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第零話 ぼっちゃんが旅に出るまで 彦兵衛語り

 このお方、実は大人物なのかもしれない。この頃は、ふとそんな気がしてならないんですよ。


 申し遅れました、私は彦兵衛という名のしがない者です。芸州は高宮という町にある藤平屋という呉服屋で番頭をしております。

 番頭と申しましても大番頭などではなく、五番手の添え物みたいなものでして、手代に毛が生えた程度の立場でございます。

 ただ今は芸州を抜け備州を通り雲州のとある町を遠目に望める峠をトコトコと越え下っている最中。


 一人旅ではございません。藤平屋(ふじひらや)の旦那様の末子にあたる九郎良俊(よしとし)ぼっちゃんの、武者修行の旅のお供をしております。


 はい、言い間違いなどではございません。商家のお子が武者修行です。一見すればチンプンカンプンでございましょう。



 ことの始まりはおよそ二ヶ月ほど昔の話となります。

 十六歳となられたばかりの九郎ぼっちゃんが、ある日突然に何を思ったのか「俺の天命は商いにはないと気が付いた。武でその身を立てようと思う。そこで、まずは武者修行の旅に出ると決めた」と夕餉の席でおしゃいましてね。


 言うのはタダですから全然かまいやしません。むしろ、のぞむところといったあたり。

 店の仕事というのはそりゃあ忙しいものなんですよ。

 ですが、どうしたって慣れやゆるみも生じてしまいます。

 こればっかりはしょうがないんです。私なんて丁稚奉公時代から数えれば、藤平屋の釜の飯を食べ始めて早二十六年となりますからね。


 そういったわけで、突拍子がなく、それでいて暗い点もなく、くすりと笑えるような話題はいつでも大歓迎なのでございます。

 笑いの絶えない明るい場というのは実に気持ちが良うございますし、心も洗われます。

 それが食事時ともなればなおのこと良し。箸も進むというものです。


 ああ、藤平屋において釜の飯という言い方は文字通りの意味もございます。皆が一つところで同じ物を食べるという一風変わった習慣があるのです。七つ八つの見習い小僧も、店の旦那様も、等しく同じ物をしかも同席で、ですよ。


 奉公を始めたばかりの頃は、これほど美味い飯がこの世にあるのかと喜び半分、騙されているんじゃないかとおっかなびっくり半分でございました。

 他の店の奉公人たちは口を揃えて「奇妙奇天烈だねえ」と言うのですが、とても良い家風だと私なんぞは思っております。



 話を戻しますね。おかしなことに、九郎ぼっちゃんの言い分がスッタモンダのあげくにではありますが、なんと通ってしまったのでございます。

 もっとも、ご長男様やご次男様、せめてご三男様などでしたら「何を寝ぼけたことを言っているんだ」と旦那様からゲンコツの一つや二つを貰ってオシマイ。その場限りな笑い話となるのが関の山でしょう。


 けれども、そうはなりませんでした。

 たとえば始めは猛反対なされていたはずの奥様にしても、九郎ぼっちゃんとぼそぼそと話されていた後に突然ころっとま逆の立場となられまして。

「今こそ鈴鳴家再興の時ですよ。私はこの機を一日千秋の思いで秘かに待っておりました!」とかいきなり立ち上がって叫ぶがごとく言い出されたりする始末。


 それから七日の後には「名のある刀を用意しないといけませんよ。皆の中で刀に詳しい者はいないのですか。これだけいて、一人も頼みにならないのですか」とかなんとか。

 いるわけもないじゃないですか。

 冒頭にも申しましたが藤平屋は呉服屋です。刀の目利き者がいたら逆に驚きますよ。

 そんなこんなで名刀を購うべく、方々に人をやったり呼び寄せたりで、てんやわんやの大騒ぎを起こされたりなさいました。



 そもそも買わずともあったんですよ、藤平屋には。鈴鳴家先祖伝来の、それこそ世に出せば銘の通った名高い刀が。

「あの刀がいいんじゃないか。ほらあれだよあれ」と奥様が一席ぶたれた直後に旦那様が申されましてね。翌日からは立ち並んでいる蔵という蔵を皆で手分けして、探しも探したのでございます。

 三日がかりの大捜索の後、ありました。

 ところが先祖代々誰もかれもがかまわなくなっていたのでしょう。ようやく見つけた刀は、実に錆だらけで朽ちてございました。


 まずは研ぎ師を呼んで尋ねてみようとなりました。

 ところが「直すのに少なく見積もっても四ヶ月はかかります」と。おまけにですね。「直せるとは断言出来かねますがお任せください!」なんて言い始めたのです。

 ふざけた話でございます。その道で飯を食っておきながら、なんたる言い草でありましょう。納期も遅ければ研ぎそのものにも確証なしなど、開いた口がふさがりませんでした。


 これは頼りにならないということで、次に来てもらったのは刀鍛治師です。これもまたどうしようもない野郎でした。

「黒鋼に戻して後に打ち直しをいたしましょう!」「是非とも私の腕を信用なさってください!」「黒鋼を扱えるならもう死んでもいい!」とまるでお預けを喰らって涎を垂れ流している犬のようでした。

 目をギランギランに輝かせ、取り憑かれたかのごとく刀から目をそらそうともしませんでした。


 それほど言うのであれば、さぞかし腕前に自信があるのかと思いますでしょう。

 ところがどっこい、でございました「打ち直しに成功する可能性は、高く見ても五つに一つでございます。なに、たいした問題ではありません」と。

 問題大有りですよ。失敗したら砕け散るというんですから。


 駄目だこれは、と即刻お引取りを願ったわけです。

 もっとも、今となっては研ぎ師の言い分も刀鍛治師の狂したかのような物言いも、多少は理解出来ないこともないのです。


 随分経ってから知った話なのですがね。

 なんでも黒鋼というものは失われて久しい(いにしえ)の技巧を基にしており、もはや造り方も分からないそうで。

 今の世で作られる刃物は最上級の物でも白鋼というものが元になっているそうで。

 その白鋼にしても、黒鋼と比べれば何もかもが二等三等落ちてしまうらしいのです。

 なるほど職人としては、ヒッシになるのも道理だったのかもしれませんね。


 まあ、それでも刀はまだマシという有様でした。鎧や兜なんて、実に酷い状態でございました。

 旦那様がわずかに触れただけでポロリポロリと無残に崩れ壊れてしまったのです。ボロンボロンな状態で(ひつ)に収まってございました。



「鈴鳴家再興の機を一日千秋の思いで秘かに待ちわびていた」

 奥様のおっしゃりようは、そりゃあ威勢よくて格好良かったものです。荒事(あらごと)にはトンと無縁な私、彦兵衛にしても鼻の奥からツンと熱いものがこみ上げてきたくらいでございました。


 ですがね。それでしたら……少なくともご先祖様が大切に使われていた刀やら鎧なんて物は常に磨いておくべきではないでしょうか。

 それこそ家宝として床の間に飾っておくくらいの扱いであって然るべきなんじゃないでしょうか、と思うのです。

 奥様は良く出来たお方なのですが、たまに根拠もなく大見得をきられる(へき)がございまして。その場のノリと申しますか、お調子者の(ふう)が見受けられるという、玉に瑕なお人です。



 おっと、失礼いたしました。

 鈴鳴(すなり)というのはですね、昔は、といっても八百年はさかのぼります。

 芸州と周州の過半を治められていた領主の家名です。そして現在は芸州高宮の町で呉服屋を営んでいる藤平屋の本家名となります。


 藤平というのは屋号と申しまして、商売上用いておられる家名ですね。

 もっともこの私、彦兵衛にしても、今回の九郎ぼっちゃんの武者修行騒動が起こるまで、鈴鳴という家名はわずかに耳にしたことがある程度でございました。


 知る機会がほとんどなかったんですよ。

 たとえば藤平屋の息子様方に娘様方は、九郎様以外は皆様すでにご結婚なされております。

 私は店の者ですから当然お披露目の式のお手伝いをいたしたりするわけです。

 その席においては皆様藤平という家名を名乗っておられましたし、他にも不幸事でも同様でした。

 ありていに申せば、鈴鳴なんて家名は誰もほとんど気にしていなかったということでしょうね。


 なお、風の噂としてこそっと聞いた話によりますと、店の跡継ぎであるご長男良定(よしさだ)様も実は知らなかったとかなんだとか。

 いやいや、さすがにそれはありえない話ではないでしょうか。墓に行けば家名が刻んであるはずでございましょう。

 最前に申し上げましたように、突拍子がなく、それでいて暗い点もなく、くすりと笑えるような話題は店の者の大好物ということですね。



 おっと、いけませんね。またまた話がそれてしまいました。

 そうそう、藤平屋の末子、九郎良俊ぼっちゃんについてです。

 幼名九郎という名でお分かりでしょうが、旦那様の九番目のお子にあたります。


 ちなみに八番目のお子の名は留代とおっしゃいまして、読みはトメヨです。

 お察しの良いお方はピンと察せられたことと存じます。その通りでございまして、もうこれ以上子供はいらないという願いが名に込められていました。


 身も蓋もない話ではありますが、そりゃあそうでしょうよ、と私も当時は思ったものです。八人目ですよ。

 旦那様と奥様のお子は上から女、男、男、男、女、女、女と来て女。

 なんと言いますか、実に子沢山。

 お仲も、あっちの相性もよろしいんでしょうね。ほぼ毎年のようにポンポコポンポコ……っと口が滑りました。忘れてください。


 まあ、藤平屋は私が奉公を始める前から変わらぬ繁盛を続けておりまして、次男様はノレンワケ、三男様は別の商家に入り婿養子とすんなり収まりました。

 女のお子様方は、それこそ門前に市を成すといった按配で、より取り見取りなご縁の内より嫁がれて行かれました。

 俗に言う、貧乏人の子沢山とは事情が異なり、子が多い点につきましてはさしたる問題とならなかったという次第です。



 ところが別の問題が起こったのでございます。留代様がお生まれになってから数えて七年後のことです。

 藤平屋に更なるご懐妊の報せが舞いこんでまいったのです。

 しかも奥様ではなく側妻さんが。

 とはいえ、側妻といっても娼妓上がりだとかその手の筋目の出ではございません。奥様の妹にあたられるお方です。


 いえね、旦那様に変わった嗜好があるとかそういう下世話な話ではないんですよ。

 最初の嫁ぎ先では連れ添って七年の後、夫に先立たれてしまい子供もいなかったということで実家へと出戻り。

 次に嫁いだ家には十五年。ここでも子供が出来ないからと離縁され。実家に再び戻ったはいいものの両親ともに既に亡く。

 家の内を取り仕切る兄嫁からは邪険に扱われて、と。


 実家に居場所がないと妹様からの手紙を受け取られた奥様が「それじゃあ、うちに来なさいな」と旦那様には事後承諾で勝手に招かれたのです。

 まあ、私なら驚いて呆然としてしまうでしょうね。

 ある日突然に自分のあずかり知らぬ間に、女房が女房の世話焼きで一人増えているわけですから。


 もっともこの手の話、実はよくあることなのでございます。

 他州の事情は知りもしませぬが、困窮ごとに手を差し伸べる行為。この芸州という地においては富める者の義務のようなものでございます。

 並の甲斐性しか持ち合わせていない私なんぞの立場では、びっくりするだろうなということです。


 たとえば旦那様には側妻にあたる方がその当時で四人ほどいらっしゃいました。

 押し付けられるわけです。

 放っておいたら悪所――いわゆる娼屋ですね――に持って行かれてしまう。助けてください、とかね。

 全く(えん)(ゆかり)もないお人ならともかく、知り人からのツテとなれば頼まれたら嫌とは言いだしにくいというありさまで。

 借財を肩代わりして更には家族全員を養うのを承知の上で、それでも引き取らないわけにもいかないという次第です。



 あまり聞かない話となるのは、合わせて二十二年の間、二人の夫に嫁いでもなお子宝に恵まれることのなかった女の人が――もういいお歳でございますよ――あっさりと、藤平屋に来て半年と経たないうちに子を宿されたという方でして。

 子は授かりものと申しますがまこと不思議なものでございます。

 他の側妻の方々には一人も子がお出来にならないというのに。

 きっと奥様のご家系と旦那様の相性が余程合っているのでございましょう。


 とは申せ、女心というのは実に複雑なものなのですね。

 私の様なしがない男の目から見ましても大変に仲睦まじく暮らしておられましたご姉妹の間に、こう迂闊に触れると大やけどを喰らいそうな、それでいてパッと見ではこれまで通りのお仲の良さにしか見えないという、なんと申して良いのか分からない空気が流れるようになりました。

 まあ、その話について詳しく語るのは脇道に逸れ過ぎますので、置いておきます。



 それでですね。

 奥様の妹様なんですが、お子を産むと力尽きたかのように産褥の床から出られぬままお亡くなりになられたというイキサツでして。

 九郎様はおぎゃあと産まれになったその日から、母無し子。


 旦那様はもとより、奥様も前日までのわだかまりはどこへやらとなりました。きっと妹様への悋気(りんき)などを後悔なされたのでしょう。

 むしろ率先して本当の母親以上に母親らしく接せられ、九郎ぼっちゃんをお育てになられたのです。

 加えて、歳の離れた藤平屋のご兄姉様方たちも、我々店の者どもも、皆、乳母日傘(おんばひがさ)で九郎ぼっちゃんのご成長を見守ってまいりました。


 実の母がいないんですよ。しかもご自分を産むのと引き換えの様に亡くなられた。聞くや涙の、まこと不憫な話でございましょう。

 そういった点を抜きにしましても大変愛くるしいお子で、ニッっとはにかむ笑顔がまた素敵なんですよ。眉目秀麗にはいくらか……ほんの、ほんのちょっとですよ多分恐らくきっと……遠いのですが。

 その分、愛嬌があるといいますか。性格にしても実に素直なお方で。

 こういうのを、目に入れても痛くないって言うんだそうですね。


 もっともそんな風に育てられた九郎ぼっちゃまは、オツムの方がいささかその。いえね、悪いとか鈍いとかそういうわけじゃあないんですよ。

 ただちょっとばかり世間知らずなまま。

 十六歳となられたのです。そして武者修行の旅を始められました。


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