


何と答えるべきなのだろう、そう思った僕を見た愛田くんは「うはっ!」と先ほどまでとはかけ離れた荒い笑いをみせた。


「まぁ、佐藤くんみたいな凡人には縁のないことだから仕方ないね」


と、僕を嘲笑った後「うん」と小さく頷いた。


「ま、そういうことだよ」


その瞬間、愛田くんに対するまったく違う恐怖を覚えた。


「今日はまだ心を開いてくれなかったけどね。でもそれも時間の問題かな?」

「そんな……。どうして……?」

「どうして?」


愛田くんは周りをキョロキョロ見渡した後、僕の耳にそっと顔を近づけてこう言った。




「あのきれいな顔をグシャグシャにしたいから、だよ」



「っ!」


その声はどこまでも醜悪で、鳥肌が立つ声だった。


僕からゆっくりと離れた愛田くんがニヤニヤと僕を見下ろす。


まるで、何もできない僕を馬鹿にするように。


「……っ」


そして、言われた僕も何もできなかった。


凡人なんて所詮、そんなものでしかないのだから。


だけど、そんな僕の肩に誰かの手が優しく置かれた。


「え?」

「ん?」


愛田くんも僕の後ろの人物を見て、初めて焦ったような声を発した。


僕が振り返る前に、彼女はこう言った。




「知ってたわよ」




僕を安心させるように、世界で一番好きな人がそこにいた。


「美島、さん?」

「……」


驚く僕たち二人をよそに、美島さんは淡々と話し始める。


「私があなた程度の本性を見抜けないとでも?」

「……違うのかい?」


愛田くんは迷った挙げ句に、本性のままで美島さんと言葉を交わす。


「まったくの見当違いね。あなたのような人を好きになるとでも思われたなんて恥ずかしすぎて死にたいくらいだわ」

「僕にまったく惚れていなかったと?」

「当然よ。汚らわしい」

「けがっ……!?」


初めて愛田くんの完璧な仮面のひびが割れる音がした。


だけど、まだ完全には割れていない。


「嘘はよくない。だったら僕とデートしたいなんて言わないはずだ」


そうだった。


そもそもこのデートを持ちかけたのは美島さんだったはずだ。


しかし、美島さんはきょとんと首を傾げると、


「デートじゃないわよ?」

「……は?」

「ただの罰ゲーム。あなたが勝手にデートと言っただけでしょう?」

「あっ」


そう言われてみれば美島さんは、買い物に付き合って、と言ってただけな気がする。


でも、僕は昨日途中で帰ってしまったから正確なことはわからない。


尋ねるように愛田くんを見てみると、彼の口はひくひくと引きつっていた。


言われていないようだ。


「な、なら! どうして僕を買い物に!?」

「だから罰ゲームだって言ってるでしょう?」

「だから何なんだよ、それは!?」


もはや周りも気にせず叫ぶ愛田くんを、美島さんはものともせずに言葉を続ける。


「でも、お買い物は結局していないから、そういう意味では嘘になるかしら?」

「っ!」


確かに今日、美島さんは何も買っていない。


昼食だって一番安いものを愛田くんに奢ってもらっただけだし。


彼女のお買い物は何一つ行っていない。


「いろいろタメにはなったわ。次からのデートの参考にさせてもらうわね」

「デ、デート? 僕以外の男とかい?」

「っ……」


やっぱり美島さんにも好きな人がいたのか。


それを知り、下げようとした肩を美島さんに掴まれた。




「えぇ、佐藤くんとのデートに」




………………………………………………………………………………………………………………………。


え?


「ええええええぇぇぇぇぇぇぇ!?」


な、何を言ってるの、美島さん!?


佐藤くん……!? あ、そうか! 佐藤は佐藤でも僕じゃない佐藤くんのことか!


「佐藤くん、顔に出てるわよ。それと、佐藤くんはあなたでしょう?」

「え!? あ、あぁ! 佐藤は僕ですけど、佐藤くんは僕じゃないですよね!」

「佐藤も佐藤くんもあなたのことよ、佐藤くん」

「佐藤くんって誰!? 甘いの!?」

「それは砂糖よ。でも、私達の青春も甘くていいわね」


いつの間に混乱する僕の腕に、腕を回していた美島さんは、ニヤリと愛田くんを見ると、


「そういうことよ?」


と、挑発するように言ったのが最後、愛田くんの仮面は完璧に砕け散った。


「そんな冴えない男が趣味だったのか!」

「私から見ればあなた達の方が冴えない男よ?」

「何を言って――」

「私、上辺だけの人とは絶対に付き合いたくないわ」

「っ……!!」


笑っている美島さんの目は、確かに敵意に満ちていた。


「私が好きなのは佐藤くんみたいな裏表のない、真面目で優しい人。あなたとは真逆の人よ」


彼女のはっきりした答えに、愛田くんは顔を真っ赤にさせては言い返す。


「そんな平凡な人間のどこが!? 何の取り柄もないそんな人間の!」

「平凡じゃないわよ」

「えっ!?」


美島さんの返事に驚いたのは、何よりも僕だった。


僕が誇れるのは平凡さだけ。逆に誇れないのは平凡であること。


そんなどこをとっても平凡な僕が平凡じゃない?


美島さんは僕の何を知っているのだろう?


そんな疑問を美島さんはため息で吹き飛ばす。


「佐藤くんだけよ? 掃除の時間、ちゃんと掃除しているのは」

「はぁ!?」


たったそれだけ!? とでも言うように愛田くんは目を見開いた。


僕も愛田くんと同意見だ。


けれど、美島さんは違う。


「たったそれだけって思ってるようだけれど、そのたったそれだけができないあなたが何を言えるの?」

「っ……」


当然のように彼女は言う。


「あなたのような上辺だけ取り繕って生きていく人なんて、この世にごまんといるの。私から見れば、あなたの方がよっぽど凡人に見える」


……そうか。そうだったのか。


僕が美島さんに惹かれた理由は、彼女が完璧だったからではない。


それはただの後付けで、僕が一番に惹かれたのは彼女の特別性だった。


他の人とは違って、僕のことをちゃんと見てくれる。


ただそれだけが嬉しくて、たまらなく好きだったんだ。


「佐藤くんのような純粋な人の方が私は特別に思えるわ」


その言葉だけで今までの人生のすべてを救われたような気がした。


僕は今のままでもずっと、特別だったのか。


ずっと刺さっていた胸のつっかえがすっかりなくなっていた。


「そんな……。僕が……平凡、だと?」


それにひきかえ、愛田くんの胸に突き刺さった矢は彼を苦しみ始めた。


「僕が平凡で、たかが佐藤くんに劣っている……だって?」


そんなはずはない、そんなはずがあってたまるか。


ヤバい、そう感じた。


愛田くんの拳がふるふると握られていて、目に正気が宿っていない。


そんな目の先にいるのは僕ではなく、彼を徹底的に追い詰めた美島さんだ。


「ふざっ、ふざっ」

「っ!」

「ふざけるなぁぁぁぁぁ!!」


ここがどこだったか、なんて彼の頭で考える余裕はもうなかった。


すべてを怒りに任せて、すべてを破壊するつもりだ。


それを最初に向けるべき相手は美島さん。


けれど。


「佐藤くん!?」

「あぁ!?」


美島さんの盾になるように僕が二人の間に割って入り、全力の拳を頬にぶつけられる。


殴り飛ばされた僕を美島さんが焦った様子で駆け寄った。


「何をしているの!?」

「うぅ……」


何これ。半端じゃなく痛い。


「大丈夫、だよ。美島さん」

「何を言って――」

「行って。美島さん」

「え……?」


初めて美島さんの驚いた表情を見た。


「そろそろ時間だよ?」


店の時計を見ると、美島さんは僕の言っている意味を理解した。


しかし、すぐに首を横に振った。


「……いやよ」


うん。そう言うと思った。


けれどね、美島さん?


「大丈夫。今日こそはちゃんと行くから」

「でも――」

「じゃないと僕は美島さんが嫌いになりそうだよ」

「っ……!」


僕と美島さんの無言の睨み合いはすぐに閉じた。美島さんのため息によって。


「絶対来ることね」

「あとだしは反則なんだけれどね」

「私があとだしに負けるとでも思っているのかしら?」

「敵わないなぁ、美島さんには」


美島さんは泣きそうな笑みを見せた後、僕を置いてあの場所へと向かった。


僕は立ち上がって、美島さんを追いかけようとする愛田くんの前に立ちはだかった。


「どけ」

「どかないよ」


愛田くんの血走った目に、僕は足を震えが止まらないが、果たしてこれは恐怖なのだろうか。


「どかないよ」


もう一度、力強くそう言った。


「どけって言ってんだろうが、クズ野郎!」

「……ふふ」


こんなときに、こんなときだからこそ、僕は少し笑ってしまった。


愛田くんの僕に対する本音を聞けたことに喜びを感じている自分が、少し面白かった


美島さんを除けば、僕みたいな人は誰の目にもとまらない存在。


僕だってその中に含まれている。


けれど今だけは、愛田くんが僕のことを本気で見て、本気で怒りを抱いている。


やっぱり愛田くんはすごいや。素直にそう思った。


その格上の相手が僕を敵として見てくれている。


それが少し嬉しかった。


「何を笑っていやがる?」


美島さんにも言われたけれど、僕は本当に顔に出やすい人のようだ。


でも、ちょうどいいかもしれない。


この際言ってしまった方がいいかもしれない。




「今の愛田くん、とてもかっこ悪いね」




愛田くんの本気の拳が飛んできた。




◇◆◇




夕暮れも終わりが近づき、月が出始める頃。


そんな空を良く見渡せる学校の屋上。


広く、大きな空間の中に、ただ一人の女子生徒が誰かの帰りを待っていた。


その誰かを想うように、ずっとその空を見守っていた。


それはどこまでも神秘的で、どこまでも一途な光景だった。


しばらくすると、そんな彼女のいる屋上のドアがゆっくりと開かれた。


「遅かったわね」

「……うん、ごめんね?」


僕がそう言って謝ると、彼女は首を横に振った。


そして、僕のボロボロな姿を見ると、とても悲しそうに、けれど、とても嬉しそうに笑った。


「ひどい怪我ね」

「我ながらよくここまで歩いて来れたなぁ、と思います」


愛おしそうに僕の顔をなでた彼女の手にチクリと痛みが起きたが、その手を払いのけることなんてできるわけがなかった。


そういえば、初めて触れあった気がする。


こんな触れあい方をしたかったわけじゃないけれど。


「ひどい顔」

「それはもともとじゃない?」

「そんなことないわ」


僕の顔は、それはもう痛々しいものなのだろう。


ここに来るまでの間、鏡を見なかったのは正解だったかもしれない。


見てたらきっとここには来れなかっただろう。


「でも、勝ったのね?」

「勝った、と言えるかは微妙なところだけれど」


ここにこうして来られた、という意味では勝ったのかもしれないけれど。


内容を見れば勝ったとは言えない気もする。


「正直、驚いたわ」


美島さんが僕の身体を心配そうに眺めながら言った。


「どうやって勝ったの?」


言おうかどうか迷って、結局言うことにした。


「一度も殴らなかったんだ」

「え?」


そこで本当に、本当に美島さんが驚いた顔をした。


その顔が少し滑稽で笑おうとしたが、痛みで上手く笑えない。笑っちゃいけないらしい。


「僕が愛田くんに喧嘩で勝てるわけがないよ。だから、やることは一つだけだったんだ」

「まさか……」

「うん」


美島さんに情けないと思われちゃうかもしれないけれど、僕は一度も殴らなかった。


殴ったところで負けるのは目に見えていたから。


「愛田くんが諦めるまでサンドバッグだったよ」


ずっと愛田くんの拳や蹴りを耐え続けた。


でも、このやり方だったら負けないという自信もあった。


「一〇〇連敗したおかげかな」


きっとそれがなかったら途中で倒れていたかもしれない。


けれど、この今までの負けのことを思い出せば、なんてことはなかった。


さすがにこれは言いすぎかな。


「……佐藤くん」

「うん?」


美島さんは少し考える素振りを見せた後、こう言った。


「私と付き合いましょう?」

「っ……」


あまりの痛みに幻聴が聞こえてしまったのかと思ったが、それにしては美島さんの目は本気だった。


「私はきっと喧嘩では愛田くんに勝てなかったわ」

「そう……かもね」


性別の違いから仕方ないのでは?


そう思ったが、美島さんがそんな違いをいいわけにしないことを僕は知っている。


「佐藤くんは、その私より強い愛田くんに勝った」

「……」

「それってつまり、私よりも強いことになるでしょう?」


美島さんは最初に言っていた。


――私、自分より弱い人とは付き合えないの


と。


これまでジャンケンに勝つことを目標にしてはいたが、それはあくまで方法であって目的ではない。


それ以外のことで美島さんに勝つことができたなら、僕はその時点で美島さんと付き合うことができるのだ。


それは確かに間違いなかった。


「どう……かしら?」


夕焼けのせいなのか、はたまた、僕の目が充血しているせいなのか。


美島さんの顔が今までで一番赤かった。


あの好きな美島さんからの告白。


嬉しくないはずがない。


今、僕は世界中の誰よりも幸せだと自信を持って言える。


だから。


だからこそ。




「ジャンケンだよ、美島さん」




僕はその告白に答えなかった。


あの日の美島さんのように。


「確かに僕は愛田くんに勝ったかもしれないけれど」


美島さんよりも強い愛田くんに僕は一応勝ったと言える。それは事実だ。


だけど。




「僕は美島さんにまだ勝ってないよ?」




僕は美島さんにはどうやっても喧嘩じゃ勝てない。


僕は美島さんを殴れないし。たぶん、美島さんも僕を殴らない。


それはつまりあいこだ。


あいこが続いたところで勝敗は決まらない。


となれば、最後に勝つのは他に勝つ手段を持つ美島さんだ。


「ジャンケンしかないんだよ。僕が美島さんに勝てる唯一の方法は」


まぐれでも、奇跡でも。勝つ方法はこれしかない。


「だからジャンケンをしようよ、美島さん」


これ以上ない輝いた笑顔が見れた。


言葉にするのがもったいないと思ってしまうほどの笑顔を見た。


「……やっぱり私、佐藤くんが好きよ」

「だったら今日こそは勝たせてもらいますよ」

「それはどうかしら?」


僕たちはお互いの手を隠す。心の内は大っぴらに見せながら。


「私、グーを出すから」

「……信じますよ?」

「えぇ」


こうして僕たちの一〇一試合目が始まる。


これから先も。


きっとずっと……。


「「ジャンケン――」」











「「ポン」」











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― 新着の感想 ―
[良い点] すごく面白かったです!主人公の心情などもわかりやすかったです。 キュンと出来るいい物語だと思います! [一言] 続きがすごく気になります!出来たらでいいですが、続編楽しみに待ってます。
[良い点] このお話しは、大好きな設定です。 主人公の感情の一喜一憂に、読んでいてキュンキュンしました。 [一言] 続編を渇望致します。 二人が付き合ってからの、波乱万丈も気になります。 大変楽し…
[良い点] 面白かったです! ジャンケンに勝つかどうかを見ていたのではなく、その手の後ろにある人の姿をみていたってわけですな笑 文章も読みやすく、テンポよく読むことが出来ました! また、主人公の途中の…
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