第9話 迷宮トラップ
玄関から聞こえてきた微かな物音に、ティリアは目を覚ました。
この部屋の主――リオンが帰ってきたのだろうと推測する。
毎朝こっそり出て行ってこっそり帰ってくることを、ティリアは知っていた。いつも寝たふりをしているため、彼の方は気づいていないようだが。
一度だけ、朝早くにどこに行っているのだろうと気になって後を付けてみたことがあった。どうやら彼は毎朝この時間、ランニング等の訓練をしているらしい。
彼は物凄く努力家なのだ。
ティリアの顔に影が差す。
どうして努力なんてするのでしょうか?
……どんなに頑張っても、報われないかもしれないというのに。
心の中で呟くと、ぎゅっと胸が締め付けられた。
不意にティリアの脳裏を、あのときのことが過る――
呼び起されそうになった記憶を無理やり振り払い、ティリアはベッドの上で身を起こした。
それに気付いて、リオンが笑顔を向けてくる。
「あ、起きた? おはよう」
「はい。おはようございます、先輩。今日も可愛いですね」
「やめてよ!? 僕は男だって言ってるでしょ……」
……相変わらず私には女の子にしか見えないのですが。
実のところ、ティリアは未だに彼は女なのではないかと疑っていた。
ティリアは一度気になってしまうと、どうしても真実を突き止めてみたくなる性質だ。なので、彼の下半身を確かめようと、この一週間、何度かシャワールームやトイレを秘かに覗こうとしたのだが、未だに成果は上がっていなかった。
今度、先輩が服を着替えているときに、手が滑った体でパンツを脱がせてみましょうか?
などと、本気で思案するティリア。もはや変態である。
そんなことを考えながら、冒険用のローブに着替えるため、ティリアはベッドの上で寝間着を脱ぎ出す。
それを見てリオンが慌てて咎めてきた。
「ちょっ、服を脱ぐときは先に言ってっていつも言ってるでしょ!? 僕、向こう行ってるからさ!」
「あ、すいません。でも私、先輩になら見られても気にしませんから」
「僕が気にするの! 男だから!」
うーん。本当に男なのでしょうか?
「うーん。本当に男なのでしょうか?」
「ほんとだよ!? 君ってば、まだ疑ってるの!?」
あ、どうやら口に出てしまっていたようです。
この際です。直球をぶつけてみましょう。
ティリアはリオンの股間を指差した。
「はい。疑いを晴らしたければ、そこにあるブツを見せて証明してください」
「だからできるわけないって言ってるじゃん!?」
「そうですね。確かに人に見せろと言う前に、まず自分から見せるべきですよね」
「脱ぐなってばぁぁぁっ!」
やはりそう簡単には行かなさそうです。
……もはや不意を突いて脱がすしか……。
◇ ◇ ◇
「また出やがったか、全裸マン」
ダンジョン〈不死の王国〉の未踏領域――地下墳墓。
慎重な探索の果てに辿りついたのは、広間のような正方形の空間。
そこで、いつものように床や壁、天井を這うようにして現れた全裸マンたちを前に、ララが不機嫌そうに吐き捨てる。
倒しても倒しても、ダンジョンからモンスターがいなくなることはない。
それは絶えずダンジョンがモンスターを産み落しているからだと言われていて、だからこそ売値の付くモンスターの素材も常に供給され続けるのだ。
それでも、やはり幾ら片付けても減ることのないモンスターという存在に、誰しも嫌気をさすものである。ましてや、何の素材も得られず、ただ不気味で厄介で臭いだけのアンデッドモンスターともなれば、なおさらだろう。
「ゴル、前方の三体を引き受けろ! サーシャは右、オレは左、ティリアは後ろと天井の奴を頼む! イルーネとリオン、サポートしてやれ!」
「っしゃあ、やってやるぜぇぇぇっ!」
「了解だ」
「おっけーやで」
「うん!」
「はい」
ララの指示に応じ、それぞれが動き出す。
天井には一体、後方にも一体の全裸マンがいた。
ティリアの氷魔法レベル2(本人の中で威力に応じて段階を付けているらしい)の詠唱時間は、約十秒。
その時間を稼ぐことと、魔法の射程内へと全裸マンを誘導することこそが、イルーネとリオンの仕事だ。
サーシャにも手伝ってもらい、全裸マンの倒し方を色々と考えてみたリオンだったが、結局のところ、イルーネと二人でティリアの援護に回ることが最適だという結論に至っていた。ではあの訓練は一体何だったのだ……というのは考えたら負けである。
「天井の奴から先に行くで!」
イルーネが天井に張り付いていた一体に矢を放つ。右足を射抜かれ、バランスを崩した全裸マンが落下してきた。
「アルトリュテイ、シュルライセルレス」
地面に着地するとほぼ同時、ティリアの魔法により氷結する全裸マン。
この間、リオンは後方からパーティへ襲いかかってこようとしていた全裸マンを食い止めようとしていた。
地面を蜥蜴のように這い、リオンを標的と見定めて突進してくる全裸マン。
食い止めるって言っても、僕一人だとかなりキツイんだけどね……っ!
リオンは全裸マンの顔面に足裏で蹴りを見舞った。体重の軽いリオンだが、それでも思いっ切り助走を付けたこともあって、全裸マンが吹っ飛ぶ。反動でリオンも後方に弾かれたが。
打撲でのダメージはまったく期待できないものの、時間を稼ぐ上では非常に有効だった。
全裸マンが起き上ったとき、イルーネの矢がリオンの脇を擦過する。天井の全裸マンに放った後、即座に次の一射へと移行していたのだ。さすがの早業である。
イルーネの矢が全裸マンの左肘を正確に射抜いた――というより、粉砕した。
さしもの全裸マンもこれで大幅に機動力が落ちるはず。
案の定、その突進力は大幅に落ちていて、これなら多少は余裕を持って対処できるだろう。リオンが狙いを定めて側頭部へと蹴りを叩き込むと、全裸マンはごろりと横転した。
今度はイルーネの矢が左膝を砕いた。
左半身の手足を破壊され、完全に動きが鈍った全裸マン。こうなると後はただの良い的である。イルーネの矢を数本も頭に受け、それでようやく動かなくなった。
「相変わらずしぶといやっちゃな」
「二人掛かりでこれだもんね」
「まぁこいつらとは相性悪いもんな、うちら。けど、ティリアはんの魔力を節約できて良かったやん」
――そして可能ならば、ティリアの魔法に頼らずに倒す。
ティリアの魔力量は《魔女》の中でも規格外で、よほど乱射しないと枯渇することはないらしいが、それでもダンジョン内では何が起こるか分からない。できる限り魔法を温存するのが定石なのだ。
「ちなみに、うちとリオンはんの相性は最高やけどな」
「あっそ」
「ふふふ、冷たいフリして実は内心では恥ずかしがっとるんやろ? うちには分かるで?」
「そりゃよかったね」
「うえ~ん、リオンはんがうちにゴミを見るような目向けてきおる~っ」
そこでララが最後の一体を倒し終え、全裸マンは全滅した。
なお、氷魔法で動きを封じた全裸マンは放置しておくと復活してしまうので、ゴルが斧で頭を粉砕してトドメを刺している。
「ねぇ、団長。今、どれくらいマッピング終わってるかな? この感じだと、あと残っているのは右上の方だけだよね」
作成した地図によると、どうやらこの地下墳墓は長方形をしているらしい。現在地はちょうどその真ん中に当たる。
降りてきた階段があったのは左下の隅だ。そこから少しずつ探索を進めて、今日で中央部の未踏部分が明らかになったことにより、すでに右上以外はマッピングを終えた形になった。
「さぁな。下にさらに別の階層があるかもしれないぜ」
「げ。そっか。確かにその可能もあるよね……」
ララの返答に、リオンは落胆する。ダンジョンは複数の階層に分かれている場合も多いのだ。
「しかし、この階層で終わりだとすれば、この右上部分にボスがいるってことになるからな。気を引き締めていくぜ」
「う、うん」
リオンはごくりと唾液を嚥下した。
――ボス。
どのダンジョンにも必ず存在していて、宝物庫を護っている屈強なモンスターだ。
ダンジョンを攻略したければ、絶対に避けては通れない相手である。
ボスは一度倒すと、一定の周期で復活することが知られている。そのため、過去にすでにクリアされたダンジョンにもボスは出現する。
これまで、リオンはパーティメンバーたちと一緒に幾度かボスに挑んだことがあった。
例えば、B1ダンジョン〈土人形の迷宮〉のボスである巨大土人形。
地響きとともに襲い掛かってくる全長五メートルを超す巨人を前に、正直言って生きた心地が全くしなかった。リオンはただ後方で声援を送っているだけで、仲間たちが撃破してくれたのだが。
B8ダンジョン〈人狼の洞窟〉のボス、銀狼野郎もヤバかった。
普通の狼野郎は全身褐色の毛で覆われているが、こいつの毛は美しい銀色。たてがみが異様にカッコ良かった。
そして巨大土人形ほどではないが、こいつもでかい。身の丈三メートル近い、筋骨隆々の巨大狼だった。しかも動きが俊敏。
リオンは遠くから毒を塗ったダートを投げて仲間の援護を試みたが、リオンの膂力程度では、剛毛に阻まれて傷一つ付けることができなかった。
うん、僕、ボス相手に活躍したこと一度もないよね……。
思い出してちょっと悲しくなってきた。リオンは頭を振って意識を現実へと戻す。
それから幾度か全裸マンや動く死体に遭遇し、撃破した後。
ついにリオンたちは長方形の右上の角、そこにあった広い部屋へと辿り着いた。
「……階段があるね」
部屋の奥に、下層へと繋がっていると思しき階段を発見して、ボスの出現を警戒していたリオンは安堵すると同時に、まだ先があるのかとげんなりする。
「とりあえず、いったん下に降りて軽く様子を見てから今日の探索を終わりにしようぜ」
ララの判断に誰からも異論は出ない。すでに潜って三時間以上が経過している。まだ体力に余裕があるとは言え、帰還も考慮に入れれば妥当な判断だった。ダンジョン探索において無理は禁物なのだ。
階段を下り切った先にあったのは、地下とは思えないほどの広大な空間だった。
だがそのこと以上にリオンたちを驚かせたのは、ずらりと空間いっぱいに並ぶ無数の箱らしきもの。その側面や蓋には見事な彫刻が彫り込まれている。
「何かな、あれ。……箱? あ、もしかしてお宝かも!?」
リオンの目が輝く。ダンジョン内には、どういう訳か、稀に宝箱が出現することがあり、中には金銀財宝や稀少な武器・道具などが入っていることも多い。
しかしリオンが近づこうとしたとき、突然、ゴゴゴゴ、という音が響き始めた。
「マズイっ! 速く階段へ引き返せっ!」
ララがいつになく慌てた様子で叫ぶ。
階段へと続く入り口の上部から、突如として壁が降りてきたのだ。リオンたちはすぐに階段へと引き返そうとする。
「おい、急がねぇと閉じ込められっぞ!?」
「あかん、間に合わへんで!」
「ちっ……止まれ! 分断されるよりマシだ!」
リオンたちは部屋から出ることを諦め、その場に留まった。階段へと続く出口が完全塞がれてしまう。
辺りに静寂が戻った。
「な、何も起こらない……?」
「いや……」
ズズズズ……
今度は何の音かと目を向けると、空間を埋め尽くしている石造りの箱、その重たい蓋が一斉に動き始めていて――
「中から何か出てきたんだけどぉぉぉっ!?」
箱の中から現れたのは、ボロボロの包帯を全身に巻いた木乃伊たちだった。