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香辛料無駄盛り  作者: 黒田皐月
無駄盛り、広がり
5/5

戦陣命名

 受験勉強とは高校三年間の学習の集大成であり、だから一年二年前のこともきちんと復習しなければならない。しかし今直面しているのはそれとは違うと、氷川は他人事ながら空恐ろしく思った。

「ああ、この辺からわかってなかったのか。これは相当大変そうだな」

 それなのに当の本人は、深刻さを感じさせない苦笑いを浮かべていた。いつもどおり日野と桜田と三人で昼食をとり、弁当箱を片づけようとしていた頃に、この志村が数学の問題がわからないと助けを求めに来たのだった。

「いや、今さら因数分解とか、お前本当に大丈夫か?」

 氷川が怖くて口にできなかったことを、桜田がいともあっさり代弁した。その不躾さに志村が気を悪くした様子がないのを見て、氷川は安堵のため息をついた。

「俺これまで部活一本だったから、あんまり勉強していなかったんだよね」

 その部活を引退してようやく受験勉強に取り掛かった志村は、最近になって時々こうして三人に教えてもらいに来るようになった。それにしても今からやり直しでは、相当猛勉強が必要だろう。それでも聞きたいことだけ聞いた志村は、雑談など始める始末だった。

「すごい今さらだけど、氷川にひとつ聞いていいか?」

 ひとつの話が何となく終わったところで、志村が氷川に顔を向けて問いかけた。勉強のことに戻るのだろうかと、氷川は気構えを新たにした。

「お前って一時期眼鏡やめてたと思うけど、いつの間に眼鏡に戻ってたんだっけ?」

 しかしそれは見事にかわされて、不意を突かれた氷川は一瞬だけ反応が遅れた。

「確か、今年になってからだよな。目が悪くなったのかと思いきや、実はずっとコンタクト使っていたなんて初めて知って、あの時はびっくりしたよ」

 遅れた氷川の代わりに、日野が答えを出した。勉強そっちのけだった志村はともかく、これまでも相当勉強をしていた日野も桜田も視力が悪くないらしいことが、氷川には羨ましかった。氷川もできれば眼鏡だのコンタクトだのは使いたくなかった。

「そうそう。俺なんかは中学まで眼鏡だった氷川が、高校に入ったとたんにコンタクトにした方にびっくりだったぜ」

 羨ましさを増長させる方向に話が進んで、氷川は憮然とした表情を浮かべた。しかし、それだけでは済まされなかった。

「高校入ってお前色気づいたと思ったんだけど、結局何もないまま諦めたのか?」

「え?」

 志村の言葉に、三人同時に間の抜けた声を上げた。日野と桜田のそれは、意外という反応だった。眼鏡の方が楽だからという理由で年明けから眼鏡に戻したことは事実であり、二人にもそう伝えてあった。

「まあ眼鏡をやめたくらいでモテるようになれるなんて、ありえないけどな」

 ニヤリと勝ち誇ったように笑う志村に、氷川は苦虫を噛み潰したような表情を隠すことはできなかった。誰にも言ったことはないことだったが、間違いなく正確にその通りだった。

 こんな話をこれ以上続けたくなかったが、図星を突いたと理解してしまった志村は意地悪に口角を上げて見せていて、日野と桜田は続きを聞きたそうな顔で氷川を眺めていて、逃げ場はどこにもなかった。

「まあ、な。高校デビューって感じでかっこよく見せたかったってのは、あった」

「ふうん」

 挑発するような物言いに氷川は目の前にいる奴を殴るか蹴るかしたくなったが、そんな心得はないのでかわされるか反撃を食うのが落ちだろうと思いとどまった。せいぜい、にらみつけてやるくらいだった。

「でも、こいつの言う通りそれだけじゃ何も起きなかったし、俺もどうにかしようと動くことはなかった。そのうちコンタクトが面倒になって楽に流れたってのは、お前らには言ったよな」

「へえ、そんなこと考えてたんだ。でもさ、眼鏡でもいいものはいいんじゃないの?」

 眼鏡に縁のない者にその気持ちはわからないのだろうが、それでも無神経な桜田に、氷川は刺すような視線を向けた。それだけで桜田の首をすくめさせ、口を止めることができた。

「それで、大学に進学したらまたコンタクトにするのか?」

 その視線でさえ、圧倒的優位に立つ志村を止めることはできなかった。

「いい加減、その話はやめにしないか?」

「いや何かさ、モテようとがんばる男の子が微笑ましいって言うか、かわいらしいって言うか」

 予鈴が鳴るまで、氷川はそうやっていじり回され続けた。

「久しぶりに馬鹿話ですごい盛り上がったな」

 自分の席に戻る直前になってもまだ顔を笑いでひきつらせながら、日野が言い捨てた。

「馬鹿話とか言うな」

 氷川の抗議も通じなかったらしく、日野は背を向けて歩きながら手をひらひら振って見せた。


 そんな志村がどこからか昼飯付きの勉強会の話を耳にしたらしく、参加を希望した。先日理解した数学の課題の多さに怖気づいたようだ。小耳にはさんだ程度で全貌は把握していないらしく、激辛のことは知りもしない気配だった。

「まあ良いんじゃないかな。たまにはそういう復習のやり方もありだと思う」

 数学担当とも言うべき日野が賛意を示し、桜田は興味は薄そうだったが反対はしなかった。氷川もそれに乗ることにした。

「いいよ。今度の休みに俺の家でいいか?」

 ある目論見を持って、氷川は場所の提供を申し入れた。誰もそれに気づくことなく、そのまま予定が決まった。

 そして当日、やはり志村の相手は日野が務めていた。我関せずの態度の桜田はその場から逃れるように、氷川の学習机に陣取っていた。

「方程式の解でも共通項を見つけるところは同じだから、慣れといた方がいいぞ」

 あらかじめ用意してきたかのような日野の流れの作り方に、氷川は感心していた。その流れに志村が自然に乗っているかのようで、あまり教科書とノートの間を忙しなく行ったり来たりはしていなかった。

 もっと参考書や問題集が増えるかと思ったのだったがテーブルに広げられたのは教科書とノートだけで、桜田が来ても窮屈にはならない程度だったので氷川は一度桜田を呼んでみたが、付き合うつもりがないとの返事だった。熱心に解説している日野に遠慮してか、たまに氷川にわからないところを聞いてくるくらいだった。

 途中で窓から差し込む日差しがまぶしくなってきたので、レースのカーテンを閉めた。グラフを書くという日野に線引きを貸したところで、ちょうどいいのか悪いのか、正午のチャイムが鳴った。

「昼にする?」

 解説の状況など見もせずに、桜田が声をかけた。日野は区切りのいいところまでやりたかったようにも見えたが、そこで手を止めた。

「ゴメン、うちの家族に早めの昼にしてもらってるからまだ台所空いてないんだ。十二時半まで待ってくれる?」

 そういう予定を立てていた氷川だったが、日常の癖なのか正午のチャイムで集中力が途切れてしまったようで、誰も勉強に戻ることはなかった。あらかじめ言ってあれば違ったかもしれないと、内心で氷川は反省した。

「それにしても、日野って教え方うまいな。学校の先生になれるんじゃない?」

 志村の感嘆から雑談の流れになった。

「うーん、今は教師になるとか考えてはないけど、大学では教職は取っておこうとは思ってる」

 氷川も似たような考えだったので、それにうなずいた。教職のことなど知らなかった志村も、話を聞いて取れるものは取っておく気になったらしかった。興味のないものには見向きもしない桜田だけは、つまらなさそうに取る気はないと言った。

「確かに桜田は先生とか向いてないだろうし、いいんじゃないの?」

 一人だけ仲間外れになって渋い顔をした桜田に志村はなだめるように言って、ポンと肩を叩いた。

「でも意外だったんだよな。俺、最初は勉強のことは桜田に聞けばいいって思ってたんだ。成績トップクラスだし何でも答えられそうって期待してて、ちょうど一緒にいた氷川が顔見知りだったからそこから近づいたんだけど」

「でもそれは間違いだった。こいつに説明なんてできはしなかった」

 志村の言葉を日野が継いだ。これは日野も氷川も二年も前に通った道だった。

「本当に驚きだったよ。当てにして教えてもらいに行ったら、自分でさっさと解いてハイこうでしょで終わりだし、挙句の果てには逆に教えろとか言う始末だし」

 それで逆に当てにされたのが、桜田との友達付き合いの始まりだった。他に人付き合いのない桜田に懐かれて、三人でいるようになった形だった。

「だって、他に答えの言いようはないじゃん」

 事実に違いないので、桜田の抵抗も弱々しかった。目じりを掻きながら、時々拗ねたようにそんなことを言ってみただけだった。

「それでも、相手にわかってもらおうと付け足すことはできるだろう。お前にはそれが足りない、と言うより、まったくない」

 日野がぴしゃりと言うと、弱々しい抵抗さえもなくなってしまった。桜田は下を向いてしまい、そうしながらまだ目じりを掻いていた。

「まあまあ抑えて。ごめんな桜田、お前のことを馬鹿にしたかったわけじゃないんだ」

 途中から聞き手に押し出されていた志村が強引に割り込んできた。まさか狙ったわけではないはずだが、腹の音まで響かせるおまけつきだった。

「待ちきれないわけか、わかったよ。まだちょっと半には早いけど、台所空いたか見てくる」

 氷川が台所に行ってみると、母親が食器の後片付けをしていた。片付けを引き受けることにして台所を空けてもらい、待っていた三人を呼び寄せた。


「あれ、もしかして自分たちで昼飯用意するのか、これは?」

 そうと知らなかった志村が素っ頓狂な声を上げた。間違いなく激辛のことは知らないと確信した氷川は、表情にはそれを出さずに冷たく肯定した。

「時間がないから、お前にも分担してもらうぞ。志村は鶏肉を一口大に切って、桜田はそっちで長ネギとキャベツをこれも一口大で頼む。日野は、悪いけどそこの洗い物頼む。フライパンはすぐに使いたいから最初にやっといて」

 ここでの料理も二度めで、勝手知ったる桜田と日野はすぐに動き出した。氷川自身はチャック付きクリアパックを取り出し、味付け用のコチュジャン、みりん、料理酒を入れて一旦チャックを閉じた。

 手早く長ネギとキャベツを切ってくれた桜田にはさらにトマトとキュウリの輪切りを頼んだが、肝心の鶏肉の用意が遅れていた。

「これぐにょぐにょしてて切りにくい」

 氷川が催促すると、志村からは愚痴が返ってきた。それには誰も取り合わなかったのでもう一度切ろうとしたが、力を加えてもへこむばかりで切れると思うと弾力で逃げられてしまう。

「おいこれどうすりゃいいんだよ」

 依頼主の氷川を呼ぼうとした志村は、顔を上げたところでその光景に戸惑った。日野は次々とすすいだ食器をかごに並べていき、桜田は拍子をとるような鮮やかな音を立ててキュウリを切っていた。

「お前ら、いやに手馴れてないか?」

「逆に聞くが、お前全然だな。包丁とか持ったことないのかよ」

 感心したような、呆けたような声を上げた志村に答えたのは、手が空いていた氷川だった。他の二人はそれぞれの立てている音が邪魔したのか、聞こえていないようで、自分の仕事を続けていた。

「中学の家庭科以来じゃないかな。何となく包丁の持ち方とか切る材料の支え方は覚えてるんだけど」

 こうだろ、と言いながら志村はまた鶏肉に向かったが、やはり切れはしなかった。

「そうだな。手を切らない程度には覚えてるんだと思う」

 持ち方は間違っていなかったが、包丁の使い方は間違っていた。もっと言えば、刃物の使い方がわかっていなかった。

「おーい、トマトもキュウリも切ったぞ。他に何かあるか?」

 音がひとつ止んで、桜田が氷川に顔を向けた。

「うわ、すごい。何その手際の良さ」

 呼ばれた氷川よりも早く志村が桜田の仕事ぶりを見て、感嘆の声を漏らした。

「んー、大したことじゃないけど。ってお前、まだ全然進んでないじゃん」

 桜田は逆に志村の現状に驚いたのだった。既に十二時をかなり過ぎていてこれ以上遅くするべきではないと判断した氷川は、鶏肉も桜田に頼んだが、それはきっぱり断られた。

「包丁持つの久しぶりなんだろう。今のうちに慣れておくために、この昼飯があるんだぜ。いい機会じゃないか」

 氷川と志村を交互に見ながら、桜田は調子のいいことを言った。

「包丁はこう、垂直に押し付けるんじゃなくて斜めに押し込むものだ」

 そして自分の持っていた包丁を使って、一度切って見せた。よく切れる包丁を使っていたのではないかと疑った志村だったが、包丁を交換しても同じことだった。

 桜田が割り込んできてあぶれてしまった氷川は、桜田が切ったトマトとキュウリを大皿に盛りつけ、その上にちぎった韓国のりをまぶした。

「おお、本当だ、切れた」

 その背後では、ようやく鶏肉切りが始まっていた。一度、二度、三度と続けるうちに、志村にも包丁の使い方がわかったらしかった。

「お前すごいな。いつこんなの覚えたんだ? 学校の家庭科だけじゃここまでできないだろう」

 切りながらしゃべる余裕もできてきたらしい。脇で監督している桜田に、そんな問いかけをしていた。

「俺はまあ、家で小遣い稼ぎで手伝いしてたことがあったからな。それで少しは慣れた。氷川は?」

 タレの味見をしていた氷川は急に話を振られて指をかみそうになったが、すんでのところで引っ込めた。指につけていたタレが一滴足元にこぼれてしまい、氷川は雑巾で拭きながら答えた。

「授業の後に面白くなって、親に言って何度か試させてもらった。それで二度くらい飯を台無しにしたことがあったけど」

「うわ、今日が三度目とかないよな。いや待て、その赤い瓶は何だ」

 からかうようだったはずの桜田が、テーブルに置かれた七味の瓶を見て急速にその表情を消した。

「これは本日のお楽しみってやつだ。肉切れたらこっちにちょうだい」

 今度は氷川がからかうような軽い声音になって、半分くらい進んだ鶏肉をクリアパックに入れた。ちょうど洗い物を終えてこちらを向いた日野も桜田と似た反応を示したが、こちらは何も言わずに諦めたように肩を落とした。

「あとは肉とネギとかを炒めるだけだから、日野と桜田は待ってて」

 日野と桜田はおとなしく氷川の部屋に戻っていった。戻りがけに志村に覚悟しておけと肩を叩いたが、志村はまだ理解していない様子だった。

 残りの鶏肉も切れたところで、氷川はそれもクリアパックに入れて揉みながら、志村にフライパンの用意を頼んだ。コンロにフライパンを乗せて油を敷いたところで、志村が口を開いた。

「勉強の説明が下手な桜田が、まさか包丁の使い方をあんなに丁寧に教えてくれるとは思わなかった」

「まったくだ。俺もあっけにとられてた」

 それから氷川は、この昼飯の用意が、さっき桜田が言った通り、慣れるために桜田が企画したものだということを話すと、志村はさらに意外そうに口を開いた。しかし氷川はまだ味付けのことを口にしなかった。

 コンロから過熱防止の警告音が鳴ったところで、クリアパックの中身をタレごとフライパンに移し、長ネギをキャベツも入れて炒め始めた。フライ返しを志村に渡すとやたらとかき混ぜ始めたので、それでは火の通りが遅くなるからと止めなければならなかった。

「どの程度焼けばいいんだ?」

「焦げないように適当に返してやりながら全体に焼き色を付けて、あとは鶏肉に火が通ればいい」

 何気なくやっていることを敢えて言葉にしなければならないのは、意外に難しく、そして新鮮だった。

「火の通りって、ひとつ食ってみるのか?」

「それで生だったら腹壊すだろうが。何となくわかるもんだけど……、そうだな、包丁で切って見てみるか」

 何となくわかることのできない志村は表面に焼き色がついてすぐに鶏肉をひとつ上げてしまい、断面のピンクを見ることになった。


「やあやあ待たせちゃって本当に悪かったね」

 赤い炒め物を、危険なものと知らずに運んだ志村は、日野と桜田の待つ部屋に戻るとまず遅くなったことを詫びた。

「それで、味見はしてきた?」

 何事もなさげな顔をした志村に桜田が問いかけたが、志村に続いて氷川が部屋に入ったところで口をつぐんた。時刻はすでに午後の一時半を過ぎ、全員が腹を空かせていて、異様なはずの匂いさえも食欲をそそるものに感じられた。氷川と志村が皿を並べる横で、日野が全員分のコップに冷茶を注いだ。

 用意ができたところで最初に箸をつけたのは、何も知らない志村だった。他の三人が注目する中、志村はものすごい勢いで口を押えた。思わず吐き出しそうになったからで、どうにかそれは抑えて冷茶で胃の中に流し込んで事なきを得た。

「おい何だよこれは」

 息も絶え絶えの志村に、氷川はあくまで冷然と空のコップに冷茶を注いでやった。

「うわ、これは本気だな」

 その脇で同じように一口だけ炒め物を口にした日野と桜田も、辛そうにしながら、こちらはさほど驚いてもいない様子だった。

「ちょっと変だなとは思ってたんだ。赤いタレならともかく、こんなに赤いのがまぶされてるのは。俺があまり料理知らないからって、ハメたのかよ?」

「いや普通に気づけよ。唐辛子がこんなに目立つ食い物なんて、見たことあるか?」

 氷川は志村の苦情に取り合う気はなかったが、代わりに桜田がそんな指摘を入れた。

「それはないけど、俺の知らない料理かもしれないし。そもそもこの赤いのも、見たことないぞ」

 知らずに真面目に付き合ってくれていた志村に、氷川はつい吹き出してしまった。黙って見ていられたのは、そこまでだった。

「それはコチュジャン。韓国料理に使う辛めの調味料だ。家でも普段から見るものじゃないから今日はわざわざ買ってきたんだけど、そこまで珍しいものじゃないとは思うぞ」

「いや、焼肉屋にでも行かないとあまり見ることはないんじゃないか?」

 得意げな氷川だったが、今度は日野が指摘を差し込んだ。確かに氷川も焼肉屋の一品料理で知っているだけだったのだが、わざわざ訂正したりはしなかった。

「この間散々俺のことをコケにしてくれたからな。その礼も兼ねてだ」

 代わりに、たっぷりの軽侮の視線を投げかけてやりながら、言ってやりたかったことをゆっくりと言ってやった。

「元々辛いのにさらに辛くしたのかよ。七味をこんなに無駄に盛りやがって」

「それだ!」

 急に桜田が大きな声を上げ、すべてが止まった。辛さのあまりに荒くなっていた呼吸さえ忘れてしまったかのように、志村は息をのんだ。

「七味無駄盛り。いや前回タバスコも使ったから、そうだなあ……、香辛料無駄盛りでどうだろう」

 問われたところで、桜田が何を言っているのか三人ともにわからなかった。

「何が?」

 たっぷり十秒は硬直しただろうか、それを破るように氷川が問い返した。

「名前だよ。この昼飯の、この勉強会のでもいいな、その名前にちょうどいい感じじゃん」

 やはり桜田が何を言っているのか、誰一人わからなかった。考えても無駄だろうと思ったのか、今度は日野がすぐにそれに応じた。

「名前なんて必要なのかよ」

「必要かと言われれば必要なんてないけど、あった方が面白いじゃん」

 桜田の答えは相変わらず、自分が面白いと言うだけのものだった。日野と氷川は呆れたように桜田を見ただけだったが、意外なところから擁護が入った。

「いいかもな、それ。その呼び名を聞けば、今回の俺みたいに知らずに被害を受けることはなくなるだろうぜ」

 志村は桜田に顔を向けながら斜めに氷川に目を向けて、嫌味を混ぜたようなことを言った。

「わかったところで、この辛さがなくなるわけじゃないけどな。これを残しちゃいけないのがここのルールだし、残させないような辛さにするのも作る側のルールだ」

 賛同を得た桜田が、調子に乗ったのかあるいは辛さがしみてきたのか、鼻を鳴らした。

「それなら食いますか。なるほど確かに食えないほどの辛さじゃないんだな」

 率先して食べる姿勢を見せた志村だったが、次の一口でまたしても吐き出しそうになって、三人に笑われた。それが悔しかったのか、志村も誰の食った時の顔がどうのと、いちいち食って掛かるように笑い返した。

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