第11話 魔女の悲哀
辺りの気温は氷点下を大きく下回り、外気に晒された肌がぴりぴりと痛む。吐く息が一瞬で白くなった。
リオンたちは思わず感嘆の声を漏らす。
「すご……」
「見事だな」
「こんな威力の氷魔法、うち初めて見たわ」
「わたしもだ」
大魔法の発動でさすがに疲れたのが、ティリアが息を整えながら言う。
「……氷魔法レベル4です。ただしより広範囲に及ぶよう、可能な限り魔法を下方に集中させました」
それで木乃伊男たちは下半身を中心に凍っているのだろう。中には少し腕や頭が動いていて、呻き声を発しているものもいた。だがこうなれば後はトドメを刺すだけだ。
「じゃあ、氷が溶けちゃう前にとっとと倒しちゃおうよ」
リオンはナイフを手に、凍りついた一体に近づいていく。そいつは木乃伊男の割にゴリゴリしていて――
「おいこら! 俺だ!」
「あ、ごめん、ゴリラ系の動く死体かと思っちゃった」
「俺はゴリラじゃねぇ!」
「ウホ? ウホウホウホ?」
「ゴリラ語で話しかけてくるんじゃねぇよ! 舐めてんのか!?」
ゴルは無事だった。
木乃伊男たち同様、完全に下半身が凍りついてはいたが。
ティリアが火魔法を使って氷を溶かし、サーシャが聖気で凍傷になりかけていた皮膚を治療する。鎧を着ていたというのもあるが、直撃を喰らったというのに負傷具合は意外と大したことはなかった。
「全然平気そうじゃん」
さすがは丈夫な《重戦士》といったところだが、殺傷力の低い氷魔法だったことが幸いしたのだろう。
「もし雷魔法だったら俺、マジで死んでたぞ!?」
と、自分を巻き添えにすることを許可したララに怒鳴るゴルだが、
「うるせぇ、がたがたぬかすな!」
「ぐへっ!?」
蹴り飛ばされた。
「い、ってぇ……」
「まぁ、ティリアが放つのは氷魔法だろうとオレは確信していたけどな」
「はい。雷魔法で殲滅するより、氷魔法で凍らせておいて後からトドメを刺すというやり方の方が詠唱時間を短縮でき、あの場面では適当と判断しました」
「へぇ……」
さすがは団長。この短期間でティリアが扱う魔法の特性をそこまで理解したのかと、リオンは驚く。
だがそれ以上に賞賛すべきは、やはりティリアだろう。
戦局を一瞬でひっくり返してしまうあの大魔法。
もし彼女がパーティにいなかったらと想像すると、リオンはぞっとしてしまう。
「ふふ、僕が連れてきたお陰だね!」
つまりは間接的には僕の手柄! とリオンはちょっとだけ得意げになる。
「少なくともゴルには無理だよね。だって、声をかけただけで逃げられちゃいそうだもん」
「けっ、そうだな」
ゴルは忌々しげに顔を歪め、吐き捨てるように言った。
「お前が俺たちのパーティに加わったのは、ティリアを連れてくるためだったのかもしれねぇな。てことはよ、もうこれでお前はお役御免ってことだ。ははははっ」
「っ……」
嘲笑されて、むっとなるリオン。
下から思いきり睨みつけてやったが、しかしその反応がむしろ彼を調子付けたらしく、ゴルはニヤニヤとした笑みを浮かべながらさらに言い募った。
「ま、お前は元からいてもいなくても変わらねぇもんぐはっ!?」
またもララに蹴り飛ばされ、ゴルは棺桶の中へと頭から突っ込んだ。
「何しやがる!?」
「てめぇこそ何言ってやがんだ?」
周囲の空気が軋む――。
いつになくララが苛立っていた。
恐らく、彼女はリオンのことを庇ってくれたのだろう。
だがゴルとしてはそれが気に入らなかったらしい。彼もまた珍しく本気で彼女を睨み、
「はっ、俺が何か間違ったこと言ったかよ?」
「てめぇ、いい加減に――」
「い、いいよ、団長!」
一触即発の二人の間に、リオンは慌てて割り込んだ。
「大丈夫だから。ありがと」
二人が喧嘩をするのはいつものことであるが、さすがにそれが自分のせいとなると後味が悪い。しかも普段のそれとは少々様子が違う。
ゴルのことは腹が立つが、今回はリオンのからかいから端を発してしまったところがなくもないので、何とか我慢する。うん、我慢我慢。僕は大人だから。ゴリラとは違うから。
「いでっ。何でお前まで蹴ってきやがった!?」
「ごめん。つい」
大人でも我慢できないことってあるよね?
まぁ、僕があんまり役に立ってないのは事実だけどさ! ティリアがいれば、僕なんていなくてもいいかもしれないけどさ!
木乃伊男たちを全滅させたからか、閉じられていた壁が開き、階段が現れる。不思議な現象ではあるが、ダンジョンではよくあることだった。もしかしたら誰かが見ているんじゃないかと思ってしまう。
「あの、先輩」
階段を上ろうとしたとき、不意にティリアから声を掛けられ、リオンは振り返った。
「どうしたの?」
「…………いえ、何でもないです」
「?」
何かを言おうとして結局やめてしまった彼女に、リオンは首を傾げた。
木乃伊男たちとの戦いで消耗した一行は、予定通りすぐに帰還することに。
モンスターは倒しても倒しても新たに湧いてくるが、幸いそれにはある程度のインターバルがある。同じ道を通れば、帰りに遭遇するモンスターの数は行きよりも少ないことが多い。もちろん、それでも十分注意して進んでいくべきだが。
それから一時間くらいかけて来た道を引き返し、リオンたちはダンジョンの外へと無事に戻ってきたのだった。
◇ ◇ ◇
ティリアが魔法学院に入学したのは十歳のときだった。
通常、魔法学院に入学するのは十五歳前後の頃であるため、それだけでも彼女の才能の高さが分かるというものだろう。
だが十歳で入学というのは決して珍しいことではなかった。
確かに稀少ではあるが、それでも著名なエズワール魔法学院ともなれば、毎年、数人程度はそれくらいの年齢で入学してくる子もいるのだ。
魔法学院の学生寮。
そこでティリアと同室になった子もまた、十歳で入学した天才児だった。
「これからよろしくね、ティリアちゃん!」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
ティリアとは対照的に、その女の子は明るく元気な子だった。
人懐っこくて、当時から人付き合いが苦手なティリアでもすぐに仲良くなることができた。
けれど同時に、その子は人一倍負けず嫌いでもあった。
「すごいね、ティリアちゃん! だけど、あたしも負けないよ!」
「はい」
元々、二人の実力は拮抗していた。
ティリアというライバルがすぐ近くにいたこともあって、彼女はいつも一生懸命だった。
そして二人は競い合い、互いに切磋琢磨しながらメキメキと上達していった。傍から見ていても、理想的な関係だっただろう。
しかし二人の関係は長く続かなかった。
入学から半年ほど経った頃に行われた模擬戦のときのこと。
ティリアはその子が放つ魔法を自分の魔法で相殺しながら、不思議に思っていた。
なぜ彼女はこんなに手加減をしているのだろう、と。
「やっぱりすごいね、ティリアちゃんは! あたしと互角にやり合うなんて!」
「……あの、本気を出していいですよ?」
「えっ?」
ティリアの言葉に、その子は目を丸くした。
「あ、あたし、本気だけど……?」
「嘘を吐かないでください。あなたの本気がこの程度のはずがないじゃないですか」
ティリアは知っていた。
彼女はティリアよりずっと早くに起きて魔法の練習をしていることを。
ずっと遅くまで起きて魔法の練習をしていることを。
それだけ頑張っているのだから、この程度であるはずはないと、ティリアは本気で思っていたのだ。
「本気を出せば、これくらいできるはずです」
「う……そ……」
ティリアが見せた全力の一撃。それはもちろん、相手に当たらないように放ったのだが、その圧倒的な威力を前に、その子は震えながら地面にへたり込んだのだった。
確かにその女の子もこの短期間で大きく成長した。
だがティリアの成長速度は、それを遥かに凌駕していたのだ。
まざまざと努力ではどうにもならない才能の差を見せつけられたその女の子は、その日を境に二度とティリアに話しかけてくることがなくなり、やがて別の部屋へと移ってしまった。
それ以降、卒業するまでずっとティリアは一人部屋だった。
先日ティリアはリオンに対し、優等生だったため特別に一人部屋を使うことが許されていたという話をした。それは間違いではないが、最大の理由は別にあった。
彼女の傍にいると、才能のある子が潰されてしまう。その女の子との一見以降、教師たちからそう懸念されたからだ。
あれ以来、ティリアは努力する人間が苦手だった。
あの女の子のように、彼らはティリアの才能を知ると、決まって嫉妬し、絶望し、時には憎悪してくる。
自分は何も悪いことなどしていないというのに。
――だからティリアは決断した。
「すいません。お話があります」
無事にダンジョンから街へと帰還し、そして別れ際。ここ数日間、共にパーティを組んで冒険した仲間たちを真剣な声音で呼び止める。
「……どうしたの?」
怪訝な顔で振り返った彼らに、ティリアは意を決して告げたのだった。
「私、今日でパーティを抜けます。短い間でしたがお世話になりました」