其の五
女が男の家に押し掛けてからどの位の時が経っただろうか。五年、或いは六年だろうか。女は仕合せだった。それは男も同様であった。時には夫婦喧嘩もしたけれど、結局は元の鞘に収まった。何一つ不満の無い、とても充実した毎日だった。
只――。
――二人には子が出来なかった。
女の身体が子を産むことに耐えられなかった。
二度と子は産めないだろうと言われた。
初めは自分の我儘から始まった生活だった。自分の死を、最期を好きな人に看取って欲しかっただけだった。只それだけだった。けれど、愛して、いつしか愛されて、満ち足りて。そして、愛した人の子が欲しいと思った。
それはいけない事なのだろか。
そんな事を考える様になった。
そして――。
女の身体に限界がやって来る。
死の気配が段々と近づいてくる。
それは最初から判っていた事だった。覚悟していた事だった。確かに自分は仕合せだった。
だけど。
子が産めなかった事だけが心残りだった。仮令、子が産めても、その子を育てるだけの時間がもう、女には残されてはいない。それも判っていた。
――それでも。
――自分の存在を忘れられない為に。
――自分を覚えていてもらう為に。
――自分が妻であった証として。
――子供が欲しい。
――子供が欲しい。
だから。
作ろうと思った。
夫と二人で。
二人の人形を。
そして二人は作り始めた。眼元は女に似てつり眼、口は男に似せて、というふうに。二人で顔を見合わせながら。女は自分の着物を仕立て直してその子の着物を作ったりもした。
その子は女の子だった。そうしたのは女の願望だった。
「もし、子供が産めたのなら女の子が欲しかったの。きっと私に似て美人よ」
嬌笑と共に冗談まじりに言った事だった。
女は楽しそうだった。とても。とても。
人形は。
その子は。
繰子と。
名付けられた。
作ろうと決めた時から、ずっと考えていた名前。出来上がるその時まで夫には内緒にしていた名前。繰る子なのか、或いは繰られる子なのか。それは判らない。
出来上がったその人形は、まるで本当の娘の様だった。
女は毎日その子の着物を替え、髪を梳かし、話しかけ、本を読んで聞かせた。それは他人から見たならば正気の沙汰とは思えないだろう。けれど女は真剣だった。本気で人形を娘と思い、本気で育て、本気で愛した。
ある日、女の許に店の女中がやって来た。縁を切るとは言ったものの、矢張り娘は娘。見捨てきれなかったのだろう。毎月、決まった日になると薬を持ってやって来た。元々この女中は女と仲が良かった為、来た時には世間話をして帰るというのが平素の事だった。
そんな女中が人形が出来て以来初めて家へとやって来た。
女はこの女中に人形を紹介した。自分の娘であると。
「名前は繰子って言うのよ。可愛いでしょ?ほら繰子、ご挨拶なさい。ごめんなさいね、この子、人見知りで」
女は困った様な顔をする。
女中の眼には女の神経はもう、まともではない様に見えた。勿論、その前に子が出来なかったからその代わりであるとは聞いた。しかし。女の眼は本気でそれを言っているのだという事を語っていた。自分が女の親の店へと奉公に来て以来、長年一緒に過ごしたのだ。それくらいは判った。思わず横に居る 男の方を見る。男は優しく笑っていた。
仮令他人に如何見られようが、妻が楽しんでいるのだ。それを望んでいるのだ。
だから男はそれで良いと思った。
女中は帰っていった。少し、悲しそうだった。