初戦闘
――遡ること少し前、リンドウは転生した地点から街に向かって歩いていた。
当初、街までは三十分あれば辿り着けるとリンドウはふんでいたが、その計算はかなりズレがあったようだ。歩き始めて二十分ほど経つが、町の遠景の変化から察するに、まだ半分にも達していないように見える。そして、そのズレの理由についても、凡その見当を付けていた。
目が見えすぎるのである。比喩的な表現では無く、純粋に視力が上がっていた。リンドウが前世で一番視力が良かった時でも、恐らく2.0だろう。しかし、今は明らかにそれを越えていると感じていた。それによって、最初に町を確認した時に感覚のズレが生じ、目的地までの距離を測り損ねたと考えていた。
『なぁ俺の身体機能って俺自身の全盛期のものだって言ってなかったっけ? 俺、アフリカで狩猟していた経験は無いんだけど』
『それは、この世界に順応させる為に多少は弄りましたから少しは影響が出るでしょうね。そもそも、今の貴方の体には血液と一緒に魔力も巡ってるんですよ?』
リンドウは自分の体について、当初若返っただけだとの説明を受けていたが実際は少々異なるようだ。しかし、それはアフリカの特定の部族のDNAを組み込んだとか、そういった類の話ではなく、単純にこのエストという世界に適応させたらこうなったというのがウェヌスの弁だ。
どこか胡散臭いものを感じてはいるが、リンドウとしては、これから冒険者をやるのであればメリットの方が大きいと感じ、それ以上は追及しないことにした。
『そう言えば、リンドウ。先程、話しかけた時の動きは〈棒術〉のスキルによるものですよね?』
『あぁ、武術系スキルってのは基本的な体捌きってのも内包しているからな』
この世界のスキルという制度の仕様上、知らない事、使えもしないものは発現しない。つまり、逆説的に〈棒術〉のスキルがあるということは、それを使いこなすことができるという事であり、さらにはそのスキルの発現に必要な前提要素をも手に入れているということだ。
Lv1と言えど、スキルが発現しているという事は、空手で言うと黒帯になったばかりといったところだろうか。実力的には長年続けている熟練者に混ざれば勝負にならないが、素人相手ならかなりのアドバンテージがあると言える。さらには、技が使えるというだけでなく、型を行うのに必要な体のブレを抑える為の体幹の強さや柔軟性、実践を通じてでしか獲得し得ない痛みに対する耐性や目を瞑らない等の慣れ、そういったものを全て含んだ経験がスキルというものにはある。
場合によっては本人の性格すら変化させ得るものだが、これに関しては当然とも言える。厳しい修行をする前とした後では性格が変わったとしても何もおかしくはない。だからこそ、ウェヌスはスキルに制限を設けたわけだ。
『でも、いくら基礎的な動きができると言っても、棒術ならやはり棒が無いと厳しいのではないですか?』
『確かにそうなんだが……。町に入る時に武器を持っていない方が、すんなり行くかもしれないと思って、敢えて用意しなかったんだ。でも、よく考えると武器を持たずに護衛も連れていないってのも怪しいよな』
この世界では自衛の為に武装をするのは当たり前だ。特に町から町へと移動する際は、盗賊やモンスターなど危険は多岐に渡る。だからこそ、商人たちは腕に覚えがある冒険者を雇うのだ。
それを武器を持たず、一人で街に向かってくる人間を衛兵が見たら、どう思うだろうか?素手だからと安心するだろうか?むしろ、未知の力を持っていると警戒する可能性の方が高いとリンドウは思い直した。
『そういう事なら、さっそく棒だけでも用意しておくか』
リンドウはそう言うと、街道の端の方に移動して地面に手を置いた。そして、何やら集中し始める。
『てっきり適当な木の棒か何かを拾うのかと思っていたんですが違うんですね』
ウェヌスが話しかけたがリンドウは相変わらず集中している。そうして、三十秒ほどたった頃、リンドウが触れている部分の地面が盛り上がり始めた。
『おお、やっぱり思った通りだ』
そう言うとリンドウは地面からスルスルと土を固めたような棒を引き抜いていく。そうして、十秒ほどかけて引き抜き終わると、今度は棒の端の方から雑巾を絞るような動作で形を整えていく。そうして、出来上がったのは長さ120センチ程の茶色い棒であった。
『それは土魔術ですね。そんな風に武器を作るのは初めて見ました』
『まぁ即席だしな。町に着いたらもっといい材料を使って作るか既製品を買うことになるだろうさ』
そう言いながらリンドウは右手で棒を振り下ろしたり、突いたりする動作を繰り返している。その口元はニヤニヤと歪んでおり、どうやら思いのほか気に入ったようだ。
『強度は大丈夫なんですか?』
『いや、ダメだろうな。一応、地面の少し深い所から質の良さそうな土を引き寄せて固めてから、錬金術の〈融合〉を使ってさらに強度を増したつもりなんだけど……鉄と打ち合ったら持たないだろうな」
土魔術のスムーズな使用に加えて、錬金術を併用したと聞いてウェヌスは内心驚きを覚えた。初めて、使った魔術が複合魔術とはなんとも常識外れである。
しかし、魔術の基礎的な知識に加え、地球での知識もあるリンドウにしてみれば、土魔術と錬金術は非常に相性がいいと最初から考えており、柔軟な発想もそれ故だった。
自分で作った土の棒を嬉しそうに振りながら歩くリンドウは、傍から見ると下校中の大きな小学生のようであった。
しかし、その平和な時間も終わりを告げる。街道脇の少し背が高めのブッシュの中から、一匹のゴブリンがリンドウの目の前に飛び出てきたのである。
初めて、異世界でゴブリンを見たリンドウの感想は『これは無理だな』であった。
この、『無理』というのは倒せないとか逃げ切れないとか、そういった意味ではない。リンドウは異世界のテンプレとして、もしかしたら『ぼくわるいゴブリンじゃないよ』パターンもあるかもしれないと想定していたのだ。そして、その可能性が完全に無くなったという意味であった。
リンドウは持っている土の棒をゴブリンの頭に振り下ろしたくなる衝動を必死に抑えて冷静に観察した。身長は120~130センチくらいだろうか、顔は醜く、特に特徴的な乱杭歯は嫌悪感の塊のように見えた。武器は無し、敢えて言えばその不衛生極まる爪で引っかかれるのが一番ダメージが高いと判断した。一対一なら問題はない。しかし、複数を相手にすると万が一がある。
『ウェヌス、もう少し先の開けた場所に移動する』
そう言うと、ゴブリンにフェイントをかけた後、脇を擦り抜け街の方向へと走り出す。ゴブリンもすぐに追いかけて来るが、足跡はみるみる離れていくように感じた。
リンドウは、このまま引き離して街まで走り切ってしまおうかという考えも頭を過ったが、そのようなMPKっぽい行為がどのような印象を与えるのかよくわからなかった為、当初の計画通り、街道の脇の草の丈が膝以下の開けた場所でゴブリンを待つことにした。
リンドウは目的地で振り返りゴブリンを待つ。距離は30メートルほど離れていた。
待つ間に方針を決定する。絶対に直接ゴブリンに触らせない事、これが第一条件だ。戦って負けるという考えは既にリンドウの頭の中には無かった。しかし、かすり傷でも負えば病気が怖い。
結論としてリンドウは『突く』という動作だけで倒すことにした。初めて作った棒の強度が、全力で振った衝撃に耐えられるかどうかわからなかったのだ。もし、最悪折れてしまうと武器の長さが短くなる。今回は、ひたすら突いて突きまくる事にした。
向かってくるゴブリンが3メートルを切ったところでリンドウは棒を振り上げた。慌てたゴブリンは避けようとスピードを殺し、回避体制をとる。そこへ、リンドウは棒を振り下ろす。ゴブリンは頭を守ろうと両手を上にあげ、棒をつかみ取ろうという手の形で待ち構えている。
しかし、振り下ろしはフェイントであり、リンドウは棒を途中で自分の側に強く引き強引に軌道を変える。そして、がら空きになったゴブリンの喉に渾身の突きを放った。
——グギャ
潰れたカエルのような声をあげ、ゴブリンは前屈みになり両手で喉を押さえた。そこで後頭部でも殴ればもう勝負は着くのだろう。しかし、リンドウはじっと距離を保って観察し、下を向いたゴブリンがリンドウに向き直った瞬間、狙いすました突きを左目に放った。
——ズボッという感覚と共に左目が潰れ、ゴブリンはそのまま仰向けに倒れた。右足は小刻みに震えているが起き上がる気配は無さそうだ。
リンドウは倒れたゴブリンの頭の横に素早く移動した。そこで、胸が上下運動していることを確認した後、スイカ割りよろしくゴブリンの頭部に棒を振り下ろしたのだった。
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