ある姉弟の恋路と思想
時は十数年前に遡る。
希少種猫保護施設α基地の基地長が亡くなり、保護施設全体がざわめき始めた年、ある吸血猫が新しい基地長に選ばれるだろうと噂された時、ある青年はため息を吐いた。
その青年は青年というよりかは少年よりの顔つきで、だが大人びた表情で、日々本ばかりを読んでいた。
深緑の髪に少し大きな白い猫耳。だがそこにはピアスが刺され、鮮血の血のような色の髪飾りがつけられている。実に勿体ないと言えるだろう。
その青年は自分の身体を嫌っていた。いや、自分の血筋の境遇を、嫌っていた。
自分を嫌うあまり、最近では世界を見るのさえ嫌いになってきた。そのせいか、本の中に閉じこもるようになった。
「…面倒だな。」
世界にそう吐き捨てる。その噂されている吸血猫は、青年の所へほぼ毎日やってくる、青年にとって大変面倒くさい人物だった。
今日も書斎のドアが開く。
「だから、何回も言っているだろう?俺は保護施設には入らないと」
「だがしかし…お主は希少な…しかもこの世に数名しかいないエルフ猫の一族なのだぞ。身の安全の為にも、入った方が良いと思うのだが」
「…本当、何回言わせるつもりだ?あそこは自由を奪われるだけの場所じゃないか。折角手に入れたものを、手放せと言うのか?」
「お主の過去は知っておる。だが…」
そこまで言うとその吸血猫は口を噤んだ。
その青年…ジエン=スーリールはエルフ猫という本当に希少な希少種だった。そのせいか、小さい頃から安全な場所に閉じ込められ、外に出る事が許されなかった。自由が無かったのだ。
そして大人になり、ようやく手に掴んだ自由を、希少種猫保護施設という保護され束縛される場所に奪われたくなかった。
確かに、希少種猫保護施設に入れば、狙われる危険はなくなるだろう。だがあそこは一度入ると一生あそこで暮らしていかなければならない。故郷に帰ることも、ある街で住み着くことも、旅することも許されない。…自由を奪われるだけだ。
そして人生を『束縛』されるのが、いやだった。
自分が建てたこの図書館も、手放すことになるだろう。
それがジエンに取っては苦痛で仕方なかった。
不満な顔を見せる。
「帰ってくれ、もう俺のことは諦めろ」
そう言い再び本を読む。本当に、あの吸血猫は本を読む自由さえ与えてくれないのか…そうジエンは思った。
そういったものの、吸血猫は諦めない。むしろエスカレートしていくものだから、余計に面倒になってくる。
なかなか帰ろうとしない吸血猫に、ジエンは深い溜息を吐いた。
「呆れた。いつまでもこんな話を続けるのは嫌になってくる。何か違う話をしろ」
退屈しのぎに、その吸血猫に無茶振りをする。諦めて帰ってくれる事が本願だが…
吸血猫…もとい、クロヤ=ノワールは、少し悩んだ後、真剣そうな眼差しで話し始めた。純粋なのか真面目なのか、ジエンの無茶振りに答えるべく、真剣に考えていた。
ジエンはそのクロヤの態度に少しだけ興味を持った。
「……そういや、お主の姉は、随分と前に行方不明と聞いたのだが…」
思わぬ方向の話が飛んできた。ジエンは暫し黙る。胸元が少し痛む感覚がした。
ジエンの姉は、昔に自分を置いて使用人の目を盗み住んでいた家を家出した。そして行方が分からなくなっている。ジエン自身、姉はもう死んでしまったのだと、諦めていた。
「…確かに俺には姉がいたが、もうその話はよしてくれ。もう姉は死んだんだ。だからもういいだろう?」
そうクロヤに吐き捨てると、クロヤは一瞬悲しそうな顔をして、そして何故かその直後に笑みを浮かべた。失礼な奴だな…とジエンがうっとおしく、だが半分は不思議な眼差しでクロヤを睨むと、クロヤは声の調子を上げてこんな事を言い始めた。
「生きているさ、エリスは…。我がそう思うのだから」
その瞬間、勢い良く書斎のドアが開く。突然の疾風と共に現れたのは、自分と同じ顔をした、もう一人だった。
「だーれーが、死んでるって!?」
その人物は急に勢いよくジエンの襟元を掴んだ。目を見開き状況が読み込めないジエンに、その人物はニカッと笑いかけた。
「久しぶり!!立派になったねぇ!ジエン!少しひきこもりになった気もするが…」
急展開のこの状況にクロヤがジエンの方を見てニヤリと笑いかけた。無表情だが目は見開いている状態で、ジエンは固まる。
「……姉ちゃん…」
やっと呟いた時、ジエンはその場で崩れ落ちた。そして状況を把握する。
「姉ちゃん…生きてたのか…?」
「何勝手に人を死人扱いしてさ!ちゃんと生きてんよ!」
ドンッと胸を叩き豪快に笑うエリスを見て、ジエンは暫し固まっていたが、途端に緊張が解れたようにほっと溜息を吐いた。
そしてふとクロヤの方を見る。目があったがすぐにクロヤはジエンから目を離し、咳払いをした。若干顔が赤くなっている。
そんなクロヤの様子を見て、さっき自分とエリスの再会を見ていた時のクロヤの視線は、自分ではなくてもう一人の方に向けられていると察して少し微笑した。
「クロヤ…お前が助けてくれたのか…?」
そう質問すると、クロヤの何かに引っかかったのだろうか、一瞬クロヤの表情に影が見えた。
「…我が助けたのではない。むしろ……」
クロヤの言葉を最後まで聞くことは出来なかった。
クロヤは何かを呟き、ジエンに背を向けた。クロヤの中の何かに触れてしまったかと少し不安になり肩を落とす。それを見越したのか、エリスが小さなため息を吐いた。
「クロヤ、弟と二人で話したいから、先に帰っててくれないかい?夕刻までには帰るからさ!一応あたしも保護員の1人だからさ、猫刈りは大丈夫だって!」
エリスはそう大袈裟に言い、クロヤの背中を押した。「さ、触るな…!」と赤面しクロヤに構うことなくクロヤを書斎から追い出した。
「さーて、改めて、お久しぶりだね!ジエン!元気にしてたかい?」
呆然とするジエンを見て笑顔でエリスは言う。はっと我に返ったジエンは、冷や汗を垂らしながらエリスの存在を再確認した。
「姉ちゃん…どうして…」
「まあね、色々あってさ、最終的にβ基地の方の保護施設に保護されちゃったのさ」
「…保護施設に…?」
目の前にいる人が自分とは逆の選択をしていることに少し気を落とし、苛立ちを覚えた。姉の方を睨む。
「あんな野蛮な場所に拘束されに行くとは、姉ちゃんも変わってしまったな」
低い口調でエリスに言葉を刺す。エリスは驚いたように目を見開いて、そして暫くして口元が緩んだ。
「逆にお前は何も変わっちゃいないね!あそこの暮らしも楽しいもんだ!」
そう言いエリスはニカッと笑う。ジエンが吐き捨てた言葉の針を安易にへし折った。
そういう他人に揺るがない所はジエンと似ているが、その性格によって行き着く「考え」は、全く逆だった。
だから昔から姉の言動には腹が立つ。
気を紛らわすように本に視線を移す。つまんないのーとでも言うかのようにエリスはため息をついた。
「…楽しいと言うのは…あいつがいるからか…?」
ふとあの黒いコートを翻す人物が頭に浮かんで、エリスに問いてみる。
数秒が経ち、妙に返答が遅いなと顔を上げた時ジエンは「変化」に気づいた。
「……そ、そんなこと…!」
エリスは顔を沸騰しそうな程に赤らめて、ジエンから目を離した。状況を理解し、結びつける。
つまり、そういう事か…。
「姉ちゃんも、女だな」
「ば、馬鹿な事を言うんじゃないよ!あいつは…鈍感で純粋過ぎて…!」
「顔と言動が反比例しているが?」
「はぁ!?」
ジエンは面白半分でさらに追求した。
本当、バカップルなのか…。
(まあ、あの吸血猫も…なんと厄介な奴に出会ったもんだ。俺もそうだが)
ふとある人を思い出し、口元がにやけた。
「……あいつとは、深い縁があってね…」
エリスが照れ笑いながら言う。まあ何かの縁があるの事は2人の言動を見ていて察しがついていた。
「まあそうだろうな…。で、何故あいつと知り合ったんだ?それには保護施設に入った理由も含まれているのか?」
姉に生まれた感情を囃し立てる気持ちと、保護施設へ入ってしまった苛立ちの気持ちを込めた。皮肉に聞こえただろうか。
「……あたし、家出した後お前が恐れてた通り猫刈りに捕まって売られちゃったんだよな…。まあ五色猫だと勘違いされてエルフ猫だとはバレずに済んだけどさ」
目を背ける姉の過去にジエンは驚いた。自分が知らない間に、自分が恐れていた事を姉は体験していたのだ。
「……大丈夫だったのか……?猫刈りは……どんな奴らなんだ…?」
「…私はそんな暴力とかそんなんじゃなかったけどさ、……もうひとりの方が、ヤバかった。そのもう1人が、クロヤの事なんだけど…」
「……クロヤが……」
以前からクロヤのあの傷跡の事は知っていた。あの傷跡は、猫刈り達につけられたものなのか…!?
そう考えた瞬間、ジエンの背中に冷や汗が通る感覚がした。目を見開いてエリスを見る。
「……だが、クロヤはあんな状態の中、あたしを庇ってくれたんだ」
『ボクは…大丈夫だから…。エリスは…ただ笑っていてくれるだけでいいんだ』
『ボクのためにエリスが傷付くのは…イヤだから……だから、ボクのために行動しないで…』
『ボクは、君のためなら……自分が犠牲になってもいい……』
エリスの脳内にかつてのクロヤの言葉がフラッシュバックする。
「……あの優しさと勇気に…あたしは惚れたんだ。……あんな状態の中…いつまでもあたしの事を思って…そして…」
そこまで言うと、エリスはジエンに背を向けた。立ち上がって俯く。
「……けどあいつ…優しすぎるからさ…ちょっとあたしを守れなかっただけでふさぎ込んでしまってさ…いつの間にかそれがあいつのトラウマになって…再会してもああして避けられるようになったんだ…」
ぎゅっと拳に力を入れる。きっと過去のある瞬間を思い出しているのだろう。
「……避けられる事が……辛いのか…?それは女子の考える恋の思想と酷似している。……振り向いてくれない事が、悲しいのか?苦しいのか?」
ジエンがそう問うと、エリスは拳により一層力を込めた。そして振り向いてキッとジエンを睨む。
その目は涙に溢れていた。
「あんな奴……!一生閉じこもっていればいい!何であたしはあんな奴の事が好きなんだよ!何であいつは……!」
そこまで言って、発言を止めた。そしてジエンの瞳を見て、ハッと我に戻る。
「……すまない…お前には関係ないことだね…」
「……似ている」
ジエンがそう発した。そこ言葉にエリスは目を見開いた。
「…俺の妻も、よく俺に対してそんな感情を抱くからな。……今のお前は、セリアに似ている」
エリスはそれを聞いて、しばしの間固まっていて、そして口を開く。
「……てかお前いつの間に結婚したんだよ!!」
「知らなかったのか?知っていたと思ったけどな…」
「いや、今さっきお前と再会したばっかだし知るはずねーぞ!」
「天然だなお前!」とゲラゲラを腹を抱えて笑うエリスにジエンは少し微笑んだ。
「……やっぱり、ねぇちゃんは泣いているよりは笑っているのが一番いい」
ジエンのその一言に、エリスは驚いた。
「…俺は、セリアが今さっきのねぇちゃんみたいに拗ねた時は、黙って抱きしめてやった。……自分も悪かった。本当に好きだから……許してくれって思った。……てか、クロヤも何だかんだ言って何かとねぇちゃんの事思っているだろ?ねぇちゃんと俺を合わせてくれたのも、クロヤが言い出したことだろう?まあ……本当に好きな相手程、素直になれないものだ。…だから大丈夫だ。いつも通り接しているだけでいい」
ジエンにしては珍しく、自分の心情を語った。エリスはその言葉に救われた気がした。
「…そうだな…!それがいい!」
そう言いにかっとエリスは笑った。いつも通りの最高の笑顔だった。
「……ねぇちゃんは、やはり女だったな」
「それはどーいう意味で言ってるんだ!?お前が女々しいだけじゃねーか!」
「ねえちゃんが普段男前過ぎるから珍しいなと思っただけだ」
「男らしくてなにがわりーんだ!!」
エリスはジエンに向かって笑顔で怒った。
(全く、クロヤは飛んだ物好きのようだな…。こんな姉を好きになるとは……)
呆れると共に、将来の事を考えてフッと微笑んだ。
「……そう考えると、束縛される人生も……必要なのかもな……。自由とはまた別だが」
そう呟き、横で笑っている姉に、ふたたび微笑んで見せた。
スーリール姉弟の、それぞれの恋路と思想である。
スーリール
フランス語で「微笑み」




