第十話 千々なる思い 佐代
「佐代乃介は存外物覚えが良くないのだなあ。ツツっとしたらスッだ。具体的には、くるりと回ってトンストトンだ。いいか、トンが大事なのだぞ」
……そのような説明で「なるほど分かりました」と理解出来る人など、果たしてこの世に存在しているのでしょうか? と私は思わないではいられないのです。
もっとこう、微に入り細に入りとまでは申しませんが。
ある程度はきちんと系統立てた言葉で教えて欲しいのです。九郎さんの話しぶりのどこら辺が具体的というのでしょうか。
たとえば左脚を一歩前に踏み出す時の機の捉え方とか、踵への体重のかけ方とか、軸にして回る時の勘どころとか。
そういう説明を求めているのです。
「トンとはどのように?」
それでも私は見よう見まねで柄に手を添えた後、そのままの姿勢で尋ねてみました。ところが……。
「違うぞ、佐代乃介。そのトンではない。最後のトンではなく最初のトンだ。何故、分からないかなあ」
あまりと言えばあまりな言いよう。酷過ぎるというものです。
それでも教えを請う立場なのです。ですからコクリとうなずいた後は、じっと見て聞くに徹していました。
五度も同じ動きを実演を繰り返してもらい、呆れ声を耳にしながら少なくとも十度は聞き返し。
ようやく、朧気ながら意味が知れたのです。
トンで腰を沈めて小太刀に手を添え、スとトで機をうかがい、トンで一突き。
「こういうことでしょうか?」と確認したところ「まあ間違ってはいない」といくらか納得のいかない口調の九郎さん。
細かい部分では異なっているそうなのですが「大体あっているかなあ。ただなあ」と不満顔。
さすがに腹も立ってきます。
「そのような説き方では誰にだって分かりはしませんよ」と思わず言ってしまっていました。
すると「桃山無刀斎先生の教えをそのまま伝えても、佐代乃介には理解が出来ぬに違いない。よって俺流で、いわば九郎流に噛み砕いて教えているのだぞ」と返しが来たのです。
……九郎流だか苦労流だか。
いくらなんでも、桃山先生の方が九郎さんよりは分かりやすいに違いない。
そう思った私は「桃山先生の言葉そのままで教えてはもらえないでしょうか」と頼みこみました。
これまで耳にしてきた桃山無刀斎一代記の言葉遣いは、いくらかは象徴的な物言いが気にかかる点がありました。
ですが、少なくとも九郎さんの言い様よりは理解出来るのでは、と。そう捉えていましたので。
「およそ六百年ほど昔、この天下に一剣で以って名を上げられたお人だ」と九郎さんは旅の道すがら、桃山先生についてことある度に嬉しそうな口調で語ってくれていました。
常々、誇らしそうな表情で。
きっと、心の師と仰ぐお方への敬意をこめているのでしょう。
それほどに九郎さんがお慕いしている。
にも関わらず、私は桃山無刀斎というお方の来歴を故郷の羽州にいる頃から全く耳にしたことがありませんでした。
私のような女の身ですら知っているあの有名な実美百兵衛や碧塚式乃丞よりも強かったと九郎さんは断言しています。
それにしては……。
実美流や碧塚流の流れを組む剣の型は六百年の時を経ても伝わっています。世の、五大流派の内の二つを占めているほどです。
同じ時代に生きて、実美十兵衛や碧塚式乃丞よりも剣の腕前が優れていたという話なのに。
どうして桃山流という流派が後世に伝わっておらず、桃山無刀斎という名前そのものも歴史に埋もれているのか……。
実に不可思議なこと、とそう疑問に感じていました。
「そこまで佐代乃介が頼むのであれば……。いや、どうしたものか。これは難しき問題だろうなあ」
「いったい何をためらっているのですか?」
「いやな、俺は桃山先生の弟子。ゆえに、秘剣を継ぐことを許されている。では、佐代乃介は何なのだ?」
はあ、と思わずため息一つというものです。もちろん、胸中で吐くに留めます。
六百年ほど前に生きていた、つまりはとうの昔に亡くなっているはずの師とやらに弟子入りを認められているばかりではなく、秘剣の後継者となっているらしいのです。
九郎さんの頭の中では、九郎さんその人が。
その点に、全く疑念を抱いてはいない様子なのです。
過日、雲州甘梨で大変お世話になりました青松屋の女将さんより、旅立ち間際にいただいた言葉が脳裏に蘇ります。
「ちょっとばかり夢見がちなお人ですよ。けれども、いちいち指摘するのはお止しなさいよ。佐代ちゃんはまだ若いから納得しがたいことだとは思いますけれどね。男というものは大なり小なりそういう毛があるのですよ。ましてや、九郎さんは良く言えば気宇壮大。悪く言えば……ええ、あえて口にはいたしませんよ。こればっかりは仕方のないこと。と、私は踏んでいますからね」
腑に落ちない点はありましたが、私より二十以上も年の離れているおまけに結婚して子をも成している女将さんからの手向けの言葉です。無碍にするなどもっての他というものでした。
「そもそも最前より教えてもらっている型とやらは、秘剣の一つなのでは?」
「あ!」とか「これはうっかり」などと手を顎に添えて悩んでいる九郎さん。
とても、いいえ、かなり。今更、だと思うのです。
うっかりにも限度がありはしないだろうか。一事が万事この調子……ではないことくらいは承知してはいますが。心配になってしまいます。
「それもそうだなあ。俺は桃山先生の一の弟子。佐代乃介はその俺に教えを請うている身。いわば俺の弟子。ならば、すなわち桃山先生の孫弟子。そう受け止めれば語ってもかまわぬか」
もう何でもいい。私が知りたいのは秘剣とやらの要領なのです。九郎さんの説き方では心よりの理解など無理。残念ですが、そう悟っていましたから。
「はい、師匠」と神妙な口調で告げました。
満更でもなさそうな笑みを浮かべています。
この笑顔、実はかなりのクセモノといえます。
目にしてしまうと、まあしょうがないかな、と九郎さんのやることなすことを認めてしまいそうになってしまう、という恐ろしい威力を秘めています。
「では、桃山無刀斎一代記 秘剣の章 零の刃より」
私にも分かりやすい説き方であれば良いのだけれども。そう願いながら次の言葉を待ちました。
けれども待ちましたが、九郎さんは口をつむいだままです。
え? その先は?
幾分戸惑い始めていたところに「ンンンッアアアッ」といううめき声が。
九郎さんは喉の調子を整えていました。
それは必要なの? と横槍を入れるのを耐えるには並々ならぬ努力を擁します。ですが、私は黙ったままひたすらに待機していました。
その後、ようやく桃山先生の生の言葉そのままを耳にすることがかなったのです。が……。
いわく、風に舞う木の葉のように……小太刀の抜き方だそうです。
いわく、ホウとホホウとムウとムムウ……間合いの取り方だそうです。
いわく、するりとズバと突く……零の刃における小太刀の扱い方の肝心どころだそうです。
謎が解けていきました。
春の日差しに溶けていく山の雪のように。熱せられて熔けていく炉の中の鉄塊のように。
分かってしまったのです。
ああ……桃山無刀斎という武芸者はとても残念なお方だったに違いない、と。
九郎さんは十二歳の頃に実家の旧い蔵から桃山無刀斎一代記の巻物全三十二巻を見つけたそうなのです。
櫃と裏書きに添えられていた年号によれば、今より五百八十九年ほど昔のものだったとのことで。
人を煙に巻くような言動を書き連ね記した読み物が人気になるわけがありません。剣術の要諦を説く書において、肝心要の剣の扱いについての記述に具体性が皆無。
伝える人がいなければ……流派が流行るどころか興るわけも、ましてや世に名が残っているはずもありません。
感覚の人。
せっかく到達し得た頂きの極意や秘訣を、後世へ説くにあたり感性だけで言い表して事足りると考えていたのでしょう。感覚だけのお人。
九郎さんは少なくとも剣術に関する限りは、正しく桃山先生のお弟子さんに違いありません。
比べてみれば、まだ九郎さんの物言いの方が分かるというものでした。
江州の、街道からはわずかにはずれた野原において。
夕餉の準備を済ませ、ぽかりと空いた時間に私の方から頼みこんだ剣術修行において。
諦念のため息を胸中でつきながら、そう思わざるを得ませんでした。
「剣の振りは悪くないぞ。ただ脚の運びが心もとなさ過ぎる。何故に分からないかなあ」という嘆き声を耳にしながら。
溺れている。
何故だか私にはそう見え、かつ思えたのです。
あの日。九郎さんと禿頭の男の斬り合いの起きた夕暮れ時。二人が折り重なるように山を転げ落ちていきました。
斜面の木々にぶつかりながら。人と、刀の鞘などが雑多な音をかき鳴らしながら。
私は後を追うように、土砂と樹木と血の臭いが絡み合う残滓の中を駆けました。
足を滑らせないように。だけど、急いで。
降りられる道ならぬ道を踏み探し、川原へとたどり着き。
まず目にとびこんできたのは、やや離れた位置で全く動こうともしない二人の伏している姿でした。
山を下っている最中に危惧していた思いは、すぐに不要となります。
とどめを刺すべきなのか、刺せるのか。
九郎さんの安否をこそ、まずは確かめるべきなのか。
一見すれば、すぐに一つは無意味だと知れました。
奇異な緑色の装束で全身を覆っている禿頭の男は、貫かれていたのです。腹部に突き立てられていた小太刀の先は、左肩から生えていました。
白目を剥いて、長い舌をだらりと口から垂らして、顎より下を腹のあたりまでを血で染めて。ピクリとも動かず。
とてもではないけれど、息があるとは思えませんでした。
九郎さんは。
生きている。遠目にでもそれは分かりました。いいえ、死んでなどいるはずがない、と信じていました。
けれども近づくにつれ、手はもとより羽織の肘の手前あたりまでが赤くて黒き色を帯びていると分かり。
私は「ひぃ」という悲鳴をあげていました。
そんなわけがない。確かに九郎さんが男を倒した場面を私は目にしたんだ。
そう強く念じながら一歩一歩更に足を向けましたところ、とても目立つ赤黒き色は全てが返り血だと知れたのです。
ホッとし、張っていた緊張の糸が切れていき、ぶるりとした震えが脚から背まですぐに達するのを感じました。
いくらかの擦り傷が顔や脛に見受けられはしましたが、その程度の負傷で済んでいたのです。
恐らくは、禿頭の男の大柄な体格が九郎さんの身を守ってくれていたのでしょう。
見つめるにつれ、ふと違和感が頭をもたげてきました。
九郎さんは、仰向けで天を見上げるような姿勢で大の字となって伏しています。
もしもこの場が、たとえば雲州甘梨は青松屋の離れ屋敷であったとすれば。
のん気に昼寝でもしているのだろうか、と十人中九人はそう勘違いしてしまいそうな気配をただよわせつつ。
にもかかわらず、説明しがたい奇異な雰囲気をまとってもいたのです。
このお方は九郎さん。それは間違いありません。
ですが、入れ物は同じで中身が異なっているかのような。そんな気がしました。
慌てて身をかがめ、顔に息が触れるほどの間近まで接近し状態をうかがったのです。
常ならば困難というものですが、気を失っていることは分かっていましたので、躊躇などしませんでした。
……いつもの、といっても知りあってそれほどの月日を過ごしたわけではありませんが、見慣れた九郎さんの姿がそこにあります。
私は、最前に何を以って異を感じてしまったのか。不可思議でなりませんでした。
頭をひねりましたが良き解が出てきません。
きっと、気が動転していたからに違いない。
そう結論付け、改めて九郎さんの顔に目をやった刹那。
私の心の臓は飛び上がるかのように一度大きくドクンと、跳ね上がっていったのです。
夕暮れの赤い陽を身に受けている九郎さんは、既にしてただ気を失っている。
それだけのようにはとても見えなくなっていました。
上手くは言えませんが、異なっているような気がしてならなかったのです。
最前に抱いた違和感はなんだというのでしょうか。
動揺しつつも、どこかでこの情景は。
青ざめた、それでいて赤くもある肌の色にはわずかに既視感がありました。
私の生まれ故郷、羽州岩崎の集落。その側近くにある湖で救いあげられた子供に似ているといえば似ていました。
大人たちは胸を、心臓の上をひたすらに圧していたことを思い出しました。
溺れた者を助けるには飲み込んだ水を吐き出させるしかないのだ、と。確か、そう口にしていました。
私は当時の大人たちのやり様を再現しなければと、必死に九郎さんの胸を押してみたのです。
うんともすんとも反応がありません。
気が付けば陽は没し、代わりに満月にはあと一日という月の光が闇を照らし、やがては雲に隠れ、また顔を出し、更には薄雲に覆われるまで。
「戻ってきて!」と願いを声として振り絞りながら、胸を圧し続けたところ。
その甲斐があってなのか、九郎さんは無事に溺れから戻ってこれたのです。
良かった、と心からそう思いました。
なお、目覚めた時の第一声は実におどけていて、しかもふざけた言葉でしたけれど。
事情があったとはいえ男の身体にまたがるという、はしたない振る舞いをしていたのだと今更ながらに気付かされ恥ずかしくもありました。
けれども、嬉しさのほうが心の内では大でした。
「存外に重いのだな。佐代は」などと言われていなければ、無意識の内に抱きついてしまっていたのかもしれません。
ただ、あの溺れは何だったのでしょう。水に溺れていたわけではないのです。血が喉に詰まっていたわけでもありません。
何故、何に、溺れていたのかは見当が付きません。あれから八日を経た今も分からないままです。
初めて人を斬るとそのような状態に陥るのでしょうか。私は斬ったことがないので分からないのです。
今は畿州を既に過ぎ、江州入りして二日目となっています。
都を含む畿州の道中は驚きの連続でした。たとえば丹州あたりとは人の密度にはっきりと差があり、一つの村を過ぎればすぐそこには町が。町を過ぎれば更に町がと。
なるほど、皇主様のしろしめす都のお膝元。それが畿州なのだと、感心しきりでした。
けれども。
八日前に禿頭の男から襲われるまで、それまでの道々において「急ぐ旅路だということは承知している。だが、だが畿州の都にはせめて一日。いや二日は足を留めたい。骨休めを兼ねて都見物がしたい。佐代乃介も小物の土産などを見繕えばいい」と珍しく九郎さんが自説を曲げず強く主張してやまなかったというのに、一夜の宿を求めるどころか都の大路を素通りして行ったのです。
理由はいまだに語ってはくれません。
「播州で物取りの賊に襲われただろう。目を付けられているかもしれないから。怖いんだよ」と口にはしています。
ですが、あの奇妙な装束の禿頭の男がただの物取りの類だったなどとは、あの日以降今に至るまで全く思えません。
九郎さんが気失いより目覚めた後に、改めて怖くなり「ただちにこの場を離れましょう」と怖さと焦燥から言ってしまったことをいくらか後悔もしています。
小太刀を回収するだけで済ませずに、死んだ男の懐などを探れば何かしら手がかりなどが出てきたかもしれません。
薄雲越しに差しこむ月明かりを頼りに夜道を歩きさえしなければ。
「まあ、佐代乃介がそう言うのであらば。それでもかまわぬか」という言葉に耳を傾けさえしていれば。
あの日、私は騙されました。いいえ、信じてしまっていました。
「二手に別れた方が追って来ている男も迷うはず」という九郎さんの虚言を。
「俺は夜目が効くからな。まいた後で佐代乃介を必ず見つけられる」という言い分を。
夜目についてはまことなのでしょう。実際、雲に途切れがちな随分と頼りない月明かりの下で、樹木の隙間から照らすだけな山中の道なき道でした。
一度たりとも転ぶことすらなく山の稜線を超え、別の沢まで抜けられたのは九郎さんの先導が優れていたからでした。
ですが、それ以外のことに関しては。
息をひそめながら音を可能な限り消して、それでも出来る限り早く足を進めていた折り。突然、眩しい光が目の前をさっと通り過ぎていったのです。それは禿頭の男が振りかざしていた太刀の刀身が放つきらめきでした。
立ち止まり、様子をうかがうとすぐに状況が分かりました。
二手に別れて逃げる、というのは九郎さんの大嘘。男と対峙していたのです。
私と別れたすぐその場での対峙ですから、逃げている途中に追いつかれて、というわけでは絶対にありませんでした。
遠くから見る限り、武芸のたしなみなどのない私の目から見ても明らかに九郎さんは追いつめられていました。
足がすくみ……見なかったことにして逃げてしまおう、という思念が全く頭をよぎらなかった、と言えば嘘になります。
けれど、気が付いた時には既に斜面を下っていました。
助太刀しなければ、と。二人対一人ならば、勝てるかもしれない、と。
ところが、二人とも私に気が付いていないようでした。
何故? と疑問がよぎったのです。
気配を感じ取るというのは武芸を収める人にとってはとても大事なこと、ということくらい知っています。
それなのに、二人ともに私の気配をほんの少しも察していない様子でした。
一人なら偶然分からなかった、と言えないことはないのでしょう。ですが、二人揃ってというのはいかにも奇異としか言いようがなく。
もっとも、そのような思案などはあの時は些事に属する事柄ではありました。
ああ、このままではいけない。間に合わない。
そう悟った私は、駆ける脚を止めました。怖くはありましたがすぐ様に覚悟を定め、山肌を派手な音とともに滑り降りる手段を選びました。
ようやく九郎さんが私に気が付いたかのように目を向けてきたのです。やや遅れて禿頭の男も。
いえ、気配に気が付いたという感じではありませんでした。
斜面の上から下へ。音が耳へと伝わっていっただけであったと思います。
土煙をあげていましたし、鳥なども喧しく鳴きそして羽ばたいていましたので。
それでもまだ三十、四十歩ほどは先。必ず間に合わせる。その一念のみで太刀を振りかざし、行く手をさえぎるように塞いでいる木の枝や下生えの草を薙ぎ払っている最中。
それから先のことは、全てがほんの一瞬の、あっという間の出来事でした。
九郎さんからの「何をしている! 逃げろ!」という声が耳へ届いたのと、小太刀を掲げるように真横にかかげていたのはほぼ同時だったと思います。
その小太刀が陽を受けその反射光が禿頭の男へ達した直後、九郎さんが男の懐へ飛びこむかのように駆けていました。
無理よ! と私は思わず叫んでいました。
ですが、その悲鳴の声を私自身が耳にした直後には、既に九郎さんの左脚が高々と上がり男の太刀を弾き飛ばしていたのです。
ああ、九郎さんは足癖の大変お悪いお人だった、と。
いくつかの出来事を思わず思い出していました。
旅を始めて三日目、雲州の地においての紺斑蛇を退治した時が最初となります。
未だにそれならそうと一声かけてくれれば私も醜態をみせることがなかったのに! と悔しい記憶となっていますが。
この江州の野における鍛錬よりさかのぼっての旅の道中においても、見よう見まねで武者修行に付き合っていました折々に。
今日、私が頼みこんで教えてもらっている秘剣零の刃にしても同様です。足の使い方は未だに目で追いきれてはいないのです。ゆっくりと動いてもらって、位置を覚えていても。
本人は気付いていないのかもしれませんが、刀を振るうよりも余程に脚癖の方が達者なのでは、と秘かにそう思っています。
なお、小太刀を振るその有様は素人目にも、あまり上手くないと分かる程度の腕前ではないでしょうか。
雨斬の太刀が錆びて朽ちていたのは、大変に残念なことでした。ですが、使えない状態で実は良かったのかもしれません。
黒鋼は人を選ぶ、と今は亡き祖父より聞き及んでいます。
初めて目にした以前より、私と出会う前より九郎さんは雨斬を腰の鞘に収めての旅を続けていたのです。
一度は襲われたとはいうものの、大した怪我もなく済んでおります。
剣術の技量を指すのか、そのお人の格なのか、それとも他にあるのか。
相応しくない者が所持すれば、禍を自ら招いて呼び寄せるだけだ、との祖父の言葉が時折脳裏をかすめます。