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香辛料無駄盛り  作者: 黒田皐月
無駄盛り、始まり
3/5

日野の役

 気の抜けたようなざわめきが漂う放課後のひと時、日野は教室の窓から下校する生徒の流れをぼんやりと眺めていた。もう少し時間が過ぎれば、ほとんどの生徒が部活に出るなり帰宅するなりして教室はもぬけの殻になる。

 日野はいつも通りにその時を待っていた。その脇で氷室が窓際に三人分の席を寄せていた。

「ほい、本日の日野先生の法則のお時間です」

 手持無沙汰にしていた桜田が突然、いいことを思いついたかのように楽しげに、日野に訳のわからない話を振った。法則性を好む日野だったが、ことさらにそんなものを吹聴する趣味などない。

「そんなお時間など存在しない。それが世界の法則のひとつだろうな」

 後ろにいたらしい氷川が、一瞬だけ噴き出すように笑った。しかし隣でマイクを突きつけるように腕を伸ばした桜田は、もう一声とばかりにこぶしを日野の口元に突き付けた。日野は嫌そうな顔をしてそれを片腕で払いのけた。

 それでもめげずに何かないかとせがむ桜田はまるで駄々をこねる子供で、こうなると望み通りにしてやるか気をそらせるか叱りつけるかしなければならない。面倒になった日野は、何か適当な題材を目の前から探した。しかし折り悪く、窓の外の人の流れはすでにまばらになってきていた。

「あそこに女子二人がいるだろう、手をつないでいるのが」

「何だ? 女子の話なんて珍しいじゃないか。まさか気になる子でもいるとかじゃないよな」

 後ろにいたはずの氷川の方が、面白そうに話に入ってきた。氷川も桜田も日野が指した女子をすぐに見つけて、それを半目で追いながら日野の話の続きを待っていた。

「手をつないでいる割に、二人の間隔が広い。それがちぐはぐな感じがする」

 日野の言葉に氷川も桜田も窓の外を向いて、二人の女子を凝視した。氷川は小さくうなっただけのようだが、桜田は疑問そうに日野に首を傾げて見せた。

「手をつないだらふつう、肩が触れ合うより少し広い程度の間隔になるだろう。それがここから見てもわかるくらいに開いている」

「そういうものなのか? よくそんなこと知ってるな」

 桜田は感心したような、気の抜けたような声を上げた。

「ドラマとかで見るだろうよ。もっとも、お前はテレビなんか見ないからわからないのかもしれないけど」

 氷川も桜田もそれにうなずいて答えた。もっとも二人の答えは同じではなく、氷川は前者に、桜田は後者に対しての同意だった。

「そこでだ。ちぐはぐな形というものは、その関係性のちぐはぐさが示すもののはずだ」

 実は日野は適当なことを言ったことを後悔していた。思いの外二人の興味をそそってしまったので、それらしいことを言わなければならないところに追い詰められていた。どうにか、ふと視界に入った時に感じたことを言葉にして並べていく。

「つまりあの二人は一見仲が良さそうで、実は危ういところがある。そんなところだろう」

 日野が窓の外に目をやったまま口を結ぶと、氷川と桜田ももう一度確認するかのように校門に目を向けた。三人が眺めている前で、二人の女子は手をつないだまま校門を出ていった。

「確かに鋭い推測だけど、証明はできないだろう。それじゃ法則とは言えないぞ」

 見えなくなったところで、桜田がどこにも鋭さのない調子でしかし鋭いことを言った。どうでもいいことだから適当に流してほしかった日野は心底面倒になって、わざとらしくため息をついて見せた。

「はいはい、俺の負けでいいよ。負けでいいから、もう勉強しようぜ」

 日野が負けを認めると、桜田は勝者の権利だと言って英語の試験対策を要求した。それもヒアリングの問題で、すなわち誰かが問題文を読まなければならない。

 日野も氷川も学校の勉強でしか英語を知らず、何でも流暢にしゃべることができるはずなどなかった。当然しょっちゅう引っかかるし、辞書を見ても読めない単語もいくつもあった。

「意味は覚えてるんだけど、なんて読むんだっけこれ」

 もはや聞き取りではなく読解になっていた。もともとヒアリング用の問題なので読解にしては難しくはなく、しゃべるのを諦めた日野はすらすらと問題を解いてしまった。

「ヒアリング問題を普通に読んでも意味ないだろう」

「そうだけど、悪いが俺には英語をしゃべるなど無理だ。諦めてくれ」

 桜田もできないものをさらに要求することはせず、ヒアリング対策は誰か得意な者を捕まえた時まで延期することにした。そんな話をしているうちに、ほとんど成果が上がらないまま下校時間になってしまった。

「なんか今日は、かえって邪魔しちゃったみたいで悪かったな。詫びと言っては何だが、次の土曜は俺の家で一日勉強会しようぜ」

「英語?」

 さっきまでの無駄を忘れたように桜田が期待するような声を上げた。

「それは無理。俺が役に立てるところで、まあ数学だな」

「数学はいいが、あれはやるつもりなのか?」

 氷川が別の期待を、あるいは不安の裏返しでことさら明るく言ったのかもしれないが、口にした。

「俺だけやられっぱなしってわけにはいかないだろ。ちょうどいい機会に、礼はさせてもらうよ」

 機会は流れの中で作り出すもの、それが日野の考える法則性のひとつだった。


 約束の土曜日、その約束通り朝からひたすら数学の問題を当たり続けた。数学は配点の大きな教科であり、その分問題数も多い。中には引っかけ問題のようなものもあるので、満点は難しい。

 点数を積み上げるためには確実に解けるものを手間取らずにかつ正確に解いていく技術が必要だと日野は考えており、ある程度の自信を持っていた。相変わらず問題ごと覚える桜田はそんなことに興味を示さなかったが、氷川からは何度も質問を受けた。日野は同じような問題をいくつか解かせて、氷川に公式を覚えさせようとした。

 そんなやり方がようやくできあがってきた頃、正午のチャイムが響いた。時間の経過の速さに驚いた日野だったが、確かに腹は減っていた。

「もういいだろう、何作るか教えてくれよ」

 数学の質問に挟んで氷川に何度かそれを問われていたが、日野は無回答を通し続けていた。隠しておきたかったというよりも、前回、前々回のお返しにちょっと焦らしてやりたかった。

「エビチリにする」

「お、割と面倒そうなもので来たな」

 桜田がちょっと驚いた様子を見せたが、冷蔵庫の中身からそれを取り出した途端に手のひらを返したように態度を変えた。

「なんだ、下調理済みのエビを買ってあるのか」

「随分と大きな顔をしてくれるじゃないか。そう言う奴はまた片栗粉まぶしな」

 エビのパックを手にしたままの桜田に、日野は片栗粉の袋を押し付けた。桜田は文句こそは口にしたが、断りはせずにエビに塩コショウを振って味付けを始めた。日野からサラダを頼まれた氷川は、レタスやらキュウリやらを流し台で洗い始めた。

「うーん、何か他にサラダの材料ない?」

 冷蔵庫を物色しながら氷川が声を上げた。

「コーンとツナの缶詰、あとはこっちにニンジンとかジャガイモとかがあるけど」

「それだけあればポテトサラダにすれば結構ボリュームできそうだな。それで行こう」

 氷川が全部使うと言い出したことに日野は意表を突かれた思いをしたが、初めに任せた限り、言われた通りにすべて渡した。

「ジャガイモゆでるのにコンロ使うけど、空く?」

「片方だけなら。使う時は言って」

 答えながら日野は小さな鍋にみりんとケチャップと酢を入れて弱火で加熱を始めた。煮立った頃にエビの準備を終えた桜田から片栗粉をもらって、とろみ付けをした。

「じゃ、俺次何すればいい?」

 氷川が野菜を洗っている横から強引に割り込んで手を洗った桜田が、清々した表情で突っ立っていた。日野が答える前に氷川がジャガイモの皮むきを頼み、桜田はまた手が汚れるとむくれたが、やはり断りはせずにピーラーでジャガイモの皮をむき始めた。

「悪い、ネギ切りたいからちょっとだけまな板空けて」

 忙しそうにニンジンをさいの目に刻んでいる氷川に、日野は横から頼んだ。日野の予測と実際の進み具合が違ってきて、手際の悪さが申し訳なかった。

「いや、ネギは俺が切っとく。適当に細かくしとけばいいよな。代わりに鍋に湯を沸かしておいてほしい」

 しかし、それはそれでいい連携ができているようだった。コンロの片側に水を張った鍋を用意した日野は、もう片側のソースの鍋に七味を瓶の四分の一程度混ぜ込んでから火を止めてコンロから上げた。いかにも普通でない香りが立ったが、氷川も桜田もそれについては何の反応も示さなかった。

「日野、ネギ切ったから引き取ってほしいんだけど。あと桜田、ジャガイモ切れたか?」

「無理言うな。まだ皮むき中だ」

 桜田の苦情を背中で聞き流して、日野はフライパンを用意した。エビとネギを炒め始めたところで、氷川が空いたまな板でキュウリを輪切りに切り始めた。包丁がまな板を叩く音が拍子を刻むかと思うと、数回で止んでしまう。慣れていないことがそうそううまくできるはずはなかった。

「お前、キュウリの輪切り下手だな」

 さっきの無理の意趣返しかのように、桜田がまな板をのぞきこんで嫌味を言った。

「そういうお前こそ、ジャガイモは切り終わったのかよ」

 しかし氷川はこたえた様子もなく、冷静に切り返した。実際終わっていなかった桜田は、それで引き下がった。その間に日野は炒めたエビにソースを掛けたり、先に煮立ってしまった鍋の火を弱めたりしていた。

「ジャガイモ切れたぜ。もうそろそろお役御免でいいよな」

「そうだな。いや、もう使わない鍋とか洗っておいてくれると助かる」

「ああ、こっちも終わったからそれは俺がやっとく」

 日野はジャガイモを鍋に入れながら桜田に頼んだが、それは氷川が引き受けてくれた。手持無沙汰にしている桜田に、日野は皿の準備を頼んだ。こき使っているような気もしたが、意外と連携が取れていることが面白くて、日野は二人に甘えてしまっていた。

 しばらくしてジャガイモに火が通ったかを確かめようと日野が菜箸を取り出すと、氷川が脇から割り込んで包丁で鍋の中のジャガイモを突き刺した。ジャガイモは簡単にふたつに切れたので、日野が鍋をコンロから上げようとすると、氷川に止められた。

「お玉ですくい取ってくれないか。時間がないからこのお湯はニンジンをゆでるのに使っちゃいたい」

「そっか。それならジャガイモ回収した後は任せる」

 日野は指定のお玉ではなく穴杓子を取り出して、ジャガイモをボウルに上げた。ついでにその穴杓子でジャガイモをつぶし始めた。洗い物の続きは桜田が引き受けてくれた。

 あとは切ったキュウリだの缶詰のコーンだのツナだのを加えて、ゆでたニンジンも足してマヨネーズをあえれば完成である。しかし日野はふと思いついたものがあって、一度は片づけた七味の瓶を戸棚から取り出した。

「おいちょっと待てそれはやめろ」

 それに気づいた桜田が、早口で止めに入った。口だけではなく、洗い物を放り出して水道さえも流しっぱなしのままで七味の瓶を取り上げに駆け寄ってきた。

「辛いのは一品だけで限界だ。他に口を休ませるものがないと、絶対に無理。だから毎回サラダがついてるんだぞ」

 桜田の力説は、食べ始めてすぐに正しいことが立証された。この趣向を始めた張本人に感謝するのもしゃくだったので日野は何も言わなかったが、内心は桜田が加減というものをしっかり考えていたことを意外に思ったのだった。


 午後も引き続き、少々のことでは尽きることのない数学の問題集に挑み続けた。引き続きなのは、ようやく今日のペースをつかんだ氷川の希望でもあった。

「まだ口の中が辛いんだけど、せっかく日野先生がいてくれるからな」

「お、本日の法則か?」

 すぐに始めたさそうな氷川を、ちょっと休憩したい桜田がわざとらしい大きな呼吸をしながら茶化したが、日野はそれを無視した。桜田もそれ以上の邪魔はせず、黙って片づけたテーブルに問題集を開いて置いた。

 数学は法則を押さえさえすれば、かなりの点数を取ることができる。確率統計の分野などは、その最たるものだと日野は考えていた。授業時間の都合であまり触れていないので苦手とする者は多いらしく、現に隣に座る氷川も苦戦していたが、用語の定義を覚えさえすれば難しい問題は少なかった。

「組み合わせを考えるだけで、相当時間を食うんだよな」

 考えがまとまらない様子でノートにぐちゃぐちゃ書き込みながら、氷川が弱音を吐いた。いつまでも考え込むよりはましだと思いながらそれは言わず、日野は整理して書いた自分のノートを氷川に渡した。

「統計ってやつは計算する量は大きいこともあるけど、考え方は単純だ。面倒がらずにそれを整理するのが、結局は一番早い」

「でもな、組み合わせに抜けがあるのが一番怖いんだよな。それ間違うと最初から全部ダメになるし」

「だから最初に全力で整理する。できるだけ公式を当てはめるのが早いけど、自信がなければ数の小さい順からすべて書き出していく。それに慣れさえすれば、苦手って程じゃなくなると思う」

 目の前の問題は、サイコロを4個振って目の合計が10になる確率を求めるものだった。氷川のノートには書ききれないくらいの数字の羅列があったが、日野のノートにあったのは合計が10になる4つの数字の組み合わせを数字の小さい順に並べたものだけだった。

「たった、これだけでいいのか?」

 氷川は信じられないように小さなうなり声を上げた。

「あとはこれを並べ替えれば、全部のパターンができる。4個の並べ替えだから、それぞれ4引く1の階乗で6通りだな」

「ふむ、それを6の4乗で割れば」

 その通りと言うように、日野はうなずいて見せた。氷川はまだ信じられないように問題集のページをめくり、解説のページを開いた。日野は問題のページのままの自分の問題集を、氷川の隣に並べて置いた。

「まったく同じことが書いてあるな。まるでそのまんま覚えたかのように」

 ようやく納得した氷川が、力が抜けた声で言った。問題を覚えていたわけではない日野は、首を横に振って否定した。

「考え方が単純ってことはつまり、それ以外に考えようがないとも言える」

「わかった。次の問題をやってみる」

 氷川は日野の問題集を返して、またノートに何かの書き込みを始めた。日野も、そして話に加わってはいないが同じように確率統計の問題に当たっている桜田も、同じようにしていた。書いたり消したりの繰り返しが多くなり、誰かの消しゴムかけの振動で文字が乱れることも一度や二度ではなかった。

「ああっ、もうヤダ」

 最初に苛立って音を上げたのは、桜田だった。手にしていたシャープペンをテーブルに音を立てて置いたので、日野も氷川も弾かれたように顔を上げた。

「学校の机みたいに一人ひとつなら、書きづらいとかないのに」

「その通りだけど、贅沢言うなよ。ここじゃ無理だし、誰のところでもそう都合よくはいかないぞ」

 日野も不快なものは感じていたので、つい声を荒らげてしまった。

「せめてお前、自分の勉強机使えよ」

 互いに引きずられるように、桜田の態度も強いものになってしまう。

「それだと聞いたりするのに不便だろう」

「まあ落ち着けよ。実際の入試でも似たような環境のはずだし、ここは我慢しようぜ」

 言い合いになりそうな二人に比べて落ち着いた調子で、氷川が割り込んだ。手を振って見せながらだったので、二人とも意識せずに目がそちらに向いた。そこで氷川はもう一度自分を落ち着かせるように、一度肩を上下させて大きく呼吸をした。

「毎年受験シーズンになるとテレビでやるじゃん。つながった長机の並んだ教室の風景」

「そうなの? 高校のと違う机を使ってるのか?」

 確かに、とつぶやく日野をよそに、桜田が素っ頓狂な声を上げた。自分でも思いがけないほど大きな声が出てしまったようで、桜田は両手で口を押えた。

「お前本当にテレビの情報とかには疎いな。ドラマかニュースか何か見てれば、どこかで一回くらいは見るくらい珍しくもないもんだぞ」

「それなら、そういうのにも慣れておいた方がいいな」

 桜田はあっさり問題集に戻った。ただし、情報に疎いことには反省も後悔もないらしい。そんな様子に氷川はひとつ苦笑を浮かべた。

「いや、今日のところはこれくらいにしておこう」

 日野が止めたことが意外で、氷川は苦笑を凍らせたような変な力の入った顔になってしまった。日野はそれを見て弾けるように笑ってしまい、見ていなかった桜田から怪訝な目を向けられた。

「集中力が切れたら勉強の効果なんて半減する。て言うか、今の俺じゃ半減どころじゃないな。だからきっぱりやめちゃおう」

 日野はまだ肩を震わせながら、それでもどうにか言い切った。一度は問題集に向かった桜田もそれでやる気がそがれてしまい、その場で大の字に転がった。


 ゲームセンターでもそこそこの戦績を見せる日野を相手に、氷川も桜田もまるで歯が立たなかった。

 落ちものパズルである。

「ハンデ戦だ、ハンデ戦」

 早々に対等な勝負を諦めた桜田が、ハンディキャップを要求した。それでも一段階の差でまだ勝負にならず、二段階の差をつけてようやく一方的な展開ではなくなってきた。

 考えながら動かしてそれから落とす桜田に対して、日野の方は流れるように落ちてくる。しかしそれを的確に並べていくので、むしろ攻撃速度が速い。この調子だと今回は日野の勝ちだと氷川が見た時には、もう勝負は決まりかけていた。

「よくそんな速く操れるもんだな」

 桜田からコントローラを渡されて、今度は氷川が勝負を挑んだ。やはり、二段階の差は必要だった。

「やるべきことは決まってるからね。それに合わせることだけ考えればよくて、あとはその判断の速さを鍛えればいい」

「毎回落ちてくるものは違うし、途中で攻撃されれば状況も変わるのに、決まってると言うのか」

 ゲームに必死の氷川に代わって、桜田が口をはさんだ。日野が言った決まっているということについては、まるで理解できないという口調だった。

「決まってるのはやるべきことであって、実際にやることはその場その場で変わるさ。お前の得意な覚えゲーとは、全然違うと思う」

 しゃべりながらだとさすがに集中を欠くのか、日野の攻撃が大きめの一撃から細かい攻撃の連続に変わっていた。しかしそれで負けるのでもなく、かえってやり方の変化に翻弄された氷川の方が負けを重ねることになってしまった。

「普通に考えればパターンを作って攻撃すればいいんだろうけど、お前のを見てるとそれがよくわからない」

「パターンも基本的なものがいくつかあって、場合によってそれを組み合わせてるだけだ。そのうまさと速さが、このゲームの強さってことになるな」

 氷川が攻撃を試みるが、日野はそれをかいくぐるようにして細かな攻撃を繰り返す。それがいずれ氷川の攻撃の妨害になって、自滅するような敗北になってしまう。

「組み合わせか。まるでさっきまでやってた数学の問題だな」

 桜田と交代した氷川が、今度は話に入ってきた。桜田はやはり会話どころではなかった。

「そういうふうには考えたこともなかったが、案外そんな感じなのかもしれないな」

 日野がここでひとつ攻撃を組み損ねた。新たな攻撃を仕掛ける前に、桜田の攻撃が先に入った。それは中途半端なものだったが、体勢を崩した日野には効いたようだった。氷川の目には、明らかに硬くなった日野の表情が見えていた。

「お、これ勝てるかも。氷川、何でもいいから話続けといて」

「無駄口叩いてる暇があったら集中しろよ。勝てるものも勝てなくなるぞ」

 しかしそんなわずかなやり取りのうちに再び流れが変わってしまい、結局桜田の敗北となってしまった。よほど悔しかったのか桜田が奇声をひとつ上げて、再戦を挑んだ。

 それからも二人は交代しながら日野に挑み続けたがほとんど勝つことはできず、集中力が切れている状態でやっても無駄だと日野に諭されてようやく諦めた。さっき言われたばかりなのにもう忘れてたと、氷川は自嘲するように笑った。

「それにしてもさ」

 ゲーム機を片づけながら日野は口を開いた。

「俺ら知り合って二年も経つのにけっこう知らないところあったなって、最近よく思うんだ。こんな時に」

「どういうこと?」

 手伝いもせずただ眺めながら、氷川が問い返した。

「二人ともなんだけど、こんな勉強会とか激辛とかやって初めて見えたものがあった。例えばお前の場合、すごくのめりこむことがあるとかな」

「桜田が思った以上に極端な奴で、意外とガリ勉だったところとかもな」

 日野の評価をかわすように、氷川は桜田の話を持ち出した。桜田はいつの間にか色を変えた窓の外をぼんやりと眺めていて、二人の話など聞いていなかった。

「人の話を聞いてないところは、わかっていたことだけどな」

 日野の笑い声に桜田は振り返ったが、何の笑いなのかわからずに首を傾げた。その通りだと、氷川も抑えられずに笑いをこぼした。

「なんか嫌な感じの笑いだな」

 桜田も自分が笑われていることはわかったようで、眉をひそめた。

「いや、勉強会もつまんないばかりじゃないんだなって話」

「それはまあ、つまんないだけだったらこんなことしないじゃん」

 平凡なことの中にも意外なものは必ず潜んでいてそれが面白い、これが本日の法則だと日野は決めた。自慢気にそれを言うと、二人とも一瞬だけきょとんとしてそれから馬鹿にしたような大笑いを返した。それでも日野は、この法則は忘れずにいたいと思った。

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