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第八話 一里の眼、零の刃 前編 鈴鳴九郎良俊

「斬られれば、きっと痛いに、違いない」

「それはそうでしょうね。ですが、斬る方にしても心が痛むのでは?」


 駄目だった。


「いかんなあ、佐代乃介。連歌遊びをしているのだぞ。百句を詠まねばならぬというのに、いきなりの下の句でつまづいて何とする」

「突然にそのようなことを言われても困ります。察しろという方が無理というものです」

 せめてプイと頬を膨らまるくらいはするのだろうと思っていた佐代が、能面のように表情を変えずにしゃべり終えていた。


 雲州は甘梨(あまなし)の町を出でて、十六日が経っている。

 雨斬(あめきり)の太刀の一件以来、佐代の態度はいくらか余所余所(よそよそ)しいものへと転じていた。

 敬して遠ざけられている、と言えば大げさになる。壁を作られていると言えば、いくらか適しているのだろうか。

 この、いくらか、というのがタチが悪い。たまに感じてしまうだけなので、面と向かっては言い出しにくくもある。あとは口数にしても若干減っているような。

 

 もっとも、俺が男好きなのではないかと勝手に佐代が勘違いしていた三日目に比べれば、はるかにマシではあった。

 元々、猫のように気まぐれな性格の娘なのだと九郎は独り決めしてもいる。

 ゆえに、いずれまた近づいてくるのであろうと楽観視していた。


 だがしかし、三日過ぎ五日過ぎても、遂には十日過ぎても、佐代の態度は変化なしであったのだ。


 さすがにこれは何とかしなければ、とようやく重い腰を上げる。九郎は道すがら頭をひねった末にひらめきを得た。

 そうだ、無理くりにでも会話が続けばそれがきっかけになるのではないだろうか、と。

 我ながら良き思案と胸中でほくそ笑みつつ、発句として「斬られれば……」と口に乗せてみたはいいものの。

 無残に散ってしまう。


 失敗の原因は、改めて思うまでもなく明々白々であった。

 気が付かないでいた俺が呆けているに違いない。きっと春の陽気にあてられて、オツムがゆるくなっている。そうに違いない。


 佐代は当たり前の話なのだが、和歌詠みが好きな者の多い九郎の実家藤平家の身内ではない。

 おまけに、この旅の道中において、即興で五七五を七七で返す三十一文字(みそひともじ)遊びのやり取りをしたことすら一度たりともない。

 五七五の韻を踏んでいるからといって、ただそれだけで「これは連歌遊びですね。受けましょう」と分かられてしまう方が逆に恐ろしい。

 何故、口に出す前に気が付かなかったのだろう。


 佐代の言うところの「言葉足らずな悪しき(へき)」は未だに直ってはいないなあと自らを省みる。

 とはいえ、満ちたお月様が完全に欠けぬ程度の月日の内に直せるようならば、そもそも癖とはいわないのではあるまいか、という疑問も頭に生じている。


 九郎は、太刀の件について実はそれほど大したことでもなかったのではあるまいか、と佐代に伝えようとして四苦八苦している。



 あの時分は、佐代の気迫に圧されてしまった。

 太刀の名を明かすことが重大事であると捉えていた。

 だが、改めてよくよく考えてもみれば、太刀の名を佐代に明かしただけのことではないだろうか。

 この世の中で、雨斬(あめきり)という名を知る者が九郎だけであった。そこに佐代が加わった……のであれば確かに事は深刻なのかもしれない。

 けれども、実家である藤平屋の者たちだけを数えても百人はくだらないのだった。そこに城勤めを含む高宮の町の人たちをも加えれば随分な人数となる。周囲の町や村を含めれば、もっとだ。


 そもそも、誰もかれもが関心を寄せるような話でもない。

 新品同然ならば多少は異なったのかもしれないが……。錆びて朽ちている太刀など何の役にも立ちはしない。

 たとえば、両親と兄姉だけですら十人という大所帯の近しい家族にしても、店の奉公人たちにしても、温度の差こそあれ、錆びにまみれた太刀にはほとんど興味を示さなかった。


 強いて、強いてあげれば、最も関心を持っていたのは九郎自身を除けば、父上であろう。

 その父上にしても、適当な枡に大豆を掬いざあっと盆の上にひっくり返した後、さてさてどの一粒が一等大きいのだろうと眺める程度の興味であった。

 身も蓋もない言い方をすれば、どうでもいいのだろう。

「錆びだらけで朽ちていたとはいえ、一応は父祖伝来の刀である」と言われた後「せめて鞘くらいは」と早々にしつらえ直すように手を打たれていた。

 さすがは父上であると九郎は当時感心を覚えたものである。

 ところが月をまたいだある日「この、えらく嵩んでいる先月の費えは何だね? 覚えのない店だが」と帳簿をめくりながら大番頭と話しているところを見てしまう。

 大番頭にしても「それはですね……。確か……」としばらく間をおいてうんうんと悩んだあげくにようやっと応えている始末。


 旅立ちの日、九郎は誰か一人くらいは察するに違いない。そう思っていた。

 雨斬の太刀を収めた鞘を腰に差していたのだ。

 養母上(ははうえ)が大騒ぎしたあげくに随分と値の張るものを購った太刀とは、柄の造りも、鞘の長さも色も、何から何まで明らかに異なっているゆえに。

 指摘されればどう切り抜けようかと思案していたものの、良き考えが浮かんでは来ないまま。とうとう開き直って無策で挑んでいた。


 ところがである。

 大勢の者たちに見送られたにも関わらず、九郎が雨斬の太刀を帯びているとは、ただの一人として気付いた様子もなかった。

 そしてそのほぼ全員が、雨斬という名を一応は耳にしているのである。

 つまりは、その程度の名でしかない。と言えるのではないだろうか。


 黒鋼(くろはがね)の件にしても、似たようなものだ。

 鞘から太刀を抜いた瞬時に、すぐさま断定してのけた佐代の目利き力は、なるほど一等優れているというより他はない。

 けれども、芸州の研ぎ師にしても刀鍛治師にしても時間はかかったものの、黒鋼だと察することは出来ていた。

 要するに、速いか遅いかの差でしかないのではあるまいか。


 あの時分、いささか以上に佐代の勢いに飲まれてしまっていた。

 九郎はここのところ、そう考えるようになっている。


 何とかしてこの考えを、俺はそれほど深刻なことと捉えてはいないぞ、と伝えたいのだ。

 しかしながら、九郎が初めて垣間見た佐代の表情と口調を思い出すにつれ、下手な切り口では返っていらぬ誤解を重ねて生じてしまうだけなのではなかろうか、と慎重になっている。


 大元の原因が分かっていないわけでもない。

 つらつら振り返るに、生まれてこの方というもの物心が付いて以降、いや恐らくは赤子(あかご)の頃より。

 誰もかれもが、九郎の意図を察しよう察しようと先回りしてくれていたのではないだろうか、と。

 十六の歳までの実家における日々の暮らしにおいて、自らの意思が伝わらず困った覚えがトンと無いのだった。少なくとも言葉として発している限り、九郎が伝えたい相手には過不足なくきちんと伝わっていた。


 これは面妖な、と感じたのは、雲州は甘梨(あまなし)の地に着いてからである。

 まず、青松屋の女将の話しぶりに軽い違和感を抱いた。

 次は、佐代と旅をするようになってからだ。違和感は大きさを増していくばかり。

 トドメは「言葉が足りない」と佐代からハッキリと指摘されてしまったことだ。


 足りないと言われて、はいそうですか、と足せるようになるものでもない。お茶のおかわりを求めているのとはワケが違うのだ。

 いかがしたものか、と悩みながらの旅の道中である。




「なあ、佐代乃介。俺が思うに」

 九郎は、不意に脚を止めた。

「思うに?」

 

 突然に止まったものだからだろう。佐代は九郎と並んだ状態からトコトコと二歩ほど進んでいる。身体をひねり振り返った後に、返しを入れてきた。


「いや、ちょっと待ってくれ」

 いぶかしげな表情を浮かべながら、九郎の元へと一歩近づいてくる。そのさまを目の端でかすかに捉えていた。



 常の人に比べれば、はるかに遠くを見据えられる眼。

 故郷である芸州は高宮から旅立つまで、さしてモノの役に立つものだとは考えてなどいなかった。


 たとえば、幼い頃にこんなことがあった。

 昼のひなかに星が見えると告げたのだが信じてもらえなかったのだ。

「ぼっちゃんは浪漫の上手でございますなあ。将来、好いた娘っ子にささやく手管としては悪くはないかもしれませぬなあ」と当時の、番頭ではなく手代の頃の彦兵衛に言われたことがある。

 前半はともかくとして、後半に関しては五つ六つの子供に説いて聞かせることではないだろう。酷い話もあったものだと苦笑するより他はない。


 だが、生きる上で不要だという考えは誤りであった、と今では承知している。

 旅の道々において、全てをいち早く見ることがかなうのは実は大したものではないのだろうか? そう思うようになってきている。

 秘かに胸中で誇り、万里眼(ばんりがん)という名はどうであろうかと思案した……はなはだしく大仰過ぎる、という自覚を一応は持っている。よって彦兵衛に語ったことはないし、佐代に明かしたこともない。これからも誰にも言う気はない。


 今までの佐代との旅路の途上において、三日目の紺斑蛇(こんまだらへび)騒動を除けば、他には危険なものと接したことは一度たりともなかった。

 人にしても獣にしても、遠目で捉えて視てしまえばことは容易なのだ。

 そこにわずかでも悪しき容貌を見出せば、避ける方法はいくらでもある。何せ一里向こうにいるのだから。


 ところがどうしたことか。

 今回に限って、九郎は自身でも信じられないことに、およそ半里弱の距離に近づいて来られるまで容貌を捉えることが出来ていなかった。

 常で視ていた、およそ半分でしかない。


 道中の安全を探るには確かに役立っていた反面、頼りきりかつ驕ってもいたのだろう。

 佐代へいかにして雨斬の件を言うべきかという悩みごとも抱えている。

 更にはあと一日もあれば播州を抜け、畿州に。つまりは都入りも間近ゆえと心がいくらか浮ついていた点も否めなかった。

 一つ一つは些少な気のゆるみなのかもしれない。

 だが、一つくくりにまとめてしまうと、かなり大きな油断であったというより他はなかった。


 視た時点で、これはまずいとすぐに知れた。

 何故ならば、目が合ったのだ。

 ありえないことなのだが、佐代を視ているとおぼしき者を九郎が視た。佐代への視線が外れるとともに、九郎を視てきた。

 わずかの後に視線そのものは離れた。


 頭と顔を頭巾で覆い隠している。それに加えてわざわざ往来を避けて、草木の生い茂る野を駆けて近づいて来ている。背には太刀を背負っている。

 そんな(やから)がまっとうな者だとは全く思えなかった。


 もっとも、追われる理由はまるで思い浮かばない。

 たまたま偶然に、こちらへ目を向けていただけの可能性の方が高そうであった。

 俺と佐代とは別件なのであろうと考えるのだが、悩んでいる間にも距離は刻一刻と縮まっていく。

 間の悪いことに、ちょうどうねうねと曲がっている道にさしかかっている。他の旅人の姿が見えない。

 とにかく面倒ごとは避けるにしくはなし、と結論付け、手短に告げた。

「よおっし、佐代乃介。今から鍛錬を始めるとする。突然だからこその武者修行である」と。


 ところが、今まで十二回ほど言ってきたその言葉に対しての、佐代の反応が異なっていた。

「修行は大事ですからね」「山ですか? 沢ですか?」などではなかった。

 怪訝な表情を浮かべ深刻そうな声色で「何かあったのですか?」と、九郎の目をのぞきこみながら問うてくる。

 恐らくは、口調に余裕をいくらか欠いてしまっていたのであろう。

 佐代はこの手の勘働きが妙に鋭い。こういう時に下手に誤魔化そうとしても、大抵の場合はろくな結果にならない。そのことを九郎は積み重ねてきた失敗の上に学んでいる。


「恐らくは勘違いだとは思うのだが、悪人面した者がこっちへ向かって来ているようにも見えるのだ」と説く。

 動揺の色もあらわに顔を青ざめさせている佐代をうながしつつ往来を外れる。山の中へと分け入り、上り下りを繰り返しながら、獣道を二度またぐ。折りよく目に留まった低木が群れて生い茂り枝葉を広げている急斜面の裏側へ二人して身を潜める。


 時が過ぎるに身を委ねていた。

 重なり合うかのような余多な濃淡の緑で彩られた葉の隙間より、ぽかりと開いている天を見上げる。

 春の、やや薄い青一面の空へ視線を向ける。やがて目に入ってきた白を、雲を目安と九郎は定めた。反対側の端が完全に見えなくなるまで潜むことと決める。


 足先を暗く覆っていた影が膝頭を越えた頃、見上げる空には春の青しか映らなくなっていた。

 やり過ごせたのではないだろうか、そう思えた。

 もっとも、自らの勘働きなど元々当てになどしてはいない。

 気配を察するのは全く以って、九郎の得意ではない。二歩以内なら見えていなくても察せられないでもないのだが、それすらも何となくという始末。

 なまじ視えるからだろう。九郎は、そう自覚している。


 佐代に小声でうながす。まぶたを閉じ、耳の裏側へ両の手をあてゆっくりと首を振り周囲の物音を、気配を確かめていた。

 わずかの後、再びまぶたが開く。

「葉のざわめく音しか聞こえません。もう大丈夫なのでは?」と落ち着いた静かな声色で応えてくる。多少こわばってはいるものの血の気はめぐっているようであった。

 とはいえ、佐代の耳が取り立てて遠くを聞きとれるわけではない。人の気配が特に読める達者者でもない。

「念の為に、天に新たな雲を見つけて、それが消え去るまでは更に待つことと決めた」と九郎は告げる。


 ひたすらに待っていると、二番目の雲がゆったりと風に流されていき遂には見えなくなる。

 ゆっくりと立ち上がる。身体の節々が固まっていた。腕や脚、首を回してコリを落とす。

 空は既に、青に茜色が混ざっている。

 潜み始めた頃と比べれば、明らかに陽の傾きが急となっていた。それほどの時間をただ潜むことで過ごした後に、元の往来を目指して歩き始める。

「戻るのは好みではなかったのだが仕方のないこと。日暮れきる前に、およそ半里を歩き村に泊まる」と佐代へ小声で諭すような口調で語った。今日、野で眠るのはまずいのではないだろうかと感じていたゆえに。

「はい。その方が良いと思います」という、意外にも素直な同意の声が背後から耳へ届いてきた。


 もっとも、あくまでも念の為。さすがにもう大丈夫だろう。そう考えていた。


 だが、しかし。

 道なき道を過ぎ、獣道を降り下っている途中に捉えてしまう。

 およそ五町先に、つまりは四分の一里の距離に。一本の大樹の幹に貼り付くように身体を寄せ、周囲へゆっくりと首を這わせ、視ている者を。

 同時に、気付かれてはいない。それが分かった。ならば、やり過ごせる手はあった。


 けれども、九郎は思わず立ち止まってしまっていた。それは悪手としか言いようがなかった。

 佐代が九郎の背にぶつかってくる。あげく、尻餅をついて転んでいた。とっさに腕を伸ばしたものの捕まえきれず。「アッ」という悲鳴とともに、間の悪いことに斜面を、腰ほどの高さだったが、滑って落ちていく。数本の小枝が折れる音とともに土煙があがる。


 慌てて斜面を駆け下り、佐代の手を取って立たせる。その後、佐代にここにいるようにと小声で伝え、獣道まで戻り、視る。

 しまった、と九郎が悟った時には既に遅かった。


 見つけたぞ。

 その声は聞こえるはずもない。だが、はっきりと目がそう告げていた。

 既にこちらへ向かって走っていた。

 頭巾者が、九郎を見据えたまま顔を覆う頭巾を自ら剥いでいる。髪の毛の一筋たりとも生えていない頭が映えていた。

 何故、晒す必要が? と九郎は思うもすぐにそれどころではなくなる。

 九郎と佐代のいる方へ駆けに駆けて来ているのだ。

 おまけにその速さが常人のものとも、最初に九郎が頭巾者を認めた時よりも、明らかに異なっている。

 何より恐ろしいのは頭部がまるで揺れていないこと。

 脚の捌きが余程の達者なのであろう。そして禿頭男の(なり)から見るに、武芸の達者ではない、考える方が余程にどうかしている。


 どうやら、たまたま目に留まったあげくに狙われている線はなさそうであった。恐らくは物取りの賊の(たぐい)とも異なる気がする。


 この期にいたっては。

 獣道から飛び降りて後、佐代の手を取って斜面を再び登っていく。

 ひたすらに逃げるしか方策しか九郎の脳裏には浮かばなかった。


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