第2話 天才《魔女》
迷宮都市ロストウェル。
この都市の地下に広がっている広大無辺なダンジョン――〈迷宮の大樹〉は、世界三大迷宮の一つとして知られている。
その最大の特徴を挙げるとすれば、それは〝成長し続けている〟ということだろう。
ダンジョンは〝生きている〟。
時に内部構造を変化させ、モンスターを産み出し、罠を発生させる。
人間のような高度な知性とまではいなかくとも、ダンジョンはまるで自らの意志を持った生物のような存在であるとは、大勢の研究者たちが認めていることだ。
だが通常、ダンジョンは初めからほぼ完全な形で誕生する。
そして細部における変化こそあるものの、その基本型が変わることはないし、別種のモンスターがいきなり出現するようになることもあり得ない。
例えば、洞窟型のダンジョンは永遠に洞窟型のままであるし、迷宮型のダンジョンは永遠に迷宮型だ。狼野郎が棲息していたダンジョンが、ある日突然、蜥蜴野郎の住処になっている、なんてことはあり得ない。黒い毛並みの狼野郎が多かったのに、いつの間にか茶色い毛並みの狼野郎が大多数になっていた、なんてことは稀にあるそうだが。
しかし〈迷宮の大樹〉は違う。
あたかも一本の幹から幾つもの枝が生まれてくるように、一つのダンジョンから分岐して新しいダンジョンが誕生していくのである。
そうして現在、このダンジョンには全部で三十四ものダンジョンが存在していた。
なお、それぞれのダンジョンには固有の名前が付けられているが、発見された順に番号を付けたB1、B2、などと呼ばれることもある。BはBRANCH(枝)の頭文字だ。
ダンジョンには、そこでしか手に入らない貴重な鉱物資源や植物、アイテムなどがある。魔物の肉や骨などが食材や武器の材料に使われることもある。
とりわけ、〈迷宮の大樹〉にはこれだけ多くの種類のダンジョンが寄り集まっているのだ。一獲千金を求めてこの都市にやってくる者は後を絶たなかった。
リオンの父も若かりし頃にこのダンジョンに挑戦し、B16の〈吸血の城〉を初攻略。その名を一躍スターダムへと押し上げたという。
だからこそ、リオンも最初の冒険の拠点としてこの街を選んだのだが……。
って、父さんと比べちゃダメだダメだ。
リオンは首を振って意識を現実へと引き戻した。
集中しなければ。今はまだダンジョンの中。しかも仲間たちと逸れてしまった状態なのだ。
ただ、図らずも強力な同業者と行動を共にすることになっていたが。
「僕はリオン。見ての通り冒険者だよ」
氏の方は伏せ、リオンはごく簡単に自己紹介した。
「私はティリア=ランフォードと言います。つい昨日、冒険者ギルドにて冒険者登録をしたばかりです」
空色の髪を揺らし、少女はリオンの名乗りに応じる。
端正な顔立ちをしているが、あまり表情が変わらない。何となく人形みたいな子だなと、リオンはそんな印象を抱いた。
「《魔法使い》?」
「いえ、私は《魔女》の〝加護〟を与えられています」
「へぇ。でもかなり珍しいよね、《魔女》の冒険者って」
女神から与えられた〝加護〟というのは、一言で言えば「才能」だ。
なぜか《騎士》とか《商人》とか《踊り子》といった職業のような名称で授かるため、〝天職〟などと呼ばれることもある。
《騎士》の方が《剣士》よりも優れている、などという〝加護〟における上下関係は基本的にはない。しかし一方で、同じ〝加護〟であっても才能差は明確に存在していた。
そして〝加護〟を持つ者と持たない者の差も。
残念なことに〝加護〟はすべての者に与えられるわけではないのだ。
それどころか〝加護〟を持たない者の方が大多数を占めているくらいである。
上下関係はないとしても、優遇される〝加護〟はある。
その最たるものが、《魔法使い》や《魔女》、《魔法戦士》といった魔法に関する才能を与えられる〝加護〟だろう。
彼らの多くは、国や領主などの手厚い援助を受けている魔法学校に通う。そして卒業後は魔法の研究者になったり、宮廷魔導師になったり、あるいは貴族に召し抱えられたりと、一生涯働き口に困ることはないと言われているほど。
ゆえに冒険者になってダンジョンに潜る《魔女》など、めったにいない。
「エズワール魔法学院を首席で卒業したのですが、冒険者になると言ったら教授や学院長から必死に説得を受けました」
「首席!? しかもエズワール魔法学院って言ったら、超難関校じゃん!?」
とんでもない大物に出会ってしまったぞと、リオンは仰天する。しかも見たところ、リオンとそう歳が変わらないように見える。確か魔法学院の在学期間は通常、八年。多くは二十二歳頃に卒業すると聞いていた。
訊いてみると、まだ十五歳だという。十六歳のリオンよりも一つ年下だ。十歳で入学し、なんと二度も飛び級して五年で卒業したらしい。
紛れもない天才じゃんか……。
「な、なのに何で冒険者なんかになったのさ?」
「私は研究をするより、魔法を使った模擬戦闘などの実技が好きだったんです。でも、相手が人間だと、殺してしまうような強力な魔法を使う訳にはいきませんよね?」
「そ、そりゃあね……」
「それが少しだけ苦痛でした。なので、モンスターを相手にする冒険者になろうと思ったんです。モンスターであれば、幾ら倒しても賞賛されこそすれ、誰にも文句は言われませんし」
「……」
「ふふ……それにしても先ほど、ただの小娘と思って侮っていたのに魔法であっさり仲間をやられて犬面が驚愕と恐怖に歪んだときは、胸の奥底から込み上げてくるものがありましたね……」
相変わらず無表情ながら、どことなく陰を帯びた顔で小さく笑ったように見えた。
実は結構危ない子かもしれない。
リオンはこっそり彼女から距離を取った。
とは言え、冒険者の第一歩はモンスターを躊躇せずに殺れることだ。意外とここで躓く者もいるくらいなので、むしろ頼もしい性格と言えるだろう。
実際、リオンも最初は抵抗があって慣れるまで苦労した。
「だけど、いきなりたった一人でダンジョンに挑むなんてさ。正直ちょっと無謀だよ」
「そうですね。一応、地図は購入していたのですが、途中で迷子になってしまいました。道案内を雇うべきだったと反省しています」
「……うん、そういう意味で言ったんじゃないんだけどね」
しかし確かに彼女ならソロでもやっていけそうだが……。
ただ、魔法をメインに戦う者には〝魔力切れ〟というものが付き物だ。どんなに詠唱が早くて威力が高くとも、使い続けているといずれ魔力は枯渇する。ゆえに長時間のソロ探索は厳しいだろう。それに見たところ、そうした事態に対処するための準備をしてきているようには思えない。
「でも、リオンさんこそたった一人では無謀ではないでしょうか? 見たところあまり強くないように思います」
「大きなお世話だよっ。いや事実だけど! ……僕の場合、パーティの仲間と逸れちゃったからで、ソロじゃないから」
「そうだったんですか。冒険者というのは嘘で、本当は自殺希望者なのではないかと疑ってすいませんでした」
「なんか遠回しにすごく馬鹿にされてる気がするんだけど!?」
やっぱりこの子、見かけによらず黒いよ……。
リオンは疲労の籠った溜息を吐いてから、彼女に提案した。
「ねぇ、僕らのパーティに入らない?」
「……え?」
「確かに戦闘能力的には、君には一人でもダンジョンを探索できる力があるかもしれない。でも、必要なのは戦う力だけじゃないんだ。地図の見方もそうだけど、そもそもそれが正しい地図なのかを見極める方法とか、どのダンジョンのどこに行けば稼げるのかとか、他の冒険者とトラブルになったときにはどうするのかとか、そういった冒険のイロハって、一人だとなかなか身に付かないんだよ。ギルドが教えてくれる訳じゃないしね。手痛い失敗をしてからじゃ遅いよ」
と相手の利を説きつつも、リオンの本音は「こんな逸材、逃すわけにはいかない」というものだった。彼女の加入は、今挑戦しているダンジョン攻略において大きな力になるだろうという打算である。
リオンの提案に、ティリアは思案気に首を傾げた。まぁ初対面でいきなり誘われても、急には決められないだろう。
「とりあえず、これからみんなと合流するから、紹介してあげるよ。あ、女の人が多いパーティだからその辺は安心して。もちろん、最初はお試しでもいいからさ。いったん一緒に冒険してみて、それからじっくり考えてくれればいいよ」
「そう、ですね……はい。では、お願いします」
「うん、よろしく! …………みんな無事だといいけど」
まぁ僕が無事なんだし、大丈夫だよね、と小さく呟きつつ、リオンは転移トラップに引っ掛かってしまった場所へと向かうのだった。