第1話 英雄の息子
「僕も父さんみたいな〝英雄〟になりたい」
〝英雄〟の父を持つ少年、リオン=ハルベルトにとって、その夢を抱くのは自然なことだった。
なにせ幼い頃より、周囲の大人たちから父が成し遂げた偉業の数々を聞かされ、育ってきたのだから。
歴史を彩る〝英雄〟たちの経歴は様々だ。
斜陽の小国を一代で立て直し、強大国へと押し上げた〝賢王〟。
不当な弾圧に決起し、民族を独立へと導いた〝指導者〟。
流行病に倒れる人々を癒し、大勢の命を救った〝聖人〟。
大災害級の魔物の討伐や、前人未到の迷宮踏破などを成し遂げた〝冒険者〟。
悪逆非道の侵略国との戦いに勝利し、祖国を護った最強の〝将軍〟。
少年の父は冒険者だった。
だから少年もまた、まずは冒険者になろうと考えた。
共に戦うパーティの仲間たち。
彼らの尊敬と信頼を一身に受けて。
皆が絶望する中でも決して希望を捨てず、彼らを鼓舞し。
道を切り開き、逆境を乗り越え、どんな強敵をも打ち倒していく。
そんなカッコいい冒険者に、僕もなりたい。
いや、きっとなれるはず。
だって僕は英雄の息子なのだから。
――そんなふうに考えていた時期が僕にもありました。
「やばいやばいやばい!」
切羽づまった叫び声を上げながら、リオンは薄暗い洞窟の中を懸命に走っていた。
「オオオッ!」「ガルルァッ!」「ウオオオッ!」
咆え声をあげ、背後から迫りくるのは二足歩行の狼たち。
小柄なリオンより一回りも二回りも身体が大きく、そのくせ動きも俊敏だ。
そいつが三体。一体だけならまだしも、三体同時に攻めかかってこられては、残された道はもはや「逃げ」の一択だ。
なにせ今リオンは、頼りになる仲間たちとはぐれ、たった一人なのだ。
「みんなぁっ! 僕はここだよ! ここにいるよ! ねぇ近くにいないの!?」
情けないけれど大声を上げ、必死に助けを呼んでみる。しかし、わんわんと洞窟内に物悲しく声が反響しただけで、返事は返ってこなかった。
――描いていた理想は遥か遠く。
英雄どころか、所属するパーティ内でもみそっかす。
足手まといとまでは言わないまでも、英雄の息子であるはずのリオン=ハルベルトは、一人では何もできない最弱メンバーだった。
「グルァッ!」
「っ、前からも!? 最悪っ!」
前方にも二足歩行する狼のモンスター――冒険者たちの間では狼野郎と呼ばれている――が現れ、リオンは思わず吐き捨てる。
こうなったら破れかぶれだ。リオンはナイフを逆手に持つ右手に力を込め、真っ直ぐ狼野郎に突っ込む――と見せかけて、
「ギャウ!?」
リオンが左手で投げたのは、安定翼の付いた小さな矢。〝ダート〟と呼ばれる投擲用の武器だ。殺傷力は低いが、いきなり顔目がけて飛んできたら、よほどの反射神経が無ければ避けられない。狼野郎の右目の下あたりに突き刺さった。
突然のことに狼野郎が動揺している隙に、その脇を駆け抜けていくリオン。その際、ちゃっかりとナイフで狼野郎の脇腹辺りを斬り付けておいた。
「ガルァッ! …………ガル……ッ?」
怒った狼野郎が他の三体と一緒に追い駆けてきたが、すぐに息が荒くなって脱落した。
メルア草という植物から採取した毒を、ダートとナイフ、その両方に塗っていたのだ。
筋肉の麻痺や呼吸困難などを引き起こす神経毒である。傷口から摂取させたので、致死とまではいかずとも、しばらくは動けないだろう。
ちなみにリオンが自ら調合した。もっとヤバい毒も作れるのだが、メルア草はその辺に生えていて安上がりで、解毒薬の作成も比較的簡単なのでかなり重宝していた。
まぁ毒なんて邪道だけど……。
内心で自重するが、しかし普通の戦い方をしていては冒険者なんてやっていけない。なにせリオンは、女神の〝加護〟すらも持っていないのだから。
「これだって、たぶん僕くらいしか使わない」
さらにリオンは、走りながら懐から葉っぱの包みを取り出した。その中に包んでいるのはフーア草、別名、煙草と呼ばれている植物を乾燥させ、粉末状にしたものだ。
リオンは小さく〝呪文〟を呟く。
「――ジュラ」
ぼっ、とちっぽけな火花がリオンの手の内で弾け、葉っぱに引火した。地面に放り投げる。
すぐに葉っぱから濛々とした白煙が立ち上り、あっという間に洞窟内に広がった。煙幕だ。
狼野郎たちが涙目で煙の向こうから飛び出してきたが、そのときにはもう、リオンは小さな横道の奥へと逃げ込んでいた。
あの煙は強烈な匂いがする。鼻のいい狼野郎と言えど、リオンの匂いを辿って追い駆けてくることは不可能だろう。
「ふぅ……どうにか撒いたみたいだね」
ようやく足を止め、リオンは安堵の溜息を漏らしたのだった。
「……みんな、僕のこと探してるだろうな……」
遡ること三十分ほど前。
リオンは仲間たちとともにB19ダンジョン〈不死の王国〉の新領域の探査を終えた後、そのB19と連結しているここB8ダンジョン〈人狼の洞窟〉を通って、地上へと帰還しようとしていた。
だがちょっとしたミスで転移トラップを踏んでしまい、みんなバラバラに迷宮のどこかへと飛ばされてしまったのだ。
幸い、転移トラップで飛ばされる先は同じダンジョン内であるため、仲間たちはこの洞窟めいた場所のどこかにいるはずだ。と言っても、それが物凄く広いのだが。下手をすればちょっとした街レベルの広さがある。
きっと一番心配されているのがリオンだろう。他のメンバーたちは全員、たった一人でもこのダンジョンを探索できる力がある。パーティ内序列において、ダントツの最下位のリオンとは違うのだ。
いや僕だって大丈夫だけどね? 今だって何とかなったし。ギリギリだけど……。
「でもこういう場合、無暗に探し回るより、元のところに集合するのがベストだよね。トラップに引っ掛かっちゃったのは、B8の入り口から近いところだったし」
そう独りごちながら、リオンは迷宮内を進んでいく。こういうケースに備え、地図は各人が一つずつ備えていた。
先ほど使ったものはもう回収できそうにないので、ダートの残りは五本。煙幕の方はあれで売り切れだ。今日のB19の攻略を終えた段階で、すでにかなり消費してしまっていたのである。できれば仲間たちと合流するまで、もう狼野郎に遭遇したくない。
「……?」
と、何かに気づいてリオンは耳を澄ませた。
「音がする……誰か、戦っている……?」
リオンは足を速めた。仲間がいるかもしれない。ただし周囲への警戒は怠らない。やがて細い通路から、少し開けた場所へと出た。
人がいた。
見知らぬ少女だった。
美しい空色の髪に同色の瞳。
端正な顔立ちに華奢な体躯。
身に纏っているのは黒いローブで、手には杖を持っていた。
その格好から、すぐにリオンは彼女の持つ〝加護〟を理解する。
「《魔法使い》がこんなところに一人で!? ……って、危ない!」
少女は狼野郎に囲まれていた。しかも五体。
彼女は魔法の使い手に違いない。だが、先ほど煙玉に火をつける際にリオンが使ったようなチンケなものなら詠唱も一瞬だが、狼野郎にダメージを与えられるレベルの魔法を発動しようとすれば、しっかりとした詠唱が必須だ。
どう考えても、あれでは発動が間に合わない。
ああもうっ、今日はなんてツイテない日なんだよっ!
リオンは内心で悪態を吐きつつも、すぐに少女に加勢しようとダッシュした。
そのとき、少女が一言。
「ラルダーロ」
ジュドォンッッッ!!!
「へっ?」
思わず頓狂な声を漏らしてしまうリオン。
少女が先ほどのリオンと大差ない長さの詠唱を口にした刹那、凄まじい光が迸り、爆音が洞窟内に轟いたのだ。
見ると、最も少女の近くにいた狼野郎の上半身が黒焦げになっている。
ちょ、嘘でしょっ? まさかあんなに短い詠唱で!?
驚嘆するリオン。少女の実力を完全に測り間違えていたことを悟るも、しかし今さら止まることはできなかった。すでに狼野郎の背中は目の前に迫っている。
覚悟を決め、狼野郎の首筋に思いきりナイフを突き立ててやった。
「ギャァ!?」
血飛沫が舞うが、まだ仕留め切れてはいない。リオンの気配を感じ取ったのか、寸前で振り返ろうとしたため僅かに狙いが逸れてしまったのだ。
狼野郎は悲鳴を上げながらも腕を振るい、鋭い爪で咄嗟に反撃してきた。リオンはバックステップで辛くも回避。
狼野郎は怒りに澱んだ目をして、血と唾液を撒き散らし襲い掛かってきた。
「しつこいなっ」
致命的な負傷に加え、ナイフから体内に毒が入っているだろうに、手負いの獣というやつか、狼野郎は恐るべき生命力を見せつけてくる。
だが、さすがのリオンも死にかけの相手に苦戦している訳にはいかない。
狼野郎の繰り出す爪撃を躱すと、一気に懐へと飛び込んだ。
「ギャウッ」
ナイフで下顎を貫く。血がリオンの頭上に降り注いだ。
狼野郎の全身から力が抜け、リオンの方へと倒れ込んできた。
「重っ……」
圧し掛かられたが、リオンはどうにか押し退ける。地面に崩れ落ちた狼野郎は、どうやら完全に絶命したようだった。
リオンはすぐに少女の方へと視線を向ける。
彼女の周りには全部で四体の狼野郎の死体が散乱していた。リオンが一体を相手取っている間に、どうやら一人で三体を片付けていたらしい。
少女と目が合った。
「……だ、大丈夫?」
「はい、お陰さまで怪我一つありません」
リオンが訊くと、凛とした返事が返ってくる。息を荒くしているリオンとは対照的に、彼女は涼しげな顔をしていて汗一つ掻いていない。どう見ても余裕である。
「助けていただいて、どうもありがとうございます」
「う、うん……」
丁寧に礼を述べられ、リオンは気まずそうに頷く。
いや、助けたって言うかさ…………僕の加勢、まったく必要なかったよね?
「……正直、私一人で戦った方が早かったように思いますが」
「だよねっ」
少女も同じ認識だったらしい。弱いくせに必死になって彼女を助けようとした恥ずかしさで顔を赤くし、「僕もそう思うよ!」と、半ばヤケクソ気味に叫ぶリオン。
――これが英雄の息子(笑)の現状だった。