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第21話 撤退

「ティリア! 一分時間を稼ぐ! できる限り高威力の魔法をぶっ放せ!」

「はい!」


 ララ、ゴル、サーシャが散開しつつ、死竜へと立ち向かっていく。

 リオンとイルーネは詠唱で無防備になるティリアの護衛だ。


「うおっ!?」


 正面から立ち向かってくるゴルへ、死竜が毒々しい色の唾液を吐き出した。

 ゴルは戦斧の刃で咄嗟に身を護る。


「なっ……鉄が溶けやがった……?」


 液体がかかった刃からは煙が上がっていた。鋼鉄製の刃の表面が溶解しているのだ。さらに、液体が飛び散った地面や鎧からも煙が立ち昇っていた。

 ただの唾液ではない。恐らく強酸性の液体なのだろう。しかも鉄を溶かすほどの。もし頭から被ったりしたらと思うとぞっとする。


「おおおっ!」


 ゴルが足を止めている間に、ララが死竜に肉薄していた。腐った足へ拳を叩き込む。腐肉が四散した。


「……っ!」


 ララが顔を顰める。散乱した肉の一部が顔にかかり、そこに強烈な痛みが走ったのだ。しかも拳に装着した籠手が溶けている。


「ちっ……こいつの身体っ、触れただけでこっちがダメージを受けるぞっ!」


 ララが堪らず飛び退る。

 それと入れ替わるように、反対側からサーシャが死竜の身体に斬撃を見舞っていた。


 聖気を纏った剣が、死竜の身体をざっくりと斬り裂く。恐らく腐敗を浄化する聖気の力だろう、彼女の剣だけは死竜の腐肉を斬っても溶けることはなかった。飛散する肉片も聖気で防ぎつつ、舞うような動きで次々と斬撃を繰り出す。


 だがその直後、死竜が振り回した大樹の幹のような尾がサーシャを襲った。彼女は咄嗟に剣を盾のように構えたが、破城槌のごとき一撃に弾き飛ばされてしまう。


「がぁ……っ」

「サーシャっ、大丈夫!?」

「し、心配は要らぬ、リオン殿」


 どうにか剣を支えに立ち上がるサーシャ。しかし普段、あまり痛みを顔に表さない我慢強い彼女が、苦悶の表情を浮かべていた。くっ、と呻いてよろめいてしまう。かなりのダメージを負ってしまったらしい。


 サーシャが聖気で自身の傷を治している間、ララとゴル、イルーネが死竜を相手取る。

 しかし死竜相手に通常の攻撃は効果が薄い。イルーネの矢が刺さっても蝿がとまったように鬱陶しそうにするだけだ。しかもララやゴルのように接近して攻撃すると、飛び散った腐肉によってこちらがダメージを受けてしまう。


 そのため死竜の意識を引き付けつつ、逃げることに徹していた。サーシャの詠唱が終わるまでの時間を稼ぐことが最大の目的であり、それが最も有効な戦法だろう。


「ぐおっ!?」


 いきなり頓狂な声を轟かせ、ゴルが何かに足を取られて引っくり返った。

 人間の腕めいたものがゴルの足を掴んでいた。

 あれは確か、先ほどまでは死竜の身体から切り離された肉塊だったはず。


「ちょ、なんなのさ、あれ!?」

「ほ、他の断片も動いとるで!」


 見ると、これまでの攻撃によって死竜の身体から四散した肉塊が形を変え、まるで独立した意志を持ったようにそれぞれが蠢いていたのだ。芋虫のようなものだったり、イソギンチャクのようなものだったりと、見ているだけで吐気を催してくる光景だった。

 そいつらに足を取られないよう注意して戦わねばならず、ララたちは非常に苦戦している。あれでは長くは持たないだろう。


「――シャルアール、リフラシュラト」


 そのときついにティリアの詠唱が完了した。


「団長っ、ゴルっ、避けて!」

「おうっ!」

「また巻き込まれるのは御免だっ!」


 リオンの声に、死竜の近くにいたララとゴルがすぐさまその場から離脱。

 直後、ティリアが放った極寒の豪風が死竜に襲いかかった。


「オアアアアアアッ!!」


 死竜の巨体が瞬く間に凍り付いていく。冷気の渦から逃れようとするも間に合わず、あっという間に巨大な氷のオブジェが完成していた。


「っ……」

「大丈夫っ?」


 ふらりとよろめいたティリアを、リオンは慌てて支えていた。


「……はい。ちょっと眩暈がしただけです」


 ティリアが遠慮なく寄り掛かってきた。恐らく魔力をかなり消費したせいだろう。今のは大型全裸マンを倒したとき以上の魔力を使ったはずだ。


「ど、どうにか倒せたみたいやな?」

「いや、まだ凍りついただけだ。氷が解けたらまた動き出すだろう」


 安堵するイルーネに、ララが依然、厳しい表情で言う。


「でもさ、どうやってトドメを刺すのさ、こんなの?」

「……そうだな……」


 と、ララが思案気に頷いたときだった。


 ピキピキピキ――


 炸裂音が響いたかと思うと、突如として氷塊に大きな亀裂が走った。割れた氷がぱらぱらと地面に落ちていく。

 安堵から一転、パーティに戦慄が走った。


「やべぇっ! こいつ無理やり氷を……っ!」

「アアアアアアアアアッ!」


 氷を突き破って腕が解放されると、死竜はさらに自由になろうと氷を叩き割り始めた。どんどん氷が崩れ落ちていく。


「撤退だ! 退くぞ!」


 ララがいつになく焦燥に満ちた声を張り上げる。誰からも反論は上がらなかった。


「ティリア、大丈夫!? 走れる!? サーシャは!?」

「は、はいっ……何とか……っ!」

「支障はない!」


 リオンはティリアの手を引いて走り出した。サーシャもほぼ傷が癒えたようで、すぐに後を付いてくる。一目散に逃走を開始した。


 部屋を飛び出すとき、ついに死竜が氷の檻を強引に突破してしまう。

 ボスによっては部屋から出ない者もいるらしく、こいつもそうであってほしいと心の中で祈ったが、その希望はあっさりと裏切られた。


「っ! 追ってくるで!」

「あんなにデカいのに、めちゃくちゃ速いんだけど!?」


 部屋から飛び出し、執拗に追い駆けてくる。巨体を躍らせ、地響きを鳴らしながら迫りくる凶悪なボスモンスターは恐怖以外の何者でもない。


「っ! あかん、前方に敵や!」

「強引に突っ切るぞ!」


 逃げる先に動く死体の集団が現れたが、戦っている余裕はなどない。

 リオンたちは一塊になって突進していった。

 ララとサーシャが先陣を切って強引に道を切り開き、リオンたちがそれに続く。殿はゴルだ。


 リオンたちが突破した直後、死竜が動く死体の集団に突撃した。ある者は蹴散らされ、ある者は踏み潰されていく。同じモンスターと言えど、慈悲は無いようだ。凄惨な光景だった。


「くそっ、こっちは行き止まりかっ!」


 前方に迫る壁を見据え、ララが悪態を吐いた。マッピングがされていない道を運任せに進んでいる以上、行き止まりにぶち当たる可能性はあったが、いきなりとは運がない。

 袋小路に追い込まれ、リオンたちは足を止めるしかなかった。死竜の大きな足音が間近に迫ってくる。


「……ま、魔法で動きを止めます! アルトリュテイ、シュルライセルレス」


 死竜が接近してくるや、ティリアが残存する少ない魔力を振り絞って氷魔法を発動した。死竜の下半身が氷結し、巨体が止まる。だがそれも一瞬。すぐに先ほどのように、死竜の怪力によって氷が割れていく。


「今の内だ!」


 その隙にリオンたちは死竜の脇を走り抜けようとする。


「オアアアッ!」

「あひぇっ!?」


 通り抜ける際、死竜の咢が頭上へと迫ってきて、イルーネが咄嗟に地面を転がった。そのすぐ背後で、ガチン、と歯が噛み合わされる。

 九死に一生を得た彼女は、盛大に冷や汗を掻きながら逃走を再開した。


「だ、大丈夫っ!?」

「や、やばい…………うち、ちょっとチビってもうたかも…………」

「そんな情報要らないから!」


 死竜に背を向けて全力疾走。死竜は完全に氷を破り、即座に後を追ってくる。


「ほんっと、しつこいんだけど! いつまで追い駆けてくんのさ!?」

「……せ、先輩……」


 すぐ背後から息も絶え絶えな声で呼ばれ、リオンは走りながら振り返った。

 ティリアが真っ青な顔をしてぜぇぜぇと喘いでいた。元から体力がない上に、魔力が切れかけて苦しいのだろう。すでにリオンが無理やり引っ張っているような状態だった。


「……もうだめ、かもしれません……」

「足を止めちゃダメだって! も、もうちょっとだから! 頑張ろっ!」


 根拠のない言葉で必死に鼓舞するが、しかしティリアの走るペースがどんどん落ちていく。

 と、そのときだ。


「っ! 前方に階段があるで!」


 イルーネの声に希望の光が指した。

 目を凝らすと、長い通路の先に、確かに上階へと続くと思しき階段が見えてきた。

 しかもその階段の入り口は狭く、死竜では通り抜けることができない。


「ティリア! あそこまで辿り着ければ助かるよ! 頑張って!」

「は、はひっ……」


 だがティリアは今にも倒れそうな足取りだ。このままでは階段に辿り着くまでに、死竜に追い付かれかねない。


「ごめん!」

「っ!?」


 リオンはティリアの腰と足に手を回し、無理やり抱え上げた。お姫様抱っこだ。幸い、彼女の身体は軽い。冒険者としては非力なリオンだが、今の彼女が普通に走るよりもずっと速いだろう。

 しかし必死に生きようとするリオンたちを嘲笑うかのように、彼らの前に全裸マン数体が立ちはだかった。


「邪魔だ退きやがれ!」


 ララが全裸マンたちぶっ飛ばす。サーシャとイルーネも全力で立ち塞がる全裸マンたちを蹴散らしていくが、これが致命的なロスとなった。


「っ……このままだと追い付かれちゃうよっ!」

「ゴル!」

「分かってらぁっ!」


 ララの指示に即応し、最後尾を走っていたゴルが足を止めた。時間を稼ぐつもりだ。


「俺様は《重戦士》だ! お前みたいなドラゴン崩れなんざ、怖かねんだよぉぉぉっ! おおおおおおおらぁぁぁぁぁぁっ!」


 ゴルは気迫の怒鳴り声を上げ、迫りくる死竜へと正面から突っ込んでいった。

 激突。


「うごああああっ!?」


 死竜の腹部にぶつかり、ゴルの身体が呆気なく吹っ飛ばされる。だがそれでも地面に激しい二本の摩擦痕を付けながら、ゴルはどうにか意地を見せて踏み止まった。

 そして再び死竜にタックルを見舞う。またも弾き飛ばされはしたが、今度こそ死竜の突進が停止した。


「来やがれこのデカブツがっ!」


 鎧どころか、ゴルの顔や髪までもが死竜の強酸性の体液によって溶かされていた。それでもゴルは退かず、凶悪なボスモンスターに立ち向かう。彼は我が身を挺し、仲間たちを護るという役目を全うしようとしているのだ。

 その強い想いを感じ取り、リオンは内心で賞賛の声を上げる。


 ほんと、こういうときだけはやけにカッコいいんだからさ!


 彼のお陰でリオンたちはゴールへと近付いていた。全裸マンたちが何体か追ってきてはいたが、後方を走るララが後ろ蹴りを見舞って追い払ってくれている。


 そして――ついに階段へと辿り着く。


「はぁ……はぁ……や、やった……っ!」


 後はゴルだけ――


「オアアアアアアッ!!」

「な……っ!?」


 振り返ったリオンは絶句する。

 死竜が大きく咢を開け、ゴルを呑み込まんとしているところだった。


「ゴルっ!? 早く逃げてっ!」


 リオンは声を張り上げ叫んだが、ゴルは動かない。いや、よく見ると両足が触手めいた生き物によって拘束されていた。動けないのだ。


 そのとき一瞬だけゴルがこちらを振り返り。

 リオンは目が合った気がした。


「ゴ、ル……?」


 直後、ゴルの上半身に死竜が噛み付いた。着ていた分厚い鎧がひしゃげ、潰れる。恐らくは中身までも。


 そして――彼の身体は死竜の口の中へと消えていった。


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