第6話 不死の王国
B19ダンジョン〈不死の王国〉はその名の通り、アンデッドモンスターの巣窟となっている墓場型のダンジョンだ。
記録によれば、今からおよそ七十年前、〈迷宮の大樹〉にある全ダンジョンのうち十九番目に発見されたという。しかし、それから未だに攻略者が出ていない。つまりは未攻略ダンジョンだ。
リオンたち〝空腹の獅子〟がこのダンジョンへの挑戦をスタートしたのは、つい先日のこと。それまでは別のダンジョンを主戦場としていたのだが、たまには気分を変えてみようということで、〈不死の王国〉に足を運んでみたのだ。
ちなみに〈不死の王国〉はびっくりするくらい人気がない。というのも――
「う~~」「あ~~」「う~~」「あ~~」
「ほんと、何度見たって慣れないし慣れたくもないよねっ、この悍ましい見た目っ!」
呻き声を上げながら迫りくるモンスターの集団を前に、リオンはそう吐き捨てた。
青白い顔をして白目を剥き、口端から涎を垂らしながらダンジョン内をゆっくりと徘徊する。そして生者を見つけるや否や、加速して抱きつき、噛み付き攻撃を見舞う。
そんな彼らは〝動く死体〟。あるいは、ゾンビ。
〈不死の王国〉で最も頻繁に遭遇するモンスターだった。
まぁ実際には死体というのはあくまでも見た目だけの話で、本当に死んだ人間という訳ではないのだが、それでも悍ましいことには変わらない。
かなり力が強いため、一度身体を掴まれたら逃れるのは容易ではない。しかし、何より嫌なのがニオイだ。
臭い。とにかく臭い。口臭、体臭、腐乱臭。あるいは汚物や吐瀉物の臭い。至近距離で口を開けられたら、その悪臭に悶絶しかけること間違いなしである。
「離れてても十分、臭いんだけどね……」
悪臭対策のマスクの奥で嘆息しつつ、リオンはナイフを抜いて臨戦態勢を取る。仲間たちもすでに各々の武器を構えていた。
「うらぁぁぁっ! かかってこいやっ、この悪臭野郎どもがよぉぉぉぉっ!」
ヤケクソ気味の怒声を上げて死体の群れに突っ込んでいったのは、ゴルだ。そのまま先頭の死体にタックルを見舞い、吹っ飛ばす。
動く死体たちが次々とゴルに躍り掛かった。あっという間に死体に群がられたゴルを見て、リオンは「僕、盾役じゃなくて本当に良かった……」と思わず安堵の息を吐く。このときばかりは彼に感謝の念を禁じ得ない。
動く死体どもはゴルに噛み付こうとするも、彼が着ている分厚い鎧のお陰で歯が金属を引っ掻く嫌な音が響くだけだ。
「くっせぇぇぇっ! マジくせぇぇぇっ! せめて香水くらい使いやがれっ、こんの悪臭野郎がっ!」
ゴルは戦斧を豪快に振り下ろし、目の前の動く死体の頭部をかち割った。どうっ、と地面に崩れ落ちる。しかし血と脳漿をぶちまけても、まだジタバタともがいていた。吐き気を催す光景だ。ゴルはそいつを蹴飛ばすと、すぐに次の標的へと戦斧を向けた。
ゴルが大半を引きつけてくれてはいるが、何体かは脇を抜けてリオンたちの方へと押し寄せてきた。
「オレが右の三体を受け持つ。サーシャは左の二体だ。イルーネは矢でゴルを援護、リオンはティリアを護ってやれ。ティリアはとりあえず待機だ」
口早に指示を飛ばし、団長のララが地面を蹴った。小さな身体が獣のような速度で距離を詰めたかと思うと、次の瞬間、動く死体の下顎が粉砕していた。
短い手足を振り回し、ララは動く死体三体を一方的に蹂躙していく。その戦いぶりを見ながら、リオンはいつも「小さな竜巻みたいだ」と思う。
そのララから少し離れた場所で、サーシャが動く死体二体を相手取っていた。
彼女が振るった剣が死体の頭部を斬り飛ばす。死後硬直じみた硬さを持つ動く死体の首を、ああもあっさり切断してのける彼女の剣の腕前は、《聖騎士》の中でもトップクラスだろう。
しかも彼女が有する聖気はアンデッドモンスターと相性がいいこともあり、このダンジョンでは絶対に欠かせない戦力だった。
ゴルに纏わりついていた動く死体、その一体の眼窩を矢が射抜いた。
《狩人》のイルーネだ。普段はおちゃらけた性格だが、戦いのときには信じられない集中力を見せる。見事な早業で次々と矢を放ち、その悉くを動く死体に直撃させていった。
ピンポイントで急所を撃ち抜き倒すのが彼女の十八番である。……ただしアンデッドモンスターの場合、その戦い方が通じないのだが。
「う~あ~」
「っ! 後ろからもっ?」
そのとき背後から聞こえてきた呻き声に、リオンは咄嗟に振り返る。
「リオン、いけるか!?」
「うん! 任せて! 相手は一体だけだし!」
ララの声に威勢よく応じ、リオンは新手の動く死体に立ち向かった。
ここ数日の攻略ではっきりしたことだが、動く死体に毒はほぼ効果がない。なので、狼野郎のときのように毒により動きを鈍らせるという戦法は使えない。
さらに、ダートもほとんど意味がない。毒もそうだが、不意打ちにより隙を作り出すということが、知能がほぼゼロと言ってもいい動く死体相手には期待できないのだ。
したがって、これまで他のダンジョンで重宝していた術がここでは通用しない。元より戦闘力に劣るリオンにとって、〈不死の王国〉は色んな意味で辛いダンジョンだった。
だが、その程度で引き下がるようでは冒険者などやってられない。
今まで仲間たちが戦う様子を観察してきて、リオンは動く死体の弱点を見出していた。
こいつらの突進はすごく単調なんだ。しかも、あんまり目が良くない。だからギリギリまで引きつけて…………ここだ!
斜め前方に転がり、突進を回避。すると一瞬だが、狭い視界しか有さない動く死体はリオンを見失う。しかし嗅覚で察しているのか、あるいは気配で判断しているのかは分からないが、すぐに足元にいると気づいて足を止めた。
だがすれ違いざま、リオンは動く死体の右足首――アキレス健を、思いきりナイフで斬りつけていた。肉を裂き、骨をも砕く感触。リオンには不相応な業物のナイフは、持ち主の期待以上の成果を上げてくれた。
リオンはすぐさま離脱する。
直後、動く死体が振り返って再びリオンに迫ろうとするが、足首を捻るような形で地面に倒れ込んだ。
リオンが骨を砕き、さらには自重がかかったことで、完全に足首の骨が折れていた。それでも痛みを感じないのを良いことに立ち上がって襲い掛かってくるが、その状態でまともなバランスが取れるはずもなく。
無様な突進をリオンはあっさり避けると、背後に回って背中を蹴飛ばしてやった。倒れ込んだ死体に乗っかり、首筋をナイフで刺す。刺す。刺す。めった刺す。
もうこれくらいで大丈夫だろう。リオンが背中から降りると、動く死体はぴくぴくと痙攣したように手足を動かすだけだった。
「ふぅ……」
安堵の息を吐く。どうにか倒せたようだ。動く死体には通常のモンスターのように〝死ぬ〟ということは無いのだが、こうして身体に一定以上の損傷を受けると行動不能に陥るのである。
振り返ると、すでに仲間たちが動く死体を殲滅していた。自分はたった一体しか倒せていないことに申し訳なさと悔しさを覚えつつも、すぐに頭を振った。
弱いリオンはこうした戦い方しかできない。
仲間たちのようにカッコよくモンスターを倒すことはできないし、何体も同時に相手取るなんて真似は不可能なのだ。
焦らず一歩一歩前進していこうと、リオンは気持ちを切り替えた。
……のだが、
「くははっ、一匹だけかよ。相変わらずショボイな、お前は。俺なんて、一人で五匹もぶった押してやったぜ」
せっかく切り替えたというのに、本当にデリカシーがないゴリラである。
「うるさいよ。てか、臭いから近づかないくれない?」
「く、臭いって言うなよ! 盾役なんだから臭いが移っちまうのはしょうがねぇだろ!?」
「……とりあえず、ここに出るモンスターはこんな奴らばっかりなんだ。ごめんね、いきなりハードなとこに挑んじゃって」
リオンは喚くゴルを放置し、ティリアの方へと向き直った。
これがパーティに加入して初めてのダンジョン攻略だ。しかも彼女は駆け出し。さすがにこんな場所はマズかったのではないかと、不安を抱くリオン。
これで「やっぱりやめます」とか言われたらどうしようか……。
「いえ、大丈夫です」
しかしリオンの心配を余所に、ティリアはあっさりと首を左右に振った。
結構エグい光景を目撃したというのに、表情もいつもと変わらない。むしろリオンの方がよっぽど顔色が悪いくらいである。
どうやら問題なさそうだと判断し、次の戦闘からは彼女にも参戦してもらうことになった。
「じゃあ、よろしくね」
「はい。早く私も死体を魔法で蹂躙したいです」
「う、うん……」
頼もしいを通り越して、少し怖いとすら思うリオンだった。
ティリアはまるで動じていないが、こんなモンスターが大量に棲息しているのだから、人気がないのも当然と言えるだろう。しかも、倒したところで入手できるアイテムなしとなれば、なおさらだ。動く死体の次によく出没する骨戦士も同様である。
こんなところに来るのは、一部の攻略マニアか、肝試し的なイベント感覚で挑むパーティくらいである。
リオンたちも、当初はちょっとした好奇心だった。しばらく通って、またすぐに主戦場にしているダンジョンに戻るつもりだった。
だが冒険初日、偶然にもあるものを発見したことで、本格的に攻略に乗り出すことにしたのである。
未踏領域の発見だった。