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香辛料無駄盛り  作者: 黒田皐月
無駄盛り、始まり
1/5

桜田の変

 受験生の休日とは学校に行かないというだけであり、勉学を休むものではない。だから休日とは生徒のためではなく、教師のためにあるのだ。

 ここでも、三人の受験生が志望校の過去問の研究を繰り返している。

「いい加減、問題文をちゃんと読めで終わらせてくれないか?」

 うんざりしたように日野が言うそばで、氷川も同意するようにうなずいた。テーブルを挟んだ向かいに座る桜田は、困ったような苦笑いだ。

 広げているのは国語の問題集。理系志望の彼らにとって重要度は低いはずなのだが、とにかく桜田の国語と英語の成績がひどすぎる。他がトップクラスでもその二科目だけで赤点補習になったこともあるし、受験でも致命傷になりかねない。

「読んでるとさ、途中で面倒にならない? これいったい何が言いたいんだろうって」

 問題集から目を上げて、桜田が目じりを掻いた。顔のどこかを掻くのは、何気ない時の桜田の癖だ。

「その程度のことを面倒がるおかげで、俺はお前としゃべる時に面倒になることがしょっちゅうだ」

 日野の言葉に、氷川もまたうなずいた。

「どういうこと?」

「お前は人の話を全部最後まで聞いてくれないし、だからって端折ってもわかってくれない」

「端折ったところとか考えてくれないからな」

 氷川も桜田の方に向きなおって、日野の話を継いだ。

「苦手なんだよね、そういうの」

 二対一になって桜田は少し怯んだようで、窓の方に目を泳がせた。

「苦手で済むかよ。お前このままじゃ絶対駄目だって」

「大丈夫大丈夫、いざとなったら過去問丸暗記するから」

 へらへらした顔で桜田が弁解する。これまで桜田は定期試験のほとんどをその方法で乗り切ってきたのだ。

「いや中間とか期末テストならともかく、三年分全部にそれは無理だろ」

 そう言って氷川は眉をひそめた。それでも桜田の表情は変わらず、やってみるさなどとのんきに言っていた。

「そういう問題じゃない」

 しばらく黙りこくっていた日野が重々しく言った。

「受験に受かって進学したとする。それで俺たちはバラバラになる。そしたらお前はどうする」

 日野の目は桜田に向いていたが、その言葉に反応したように日野の顔を覗き込んだのは、脇にいた氷川だった。

「その時お前、ちゃんとやれるのか。俺も氷川も、それだけじゃないな、一人暮らしになるから家族もいない。それで生きていけるか?」

 目じりを掻く桜田の指が止まった。氷川も日野に顔を向けたまま、凍りついたようになっている。

 静寂が場を支配し、誰も次の言葉を発さないしわずかな身動きさえしない。壁掛け時計の秒を刻む音が、はっきりと聞こえるほどだ。

 どれくらい経った時か、窓の外からチャイムの音が聞こえた。青葉市内全域に流れる、正午のチャイムだ。

「腹が減ったからカリカリするんだろ、飯にしようぜ」

 救われたように脱力しながら、桜田が二人を促した。正午に飯は初めからの約束のことで、日野も氷川もその場を立った。


 一人暮らしに備えてと言って自分たちで昼食を用意することを提案したのは、桜田だった。今日がその第一回目だ。

 流し台で日野がジャガイモの皮をピーラーで剥き、脇のまな板で氷川がタマネギを細かく切る。桜田はコンロに鍋を乗せ、油を敷いて火をつけた。

「おい、今日はカレーだよな。玉ねぎをこんなに小さく切ってどうするんだよ」

「荒い切り方だな。みじん切りにしろって言っただろ? まあいっか。火の通りを早くしたいだけだからな」

 桜田は文句を言いながら、切ったタマネギを鍋に放り込んで炒め始めた。油のはねる音がずいぶんうるさい。

「次はニンジンと、あとはナスとブロッコリーを切っておいて。今度は一口大な」

「ちょっと待て、俺ピーラーなしでニンジンの皮剥けないんだけど」

「うーん、日野は包丁でできる?」

「ニンジンなら、まあできそうだ」

 日野と氷川が交代して、野菜が次々と切られていく。油のはねる音が小さくなった頃、桜田は鍋に豚肉のこま切れを入れて炒め続けた。

「野菜全部切ったぞ」

「いいねえ、じゃ全部入れよう」

 一度に全部の野菜を入れて、鍋からあふれそうになった。

「入れすぎだろ。て言うか、これ全部食えるのかよ」

「大丈夫、俺たち育ち盛りだし」

 不安そうな日野と対照的に、桜田は自信ありげに答える。そして鍋に半分に満たない程度に水を入れて、ふたを乗せた。

「よしこれでオッケー、ありがとう。あとはちょっと時間かかるから部屋で待ってて」

 追い出すように二人を部屋に戻した桜田は、レタスをちぎって洗い始めた。

 桜田が再び二人を呼んだ頃、台所には強い匂いが充満していた。そして鍋の中身は半分くらいにまで減っていた。

「なんだこりゃ」

 氷川の第一声は、それだった。

「特製だからね」

 桜田はしれっと答え、コップにウーロン茶を注ごうとした日野を止めて、ペットボトルごと持っていくように頼んだ。

「さて、食うか」

 満面の笑みで桜田が言ったのを機に、日野と氷川はスプーンをとった。桜田は一口食べた感想を聞きたそうに待っている。

「なっ!?」

 氷川は慌ててコップを手に取り、ウーロン茶を一気に飲み干した。日野はその隣でペットボトルからウーロン茶を注ぎ足している。

「うん、辛いな」

 二人の反応を見てから、桜田も同じように一口食べてウーロン茶を飲み干した。

「説明してもらおうか」

「ただ作っただけじゃ面白くないから、七味唐辛子を瓶四分の一ほど足した。苦労したよ、食えなくならない程度の辛さを見つけるのには」

 一度席を立った桜田は、汗を拭くタオルを三枚持って戻ってきた。

「まさかお前、これがやりたかっただけなんじゃ」

 日野がすごんで見せようとするが、口の中を冷やそうと早い呼吸を繰り返すので様にならない。自分でもそれがわかったらしく、日野もすぐに抗議を諦めた。

 熱くはなったが、そこは食べ盛りの高校生、一人二杯ずつ平らげて無事鍋は空になった。


 大汗をかいたために、食後の休憩を長くとらざるを得なくなってしまった。三人の休憩と言えば、ゲームだった。

 初心者お断りのシューティングゲームを、桜田と氷川がプレイしている。持ち主らしく桜田はやり慣れていて、その攻略ぶりに観戦者となった日野も画面にくぎ付けになっていた。

「おい桜田、こっちにもアイテムよこせ」

 鮮やかな動きを見せる桜田機の後方で、氷川機はヨロヨロしていた。何度も流れ弾に当たってコンテニューを繰り返している。

「それは無理」

「なんで?」

 にべもない即答に氷川は怒鳴りつけるが、その間にまたしても氷川機は被弾してしまう。

「そう都合いいところに敵を持っていけないし」

 桜田機の動きを見る感じ、氷川機の援護などほとんどしていない。桜田機がやや前に出ているから、氷川機がそれについてきているように見えるだけだ。

 そうこうしているうちに、ついに氷川がコンテニューを使い果たしてしまう。それでも桜田機の動き方は、まったく変わらなかった。

「ひとつ、聞いていいか?」

 コントローラを静かに床において、氷川が抑えた声を出す。しかし桜田は、氷川が押しとどめているものを意に介さないように続きを促した。

「これ、二人プレイの意味あるのか?」

「意味はないね。あ、ボムが二倍使えるって意味はあった」

「そうかいそうかい」

 緊急回避用の荷物持ちだと言われて気分を害した氷川は、もう画面を見ずにその場に寝転んだ。日野もそれをなだめるでもなく、まだ食い入るように画面を見ている。

「この手の弾幕ゲームは、敵の動きを見てよけるんじゃ間に合わないんだよ。全部覚えて初めて先に進める」

「この目が回りそうなのを、全部か」

 心底感心したように日野がつぶやいたが、桜田は当たり前のような顔でそれを言っていた。

「出題されるものが決まっているテストみたいなもんだから、学校のテストより楽なもんだぞ」

「いや、テストはいい」

 寝転がっていた氷川がむくりと上半身を起こす。

「俺が言いたいのは、二人でやってるんだから二人で遊べないかってことだ」

 相変わらず桜田機の動きは見事で、三回くらいしか被弾していない。氷川機にひとつも渡さずに独占していたバリアの効果は、まだ残っていた。

「だから言ったじゃん。覚えゲーなんだよ」

 悪びれもしない桜田の口調に、氷川は呆れてもう一度寝そべってしまった。

「まあ、俺一人がやっててもしょうがないか。二人でやってみてよ」

 桜田はそう言うなりリセットボタンを押して、自分の持っていたコントローラを日野に渡した。

 意気込んで始めた氷川と日野だったが、敵の猛攻をかいくぐることはできずに一面でゲームオーバーとなってしまった。

「な、覚えなきゃ無理だと思うだろ。そんなわけで俺に国語を教えて」

 桜田一人がすっきりした表情で、ゲーム機をさっさと片づけてしまった。


 ゲームでの手際の良さが嘘のように、桜田はひとつひとつ問題に引っかかり続けた。引っかからないのは修飾語がどの言葉に掛かるものかといったもので、桜田はそういうものは正確に読み取る。

 しかしそうして文章を読んでも、趣旨なり心情なりを読み取ろうとしない。

「中学までは国語のテストもそれほど大変じゃなかったんだけどな」

 問題集のページの区切りのところで、桜田がぼやいた。

「漢字の読み書きで最低限の点数は稼げたし」

「それって、漢字を一問間違えただけで危なかったってことじゃないの?」

 本気にしていない半笑いで、日野はからかうように言った。

「間違ったことなんてまずなかった。小学校の頃なんか、そのために漢字ノートにびっしり書きまくってたしな。ご丁寧に振り仮名まで全部」

 日野の半笑いがそこで凍りついた。

「マジで?」

 ひきつったような日野の問いに、桜田は平然とうなずいた。

「お前ってガリ勉しているイメージなかったんだけどな」

 感心したように氷川が声を挟んだ。日野も同意見だと強調するように、二度うなずいた。

「ガリ勉って言うか、やればできるってことはやるよ」

「じゃあ、覚えゲーとか言ってたさっきのは、相当に、練習したのか?」

 確認をとるようにゆっくりと言葉を区切って、日野が尋ねる。

「もちろん、何百回やったかわからないくらいやって初めてクリアしてる。いきなり出されたとしたら、絶対無理」

 桜田が苦笑いを浮かべるのに対して、向かいの日野と氷川の顔からは表情が消えた。

「俺さ、お前は記憶力はいいのに物覚えが悪いと思ってたんだけど。学校の勉強のことなら大概覚えてるくせに、俺が昨日言ったことは覚えてなかったりするじゃん」

「確かにそうだな。聞いてなかったのかよって思ったことも、たくさんあるし」

 日野の真顔につられるかのように、氷川もまじまじと桜田を見つめて言った。桜田は今度は気圧されたようで、すぐに返事をしなかった。

「ごめん、記憶力がいいってのは違う。学校の勉強なんか、繰り返せば覚えられるから覚えたってだけ」

「マジか」

 日野も桜田も絶句した。そんな二人を前にして、桜田はどうしていいかわからないように、目じりを掻き始める。

「すごい今更だけど、お前がそんな極端な奴だったなんて、今初めてわかった」

 最初に口を開いたのは氷川だった。日野は腕を組んで、まだ何かを考えようとしている。

「まさかガリ勉で覚えて、それが全部だったとはな」

 まだ氷川だけが話を続けていた。

「褒めてくれなくていいよ」

「いや褒めてないから」

 黙っていた日野が、鋭く否定を口にした。

「お前に話をするには何度も繰り返して覚えさせないといけないとか、マジかよ」

 それから疲れたように目を伏せた。

 このことは日野と氷川の二人にとって相当に衝撃だったようで、その日の勉強はそれ以降まったくはかどらなかった。

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