第5話 どっちでもよくない
ダンジョンを出ると、空は茜色に染まっていた。
〈迷宮の大樹〉の入り口は遺跡めいた建造物だ。その周囲は広大な広場になっており、観光地としても有名なので、幾つもの露店や屋台が所狭しと並んでいる。
いつも大勢の人でごった返しているが、もしダンジョンからモンスターが出てきたら、すごいパニックになるだろうなと、リオンなんかは思ってしまう。一応、過去にそんな例は一度もないそうで、心配するだけ無駄かもしれないが。
「んじゃ、ここで解散だ。明日はまたいつもの時間に集合だ」
と、ララはそれだけ言ってとっとと去っていく。ダンジョン攻略が終わると、彼女はだいたいいつもこんな感じだ。一人で適当な店で夕食を取り、すぐに家に帰って寝ているらしい。そして朝早く起きて訓練に精を出しているとか。
「今日はどの店に行こうかねぇ~、へっへっへ」
ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら人混みの向こうへと消えていくゴルは、今日も女の子たちが接待してくれる「クラブ」とかいうお店に行くのだろう。冒険で稼いだお金の大半を費やしているらしい。
だから盛りのついたゴリラなんだよ……と、リオンはその背中に侮蔑の視線を送った。
年長者二人が去った後、残されたのはリオン、イルーネ、サーシャ、そしてティリアの四人だ。
「せっかくやし、一緒に夕飯でも行こうか」
「そうだね。どう、ティリア? このあと時間ある?」
「はい、大丈夫です」
リオンとイルーネ、サーシャの三人は、その日の冒険が終わると、よく連れ立って夕食に行っていた。今日はティリアとの親交も深めておきたいし、イルーネの提案にすぐに頷く。
向かったのは行きつけの飲食店――〝戦乙女の給仕〟。
元冒険者の女店主が経営している店で、値段の割に量が多く、冒険後にがっつり食べたいときにはありがたい。それでいて健康にも気を使った繊細な味付けの料理ばかりなので、特に女性冒険者には人気のお店だった。
「らっしゃい!」
店に入ると豪快な声が飛んでくる。
恰幅のいい女店主、ロザリーだ。年齢は四十代後半。元々凄腕の冒険者だったらしく、どこが乙女なのかというツッコミをすると間違いなく血を見ることになるだろう。
定員も大半が女性で、彼女たちも元冒険者。身体的な障害を持つ女の子が多いのは、そのせいで引退した冒険者を女店主が積極的に雇っているかららしい。
「おう、リオンじゃないか。……ん? 何かいいことでもあったのかい?」
「分かっちゃう?」
ロザリーから指摘され、リオンはふふ、と笑う。
「そりゃ、そんな嬉しそうな顔してたら猿だって分かるよ」
「僕ね、ついに先輩になったんだ!」
「へぇ、あんたら〝空腹の獅子〟に加入する奇特な奴が他にもいたなんてねぇ。もしかして、そっちの可愛らしい子のことかい?」
「そ!」
さらっとパーティのことをディスられた気はするが、リオンは気にせずティリアのことを新メンバーとして紹介した。
「ティリアと言います」
「珍しくまともそうじゃないかい」
「え、僕も普通にまともだと思うんだけど?」
「はっはっはっ」
「ちょ、なに今の笑い!? 僕はまともだよねっ?」
断固として譲れないところだった。
ティリアの経歴を言って驚かせたいところだが、この店には冒険者の客も多い。あまり噂が広がってしまうのは色々と困る。他のパーティから執拗な勧誘を受けることになる可能性もあるからだ。
ロザリーもその辺のことが分かっているため、それ以上詳しくは訊いてこなかった。単に夕食時で忙しいというのもあっただろうが。
四人は空いていた席に座った。
イルーネはエールを、リオンとサーシャはレモネードを、ティリアはアイスティーを注文した。ちなみにこの都市に飲酒の年齢制限はないが、イルーネ以外はアルコールを飲まない。
リオンが音頭を取った。
「じゃあ、今日の冒険の無事と新しい出会いに――乾杯!」
◇ ◇ ◇
店を出る頃にはすっかり陽が暮れていた。
「今日はリオンはんのお部屋で寝るぅぅぅ~」
「ちょっと、もたれかかって来ないでよ! それと勝手に決めないで!」
押し退けると、イルーネは「りおんはんの、いけずぅー」と唇を尖らせた。だいぶ呂律が怪しい。ベタベタくっ付いてくるのはいつものことだが、今日はかなり酔っているようで、こうなるとさらに度を増して甘えてくるから性質が悪い。
それぞれ別々の宿を借りているので、店の前で解散だ。
「では、また明日」
「うん、また明日ね、サーシャ」
「んー、お別れのちゅー」
「しないよバカ!」
「ふぇーん、ダーリンがいじわるする~」
「だ、れ、が、君のダーリンだよっ。ほら、とっとと帰れってば!」
イルーネをどうにか強引に追い払った後、リオンはティリアに訊ねた。
「……どう? あんな感じだけど、一緒にやっていけそう?」
ティリアは相変わらずの無表情で「そうですね……」と少し考えてから、
「何だか少し、新鮮でした」
「新鮮?」
「はい。同年代の人たちと、こんなふうに一緒に食事をしたり、お話をしたりする機会、今までほとんどありませんでしたので」
「そうなんだ」
魔法学院には同年代の人は沢山いたはずだ。なのになぜ、と内心で首を傾げてから、リオンは思い出す。
そう言えばこの子、イジメられてたんだっけ。
「そっか。気に入ってくれたなら僕も嬉しいよ。……先輩としてね!」
先輩、という言葉をしっかり強調するリオンである。
「はい。……あの、ところでリオン先輩」
「なんだい?」
「実は一つ、先輩を見込んでお願いがあるのですが」
先輩を見込んで……ふ、ふふふふっ。
後輩から頼られているという事実に、あっさり舞い上がるリオン。チョロイ。
「何でも言ってくれたまえ」
どん、と胸を叩いてリオンは何とも偉そうに宣言した。
ティリアは「では、お言葉に甘えて」と頷いてから、とんでもないことを口にしたのだった。
「今晩、先輩の部屋に泊めていただけませんか?」
「へ?」
あれ? おかしいな? 今の、僕の聞き間違いだよね?
「えっと? も、もう一回、言ってもらってもいい? 僕の部屋に泊まりたいって聞こえたんだけど? まさか、そんなわけないよね。あははは、僕、ちょっと疲れてるみたい」
「いえ、言いました。今日は先輩の部屋に泊まります」
断言? もう確定事項にされちゃった!?
「実は先ほどの食事代で無一文になってしまいまして」
「何でそんなにお金持ってないの!?」
「学院に居た頃は寮に住んでいましたし、食事もすべて学院側が出してくれていたので、お金を持っている必要がなかったんです。ですが冒険者になれば、その稼ぎでどうにかなると思っていたのですが……」
「初期費用は大事だよ!」
彼女は思っていた以上に世間知らずだったらしい。
「じゃあ、僕が今日の分の宿代を貸してあげるからさ」
「それはさすがに悪いです」
「僕の部屋に泊まるのはOKなのに!?」
「ダメ、でしょうか……?」
心なしか潤んだ瞳で見上げられ、リオンはうっと喉を詰まらせる。
「先ほど確か、何でも言ってくれと言いましたよね?」
「そ、それは……」
「言いましたよね、先輩?」
「言ったけど! 言ったけどさ! ていうか君、実は策士じゃない!?」
先輩という相手が喜ぶ言葉で乗せつつ、秘かに言質を取っていたのかと今さらながら気づくリオンだった。
できればイルーネかサーシャの部屋に……ああでも、二人がどこに泊まっているのか分からないや……。
「はぁ、仕方がないなぁ、もう……」
結局、リオンが折れることになってしまった。
それから二十分ほど歩き、リオンが借りているアパートに辿り着く。二階の一番端っこがリオンの部屋だ。ちなみにこの街にやってきてからずっと借りている。かなり狭いが、もう住み慣れたために気にならなくなったが。
「ここが僕の部屋。すごく狭いけどね」
「お邪魔します」
基本的には寝るだけの場所なので、物は少ない。ベッドと小さな机、それからクローゼットがあるくらいだ。
几帳面な性格をしているので、部屋の中は客がいつ来ても良い程度には綺麗にしていた。
とりあえずベッドは彼女に使ってもらうとして、僕は余ってる毛布で床に寝ようかな。
そんなことを考えていると、何もない部屋の中をなぜか物珍しそうに見ていたティリアが、不意にぽつりを言った。
「……実は私、少しだけ憧れていたんです。こんなふうに同年代の人と相部屋に泊まるということに」
どうやら彼女がいた魔法学院の寮は相部屋だったらしいが、優等生だったこともあり、彼女だけは特別に一人部屋だったらしい。
「そっか」
頷きつつも、だからと言って男と一緒の部屋に泊まるとかおかしいでしょ、と内心でツッコむリオンである。しかも今日会ったばかりの相手だ。それだけ信頼してくれているということかもしれないが、さすがに警戒心がなさ過ぎではないだろうか。
……まぁ、万一何かしようとしても、僕なんて魔法で簡単にやっつけられちゃうだろうけどさ。
「共同だけど、外にシャワールームがあるから好きに使っていいよ。女性用は奥の方だから」
「分かりました。ではお借りします」
「ちゃんと鍵をかけてから使うんだよ」
それからティリアがシャワーを浴びている間に、リオンもさっさとシャワーを浴びた。男女別々なので同時に使えるのだ。
「先輩もシャワー浴びたのですか?」
「うん」
「…………?」
いつもカラスの行水なリオンが先に部屋に戻って濡れた髪を拭いていると、後から戻ってきたティリアがなぜか不思議そうな顔をしていた。
「? じゃあ、僕は床で寝るから。ベッド使ってくれていいよ」
「いえ、さすがにそういう訳にはいきません。私は床で大丈夫です」
「良いから良いから」
「よくないです」
「良いってば」
「いいえ」
自分は泊めてもらう立場だからとティリアは首を縦に振らず、終わらない押し問答が続く。やがて何を思ったか、
「では、一緒に寝ましょう」
「ちょ、さすがにそれはダメでしょ!? 僕は男で、君は女の子なんだしさ!」
「え?」
「……え、って?」
ティリアが目を丸くし、そして同時にその反応に面食らうリオン。
あー、これ、もしかしてさ……。
リオンは恐る恐る問う。
「もしかして、僕のこと女だと思ってた?」
「……はい」
やっぱり!
「何で間違えちゃうの!? 僕、どう見たって男でしょっ?」
「いいえ全然」
「ぐはっ……」
即座に否定され、リオンは精神にダメージを受けた。
「先輩、男だって言いませんでしたよね?」
「……た、確かに直接は言わなかったけどさ! でも、それを示唆するようなやり取りは普通にしてたじゃん!? 一人称だって『僕』だし!」
「確かに変だなとは思いましたが、てっきり女の子扱いされるのが嫌なちょっと変わった女の子なのかと思っていました」
「何でそう思っちゃったの!?」
だがそうと分かれば話は早い。
「やっぱり宿を借りよう。僕がお金貸してあげるから」
「いえ、それには及びません」
「何で!?」
「先輩は先輩ですし、正直、男でも女でもどちらでもいいないかなと」
「いや良くないでしょ!?」
「では女だと思い込むことにします」
「そんな斬新な解決方法やめて!」
「発想の転換と言ってください」
「そもそも根本的な解決になってないでしょ!?」
「というか、本当に男なのですか?」
「男だよ!」
「では証拠を見せてください」
「どうやって!?」
「パンツの中身を見せていただければ」
「見せられるわけないじゃん!?」
この後、喧々諤々の議論の末に、結局ティリアがベッドで、リオンが床で寝ることになったのだった。