第16話 聖騎士のお願い
「おめでとうございます。記録は十五皿。新記録です」
おおおおっ、と歓声が巻き起こる。
ついにイルーネは、制限時間内に十五皿ものパスタをたった一人で食べ切ったのだ。
「げっふ……あー、さすがにお腹いっぱいやわ~」
「……何やってんのさ、君は……」
見学していた客たちが立ち去った後、リオンは呆れたように声をかけた。
「うち、大食い得意やねん。いっぱい食べれて食費が浮くし、一石二鳥やで」
「お腹、ぱんぱんじゃんか」
「ふへへ、リオンはんとの赤ちゃんがおるみたいやな」
「バカなの? ねぇバカなの? ていうかさ、そんなだからエルフの血引いてるくせに肉付きがいいんだよ」
大きなお腹をさすりながらうっとりするイルーネに、リオンは辛辣に吐き捨てる。エルフという種族は基本的にスレンダーだ。しかし彼女の二の腕や腹回りは明らかにぷにぷにしている。まぁ何よりも肉付きがいいのは胸の部分だが。まさに特盛だった。
「こちらが一万クローネ分の食券です」
「ごっつぁんや」
そこへ店員がやってきて、よく分らない方言(?)とともに一万クローネ分の食券を受け取るイルーネ。
「ところでリオンはんは何でここに?」
「たまたまだよ。まだ昼食べてないから、たまたま入ったら君がいたの」
「もしかしてうちらは引き合う運命……っ?」
「あ、定員さん、僕、トマトクリームパスタで」
イルーネの妄言を軽くスルーしつつ店員に注文してから、リオンはイルーネの隣の席へと腰掛けた。
「食べ終わったんだし、君は帰らないの?」
「リオンはんに抱っこされて家に帰りたい。しばらく動けへんし」
「重いからやだ。そもそも持ち上がらないでしょ」
「ちょっ!? 花も恥じらう女の子になんて失礼な!」
「ていうかさ、前からぽっちゃりしてたけど、最近さらに太ってきたんじゃない?」
「……そ、そんなことはないはずやで? 消費量も多いし……」
「そうかな? だいぶデブってきてると思うけど。そのうち豚人間の雌と見分けがつかなくなるかもしんないよ」
「やめてっ! ゴルと同じ枠にだけは入りとうないっ!」
「じゃあそれちょうだい」
リオンが指差したのは、先ほどイルーネが手に入れた食券だった。イルーネは涙目で、縋るように訊いてくる。
「これあげたらうち痩せるやろか?」
「分かんないけど、少なくとも持ってるよりはマシでしょ」
「やったらあげる!」
「まいど~」
こうしてリオンは、まんまとイルーネから食券を巻き上げることに成功したのだった。
◇ ◇ ◇
食べ終わり次第、まだ動けないイルーネを放置してとっとと店を出たリオンは、腹ごなしにぶらぶらと歩き、ちょっとした広場へとやってきていた。ダンジョンのある広大な広場ではなく、もっとずっと小規模なものだ。真ん中には噴水があって、近隣住民の憩いの場となっているらしい。家族連れやカップルなんかも多い。
「あれ? もしかしてサーシャかな?」
と、そんな中、芝生の上に植えられた木の陰に見知った人物を発見する。
いつもの鎧姿ではなく、普段着と思われるラフな服装に身を包んでいるが、その立ち姿と艶やかな黒髪は見間違えようがない。
今日はよくパーティの仲間たちに会うなぁと思いつつ、リオンは彼女の方へと近付いていった。
「……? 何してるんだろ?」
サーシャは地面にしゃがみ込んで、右手を前に伸ばしていた。
よく見ると、彼女のすぐ目の前に白い生き物が蹲っている。
猫だ。どこか不思議そうな顔でサーシャのことを見上げていた。
サーシャはどうやら猫に触ろうとしているところらしい。その表情はいつもの毅然としたものとは異なり、ふにゃっと緩みまくっていた。
男前で知られる彼女は、女性冒険者の間にファンがいると聞くほど。しかしそんな印象とは裏腹に、実は「可愛いもの」が大好きなのをリオンは知っている。恥ずかしいからか、普段は隠しているようだが。
「よしよ~し……わたしは怖くにゃいにゃ~」
そんなことを言いながら、白猫の頭を撫でようとして、
「……あっ」
あと数センチというところで、猫が急に起き上ったかと思うと、さっとその場から立ち去ってしまった。
一人その場に取り残されたサーシャは、眉をハの字にしてとても悲しそうだ。しゅんと項垂れている姿には哀愁すら漂っていた。
「あの……サーシャ?」
「っ!」
リオンが恐る恐る声をかけると、サーシャはビクッと肩を震わせて顔を上げた。
「な、なんだ、リオン殿か……」
「……うん。ごめんね、急に声かけちゃって」
「い、いや……」
俯きがちに首を振るサーシャ。しかしそこでハッとしたように顔を上げ、
「も、もしかして…………い、今の見ていたのか?」
「え? 何のこと?」
「いやっ、な、何でもないっ。見ていないと言うのならいいのだ!」
サーシャは安堵したように息を吐く。
「もしかして猫を撫でようとたのに逃げられちゃって、物凄く落ち込んでいたこと?」
「やっぱり見ていたのだなっ!?」
うがーっ、と頭を抱えてサーシャは叫ぶ。
「怖くにゃいにゃ~ってとこからね」
「しかもそこから!?」
「別にいいじゃん、それくらい」
「よよ、よくないっ! ……は、恥ずかし過ぎる……っ!」
顔を思いきり赤くし、顔を俯けるサーシャ。
「別に恥ずかしくなんてないでしょ、女の子なんだし。これがゴルとかだったら、正直言って引くけどさ」
そもそもあのゴリラだったら、近くに現れた時点で猫が一目散に逃げ出すに違いない。
「うぅ……わ、わたしには、その……そ、そういう女の子っぽいことは似合わぬのだ」
もじもじと、やはり恥ずかしげにサーシャは呟く。むしろその仕草がけっこう女の子っぽいのだが、本人には自覚がなさそうだ。
「似合わなくなんてないと思うけど……ていうかさ、そもそも似合わなくたってもいいじゃんか、別に。やりたいと思ったら堂々とやったらいいんだよ。誰に憚ることもなくさ!」
リオンは自信を持って断言する。
そもそも冒険者なんてまるで向いていないリオンでさえ、こうして冒険者をやっているのだ。中にはそのことをバカにする人間もいる。でも、だからどうした。
「人にどう思われようが関係ないよ。だって、自分の人生は自分のものなんだからさ。まぁそれで人に迷惑をかけちゃうのはダメだけどね」
「……いつも思うが、やはりリオン殿は強いな」
「そんなことないよ。サーシャの方がよっぽど強いじゃん」
「その強さではないのだが……ふふ、ありがとう、リオン殿」
サーシャは顔を上げ、晴れやかな笑顔を見せた。
「……ところで、お礼ついでに一つ、相談なのだが……」
「なに?」
首を傾げるリオンに、サーシャは思い切ったように言った。
「……そ、その……あ、頭を撫でさせてくれないか?」
「は?」
突然、何を言い出すのだこの聖騎士様は。
リオンはポカンと口を開けたまま固まってしまう。
「さ、先ほどは撫でるのに失敗してしまったから……」
「それって猫の話でしょ!?」
意味が分からない。
しかしリオンが拒絶を示すと、サーシャはさっきよりも落ち込んだ様子で、
「そ、そうだな……やはり、わたしなどが可愛いものを愛でるのは似合わないようだな……」
「ああもう! 分かったよ! いいよ、好きに撫でてもっ。僕の頭くらいさ」
先ほどあんなことを言ってしまった手前、しぶしぶながらも了承するしかない。
というか、なぜ猫と同列の扱いをされなければならないのか。
「ほ、ほんとうか!?」
パッと顔を輝かせるサーシャ。
これくらいのことで何とも大袈裟な反応である。
「……で、では……い、行くぞ」
「う、うん」
サーシャが恐る恐る手を伸ばしてくる。
しかし頭を撫でるだけだというのに、なぜか彼女は物凄く緊張していて、お陰でリオンまで硬くなってしまう。
やがて、サーシャの手がリオンの頭の上に乗せられた。
ゆっくりと掌が左右に動く。なでなで。
次の瞬間、先ほどまで緊張で強張っていたサーシャの顔が、にへら、と緩んだ。
だが自分が締まりのない顔をしていることに気づいたのか、表情を引き締め、いつもの凛とした顔に戻る。
それでもまたすぐに頬が緩んだ。それに気付いてまた引き締める。
にへら、きりっ、にへら、きりっ、にへら……。
何この人、すごく可愛いんだけど……。
数秒おきに変化する顔芸めいた彼女の表情を見ていると、ついリオンの方こそニヤけてしまいそうになる。
ちなみにリオンの髪は明るい茶色で少し癖があり、ふわっとしている。猫……とまではいかないかもしれないが、中々に撫で心地のいい頭だった。
「……はぁはぁ……リオン殿の……頭……やわらかくて……はぁはぁ……きもちいい……」
「ちょ、サーシャ? ……だ、大丈夫……?」
「……だいじょうぶだいじょうぶ……はぁはぁ……だいじょうぶ……はぁはぁ……」
「どう見ても大丈夫じゃないから!? 早く正気に戻って!」
やがて息を荒らげ、イルーネみたいな、もとい変態っぽい吐息を漏らし出したので、リオンは身の危険を感じて撫で撫でタイムを強制終了させたのだった。




