前編
カザリアン・ライフ・カード
ヒサ
「お前は占い研に入るぞ」
まだ早朝の橋の上、同じ学校の先輩と思われるその人は、僕の顔を覗きこむと、そう言った。無造作な髪に整った顔立ち。自然体っぽい振る舞いながら、どこか緊張感のある身のこなし。
「はあ……」
としか答えられない僕にニヤリと笑ってみせると、その先輩は消えた。文字通り「消失」と言っていい消え方だった。
後に残された僕は、ほんのちょっとだけ呆けた後、あわてて首を巡らして辺りを探す。でも、学校前の橋の上、しかも早朝に僕以外の人間はおらず、四月の朝日がただ涼しい陽光を投げかけるだけだった。
あの人は何だったんだろう。それに「占い研に入る」って。
後者についてはなんとなく思いつくことはあった。
昨年、この学校、浜路市立吉祥高校の文化祭に、受験前の見学がてら来たときにそういう部活動があるというのを認識している。とはいえ、それが何でこんな形で。
しばらく身動きが取れず、アホのように立ち尽くす僕の脇に一台の車が停まる。窓が開くと、一人の女性が顔を出した。根拠もないけど、この学校の先生であると判った。
「新入生? もう誰か来てると思うから、早く入りなさい」
見た所二十代くらいの先生。キリッと結んだ髪やメイクに、大人っぽいしっかりした雰囲気を感じる。
「はい、良いんでしょうか?」
どう返して良いかもわからないまま、適当な言葉が口をついて出た。
「でも早いわね。まだ七時前だけど、なんでこんな時間に?」
普通に考えて不審者だよなとわが身を省みながら答える。
「早めに来てこの辺見て回ろうかと思ってたんですが」
「新しい生活に備えようという気持ちは感心だけど、あまり変わったことはしないでね」
その先生はそれだけ言うと、再び車を走らせて校門へと消えていった。
僕も学校の周辺を歩く気も無くなったこともあり、その後に続くように学校へと向かった。
占いに関しては、ちょっと思い当たることはあった。
話は三ヶ月ほど遡る。
その日、僕は駅ビルの占い師のところにいた。
紫色のネイルをつけた指先が、ゆっくりとカードをめくる。
現れたカードには中世のドローイングを思わせるデザインがあった。タロットカードというやつだ。そのカード、太陽の下でこの世の生を喜ぶ子供のものにはどんな意味があるのか、当然僕には分からない。ただ、そんなに悪い暗示では無いように思えた。
「ふむ」と、そのネイルの持ち主、見た所二十代前半の女性占い師が唸る。そして次のカードへと手を伸ばす。
その光景を静かに眺める僕、照屋穂積十五歳、当時中学三年生は、椅子に深く腰掛け、両手を膝の上に置いて、その占い師からの答えを待つ。自分の呼吸が、少し重い。
とある駅ビルの四階に設けられた占いコーナー。一階のスイーツショップから漂うカスタードとバニラの入り混った甘い香りの中、四方をパーテーションで仕切られ、外とは明らかに違う空気が流れる異質な空間だ。完全に密閉されていない、それこそ外からも簡単に覗けそうな安普請なのがちょっと不安。でも今リアルで抱えてる不安はもっと大きなものだった。
その不安について占い師が答える。
「高校受験は問題ないわね。大丈夫。第一志望に受かるわよ」
もうすでに外れてますよ。
思わずそう口にしたくなるが、そんなことが出来るほど僕も図太くはない。
ちなみに僕の第一志望校はレベルが高く、正直僕では無理だと言われていた。先日の直前模試でも「夢見てんじゃねーよ」の無慈悲なD判定をもらったばかりだ。せめて「好きにしろ|(笑)」のE判定で無かったことだけが救いではあるが、担任からも「お前ほど諦めの悪い奴は見たことがない」と言われた程だ。でも他の学校は遠いし、ガラ悪いし。
さっきの話を受け、おずおずと言葉を返す。
「でも、第一志望の公立校は難しいから、滑り止めに力入れろって言われてるんですよね。担任に」
「そう? 確実な勝利のカードと一緒に、大変な努力を裏付けるカードが出てるわよ。それも死にものぐるいの凄い物が」
占い師はそう言って根拠となるカードを見せてくれた。が、そのカードがどんな意味なのかやっぱりわからない。ただ、そう言って自分の意思を肯定してくれることには、嬉しさを感じていたのも事実だった。
確かに自分でも努力はしていると思う。だが現実には、僕の努力はD判定である。それだけは占いよりもはっきりしていた。
「そうですかねえ……」
弱気な言葉が自然と口をつく。そんな僕を気遣ってか、占い師はこんなことを言い出した。
「あと、君自身についてなんだけど。君は何だか、思ったことは何でも叶えていけるような、不思議な運を持ってるみたいねえ」
そう言いながら、もう一枚カードを引く。そして「うん、そうそう」と一人で納得する。
それも違ってると思う。今までの人生を振り返ってもそうだ。何かで秀でて人より目立ってみたいとは思っていたが、そんな才能も能力も自分には無い。何かで一番になろう、自分にしか出来ないことを見つけよう、そんな意識は早々に捨てている。運動でも勉強でも。クラスのエリートやスポーツマンを羨望の眼差しで眺め、絵の得意な奴や、将来芸人になりそうな面白いやつの側で笑ってるくらいで、特に目立ったこともない。仲のいいやつとゲームなんかしても、勝ったり負けたりは半々。普通の人生が続いていくんだろうなと思っていた。で、そんな自分が高望みしたのが今回の受験である、と。
大丈夫だろうか、この占い師の人。
だが、その疑念はあっという間に崩れることとなった。
「あ、本当だ」
いきなり時間が飛び、その公立校、入学試験合格者発表の場で、僕は自分の受験票片手につぶやいていた。確かに頑張ったし、入試も手応えがあったけど、まさか本当に合格するとは。いや、自分で驚くのも違うような気がするけど。
声を上げて喜ぶことはなかった。でも、地味にこみ上げてくる喜びに、体温が上がるのが分かる。さあ、誰から報告してやろうか。そんなこと考えながら表情をゆるませ、一人でぼーっと突っ立ていると、聞き覚えのある声がした。
「照屋、大丈夫?」
声の方を向くと、僕に話しかけてきたのは同じ中学、同じクラスから受けた野々宮真由子だった。
赤い縁のメガネとクセっ毛。ヴァイオリンのようなキンとした声。背は少し低め。漫画が上手いことで知られてるが今は関係ない。以前はそうではないながらも、受験を機によく話すようになった同級生が、何か可哀想なものを見る目をこっちに向けている。
手に受験票だけでなく大きな白い封筒を持っている辺り、こいつも合格したんだなと分かる。おめでとう、と声をかけようとしたが、それを先取って気まずそうな声をかけて来た。
「照屋、元気出しなって。ほら、もう一校の方は手応えあったんでしょ?」
唐突に切り出された話を、僕は訂正しようとする。
「いや、あの」
「いいから。頑張ったから、君は。ね? 早く帰ってしっかり休みなって」
「受かったんだけど」
「……はいい?」
脳天から吹き出したような素っ頓狂な声に周囲の目が集まる。だが、野々宮はそんな視線を気にもせずに続ける。
「何したの?」
「いや、普通に受かったから。ほらそこ。一一三番」
受験票ともども貼り出された合格の証を示す。その両方を何度も見比べると、失礼な赤縁メガネ女は再度口を開く。
「だから、何したの?」
「だから、普通に受かったんだってば」
なぜ「おめでとう」のヒトコトが言えない?
こいつの中では、僕は「何でわざわざこの学校を?」というくらい不自然な受験生だったろう。それは分かる。野々宮はクラスでも上位の成績を誇る、まあ僕より上の人間だったわけで。その野々宮からも受験前に「大丈夫なの」と半笑いで言われてたのだ。分不相応なのは分かってるけど、だからって合格を訝しむのは勘弁してもらいたい。ってか、むかつく。
ちなみに同じ学校のトップクラスのヤツらはこぞって私立の一流校を受験しているので、あまりこの高校には来ない。そう考えるとここも微妙な学校になるのかと思えるけど、まあ、今はいい。
いつまでも不条理漫才を続けるつもりも無かったので、さっさとその場を離れることにする。不審者を見る目をした失礼な赤縁メガネ女に「じゃあ、また後で」と適当な声をかけ、さっさとその場を後にする。しばらく歩き、ふと振り返れば、その女がケータイに向かって通報でもするような素振りで、どこかへ連絡している姿が見えた。
そんな風景がまだ残像のように見えそうな校門そば、入ってすぐ右手に大きな岩があるのを見かけた。受験のときにはあったっけ? あの時は視野が狭くなってたんだろうか。何せあのときは不安と軽い興奮、そして前日まで必死に詰め込んだ文法やら解き方が、頭脳からこぼれないように必死だったような記憶がある。要は意識する余裕がなかったのだろう。
岩は高さが二メートルほどで山のような形をしていた。卒業生の芸大とか目指した人が贈ったオブジェかなとも思ったが、そういうプレートや表記も見つからなかった。
邪魔じゃないんだろうか。そう思うけど、「何だかよくわからないけどそうなっている」というものは実はあちこちにあるような気もしていた。さっきの先輩の様に。
話は春休み中に再び舞い戻る。
卒業式なんかの一通りの盛り上がりも終え、さほど中学生活に執着のない自分には暇な時間が生まれた。|(元?)同級生の中には仲間同士でどこか遊びに行くとか、なにやらアクティブに動くものもいたけど、僕にはそれほど親しい間柄のやつもいなかったことがあり、その辺の時間の使い方はひたすら平和であった。できれば高校ではいい関係で盛り上がれる友達なんか欲しい。そう思いながらも春休み中の現実は毎日、図書館と自宅を往復するだけの日々。夢を見るのは勝手だと、その図書館で借りた本にあったのを思い出す。
そんなある日、ふと思い出したのは件の占い師だった。一度、報告に行ったほうがいいのだろうか。そんなことを思いながら、オフの日に使っているショルダーバッグを引っ張りだす。あの時もらった封筒が入れっぱなしになっているのを思い出したのだ。
読みかけのまま放置した文庫本と一緒にバッグの底に沈んでた封筒をサルベージする。そして、中を確認すると、占いの結果を簡単にまとめたシート、割引券やチラシなどと一緒に、あの占い師の名刺が出てきた。薄いピンクの紙に紫の縁取りがされ、濃い青の文字で”シスター・ロマ”と書かれていた。そうそう、たしかこんな名前。ベタだけど。
翌日、駅ビル四階にある、あの占いブースに行ってみた。エスカレーターで四階に向かう途中、はやり階下のスイーツショップからの甘い香りに浸る。なんだかこのカスタードとバニラの入り交じった匂いも思い出の一つになりそうな気がした。
占いブースに着き、パーテーションの中を伺う。ちょうどお客さんの気配はない。覗き込んで、「すみません」と声をかけてみると、そこにいたのは違う人だった。
「なにか御用?」
人の良さそうなそのおばさん占い師はにこやかに声をかけてくれる。そこで、先日占ってもらったことや、見事第一志望校に合格したことなどを話す。ちょっとドヤ顔だったと思う。直後にもの凄い後悔をした。が、その占い師はそんなこと気にもせず、
「あら、おめでとうございます。努力が実ったのね」
そう言ってくれた。でも、その報告をしたい人がいない。
「ロマ先生は不定期だから、次に来るのは来週かしら」
そう言われてはどうしようもない。また来る旨を、不要だと思ったけど告げ、その場を後にした。
駅ビル四階は占いブースの他にスポーツジムと歯科医院、マッサージ屋が入っている。その下の三階に降り、本屋、CD屋などをぶらぶらと眺める。そんなことしているうちに、フロアの奥の方にある小さな店の前に出た。前々から気にはなっていたが、入ったことのない店だった。
まず目につくのは、看板がわりに飾られた、水牛らしき大きなスカル。トライバルな柄のタペストリーやドリームキャッチャーのようなオカルト系グッズがディスプレイされ、トーテムポールまで立っていたりする。正直入りにくい。入り口から見えるところにはカラフルなトートバッグや銀製品らしいシャープな輝きも見え、どんな客層がいるのかちょっと考えただけでも不安になってくる。興味はあったが、回れ右をして帰ってきたのは当然な気がしている。
未知なる知識への憧れということか、こんな経験を経たからかタロットについて興味が出てきた。そんな訳でネットや図書館、古本屋なんかでの情報を頼りにタロット占いについて勉強をしてみた。春休み中の暇も伴って。
まずネットを徘徊。色んなサイトを巡り、タロットについて情報を漁る。そして、徐々にではあるが色んな知識が身について来た。
タロットカードはタロットデッキとも呼ばれ、大アルカナ二十二枚、小アルカナ五十六枚の計七十八枚のカードである。
大アルカナのゼロ番から二十一番までの番号が振り分けられたカードは、その一枚一枚が寓意的な役割を持っている。カードに描かれたデザインのみならず、割り振られた番号にまで意味があり、タロット使いのほとんどはその細かな意味にまで通じているとか。
同様に小アルカナも同じように意味を持ったカードであるが、ワンド|(杖)、カップ、ソード、ペンタクル|(金貨)の四つのグループに別れ、そのグループごとに「男性的なエネルギー/肉体的な行動」、「女性的なエネルギー/精神的な働き」、「知性」、「肉体」といった意味を持つ。さらに、それらのカードには、数字が一(エース)から始まって十まで、その後はナイト、ペイジ、クイーン、キングと続く。この並びからトランプの起源であるという説もあるが、それとは違うという説もあり、一概にどっちがどうとかは分からない。
そして、これら合計七十八枚のカードを並べることにより、その出方から運勢を見たり、助言なりのメッセージを受けるというのだ。カードの出方は正位置か逆位置。その位置の違いで意味が真逆になったりもする。例えば正位置では「いいことがある」だけど、逆位置で出れば「悪いことがある」とか。
ちなみに起源は古代エジプトとも古代ユダヤとも言われ、中々謎に満ちているが、記録の上での最も古いものは十五世紀のイタリアに見られるとか。そして、その頃から占いに使われていたのかも不明。はっきりと占いに使われるようになったのは十八世紀のフランスからとされる。
そしてその後、著名な魔術師や魔術結社の手により様々な神秘思想と結びつけて考えられて発展を遂げ、今の形になっているとか。ちなみに、魔術結社”黄金の夜明け団”のメンバーがライダー/ウェイト版というヴァージョンにアップデートしたものが比較的ポピュラー。さらに僕でも名前を知っている伝説の魔術師、アレイスター・クロウリーが作ったものもあるとか。そんな知識でネット上にあるタロットカード通販業者などを見ると、東洋風、記号しか書かれてないもの、キャラクターが動物のものなどなど、ラーメンの種類くらい試行錯誤と差別化が盛んな業界なのかと思えた。では、自分で買うとしたら、ライダー/ウェイト版だろうか。図書館で借りられた本もそれが前提で書かれていようだし。
そんな事ばかり考えているある日、いつもの様に図書館に向かうと、そこにはあの赤縁メガネの失礼な女がいた。野々宮である。気づかないふりで通そうと思ったが、あっちはそんなことお構いなしに、僕に気づくとすぐに寄ってきた。
「照屋、久しぶり。図書館通いなんてヒマねえ」
お前はどうなんだという返答はさておき、無視するようにショルダーバッグから借りた本を出し、カウンターに出す。その手元を覗きこんで野々宮が口を開く。
「何借りたの?」
「うるさいから。お前関係ないんだから見るなよ」
だが、僕が出した本の表紙を見て、その赤縁メガネ女が笑う。
「タロット占いの本なんて読んでるの? うわ、似合わねー」
カウンターのお姉さんも一緒になって困ったような笑いを浮かべている。
さらに野々宮が続ける。
「今から中二病?」
意外な問いかけの言葉に驚いてみる。
「え? 中二病なのこれ? 単純に興味があるんだけど?」
二人で「?」を投げつけあってしまったが、これって痛々しい行為なんだろうか。野々宮を見てるとそんな気もするが、男たちが絡みあうような妖しい漫画を描いてるこいつにそんな事言われる筋合いはない。でも、中二病と言われたことも、ちょっと気になった。
「もう高校生なんだから、しっかりしないと」
「いや、占いが子供っぽいものだとは思わないけど。大体、タロットは魔術結社の”黄金の夜明け団”の」
「ほら、そういうこと言い出すのが痛いってのよ」
読んだばかりの本で仕入れた知識で反論しようとするが、簡単に切り捨てられた。でも、こっちもちょっとムキになってしまった。
「ちょっと待ってよ。アレイスター・クロウリーだってね」
「そういう名前出さないの。恥ずかしい」
口でこいつに勝てる訳が無い。そう思い、反論するのをやめる。
「で、今日は何借りるのよ? オカルト?」
「まあ、なんか小説とCD」
適当に答えて書架の方へと移動する。一緒に野々宮もついてくる。追い払うにはどうしたらいいんだろう。ささやかながら攻撃をしてみる。
「暇なの?」
「うん」
「一緒に遊ぶ友達とか居ないんだ?」
「うん」
イヤミも通じない。そこくらいまで来ると自分も結構諦め、適当な話をしながら二人で館内をうろつく。その間、雑学や地理の本など、適当なものをピックアップする。で、その度にウザく質問が入る。
「雑学って何年前の話? 今使えるの?」「映画なら借りて来て本物見ればいいじゃない」「その作家、他の人の作品パクって問題になったんだよね」「フリーメーソンの陰謀論、信じてるの?」「インド、興味あるんだ? 思想?」「その小説、面白くなかったよ」
物凄くウザイ。でもわざわざ口を挟んでくるこいつは、本当に友達いないんだろかなんてちょっと思ってみる。教室では普通にみんなと接し、うるさいグループのレギュラーだったはずだけど。そのグループから離れ、一人違う高校に進学することでなんだか疎外感味わってるとか。そうは見えないけど。
カウンターでの貸出手続きを終え、出口に向かう。野々宮も一緒についてくる。
「この後って何かあるの? 僕は帰るんだけどさ」
「じゃあ、あたしも帰るわ」
「うん、それがいい。地域社会に迷惑かけるなよ」
「あんたもね」
図書館前の階段を降りながら、この先のことなんかも話してみた。
「吉祥高の辺りって、学校の他には何もないのかな?」
「何かあって欲しいの?」
何気ない会話に、答えようもない突込みが入る。話し辛い。
「別に何もなくても良いけどさ。校門のすぐ前に川が流れてる位で。なんだか城の入り口って感じだよな」
そんなことを話しながら、初日とか早めに行ってその辺をウロウロしてみようかなんて思ってみた。で、あの先輩に会ったわけだけど。
野々宮が口を開く。
「県外の学校に行った子、もう寮に入ったらしいね」
「ああ、言ってたよな。そんなこと」
「寮とかってさ、生活とかギチギチに管理されてて大変なのかな」
「いや、普通じゃない? 気にするようなことないと思うし、連絡とか簡単に取れるんじゃないかな」
「でも離れちゃうと中々連絡もしづらいような気もするし」
なんだか野々宮っぽくない話に、少し戸惑う。
「あったね、昔なんかも。小学校のときとか、クラス違っちゃうともう遊ばなくなるとか。でも、そんな年齢じゃないし。気にすることないと思うけど」
そして
「でも連絡しづらいかなあ」
そう口にすると、野々宮がこう繋げた。
「まあ、照屋はそんなことないでしょ」
そして、小さくこう付け足した。
「同じ高校行くんだし」
こいつはそれを楽しみにしているとか。まあ、それはないような気がする。ただ、やはり自分らの中学からあの学校に進むのは少なく、同じクラスからは野々宮と自分だけということは判ってる。
新しい場所で友達なんてのは、こいつならいくらでも作れるんじゃないだろうか。少なくともこの厚かましさなら。
図書館前の通りにて、別れ際に野々宮がこう声をあげた。
「変な宗教とかハマらないでね」
「ハマらないよ!」
思わず声を荒らげてしまった。
意気揚々と引き上げていく失礼な同級生は何に引っかかってるのか。よく見えないけど、何か意外なものに触れた気もした。不安と期待の入り混じった時期、そんな風に呼ばれる頃になるんだろうか、今は。
気にしないことにしようと思ってみる。でも、同じものを自分も持っているようで、やはり引っ掛かりがあったのも事実だった。
そして四月の今の話となる。
新しく始まった生活は一週間ほどで落ち着きを見せてきた。当初、無駄に騒がしい仮面舞踏会のような、正体の掴めない周囲との付き合いかたもなんとなく分かり、朝、顔を見たら自然に無駄話が出るような関係も作られてきた。
その日も、早速話をするようになった奴が話しかけてきた。
「おー、照屋。プリント持ってきた?」
初日に席が隣だったことから話をし、その時に音楽に興味あるとかエレキギター持ってるとかで、会話が盛り上がったヤツだ。
「ああ。斉藤は?」
「書いてもらったよ、ちゃんと」
そう言い、カバンからプリントを出してひらひら見せてくる。
そのまま授業の愚痴やあの先生はロリコンらしいだのの話をする。
「そういえば、そろそろだよな。部活の入部説明会とか」
斉藤がそう言いながら、事前に配られてた部活案内のプリントを取り出す。プリント、多いな。
「斉藤は軽音?」
「いや、サッカー部行こうと思ってるんだけど」
青春の王道だな、なんて軽く茶化してみる。
「照屋はどうすんの? サッカー一緒にやんない?」
ふと、あの橋の上を思い出す。”占い研”こと、正式名称”占い研究部”。プリントの一覧にも記されているその名前に目が吸い寄せられる。
「僕は、文化系かな」
具体的に何を見てるか悟られないよう注意しながらそう答えると、聞き覚えのある声が割り込んできた。
「照屋は勉強しないとまずいんじゃないの?」
顔を上げると、クセっ毛で赤縁メガネをかけた女が立っていた。
「するよ普通に。野々宮には関係ないだろ」
中学に引き続き、高校でも同じクラスになった。不本意ながら。
「で、野々宮はどうするんだよ」
話を返すと、よくぞ訊いてくれました的に目を輝かせる。
「やっぱ漫研かな」
だろうねえ、と返事をすると、「それって何?」と少しむっとした答えが返る。そのままなんだけど。
「あんた占いはどうするの? 熱心に本読んでたやつ」
「占い?」
斎藤も何それ的な表情でこっちを見る。
「まあ、ちょっと興味があって。タロットとか」
事も無げにそう答えるが、やはり奇異に映ったらしい。ちょっと珍しいもの見る目になっている。
「この人ね、占いに興味持ってるとか言ってて、そういう本とか読んでるのよ」
図書館でのやりとりを思い出す。
「だからって何だよ。興味持っただけだって。何も気にするようなこと無いじゃん」
そう言い訳するも、他からも変な目で見られるんじゃないだろうかと、ちょっと心配になってみたりする。
するとそこで、
「タロット占いに興味あるの?」
と声がかかり、その方を見る。そこにいたのは同じクラスの古賀萌梨だった。
どのクラスにもアイドル扱いされそうな女子はいる。このクラスの場合、古賀さんがそのポジションだった。何より、初日の自己紹介のとき、クラスの男子一同の雰囲気が変わったのは鮮烈に覚えている。初めて見た時には、どこかで見たことはないかと思ってしまった。それもテレビや雑誌のグラビアで。そんな容姿端麗、眉目秀麗を体現したようなビジュアル。育ちのよさがそのまま伝わってくるかのような物腰。その場にいるだけで空気が明るさを増す爽やかな存在感。よくテレビなんかで見るアイドルというのは、決して美少女を意味するわけではないと、彼女を見るたびに思う。しかしながらそれは外見のみ。中身は結構キツめでドライ。新学期早々、彼女に声をかけたクラスのチャラ男を「キモ怖い」の一言で撃破し、男子に対しては常に距離を取っている。共闘を求める女子とは付き合いがあるようだが、それでも周囲からは結構気を使われている状態である。そんな女子だ。
「まあそうだけど。古賀さんは興味あるの?」
そう聞き返すが、軽く無視され、さっさと自分の席にもどられてしまう。背中まである黒髪を静かに揺らせながら。見た目に反して、正直印象は悪い。
「気にしないで」
何の関係かわからないが、野々宮がそうフォローする。
古賀さんのことは置いておき、もう一度、事前に配られてた例の案内プリントを見る。そして、スポーツ系、文化系、よく分からない独自の名前を持つ部などの一覧をたどり、その紹介で、やはり目を止める。
「占い研究部」
再度、あの先輩を思い出してみる。かなりぶっ飛んだ雰囲気の人ながら、なんであの人はそんなこと言ったんだろうか。確かに占いに興味はあったが、それをわざわざ吹聴しながら歩いていたわけでも、プレートに書いて首から提げていたわけでもない。占いが好きそうな顔とかあるんだろうか。
そう言えば、シスター・ロマにも報告に行ってないな。
ふとまたそんな事も思い出す。でもあれから結構経っている。今行ってもしょうがない気がするが、どうも気になってはいた。結構マメなのかも知れない。自分は。
部活の勧誘と説明会、入部受付が解禁になった日、校内はちょっとした盛り上がりを見せた。
その日の放課後、斉藤は「気が向いたら来いよ」と言い残し、さっさとサッカー部へと行ってしまった。野々宮もいつの間にやらいなくなり、教室はクラス中のみんながどこかへ行ってるような、閑散とした有様となった。やはり部活などサークル活動への憧れはみんな持っているようだった。
自分はというと、その日の放課後は英語の先生に呼ばれ、準備室で備品や教材に使う小冊子などの整理を手伝わさることとなっていた。そしてひと仕事終えて戻ってくると、やはり教室には誰もいないような状態であった。
時間を確認しても結構遅い。あの部活、占い研に話だけでも聞きに行ってみようかと思っていたが、それは明日以降でもいいかとも思った。
そんなことを考えながら鞄をまとめていると、古賀さんが教室に戻ってきた。手には入部届らしい紙を持ってる。相変わらず綺麗な表情を無言で凍結している。
古賀さんは僕に気づくと軽く教室を見回し、誰も居ないのを確認してから、こう話しかけてきた。
「照屋くんは占い研行かないの?」
たまたま今考えていたところでもあり、いきなりの話題に躊躇する。
「もう遅いし、明日以降でもいいかなと思って」
「やっぱり興味はあるんだね?」
「まあ……」
そんな風に曖昧な返事をすると、古賀さんはこんなことを話し始めた。
「実は、私も入ろうと思ったんだけど、今火星がスクエアなんだよね。水星がコンジャクションだから新しいこと始めるにはいいかと思うんだけど。同時に海王星も火星のオポジションでTスクエアだし、さらに金星と天王星もスクエアだから判断困るよね。水星が順行に戻るからタイミング的にはぴったりだと思うんだけど、スクエア三つもあるなんてね」
何の話か、意味が掴めずに軽く混乱する。
「ところで照屋くんは何座?」
生まれの星座だろうか、さっきの話から察するに。
「天秤座だけど」
「ああ、そうなんだ。あたし双子座だから同じ”風”だね」
やはり意味が分からないんだが。
「古賀さんは占いに興味あるんだ」
「興味あるっていうか、占星術やってるんだけどね。照屋くんは、タロットだけなの?」
「まあ興味あるだけなんだけど」
「それで、入らないの?」
「取り敢えず、明日だから僕は」
それだけ言って鞄を持ち、逃げるようにその場を離れる。
なんだか占いという世界が一気に遠くなった気がした。専門用語が溢れかえり、ついていけないような概念が支配する世界。占い研の中もあんな感じなんだろうか。
さっさと帰ろうと昇降口を目指す。歩きながら、今し方あったことを思い出し、やはり部活は別のところにしようかなどと考えてみる。本当に斉藤にくっついてサッカー部でもいいかもしれない。レギュラーとかになるのは無理としても、知ってるヤツと何かやるのは楽しいだろうなと思えるし、一度くらいは体育会系のノリを体験するのも面白いかも知れない。
そんなコトを考えながら歩いていると、いきなり目の前に大量のビーカーが崩れ落ちてきた。悲鳴。飛び散る破片と破壊音。思わず足を止めてその惨状を見る。「何やってんだよ!」「済みません!」「どうするんだよこれ!」などとパニクるこの人達は理系の部活の人だろうか。箒とちりとりを持った先輩らしき人も現れ、ちょっとした騒ぎになる。どちらにしろ廊下がふさがれてしまったし手伝うことも出来ないので、今来た廊下を戻る。
違う階段から一階に下りようとすると、今度は大勢の人がいた。参加人数の多い部活らしく、教室だか部室に入りきれない人が外に出ているようだった。ガヤガヤうるさい。
これもしょうがないと階段を戻り、違うルートを歩いてると、あの部活棟に通じる廊下に出た。
「部活棟」
昨年、文化祭を見学に来た際、その存在は認識している。部活のためだけにある建物で、確かいかにも部活的な展示の多さに、なんだか長屋のような印象を持っていた。長屋って、リアルでは知らないけど。
入学式からまだ間もないある日、教室移動の際に、いつもは通らない廊下を歩いた。その廊下の窓から見えたのは例の部活棟。実はその時にはその名称を知らなかったけど。
思わず立ち止まり、窓の外を眺める僕に野々宮が声をかけて来る。
「何見てんの?」
当時、事情を知らなかった僕は、何とはなしに野々宮に聞いてみた。
「あの校舎古いよな。何のクラスが入ってるんだろ」
「ああ、あれは部活棟だって」
「部活棟?」
「新しい校舎が出来て、クラスや設備が移った時にときに、文化系のクラブが連合作って学校に掛け合ったんだって。”部活専用で使わせろ”って。で、認められて部活用の建物として取り壊しも免れてるって。元々そんな老朽化が進んでたわけでもないしね。でも、スポーツ系のクラブからは反発があったみたい。話が決まってから”なんでお前たちだけ”って言って来たって」
「へえ、誰から聞いたの?」
「漫研の先輩。って、これは非公式だからね」
そうか、野々宮も水面下で先輩たちと接触し、話を進めてた一人かと合点が行く。まあ、不思議ではないという感じだけど。
そのまま廊下を歩き、無造作に貼られている貼り紙を眺める。生徒会から認められていない旨の警告文が貼られているものもあり、ちょっと雰囲気が悪いのを感じる。そして、その中に一枚、控えめに貼られている貼り紙が目についた。
「占い研究部」
徐々に引き寄せられるような、妙な引力を感じつつ、コレが運命というものかと思う部分もあった。また橋の上のあのことを思い出す。頭を振り、ただの偶然、気にするなと自分に言い聞かせる。
「何やってるの?」
野々宮が声をかけてくる。
「何でもない」
そう言って廊下を歩く。
野々宮は半ばどうでもいいように「ふーん」なんて言いながらこっちを見ていた。
今日の部活棟は入部受付解禁のためか活気に満ち溢れ、以前見に来た文化祭のような雰囲気だった。下に降りる階段にたどり着く前、渡り廊下からちょっとその棟の内部を覗き込んでみる。
あちこちの教室の前で机やテーブルが置かれ、入部希望者の受付などしているようだった。少し見るくらいならと自分に言い訳し、その中に足を踏み入れる。
当初の目的ではないけど色々と眺めながら歩いていると、自分にも声がかかってみた。
「キミ、一緒に鉄道の奥深さを追求してみないか」「ラノベ研、新人さん募集中だよ」「人生の成功を追求してみよう! お金持ちになりたくはないか? 成功研究会に来い!」「キミも動画でもいいから撮ってみないか? 映研新人募集中!」「日本の文化、落語です!」などなど。
賑やかな雰囲気を味わいつつ、誰とも視線を合わせないように気をつけながら歩いていると、とある机の前に出た。
「占い研究部」「入部受付中」「いらっしゃいませ」などと張り紙のされた小さな机の前には一人の女子の先輩が座っていた。さらさらの髪は肩までのセミロング。チーズケーキのような甘そうな雰囲気を漂わせた、おっとりした雰囲気の人。お菓子系とでも呼んでいいのだろうか。どこか柔らかな印象のその人は穏やかな表情で手にした本に目を落としていた。自ら人を呼び込むことをしていない。なんとなくその雰囲気に、あの占い師、シスター・ロマを思い出す。
僕の視線に気付いたのか、その先輩が顔を上げ、ふわふわした笑顔と共に声をかけてくれた。
「こんにちは。占いに興味あるの?」
「ええ、まあ……」
返事にならない返事をして、しどろもどろになる。
「どうぞ、ここに座って」
言われるがままに用意された椅子に座る。机を挟んでその先輩と向き合う形になり、やはりあの時の占い師に面影を重ねてみる。近づくとどことなく甘い香りがした。やはりお菓子系。
「どんな占いに興味があるの?」
「じつは」
そう言って口を開くが、軽く緊張していたからか余計なことを口走ってしまう。あの占い師の話、難しいと言われてた合格を言ってくれた件、タロットって凄いんだなと思ったこと。
「カードならすぐに読めるようになるわよ」
そう言うと、その先輩も傍らからタロットカードを取り出す。あの時見たのと同じカード。その触る手つきに、やはりあの占い師と同じようなものを感じる。爪に色はついておらず、綺麗な指先のままだけど。
無言でカードをめくる先輩が、ふとその手を止める。
「君、誰かから声かけられたりした? 部活、ここに来るかも知れないって」
その言葉に登校初日のことを思い出し、ギクリとする。
「実は、多分この学校の先輩だと思うんですが、入学式の朝に遭った人から”お前は占い研に入る”って言われて」
「ああ、きっと鳥居くんね」
「鳥居先輩ですか」
「占い研なんだけど、まあ、変わった人なのよ」
それには同意する。でも、どういう人なんだろうか。
「あっれえ? 新人さんだ?」
ちょっとのんびりした声にふと後ろを向くと、そこには小柄な女子の先輩がいた。小柄な女子ながら先輩と分かるのも不思議なもんだけど。
「コトちゃん。新人さんなの?」
「まだ決まったわけじゃないですけど、鳥居くんのご神託があったみたいで」
「じゃあ、決定だ。よろしくね」
そう言って嬉しそうに笑うこの人は制服のリボンの色から察するに三年生らしい。それらしい大人っぽさは一応伺えるものの、話し方などは自分より幼く感じるのはなんでだろうか。
「自己紹介まだだったわね」と、カードを片付けながら先輩が言う。「私は坂下琴音。二年生よ。こちらは仁野初子先輩。三年生で占星術をやってらっしゃるの」
先輩と呼ばれたその人は幼女のようなニコニコ顔でこっちの様子を伺っている。
「一年C組の照屋穂積です。タロットには興味あるんですけど、男子で占いって変ですよね?」
「そんなことないわよ」と、坂下先輩。「著名な男性の占い師もいっぱいいるし、気にすることないわ」
そうですか、と話を受けるが、ふと周囲の空気が変わった気がした。自分がここにいることがやはり変な印象なり与えているんだろうか。と、そのときいきなり破裂音が鳴り響いた。
パンパーン、パーン。パーン。
いきなりのクラッカー音、しかも四つ。
その音に、その場で立ち尽くす者。短く悲鳴をあげて耳を抑える者。「おいおいおいおい」とパンクバンドのライブみたいな声を上げる者。
ちょっとした騒ぎの中、思わず音の方を見ると、初日に見かけたあの先輩がいた。
「鳥居くん、うるさい」
軽く困り顔で坂下先輩がそうたしなめる。が、その鳥居先輩はノリが変わらない。
「もう一つあるんだけど。十二個入りのパックが」
ちょうだーい、と手を伸ばす仁野先輩を置いておいて、
「いいから、ここじゃ」
と、部室の中に移動することとなった。生徒会役員が来ると面倒とか言ってたけど、何気に不穏な空気を感じてみる。確かにクラッカーは迷惑行為だと思うけど。
「この方が?」と、坂下先輩に訪ねる。
「やっぱり来たな、お前」と鳥居先輩が割り込む。「あ、はい」と短く返事すると、「じゃあ、これ歓迎の証」と早速胸ポケットに使用済みのクラッカーを入れられる。反応を返す間もなく、先輩たちは部室に机を運び込む。同時に、鳥居先輩がドアを閉めて、つっかえ棒をかます。
「何してるんですか?」
驚いて尋ねるが、先輩は特に返事もせず、当たり前のように部屋の長テーブルにパイプ椅子を追加し、棚からファイルを抜き出す。何をしているのかが全くわからない。反応に困り硬直している僕に、坂下先輩が声をかけてくれる。
「大丈夫、すぐに慣れるわ」
そう言ってくれたが、何に慣れるというのか。
ふと気づくと、部室にはまた別の人物がいた。さっき会ったばかりの人物だった。
「あれ、古賀さん?」
「照屋くん? なんで?」
「あら、お知り合い?」と坂下先輩が言う。
「同じクラスってことは、ふたり共C組ね」
そう話すのはやはり占い研の先輩だろうか、頭をゆるく包むようなショートヘアの、欧米人っぽい顔立ちをした女子の先輩だった。身長は百七十くらいと高め。長い手足が印象的な、モデルのような雰囲気をしている。一目見て、なぜだか坂下先輩の時のようにベルギーワッフルを思い出した。
「紹介するわね。義家音夢ちゃん。同じ二年生よ」
坂下先輩に言われ、はじめましてと頭を下げ自己紹介をする。よろしくねと言うその先輩の笑顔は、どことなくねっとりとした印象があった。
ふと気づくと、さっきの鳥居先輩の姿はすでに無い。椅子やファイル二冊、なぜかだるまの置物と中に貝殻の入ったガラスのペーパーウエイトなどを準備していつの間にか霧散したという印象だ。あのときもいきなり消えたなと思い出してみる。ちなみに、戸のつっかえ棒はすでに無い。
「明日じゃなかったの?」
そう聞いてくる古賀さんに、何故だか通路が次々塞がれて自然に流れ着いた旨を話す。それでも胡散臭げに僕を見ている。いや、普通に胡散臭いんだろうか。
「運命みたいだね」と、仁野先輩。
そういうことだろうかと思ってみる。古賀さんが無言でこっちを見てる。
坂下先輩が申込用紙とペンを渡してくれる。そこで初めて、さっき鳥居先輩がテーブルに置いたファイルの一つが入部関係の書類セットだとわかった。なるほどと思ったが、やはり説明もなしにいきなりというのは困るなとも思ってみる。でも、それは判っても他のものの意味は何だろうか。
「で、そういう古賀さんは何で? スクエアがどうとか言ってたのに」
「水星が合だって言ったでしょ?」
意味を把握してないので反論ができない。
「つまり、新しい知識を司る星が丁度いいタイミングにいるってことよ」
そう口を挟む義家先輩。この人も占星術に詳しそうだと感じる。さっき古賀さんと話し込んでたのも、同じ占星術やってるから話が弾んだんだろうか。
改めて部室の中を見回す。元教室だけに結構広く。その部屋の中央に長テーブルが置かれ、ミーティングにしろ、何かの打ち合わせにしろ、主にこのテーブルを囲むことになるんだろうなと思えた。ついでに、クッションが置かれている椅子は定位置なんだろうなとも。
他の机や棚などに置かれている雑多なものの数々が目につく。数字や記号が書かれたホワイトボード、星の様なマークの書かれた板、植物の種のような乾物の入っているガラスの瓶、ティーセットとポット、バラバラのカップ類、そのうちひとつのマグカップに鳥居のマーク、テニスボール、クリスタルのピラミッド|(小)、ゴミ箱がなぜか四つ、花柄のスリッパ、弦が一本無いエレキべース、数珠が沢山、払い串もいくつか、聖書、宗教画のレプリカポスター(おそらくクリムト)、置かれた段ボールにネコのシール、占術の専門書や魔導書の類、心理学の本や雑誌、ぬいぐるみ、うちわ、扇子、梵字の書かれた貼り紙、棚に飾られた天然石、CD−ROMとか収納してあるケース|(紫とオレンジ)、パソコン|(デスクトップが三台とノートブックが二台)、頻繁に使われていそうなパソコンにはカエルのマスコット、ディスプレイに花のシール、レース製のティッシュのケースにはフリル。薄いピンクのカーテンで仕切られた一角には掃除道具|(箒、バケツ、ダスター、コロコロの類)、脚立などが置かれているようだ。
部屋の出入口近くはそうでもないが、奥の方は濃度が高い印象。
「今年の新人ってまだ二名?」
「まだ初日だから」
そう話をする義家先輩、坂下先輩に聞いてみる。
「いつもどのくらい人って集まるんですか?」
「そんなには集まらないわね」坂下先輩が答える。「冷やかしの人もいるみたいだけど。真面目に星の動きや運命なんかについて論じてたりすると、それだけで引く人もいるみたいだし」
義家先輩が後を続ける。
「こういうオカルト系の部活って変な目で見られるものね」
「え? 占い研ってオカルト系なんですか?」
急に古賀さんが落ち着かなくなる。
「どうしたの?」
「あの、あたし、オカルトとか怖いのって苦手で」
「ここにある占いの資料って、こういうのもあるけど大丈夫?」
そう言って義家先輩が見せたのは「真魔道大全」なるハードカバーの本や洋書のペーパーバック。どれも表紙からして不穏な空気に満ちている。赤い五芒星のシンボルや何かいわく有りげな記号だか文字だかが書かれてて、手に取るにも勇気が必要な感じだ。
軽く固まり気味の古賀さんが、
「このくらいなら大丈夫かもしれないですけど」
と答える。
「普段見てる占星術の本って、綺麗というか、かかわいい表紙の本が多いので」
「そうだよね。市販のものはそういうの多いよね」
そう同意されながら、何冊かの本を古賀さんが手に取る。そして、その下にあったものを見て、
「きゃあああああああああ!」
急に悲鳴を上げた。
義家先輩と自分が近づくと、そこにはDVDケースがあった。そのカバーにはCG加工で不自然に見開かれた目の、不気味な女性の顔が印刷され、鮮血を思わせる赤い文字がそれを上から汚していた。パッケージの細部には収録内容なのか数々の画像、腐りかけた人形や汚れた頭蓋骨が打ち付けられたレンガの壁、廃墟に捨てられたランドセル、首を落とされたマネキンが並ぶ森林、路面一面に敷き詰められた小魚の死骸などが見える。
タイトルは「脳にクる! 危ない絶叫動画集 -もう帰れない 呪いのビデオ<絶望編>」。うわちゃーなどと思いながら見てると、
「ああ、ごめんごめん。こんなところにあったんだ」
そう可愛い声でDVDを回収するのは仁野先輩。ひょっとして私物なんでしょうか。
騒ぎを聞いたらしく部室の入り口に覗き込む顔が現れる。
「何やってんの、お前ら」
隣の部室から来たらしい、メガネをかけた男子の先輩が戸口から訊く。
「ああ、ごめん皆川部長。新人さんなんだけど、怖いの苦手なんだって」
義家先輩が概要を説明すると、その人は部室に入って来た。
「怖いの苦手なら、こっち来ない? ライトノベル研究会なんだが。俺は部長ね」
「略して”ベル研”ね」と、坂下先輩。
「なんだその電話でも発明しそうな名前は。普通にラノベ研でいいから」
ふと入り口から覗き込んでる中に野々宮がいることに気づく。僕と目があって、「あっ!」という顔をする。
「本当に占い研なんだ」
部室に入って来ながらそう声をかけてくる。
「同じクラスか、野々宮さん」
ラノベ研の皆川部長がそう訊ねる。
「ええ、占いの話とか普通にするんですよ、この人。男子なのに」
「なんだ、女子狙いじゃなくて本当に占いに興味があるのか」
はははと愛想笑いを返すが、そう見られるのだろうかと気になった。が、その直後、
「うちの女子、狙い様がないぞ」
と、そのラノベ研部長の背後から再度登場したのは鳥居先輩。どこに行ってたんだろうか。
「うちの女子はハードル高いからな。ハードルというか、隔壁って感じで」
なんの話よ、と坂下先輩が突っ込むが、それを無視して鳥居先輩は僕と古賀さんに言う。
「で、君らは入部するとして文章は書けるか?」
部室に入ってきながらの問いかけに、
「はい?」
と、古賀さんと二人で大きな「?」を浮かべる。
「占いとかまじないの研究もするけど、ウチの活動はフリーペーパーの発行がメインだからね。その辺は説明した?」
坂下先輩にそう話を振る。
「まだしてないけど、それはおいおいでいいんじゃないかしら。最初は占いの勉強とからでも」
坂下先輩がそう話す横で、義家先輩がさっきのファイル、もう一つの方を見せてくれる。広げてみた所、A四版の紙に細かな文字が印刷されたペーパーが綴じられていた。タイトルは「ビーチランドハッピーフォーチュン」。発行は占い研。
「定期的にこれ出してるの。内容は占いがメインだったんだけど、校内のちょっとした話題や、他の部の活動内容の紹介もしたりして、裏新聞部の異名もあるくらいで」
義家先輩の説明と共に見てみた所、記事には写真も掲載されており、しっかりした作りに見えた。確かに学校新聞ではあるが、紙面の半分くらいを運勢や風水などの占い情報や記事が占めているのが、占い研発行の所以だろうか。
「たまに手が足りないときには隣の手も借りてるくらいでね」
「隣って、ラノベ研ですか」
僕が義家先輩にそう訊くと、まだ部室にいたラノベ研の部長が口を挟む。
「フェイク記事でいいから何か書けって来るんだよな」
そういうことをする学校新聞というものは結構斬新なんではないだろうか。
では占いの勉強しながらも、定期的に来る締め切りに合わせて取材したり文章書いたり、そういう活動がメインになるのかと、そんなことを考えた。まあ、妥当なラインだと思う。
「わかると思うけど、その発言主は彼だからね」
義家先輩が顎で鳥居先輩を示す。よく分かります。
「普通の紙面じゃ面白くないし」
当然といった雰囲気で鳥居先輩が言う。
「面白さを追求してるわけじゃないんだけど」
坂下先輩がそう口を挟むが、鳥居先輩は変わらない。
「じゃあ暗さを追求するとか」
「普通の新聞でいいってば」
「振り切れてるのが面白いと思うんだけどな。悪趣味な方向に振り切れてて誰も手にしたがらないとか、胡散臭い明るさで振り切れててやはり誰も手にしたがらないとか、陰惨で直視できない方向で振り切れてて、やはり誰もとか。そうだ、セクシーさを追求してる学校新聞って無いよな」
普通に考えてあるわけないと思う。そんな会話をしてる鳥居先輩がこっちを見る。目元に、嫌な企みを宿してるように見える。
「女子はセクハラとか言われて問題になるから、男子のセクシーさを追求するというのはどうだろう」
完全に他人事として聞き流すつもりだけど、それでは済まない空気を感じてみる。その場合、俎上に乗せられるのは僕でしょうか。明らかに間違った三年間が幕を開けるので、全力でお断りするつもりだけど。鳥居先輩は僕に近づきながら続ける。
「なんなら俺も協力するから、まずはグラビアからどうだ」
そう言って僕の肩に手をかけ、そのまま二の腕、肘、手首と流れるように触りだす。気持ち悪さが背筋を突き抜け、「ひっ!」と短く悲鳴を上げてしまう。
「ちょっと」と、坂下先輩が静止をかけるが、柔らかな困り顔だからか、あまり説得力がない。
「そうね、いかにも少年的な身体の細さがあるし、君、余計なお肉とか付いてないでしょ?」
義家先輩が続ける。この先輩もそういう人なのか?
「腹筋は割れなくても、それでいて細い。そんな身体でしょ? そんなに毛深くなさそうだし、結構いい身体してるんじゃない?」
「俺も結構見られる身体はしてると思うから、一緒にグラビアやらないか? 鎖とか大量の白い羽とかヴェルヴェットの敷物、血糊とか希望があれば持ってくるぞ」
「いえ、全力でお断りします。ってか逃げます」
僕がそう答えると、坂下先輩が助け舟を出してくれる。
「ほらほら、学校新聞で発禁処分に挑んで、一体何が目的なのよ」
「大丈夫。男の子には何してもいいのよ」
「ネムちゃん、何言ってるの?」
そんな冗談と判っててもドン退きするやり取りを見ながら、妙なオーラを感じてみた。その方向に視線を投げよこせば、赤い縁のメガネ女、野々宮が薄く笑いを浮かべながら静かに興奮してる姿があった。正直、穢らわしい。固まっている古賀さんときょとんとしてる仁野先輩を置いといて、変な風に作られつつある空気が段々怪しい方向に行くのが、ちょっと怖かった。
部の概要は把握でき、ペーパーのバックナンバーや書架に収まる資料の数々を見せてもらったり、当面「占星術班」「タロット班」で別れて理論や概念の勉強をする件、年にいくつかある学校行事の話などを聞く。そんな風に過ごして入部一日目は終わった。さっきの鳥居先輩がテーブルに置いただるまとペーパーウエイトはファイルのページを広げて置くのに役立った。変な所で気が回る人なんだと思った。
下校時間が近づき、部室の片付けをしながら義家先輩と軽く言葉を交わす。占いについて勉強したいのは当然として、ペーパーの内容がどうも気になるのだ。だが、先輩はまだ言う。
「あら、脱がないの?」
「またまた」
そう話を締めくくろうとするが、
「あら、あたしは本気よ」
そのまま舌なめずりでもしそうな影のある微笑みをうかべる。その目には僕のシャツを通り越して、中まで見えているかのような愉悦が伺えた気がした。「ははは」と笑ってみせるも、ちゃんと笑えただろうか。
その直後、野々宮が何故か占い研に入部届けを出しに来た。
あらためて、占い研究部。
目的は占いの研究とその技術の習得。部員は幽霊部員も含めて十名とちょっと。定期的に占いなど載せたペーパー|(注:まともな内容)を出しており、それはそこそこ好評だとか。
ただし、真面目に活動してるのは片手に収まるくらい。ほとんどが幽霊部員であり、その辺がオカルト系サークルならではと上手いこと言ったのは鳥居先輩で、それは置いておいて。
あと、この占い研、部長が不在らしい。本当は三年生の部長がいるんだけど、「今は相が悪い」と、とある東洋占いの結果を理由に長期で活動を休んでいるとか。しかも顧問がそれを認めてるとか。さらに、その顧問は物理科の先生だそうで、基本的に占いを信じていないという話も聞いた。色んな事情があるものだと思ったが、現実というのはそんな不可解というかよくわからないことの積み重ねなのかも知れないとまたも思ってみる。なんだか、世の不条理を感じてばかりの気がする。
そしてその部長不在の間、部を預かる部長代行はというと、直接お世話になる坂下先輩だそうだ。
「タロットカードは持っているの?」
入部直後、さっそくその坂下先輩から言われた。タロットを使うのは現時点では坂下先輩だけだそうで、その関係でか僕に直接色々教えてくれることとなった。部長代行と言うだけでなく占い研随一のまともさを感じる人だけに、その感慨は深い物があった。
「ないですけど、どんなもの買ったらいいのかとか、よく分からなくて」
「じゃあ、これから行ってみましょうか」
えっ? などと驚くものの、コレは普通に部活の一環。同じ部室で星の動きについて話などしてる占星術班、ネム先輩|(義家先輩からそう呼んでくれとのお触れあり)と仁野先輩、新人の古賀さんに一声かけ、坂下先輩と僕は部室を出た。古賀さんが何か言いたそうにしていたが、その辺は見なかったことにする。僕も先輩も鞄を持って出ている。という事は、そのまま帰ることでもある。何だか軽く緊張してみたりもする。デートのようで。
一緒に歩きながら、こういうのは初めての体験だと意識してみる。何より、歩く速さから普段と違っている。先輩に合わせて少し遅目だ。最近は一緒に出歩く事は無くなったが、妹と歩くときもこんな感じだったようにも思い出した。
「実は」二人で校門を出ながら話しかける。「春休み中に駅ビルのショップに行こうとしたんですけど、何が何だか分からなくて、そのまま帰ってきたんですよね」
実は入学前、ネットで調べたところ駅ビルにある水牛スカルの店にタロットカードが置いてあることが分かった。それでは、と行っては見たのだが、あの店構えである。入れるほどの度胸はなかった。
「ネットの通販サイトも見てみたんですけど、分からなくて。どんなの買えばよかったんでしょうか」
「そうよね。色んな種類が出てるものね」
心なしか先輩の声が浮かれ気味に思えた。
「私は姉がそういうのやってたからすぐに手元にあったけど、ちゃんと自分用の買おうと見に行ったら、やっぱり迷ったものね」
「お姉さん、いらっしゃるんですか」
「ええ、まあ、あまり話とかはしないんだけど」
ちょっと突っ込んではいけない空気を感じ、すぐに話題を変える。
「そういえば、あの部活棟って横の繋がり凄いんですか? あのラノベ研の部長さんも、なんだか占い研の部屋に入り慣れてるような印象がありましたけど」
「そうね。長屋みたいなものかもね」ふふっ、と軽く笑う先輩。やはり長屋か。「毎年色々と事情が変わるけど、変な繋がり方っていっぱいあるからね。例えば、占い研には裏新聞部という別名があるけど、同時に裏コンピューター研という呼び名もあるのよ」
部室にあったパソコンを思い出す。確か五台くらいあったと思うけど、何に使うんだろうか。
「部室にあるパソコンですか。アレは新聞作る時のためですか?」
「他にも占星術のホロスコープの計算や、バイオリズム、四柱推命の計算なんかにも使われるのよ」
「それであんなに置いてあるんですか」
「コンピューター研の人たちにお願いされて置いているってのもあるけどね」
「何でです?」
「部室にあると勝手に設定変えたり部品外して持って行かれたりと、結構無法状態らしいのよ」
「怖いですね」
「元々、コンピューターやってる人たちって物化部|(物理化学部)の物理班に多くいて、コンピューター研にいる人たちってネットの噂がどうのとか、そっちの研究してる人が多いし。その反面、仁野先輩はコンピューター触れて占星術用のソフト作ったりもしてるわ」
「はぁ」
物凄いズレを感じるのは僕だけだろうか。
「その手の話はまだまだあって、漫研にアニメや漫画が好きな人が少ないという話もあるわ」
「それはまた何ででしょうか」
「何故かヤンキー漫画や任侠っぽい漫画、というか劇画を書く人が多くて。で、オタクというか、それっぽい趣味を持つ人たちはライトノベル研究会にいるのよ。ラノベ研の会報、小説よりも漫画が多く載ってるし」
野々宮が当初の漫研ではなくラノベ研に行った理由が判った気がした。
「じゃあ、真面目にライトノベル書いてる人なんかは居心地悪いんじゃないでしょうか」
「そういう人達は文芸部に行くわ」
「じゃあ、文芸部に行くはずの人たちは」
「演劇部ね」
「じゃあ、芝居やりたがる人は」
「軽音部」
「バンドとかやりたがる人たちは」
「そこから先はいくつかに分かれてて、放課後は図書室で時間潰してるか、学食でたむろするか、または帰宅部ね」
「色々あるんですね」
「おかげで、一部では軽音の部室を”ホーム”とか、学食を”施設”とか、図書室を”墓場”とか呼ぶ声もあるわ。そうそう、鳥居くんは軽音にも所属してるのよ。変な名前のバンドもやってるくらいで」
そういえば野々宮の例でもわかる通り、この学校では複数の部活に所属することが認められている。当然、活動に影響がない範囲でではあるが。
「じゃあ、鳥居先輩って芝居とかも好きだったりするんでしょうか。似合うと思うんですけど」
「そうね。観たこと無いけど、演劇とか向いてそうよね」
学園の事情、それも別に聞かずとも問題ないものがばんばん入ってくる。
「本当に長屋みたいですね。落語の」
「ね、人情の世界よね」
「そういえば、落研ってありましたよね。お笑い目指してる人がやはり多いとか」
「芝居演る人もいて、その辺はやはりごちゃごちゃね」
「あと、成功研究会ってありましたけど、あの部って何やってるんですか?」
「成功のための十ステップとかいう本読んで、株とかFXの投資について勉強してるみたい。未成年だからお金はかけられないけど、”今週二十万のロスト!”とかやってるのがたまに聞こえるわ」
「株とかのデイトレーダーとかになるんでしょうか」
「OBにはいるみたいよ」
そんなことを話している内に駅ビルにつく。外装を新しく変えたばかりの駅ビルはリニューアルオープンなどと謳いながらも中はあまり変わっていない。できた時から十五年ほど変わっていない店舗もあり、つくづくこの辺って地方都市だよなと思ってみる。
先輩に連れられて三階の奥にある、あの水牛スカルのショップに入る。やはり外観からすでに曰く有りげで、坂下先輩と一緒でも入るのにちょっと抵抗を感じる。
いらっしゃいと迎えてくれたのは金髪の女性店員さん|(日本人)。先輩とは知り合いらしく、早速世間話などをはじめる。その脇でカウンターの中や、壁にディスプレイされている、よくわからないプレートの数々、ライターやパイプ類、綺麗な石、よく分からない金属製品の数々などを眺める。その数の多さにちょっとくらくらしてくる。
「この子がそう?」
いつの間にか僕の話になっていたらしい。
「コトちゃんのタロットの弟子ね」
「そんな大げさなもんじゃ無いですから」
自己紹介をし、カードをいくつか見せてもらう。基本的なというかとてもシンプルなデザインのもの、記号しか書かれていないもの、東洋的な絵柄のもの、カードに書かれているものが全部ネコのキャラクターのもの。そのひとつひとつにどんな意味があるのか分からないが、事前に仕入れている知識でライダー/ウェイト版のタロットを手にする。タロットの教則本を頼りに、基本はこれかなと言った所だったが、先輩の意見を仰ぐと「とても賢明」だそうだ。絵柄などもとてもシンプルというか、タロットと言われて普通に思いつく、またはネットなんかのページでよく見かける絵柄だったりする。
自分用のタロットを手にし、ではこれで勉強をと意気込んだ帰り、ファストフード店で先輩と話す。なんだか本当にデートのようでこれまたちょっと緊張してたりする。僕の高校生活はすでに勝ち組に入ってるような気がした。
「カードってどのくらいで読めるようになるんでしょうか」
思ってた疑問をそのまま出してみる。書籍やらサイトの説明を読む所、覚えなければいけないキーワードが多く感じ、結構時間がかかるような気がしていたのだ。
「カードの意味は書かれてることそのものよ」と先輩。「例えばコレ、君にはどう見える?」
さっき入手したばかりのカードを開け、中身を確認していた中から一枚を手にする。大アルカナカードの十三番、”死神”のカードだ。
「”死神”ですよね。悪い雰囲気くらいにしか思えないんですけど。何か終わる暗示ですよね」
「見方はひと通りだけじゃないわ」その口調が本物の占い師のような迫力を帯びているように感じる。「死神は物事を終わらせるものだけど、同時にそこから何か新しいことをはじめさせるものだって思わない?」
「はあ……そんなもんでしょうか」
「それに、終わるのは良いこととか平和なものばかりではなくて、不幸な状況とか苦痛を感じていることだとしたら、それは喜ばしいものでしょう?」
「……そうですね」
「カードをよく観て」
そう言われてカードの中の死神の姿をよく見てみる。白い馬に乗った死神の姿だが、その手には旗があり、何か花のような紋章が描かれている。白馬の前には教皇のような人物がいて、出迎えているのか何か説得しているのか、何かしら働きかけてるように見える。そしてその傍らには二人の子供。遠い風景には朝日だか夕日も見え、色んな意味が取れそうにも思えた。
「死神は一番目立っている存在だけど、その前にいる人は何をしているのかしら。それに、確かに人が一人倒れているように見えるけど、その他の人たちはみんな生きているわ。他にも風景の中には船の姿も見えるでしょ? それらをどんな風に受け取るかで、カードの解釈は変わってくるわ。時に、一般に言われているような意味を覆して、別の意味を持つこともあるのよ」
「急に難しくなってきた気がします」
「今からそれでどうするの」
先輩は少し笑って、いつもの雰囲気に戻る。
「まあひとつひとつ時間かけて慣れて行きましょう」
そうして僕のタロット修行は始まることとなった。
我がクラスを代表するヒロイン、古賀萌梨が占い研に入ったというのは結構注目を集めるところとなった。同時に僕と野々宮も入ってはいるが、そっちはどうでもいいようだった。女子はなんでかあまり騒がれないが、男子部員である僕には早速いちゃもんじみた声が寄せられた。
「何お前占いなんて信じてるの?」
明らかに見下した口調で突っ込み、絡んでくる奴らがいた。同じクラスの連中だ。まあ、と短く返事してすまそうとするが、占いなんてみっともない、タロットだか知らないがそんなもの当たるわけがないなどと延々絡んでくるのは正直気分が悪い。調子に乗り続けるそいつらを適当に受け流し、作り笑顔の冷めた目で眺めてると、
「照屋くん、ちょっといい? ネム先輩からファイルを預かってるんだけど」
古賀さんが声をかけてきた。部活についての話に呼ばれるのだけど、さっきの連中が明らかな嫉妬の目線で見て来るのがわかる。絡んできてる奴らの中には、初日に古賀さんから袖にされてるチャラ男もいたのだ。
古賀さんの机まで行き、ファイルを受け取りながら彼女の話を聞く。
「あんなの相手にしちゃダメよ」
「相手にしてるつもり無いんだけど。追い払ったらそれはそれでウザくなりそうだし」
「見てて気分悪いっての」
強引に押し付けるようにファイルを渡される。ちなみに占い研で発行しているペーパーのバックナンバーだった。読んでおけという事か。
僕が占い研に入ったという事を面白がる一人に斎藤もいた。でもバカにしてくるという雰囲気ではなく、意外な趣味を面白がっている感じだ。
「そんなにおかしいか」
ニヤニヤ笑いの斎藤に、思い切り不満な気持ちで訊き返すと、
「当たり前じゃん。何で占い? 文化系じゃなくてオカルト系じゃん」
と、さらに笑いながら返してくる。
「なあ、もう何か出来るの?」
そう言われてバッグから買ったばかりのタロットカードを出す。先日、坂下先輩と買ったアレである。その帰りに教わったノウハウ、その後自分で勉強した成果を見せる良い機会だと思った。
「解説本読みながらになるかもしれないけど、それでよければ」
「じゃあ頼む。今度サッカー部で練習試合があるんだよ。その結果を」
そのくらいなら当てずっぽうで答えてもなんとかなりそうだ。気楽にやっていいかなと思いながらカードを拡げる。
カードを裏に返した状態で両手で拡散。その時に訊きたい内容をカードに問いかける。心の中でだけど。そして、そのカードをひとつにまとめて質問者、この場合斎藤の手を借りる。質問者の「気」を入れてもらうのだ。そしてそこからカードを分配。五枚のカードを星型に並べる。坂下先輩に教わったスプレッド|(占い方法)だ。
「本格的っぽいな」
斎藤がそう笑いながら言う。
そして並べた五枚のカードを読んでいく。
一枚目は質問者の現在の状況を表すカードである。めくったところ、”ワンドの二”の逆位置カードが出た。
「これは全くの新人というか、ズブの素人というか。斉藤がサッカー部入ったばかりだからかな」
「ああ、当たってるよな」
斉藤がそう笑いながら答える。
二枚目は問いかけの本質的な内容。これは”月”の正位置カードが出た。
「疑ってるって意味だと思うんだけど」
「コレも当たってるよ。お前の占い、疑ってるもん」
三枚目は問題の原因、または背景を意味する。”ペンタクルの七”の正位置カードが出た。
「問題の背景とかなんだけど、なんだろ。わからない」
「いいよいいよ。初心者だし」
だが、ここで坂下先輩から教わったことを思い出す。カードはキーワードを答えるだけでなく、状況によってカードに描かれている絵から意味を読み取ることが大切だという話であった。そして、このカードのデザインはというと、農夫が農作物として実っているペンタクルを前に、一休みしているというか、うんざりしているというものだ。僕はこのカードに描かれている農夫の姿が気になって、ちょっと訊いてみる。
「この問題の背景なんだけど、物凄い壁を感じてるとかない? ”やっても無駄じゃない?”くらいの大きな壁みたいな」
その言葉にちょっと反応する斎藤。
「いや……別に?」
何か図星をつかれたような反応に、ちょっとこっちもビビってみる。
四枚目は対策、取るべき行動。現れたのは”カップのクイーン”、正位置。
「これは普通に応援しろってことだと思うけど」
「……」
さっきの問いかけからか、なんだか斎藤が静かだ。
五枚目は結果。”節制”のカード、正位置。一応勝利を表すカードであるのは分かる。ただし、他にも何か事情を抱えているような気もした。とりあえずまずは結果を伝える。
「試合は勝つって」
「そうか。ありがとな」
「ちょっとまって」
なんだか物足りなく感じてもう一枚サブカードを引いてみる。答えの内容にもう少し詳細がほしい時に引くカードで、本当は質問者の許可で引くものだ。でも、そんなことは一瞬忘れた。
新たに引かれたカードは”ペンタクルの二”。二枚のペンタクル|(金貨)を持った男が踊っているデザイン。いや、踊っているのかジャグリングしているのか、どちらにも受け取れる絵だった。その金貨をつなぐ無限大のマークのような物にも目を奪われる。手先のテクニックで上手く乗り切るような印象。男の後ろでは荒波に飲まれているんだか、乗りこなしているんだか船の絵も描かれている。それも結構大きめな船が。それをみてまた思いついたことを言ってみる。
「なんだか二番の番号つけた人が活躍するとか。それと、その場が大騒ぎになるような事態になったりする……かな?」
それを聞いた斎藤が驚きの表情から、プッと吹き出す。そして、笑いながら、
「ないない。二番の先輩って今回お情けで出る人だよ。長いことレギュラーになれなかったんで、今回出させてもらうけど、あまり活躍しないポジションだよ。よく判った、お前の占いの実力」
まだ初心者だからという言い訳は置いておいて、軽く不愉快な気分を味わいながらも、このスプレッド特有の特殊なカードについて付け加える。
「この占いはコレでいい? いいなら終わるけど、何か納得できないとかあったらもっとカード引いて、この結果をチャラにしたりできるみたいだけど?」
普通、タロットカードはその結果を見ることしかできない。でも、この星形スプレッドでは、最後に質問者が結果を受け入れるか、別の可能性を探すかが選択出来るとのことだった。最後に一枚、追加でカードを引くことで、その時点での結果を「拒否」し、新たに出たカードの内容を「結果」として選択することが出来る。ただし、その内容は予測ができない。前よりも悪い結果が出ることもあるし、意味不明なカードが引かれて前の結果が強引に適用されることもあるとか。でもその辺、運命次第なのは変わらない。
その説明をするが、斉藤は、
「いや、いいって。よくわかったから」
と話をまとめ、終了としてしまった。
記念すべき部外での占い第一号。途中、解釈に躓いたことなど反省点はあるけど、いっぱしのタロット使いに近づけたようで、少し嬉しい様な気がした。
ただ、同時に人の問いかけに答えることに、内心ちょっと抵抗を感じていたのも事実だった。ただの占いと割り切ってしまえばいいのだけど、途中、斉藤が反応して静かになったことについて、なんだか喜ばれないことをしているような気持ちになってもいたのだ。
「占いは質問者と一緒に形作る物よ」
斉藤との占い結果を報告すると、坂下先輩はそう言ってくれた。テレビなんかで見る偉そうな占い師のイメージしか無い自分には、目からウロコ的な言葉だった。
「例えば、質問者が希望することと全く真逆な結果が出たとするでしょう。それを伝えるとき、どんな風に言うかは大切なことよ」
そうでしょうねえ、と、言葉を受け取る。
例えば、事故とかに遭って命を落としそうという暗示が出てる人に、「あんた死ぬよ」とストレートに伝えるのは明らかに間違っている。ってか、バカだと思う。そういうときは「事故に注意、結構本気で」と言った具合に、受けとる側がどう思うか、それを考えて伝えることが大切だと思う。
斉藤との話の中では”ペンタクルの七”が出たとき、伝え方を考えるべきだった気がする。「もの凄い壁を感じているとかない?」と聞いたアレである。でも、今のところそこまで気は回らない。大体、斉藤の抱えている問題というか悩みなんて、自分では解らないのだ。
占いの難しさは意外なところに潜んでいる。そんな気がした。
特に自分はそういう人の反応とか、自分が相手に厄介な存在になっているとかが気になる方なので特に。
ついでにふと思う。
「あの星型スプレッドって、最後のカードで否定できるんですよね?」
同じくその日の放課後、部室にて。坂下先輩に報告した折に、どうも引っかかってたことを聞いてみた。
普通、カードで見られるのは運勢だけのはず。自分が読んだ本でもそんな風にしか書かれていなかったと思う。それを最後のカードでやり直すというのは、やはり引っかかる。
それに対して坂下先輩は、こう説明してくれた。
「それについては諸説あるのよ」
その後の話を聞くところ、「やり直す」「否定する」というより「別の方向からの解釈を加える」と捕らえるのが普通ではないかとのことであった。が、他にもまた違った話があるらしい。
「とある質問者が、結果に納得できないとして「否定」のカードを引いたところ、それまでと全く違う内容が出て、そっちが現実になったという話があるのよ。でも、同じように「否定」のカードでそれまでと違うカードが出ても、そっちが効かなったという話もあるの」
「それって、単純に占いが外れたってことじゃないでしょうか」
「まあ、占いだしねえ」
身も蓋もない結論となった。
が、先輩は続ける。
「私もまだ勉強中だから詳しいことはわからないけど、その「否定」のカードについての解釈や論争は、世界中のカード研究家の間で未だに続いてる部分でもあるのよ。ただし、それまでの流れに影響を与えるという点では変わりないけど」
「なんだか、はっきりしないものなんですね」
「でも」
ひと呼吸置いて先輩が言う。
「そんな解釈の難しいスプレッドが何故誕生したのかが判ってないのよ」
「どういうことでしょうか」
先輩によると、さまざまなスプレッドが編み出されるようになった頃、今でも使われる「ケルト十字」、「スリーカード」、「ヘキサグラム」といったスプレッドとともに歴史に現れ、時の権力者にも重用されたものの、今そのスプレッドを使う者は意外に少ないとか。
「まあ、あまり一般には紹介されてないしね」
それは解る。僕も先輩に教わったからだ。
「そういえば、先輩はどこでこのスプレッドを覚えたんですか?」
一瞬の間を置いて、先輩は答える。
「あたしは姉から教わったの」
以前もなんとなく話にくそうにしていたのを思い出す。「なるほどー、そうなんですね」で話を終わらそうとしたものの、先輩はその後を続ける。
「うちの姉は結構深くカードの勉強しててね、洋書なんかも取り寄せて読み込んだりしてたのよ」
「プロの占い師さんみたいですね」
「まあ、ね」
そう言って言葉をにごす。やはり、聞いてはいけない話だったか。
するとそこに、
「琴子先輩の話?」
と、仁野先輩が入ってきた。
「琴子先輩、タロットの達人だったものね」
先輩は知ってるようだった。
「坂下先輩のお姉さんって、ひょっとしてここのOGなんですか?」
僕の言葉を、こともなげに仁野先輩が返す。
「そう。コトちゃんの三つ上だっけ?」
「そうです。今、大学に行ってて、まあ相変わらずタロットカードやってるみたいですけど」
その後の話を聞くところ、坂下先輩の家はすでに出られていて、市内の大学に通いながら一人暮らしをしてるとか。
純粋に先輩後輩の仲である仁野先輩には懐かしい話のようだけど、微妙に話しづらそうな坂下先輩の姿が気になった。
斉藤の占いから少し経った試合当日。占った責任という訳でもないけど、張本人である斎藤に連れられ、同時にクラスの何人かで応援に行ってみる。まだ知りあって時間の浅い自分たちにはこういうイベントはありがたいのかも知れない。
「お前の占い、先輩方も爆笑だったぞ」
斎藤がそう言って笑う。ああ、喋ったんだとちょっと居づらくなる。でもここは市営の競技場。逃げる場所もなく、普通に観客席に陣取り、みんなでお茶でも飲みながら大人しく応援となる。
試合開始。
グラウンドでは我が校のチームと相手校のチームが入り乱れてボールを飛ばしあう。相手のチームは結構手馴れた選手が多いらしく、器用にボールをつなぎ、こっちのゴールへと果敢に攻め込んで来る。その度にサッカー部の応援団も気合入れた応援をする。なんとか持ちこたえながらも、試合は熱を帯びてどんどん盛り上がってくる。ちなみに問題の二番の先輩はグラウンド半ばくらいでウロウロしている印象。今ひとつ試合に入り込んでいるようには見えなかった。
なんとか我が校のチームも守り通し、試合前半をゼロ対ゼロで終わる。
ハーフタイムの時間、斎藤と話をする。
「勝つんじゃなかったのかよ」
そう言われても占いだし。と、やり過ごす。
前半の攻防から察するに、相手チームはこれでウチのチームの感触を知り、後半に活かすんじゃないかという気もする。実のところ、どうなるかわからないけど。
「じゃあ、頑張って」
そう言い残して僕はふたたび応援席に戻る。前半とメンバーは変わらず、後半は今までの雰囲気を引きついでそのまま始まったかに見えた。
後半開始から十分ほどした頃、先方のボールが二番の先輩のもとに流れる。相手側応援席から「さっさと取り戻せ」の声が飛ぶ。が、次の瞬間、その二番の先輩はそのボールをキープしたまま、相手方のディフェンスをフッとすり抜けて敵のエリアへと上がる。突然のことに「おおっ!」と声が上がる。その後から味方チームのセンターフォワードも追いつき、フォローを受けながら二番の先輩がシュートを決める。ボールは微動だにできないキーパーの脇をすり抜け、ゴールに入った。
「おおおおお!」と「えええええ!」が同時に響く中で、僕自身も思わず呆然とする。喜ぶ自軍の応援団の中から、斎藤が「やっちゃったよ」と言わんばかりの表情でこっちを見ている。反射的に拍手して返すが、斎藤が周囲のやつに何か言ってるのも見える。あまり変なこと吹きこまないで欲しい。
試合再開後も目を疑うような展開は続いた。先方のボールを再度二番の先輩がカット、そのまま敵陣に駆け上がる。「うそお!」の声があがる中、フォローの選手も駆け込み、なんと二点目をゲット。
「二番、目を離すなよ!」と相手チームの声がする。が、そんな声も無意味なもので、その後も自軍からのパスをつなぎ、とうとう三点目も入れるという事態となった。二番の先輩のハットトリックだ。
たしかこの先輩、一度も試合に出たことがないはず。チーム内でも活躍する場所がなく、万年補欠として頑張ってたはず。それがこういった活躍を見せられるのは、それでもサッカーが好きで頑張ってきたからだと、何かの教訓的に話をまとめるのは簡単だ。いや、普通に考えてそうなんだろう。いいもの見せてもらいましたと、そんな気分に浸る。
あそこでチームのみんなにもみくちゃにされてる二番の先輩はどんな気分なんだろうか。ちょっと思いつかないが、その人ごみから外れ、信じられないものを見る目でこっちを見る斎藤がちょっと怖かった。
試合翌日、学校で斎藤に会うなりこんなことを言われた。
「お前、凄いよ」
「いや、ただの占いだから」
と、外れた時のために準備しておいた言い方で逃れるも、周囲からの視線はそれまでと違って思えた。なにより、明らかに何か特別なものを見る視線なのだ。
こういうのは二番の先輩を称える方向で行くのではないだろうか。ただ占っただけのやつが注目を集めるのは間違ってると思う。
占いの話は斎藤から同じ部の仲間だけでなく部外の人にまで伝わったらしく、その日の昼過ぎには数々の訪問を受けることとなった。
「占い研の照屋ってこのクラス?」
そんなことを言いながら何人かの先輩が来る。教室では目立つからと部室に移動しようとしたが、その間にも人は集まってきた。
ちょっと自分一人ではどうしようもなく感じ、みんなに待っててもらいながらヘルプの相談を坂下先輩にも持って行った。
「昨日の試合の噂なら聞いたけど、凄い人出ね」
そう言いながら部室に来てくれ、僕のフォローをしてくれる。同じ学年の人に「無理なことは訊かないで」などと話をしてくれたりと、こっちも大変助かった。
来てくれた人たちはほとんどが部の試合の予想だが、どの人も真面目なのは何か不思議に感じたりもした。自力ですればいいでしょうに、と。でも、そんな事はすでに分かっていて、それ以上に感じている不安なんかを和らげて欲しいということなのかも知れない。受験直前の自分もそうだったことを思い出す。
バスケ部の馬場先輩、野球部の山田先輩、テニス部の寺内先輩などなど、その他の件も含め占いの訪問はかなりの数に登った。
我が師匠、坂下先輩から
「あくまでただの占いなんだから、気楽にね。変な結果が出ても、気をもまないように」
とのアドバイスを受ける。ありがたく感じる。そして実際にカードを切ってみる。
まず、バスケ部。結果は接戦の上、負けるけど結構勝ちに近い感じと出る。
つぎに野球部。申し訳ないけど、ボロ負けと出る。
テニス部、どうも試合自体が見えないと出る。本当に行われるんでしょうか、と、そんな結果を告げる。
そして後日、それら試合の結果を聞くと、まずバスケ部は大接戦の上、フリースローで負けとなる。しかしながら後半、相手方のラフプレーが相次ぎ、それさえなければ勝てていたのではないかとの意見が大方の声だった。
次に野球部。初回に六点取られ、その後は必死に食らいつく内容。なんとかコールドは免れたが、監督の雷が落ちるほどの負けっぷりだったとか。
そして最後にテニス部。市営バスで移動中、大きな交通事故に巻き込まれ交通が不能。現地にたどり着くことも出来ず、試合自体が流れたとのこと。
最後の話を聴いた時にはさすがに背筋が凍るような思いを味わった。そこまでピンポイントで当たる物だろうか。でも、これは現実。同時に、占い研の新人が神がかってるとの噂まで流れ始めた。
そしてまたある日、珍しく顧問の先生が顔を出した。
「みんな、いる?」
そう言いながら入ってきたのは、入学式の朝、橋の上で僕に声をかけてくれた先生だった。ただ、あのときはちゃんとしたスーツを着ていたのに、今はジャージの上に白衣という姿だ。髪も無造作に束ねてあるだけで、あのときのような「ちゃんとしてる」感は無い。
物理科の神春美香先生。女性で二十九歳、色々と気を使うことも多いかと余計なことも考えてみる。ついでに占いを研究するサークルの顧問が物理学科の先生というのはどんなものなのか、自分のなかでちょっと引っかかりを感じる。占いは信じてないとの話だし。その割に部長の長期活動自粛も占い結果を理由に認めているとは、結構いい意味で融通きかせてくれる先生なのかも知れない。つまり、どんな先生なんだろう?
「あら先生、珍しいですね」
坂下先輩がそう声をかけ、いつものお菓子系オーラと共に迎え入れる。
二、三の世間話の後、先生がこっちに話の矛先を向ける。
「ところで、照屋くん? 占いが上手いんだって?」
「はあ、まあ当たると言われてます」
「女の子たちから恋愛相談なんかも来るって話じゃない」
「ええ、まあ」
思わず口が重くなる。恋愛占いの依頼は確かにあるけど、結果やその内容などについては坂下先輩から堅く口止めされているからだ。そもそもその手の話はまず坂下先輩のところに行き|(おそらく、同じ女子だから相談しやすいとか)、先輩から僕のところに回ってくる。そして、先輩立ち会いのもと、思い切り密室状態にした部室で行っている。相談内容は片思いが実るか、告白して想いは通じるか、別れそうなんだけどなんとからないか等など。場合により結構本気で泣かれることもあり、自分としても消耗が激しいし関わりたくない話ではあるんだけど。
「占い師の仕事の一つよ」
坂下先輩がそう言う。ならしょうがないな的に思ってるんだけど、今度は顧問の先生ですか。
思い切り何かを隠すかのような不自然さを漂わせながら先生が言う。
「先生の今後の運勢を占って欲しいんだけど。健康運とか金運とか。あと、親の介護とか」
あ、恋愛関係ではないんだと、ちょっと気が楽になる。その方向なら良い結果が出ればいいのになんて、ちょっと思ったところだったけど。だが、側にいた坂下先輩はなんとなく判ってますよ的な空気を漂わせてる。何のことかよくわからないままリーディングを始め、結果をそのまま報告する。
「健康が問題なしで、出世とか金運も今と特に変わりないみたいです。現状維持でしょうか。すみません、地味で。介護というか生活全般に関しては、なんでしょう。出会いでしょうか、これ?」
側にいる先輩に同意を求める。
「君が見たまま言えばいいのよ」
上手く逃げられた様に感じながら、続ける。
「えー、出会いというか、なにか出会いとか再会みたいなものがあるみたいです」
先生、ちょっと落ち着きを無くす。
「いやー、それはないな。仕事忙しいもの。学校と家の往復だし、休日は家でゴロゴロだしね」
それで二十九歳というのは問題ではないかと突っ込むのは失礼として。
「ご両親の介護は、すみません。ちょっとここでは見えないみたいで」
「あー、いいのいいの。金運と健康だけで。ありがとね」
そういうと先生は、何となく落ち着きのない様子のまま、物凄い勢いで去っていった。落ち着きが無くなったのは僕の占い結果を聞いてからだけど。
コレでいいのか疑問に思ったが、占いの質問者がいいというならそれはオールOK、問題ないとのこと。まあ、こういう日もあるよな的に自分の中では片付けた。
が、翌日。いきなりだけど神春先生が薬指に指輪を填めてハイテンションなのを見かけた。服装もジャージに白衣ではなく、白いブラウスに紺のタイトスカート。髪もセットして「ちゃんとしてる」感復活のイメージ。初日に見かけた以上にしっかりした印象だった。日替わりで印象が変わるような珍しい人だなと思ってもみたけど、それ以上に今の姿が不自然に見えるのは何故なんだろうか。
なんでも話を聞くと、昨日の占いの後、職員室で仕事を片付けて帰る途中、買い物に寄ったスーパーで大学時代に憧れてた先輩に再会したとのこと。お互い七〜八年ぶりの再会を喜ぶだけでなく、時間もあるとのことで一緒に食事に行き、積もる話の後で「実はお前が好きだったんだ」とか言われたとかで。さらに、「この先、もう離れたくない」とかで指輪が出てきたとか。ちなみに指輪はたまたま持っていた先輩さんのお母様の形見。それを薬指にはめ、ピッタリなのを確認して「やはり運命だったんだ」とウソ臭いほどドラマチックに盛り上がったとか。今週末には先生のご両親に挨拶に行くらしい。いくら何でも早すぎないだろうか。それに不自然。が、当事者の先生に言わせると、その辺は心配ないとの事だった。
ふと気になったのは、そのときの服装がジャージだったのではないかということ。まあ、結果が良ければ関係ないとも思うけど。
その神春先生に改めて呼ばれた。
「君、すごいね。まあ、ここまで当たってもあたしは占いなんて信じちゃいないんだけど」
重ねて思ってみる。なんでこの人が占い研の顧問なんだろうかと。
先生のファンらしい女子生徒に囲まれ、放課後の物理科準備室で男子一人という形で色々と尋問を受ける。一応、坂下先輩は付いてきてくれてるんだけど。
「何やって占ってるのよ」
そう聞かれても答えることは同じだ。目の前でやった通りだし。
「普通にタロットカードで占ってるだけなんですが」
「じゃあ、なんでこんなに当たるのよ」
「何ででしょう、本当に。たまたまとしか思えないんですけど」
すぐ脇で話を聞いていた坂下先輩が口を挟む。
「ここまで当たるのはさすがに不思議ですけど、でも、カードで内容を見ることしかしてないんですから」
「それじゃあ」と神春先生が言葉を返す。「この学校について何か占ってみて」
そう言われ、少々気が進まないまま、いつもの星型スプレッドではなく、坂下先輩に教わった単独スプレッドを試す。カードを軽くシャッフルした後に、一枚だけ引いて結果のみ見る簡単な占いだ。引いてみたところ、塔のカードが出た。大アルカナカードの中で嫌な印象を受けるカードの一つ。なにしろ、描かれている塔は落雷を受けて崩壊しているのだ。さらにそこから投げ出された人までいて、単体ではあまり良いイメージは見えない。余談だけど、アメリカ同時多発テロの直前にも、世界中のタロット占い師達が不自然なほどこのカードを引き当てたとか。こういう嫌なイメージはどう伝えていいのか、一瞬躊躇する。そのまま伝えて人を不安にするのは云々。
「なんだか、塔なんて出たんですけど。どこか壊れるとか爆発するとか」
冗談っぽくそう言った次の瞬間。
ボフッ! という破裂音。
ガシャーン! というガラスの割れる音。
鈍いながら大音量の破壊音が響いた。
間髪いれずに非常ベルが鳴り、一緒に準備室にいた女子の先輩達が悲鳴を上げる。校舎中、あちこちで騒ぎ出したようだった。
「ちょっと照屋くん、何してるの!」
「待ってください先生! 僕ですか、これ!」
騒然とした校内、少しの間をおいて校内放送が流れる。
学食で爆発があり、現在その対策を行うとともに、生徒は避難するようにとの事だった。
「とにかく、早く校庭へ出ましょう」
先生よりもしっかりしている坂下先輩の仕切りで、物理科準備室を後にする。放課後のためか残っている生徒もそんなにはおらず、みんなザワザワと話しながら校庭へ向かう。僕は無言のまま歩く。その側では坂下先輩が気遣ってくれているのか、「怖いわね、何の原因かしら」と話しかけてくれていた。でも、僕自身がなんだか混乱していて上手く返事が出来ない状態だった。
一夜明けて、僕は学校中の有名人となっていた。それまでも占いの上手いヤツとして知られてはいたが、ここまで来ると別次元の怪しい目で見られるのも無理はないと思う。神春先生の準備室で一緒だった女子の先輩方が広めてくれたんだろうか。おかしな噂が飛び交っているような空気を感じていた。
朝、よく顔を合わす同じクラスのヤツに昇降口で声をかける。でも、返事はひきつっている。「うわ、遭っちゃったよ」な雰囲気である。あちこちでヒソヒソと囁かれるような気がしている。
クラスに行く。斎藤も野々宮も普通に接してくれるけど、なんとなく退いているのは手に取るように分かる。何せ表情が硬い。それに空気が重い。
「昨日、学食が爆発したって?」
空気を読めないやつが一人、普段と変わらない調子で話しかけてくる。それに乗ろうとしたが、
「……バカ!」
誰かからか小声でたしなめられ、そいつは口をつぐむ。
さらに空気が重くなる。
犯人扱い。冤罪。そんな言葉が頭を駆けまわる。
正直、僕は関係ない。カードを読んだだけだ。でも、流石にここまで来ると気持ちは折れそうだった。
「ちょっとトイレ」
一言そう言って教室を後にする。
そのまま律儀にトイレに行くも、あの空気をどうして良いか自分でも分からない。こういうときは坂下先輩を頼るところだけど、流石に今のこの状況で頼るわけにはいかない気がした。
授業までどうしようか考え、いたたまれない気分のまま部室に行ってみた。部室は鍵がかかっているはずで、それでも足が向くのは自分でも不思議だった。
黙って人のいない渡り廊下を歩く。
部室の戸は開いていた。誰かいるのだろうかと半開きのドアから中を伺うと、そこには鳥居先輩がいた。
おそるおそるドアを開けた自分に気づくと、先輩は振り返り、無邪気な笑顔を向けてくれた。
「おお、有名だな」
胸のつかえが取れるのを感じながら、部屋に入る。
言い訳をするつもりは無いけど、どうしても口が開く。
「自覚も無ければ経緯も理由もはっきりしないんですが。なんとなく濡れ衣の雰囲気は感じますけど」
「気にすんな。今のうちだけだ」
そう言いながら先輩はどくだみの鉢植えを黄色い布で撒いて窓辺に吊るしている。
「何してるんですか?」
「風水」
「見てていいですか?」
「ご自由に」
やってることは意味不明ながら、こうしてのんびり受け入れてくれるのはなんとなく嬉しかった。
部屋に入り、適当な椅子に座る。
先輩の作業は風水とか言ってたけど、それ以前に窓辺にそんな物吊しては危ないんじゃないだろうか。
その先輩の作業の間、その姿をぼーっと眺める。この人は何でこのサークルに入ったんだろう。他にも軽音でバンドやったりしてるのは聞いている。自分の占いではないけど、ここはやっぱ変な人が集まる部屋なのだろうか。
そのとき、急に、
「新聞にも載ったみたいだな」
と、先輩。昨日の事故の話だ。
「そうですね」
少し抑え気味そう答えると、先輩は手を休めてこっちを向く。
「何だ。気にしてるのか」
「まあ。何だか僕がやったみたいに言われてるようですし」
「”その通り! すべて俺様の特殊能力さ!”とか、やったら面白いのに。王冠とマントとひらひらしたピエロカラーも付けてさ。あと、”闇の力の継承者”とか書いたタスキも。魔法少女みたいなステッキも持って、ついでに顔に髭も。それと土佐犬連れて、新巻鮭持って」
この言いっぷりが先輩だなあ、と少し笑う。
「どんなイメージですか」
「偉そうなイメージ」
「偉そうなんですか、新巻鮭とか」
「偉そうじゃないかな、新巻鮭」
先輩はちょっと考えて、「うむ。偉そうだよ。”さあ、お食らい!”とか全身で挑発してくるみたいだ。それ持ってるヤツにも特上のドヤ顔が似合うな」と結論づける。
斬新な鳥居理論を聞き、何だか気が軽くなる。
ちょっと相談してもいいような気になった。
「何なんでしょうね。自分のこの能力って。些細なことが普通に当たるだけなら自分で喜んでられるんですけど、なんだか本当に自分でやらかしてるみたいで」
「でも違うんだろ?」
簡単に返す先輩。
「そうですけど」
「じゃあ、気にするだけ無駄じゃん」
僕が無言でいると、先輩はこんなことを言った。
「お前はどうしたいんだ?」
そう聞かれて、やはり答えを返せない。そんな僕を見て、先輩は言った。
「当面、まず慣れとけ。慣れて落ち着け。ふざけたり遊んだりお茶目するのは落ち着いてからじゃないと失敗するぞ」
別にふざけたいわけでも遊びたいわけでもお茶目したいわけでも無いんですが。
そんなことを思いながらふと入り口を目を向けると、赤い縁のメガネが薄い笑顔で覗いてるのが見えた。反射的に椅子を蹴り倒して立ち上がり、ドアに駆け寄って、開ける。
「野々宮ー!」
「へっへっへっへ」
「何してるんだよお前!」
「お愉しみの所邪魔しちゃいましたかねえ。へっへっへっへ」
さっきまで教室で変な目で見る連中の一人だったにも関わらず、何をしているのかと。そう文句を言おうとした所、その後ろに立っている古賀さんにも気がついた。
「教室、戻ってきたら?」
そう言われて言葉に詰まる。ちょっと戻りづらいのは判ってもらえるような気がしたんだけど。そう言おうとすると、
「みんな、もう何も気にしてないよ」
古賀さんが続ける。
「照屋くん出てった後、斎藤くんとかみんなが話しして、爆発事故ったって照屋くんが直接なにかしたわけじゃないんだし、自分から変なこと始めるやつじゃないってみんな判ってるだろって話してて」
「そうそう。気に病んでそうだからアンタ連れてこいって、みんながね」
それで占い研のこいつらが来たという事か。
背後から先輩の声がかかる。
「これ持ってけ」
そう言って渡されるのは経済新聞。やはり意味不明だが、この先輩のすることだからとそのまま受け入れる。
教室に戻るまでの間、ずっと無言だった。そして教室に到着。物凄い異質な空気がまたかかるかと思いきやそんなことはなく、こっちを放っておいてくれる雰囲気があった。僕の手元を見て斎藤が言う。
「新聞くらい教室で読めばいいのに」
「お前が騒ぐからだろ」
側にいた奴に突っ込まれ、その場が笑いに包まれる。
僕も自分の席に座り、ちょっと周りを見る。
みんながみんな受け入れてくれる感じではないが、さっきほど居心地を悪く感じることはなかった。ふと野々宮と目が合う。軽く笑ってくれる。こっちも普通に笑顔になる。
「昨日のアレ、現場検証やってるんだろ?」
斉藤のすぐ後ろのやつが言う。
「そうじゃない? なら何が原因かすぐわかるだろ」
と、斉藤。
「ガスとかかな」
僕がそういうと、そんなところだよなと、その場のみんなが合わせてくれる。
「怖いよね」
誰かがそういう。同意し、そういうトラブルをたまたま拾ったのが自分であっただけだと考える。
手元の経済新聞には何故かガス会社の連結決算に不正があった件が書かれていた。これも何かに関係してるんだろうか。いや、いちいち考えるのはやめておこう。そう思ってみた。
でも、この事故の話と僕の占いの話は外部にも漏れているのか、登下校時には妙な視線やら人影を感じる事になった。特に、登校時の電車内や駅、通学路全般にわたり、妙な緊張感がある。人目を感じるというレベルではなく、見張られているといった感じだ。
とある日の昼休み、特にやることは無かったが部室に行ってみた。たまたま斉藤が風邪で休み、一人でぼーっとしててもつまらなかったのだ。
部室は開いていた。実は常に誰かいるんじゃないだろうかという気もしてくる。ドアを開き中に入ると、奥のパソコンの前に仁野先輩がいた。何故か白衣を羽織ってるが、実験授業とかの後なんだろうか。
「あ、照屋くーん、お疲れー」
ビジュアル通りの子供っぽい声にちょっと気が休まる気がした。
「お疲れ様です、仁野先輩。何してるんですか?」
部室の先輩はパソコンで作業中。自分の作ったホロスコープのプログラムにバグがあったとかで、その修正をしていたらしい。自宅作業の続きをUSBメモリに中身を入れて持ち込み、部室のPCで続きをしているとか。
そのまま作業を続けてもらいながらも、部室にある占いの雑誌を手にする。パラパラとページをめくりながら、カタカタをキーボードを打つ先輩が気になる。
変わった人が多い中、この先輩も何か特別な力でも持ってるのだろうか。あまりよく知らないなと思ったこともあり、軽い気持ちで聞いてみた。
「先輩はなんで占いを始めたんですか?」
手を動かしながら、先輩が答える。
「小さい頃に飼ってたペットが死んでね」
嫌なこと聞いてしまったかと、一瞬後悔する。でも、遅い。
「それで運命とかに興味持って、そういう話を色々調べてたのよ。でも子供向けだから浅い内容の本しか無くてね。で、ある日、星座占いじゃなくて占星術というものを知ったの」
その言葉に引っかかりを感じ、訊いてみた。
「星座占いって、占星術じゃないんですか?」
先輩はパソコンから目を話し、こっちを見る。
「照屋くん、占い研のメンバーが何言ってるの?」軽く笑いながらも、その目は本気だ。「まあ、しょうがないか。こういうの細かいのもあれだし」
先輩の話によると、星座占いと占星術は似て非なるものだそうで。占星術は生まれの日時だけでなく時刻や場所までを元にホロスコープを作成し、それをもとに性格や運命を判断するもの。星座占いはその大雑把な要素だけを抜いたものだそうだ。それこそ。寿司とおにぎりくらい違うとのこと。判ったような判らないような。
「どっちにしろ怪しまれるのは変わらないけどね」
そういう先輩の話によると、占星術は遡れば紀元前のメソポタミア文明まで行くとか。古来から星や太陽の動き、月の満ち欠けは人々の感心を集めるものであり、法則に基づいて動くそれを神聖視して様々な人間界の事象に結びつけるのも当然の流れだったとか。でも、占星術が今の形になったのは意外に遅く十九世紀頃。それでも古来からの人類の叡智の一つであることは変わりなく、第二次大戦中には著名な占星術師たちが戦略などに貢献したとか。
「怪しまれるのはタロットも一緒でしょ」
「まあ、そうですね。こっちは魔術団体とかも絡んでますし」
「さらに君は的中率高いからあちこちから注目されてるみたいだし」
「そうみたいですね。校内のどこにいても意識されてるような気がします。家かクラスかここくらいですよ。気を抜いていられるのは」
「本当。校外では特に凄い目で見られてるみたいだしね」
えっ? と思いながらも、学校外での視線や人影を思い出す。
「ネットで噂されてるでしょ。”ハマキチの呪術師”って」
それは初耳だった。この学校が”ハマキチ”と略されてるのも意外だったが、本人の知らない内に自分の噂がネットに出ているのも怖い物であった。
先輩にPCを借り、そのネット上の噂を見る。「的中率100% 運命を操る奇跡の高校生」、「神の子」、「悪魔のタロット使い」などなど。神なのか悪魔なのかハッキリしないのはどうでもいいとして、そこに書かれてるのは明らかに僕についてだった。あの爆発事故が新聞沙汰になったのはわかるが、それについて予言した奴がいいるとか、そいつは校内のスポーツ部の対戦結果を詳細に予言できるとか、有名アイドルのスキャンダルも予言してるなどの全く身に覚えのない話もあった。更には、それらはこいつが特殊能力で操ってるなどの話もあり、正直嫌な気分に浸る。
登下校時の僕についてのことや中学以前の話、自宅の住所まで特定されている。とあるサイトの写真には、目元すら隠されているものの、明らかに僕であると分かる写真まで掲載されていた。また、検索結果を見ると、外国語での表示も多数あり、恐ろしい広がり方を実感してみる。
自分が日頃見ているネットとは別の世界が広がっている。それを目の当たりにするのはかなりショックだった。
「君の周辺には何もなかった?」
「いや、登下校時とか、電車の中とかでなにか見られてるような感じとか人影はあったけど、これは初耳です」
「注意してね。占いを真に受けて人命が落ちることもあるから」
可愛い顔して物騒なことを言わないでください。
「どうしたらいいんでしょうか」
「そんなには気にしないのが一番でしょ? 慌ててなにかやったって、それでどうにかなるもんじゃないし。何か実害があったら警察に行くしかないでしょ」
ニコニコと幼い笑顔で飄々と話す先輩がちょっと信じられない。同時に、なんだか鳥居先輩に近い人に見える。だとしたら、ちょっと怖い。
ふと部屋のドアが開く。
古賀さんだった。
「あらお疲れ様ー。どうしたの?」
仁野先輩がそう聞くと、古賀さんは普通に先輩に向ける笑顔を作る。
「辞書忘れちゃって」
そういいながらテーブルの隅に置いてあった赤い辞書とプリントを手にする。
休み時間も残り少ないこともあり、僕も教室に戻ることにする。頭の中ではさっきの話題がぐるぐる回ってたけど、それは今騒いでもどうにかなる物ではない。
戻る最中に古賀さんに話しかけられる。
「何してたの?」
「特に何も」
気まずい沈黙。でも、僕の抱えてる気まずさと古賀さんの気まずさは違う気がする。
「ねえ、僕についてなにか聞いてない?」
「何かって?」
「なんか、こう。僕が呪術師的な」
「有名よ。みんな知ってるわ。でも、本当は違うんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ、いいじゃない。それより、初子先輩と何話してたの?」
「占星術の由来とか」
「うそ。何でそんな事言うの」
「本当だし、なんでそんな事言われなきゃいけないの」
僕の声を無視し、足早に走り去る古賀さん。なんて答えれば良かったのだろうか。それと同時に、この反応ってまさか、僕に興味を持っているとか? いやいや、それは自意識過剰というモノ。
悩みが倍加する。こういうのも自分で占ったり出来るんだろうか。でも、占い師は自分の運命は自分で占えないというけど。
どうしようも無い気分のまま、教室へと戻った。
放課後、自宅に帰ると、妹がやってきた。
日頃からあまり話すことはなく、たまに口を利いてもバカにした目でイヤミやら当てつけを言いながら離れていくのだから、あまり話す気にもならない。
でもそのときの妹はちょっと違っていた。何より、表情が結構真剣というか、思い詰めたような顔をしていた。
「ねえ、ちょっと話があるんだけど」
「何? ここでいいよ」
自分では玄関口で軽く聞いて、すぐ部屋に戻ろうと思っていた。が、妹は簡単に済む話ではないと主張する。それでこの表情か。
僕は制服のまま妹に連れられて居間まで行き、ソファに腰を下ろす。反対側のソファに妹が座る。改まって何の話かとも思うが、なんとなく聞かれることは見えるような気もした。
日頃見ない真面目な顔で妹が口を開く。
「”ハマキチの呪術師”ってあんたでしょ」
ああ、やっぱり。やはりネットで言われている話である。誰が知っててもおかしくないのだ。
「そうみたいだけど。自覚はないけどな」
「写真の載ってるサイト見た? あれ、駅前のコンビニのところでしょ」
仁野先輩に見せてもらったサイトにそんな画像があったのを思い出す。僕の目元は隠されていたが、明らかに見覚えのある光景だったこともあってすぐに解った。
こんな風に特定されていては、身内として気が気ではないだろう。申し訳なく思う。
「そうじゃないかな」
とりあえずそう答える。そして、「さあ文句でも何でも来い!」と、心でつぶやく。
だが、その予想に反して、妹は目を輝かせた。
「すっごいじゃない! いつの間にそんな特技身につけたの! 教えてよ」
「はあ?」と拍子抜けする。こいつが何を喜んでいるのかが解らない。怖くないんだろうか。
「教えるって何を」
「タロットカード。それ使って何でも操るんでしょ?」
「そんなこと出来るかっての。そんなの、偶然に決まってるだろうって」
「じゃあ、何であんなに当たるのよ」
訊き方がみんな一緒だよなと思ってみる。
「知らないよ。でもそうなるんだからしょうがないだろ」
「ねえ、テレビとか出ないの? 先にネコ動の生主とか」
「やらないよ、そんな物。なんでやる必要があるんだよ」
「勿体ないよー。せっかくブレイクのチャンスなのに」
「何のブレイクだよ。ブレイクしてどうすんだよ」
話がかみ合わないことに頭が痛くなり始める。
「だって、みんな言ってるんだよ。友達なんかも「これっていずみ|(妹の名前)のお兄さんでしょ?」なんて言ってくるし」
「だから何を言ってるんだって」
「凄いって」
とりあえず落ち着くことを提案して、冷蔵庫に麦茶を取りに行く。この会話の着地点というか、向かう先が解らない。それに、やはり身の安全が気にならないのだろうか、というか、ネットに晒されているということを不安に思わないんだろうか。
グラスを二つ持って居間に戻ると、妹は携帯をいじっていた。あまり変な使い方しすぎると親にもばれるというのに、それも気にしないんだろうか。なんだかこの図太さが羨ましく思えたりもする。
その妹がまた言い出す。
「海外の秘密組織にも狙われてるって本当?」
さらりと凄いこと言ってくれる。そして手にした携帯を見せてくれるが、その画面に表示された噂サイトには、そのハマキチの呪術師を巡って海外の秘密組織が動き出したとの話が載っていた。突然のことにまた頭が重くなる。
「凄いよねー」と無責任に言い放つ妹に、もう何も言う気は起こらない。
でもこんな物は普通信じない。だいたい、秘密組織がやってることが秘密でなくなってるって何だよ。
正直、以前の自分だったらこういう話も少しは楽しめていたのではないかと思う。でも、いくつかの本気で困る事態に巻き込まれると意識は変わってくる。ここ数日で身にしみたと言った感じだった。
その困った事態など人生で一度も体験したことの無いだろう妹は、まだ続ける。
「あー、あたしも何か覚醒しないかなあ」
何の夢を見てるんだか。
「普通に勉強してろよ。来年受験だろ」
「うん。ハマキチ受けるから」
「言っておくけど、レベル高いからな。うちの高校」
「大丈夫だよ。あんた受かったんだし」
「僕がどれほど努力したか解らないようだな」
「知らない。どのくらいしたの?」
「まあ、可能な限り一生懸命かな」
「その程度ね。オッケー。やる気出てきた」
勝手にしなさい、と一言告げてソファから立ち上がる。
「待ってよ」などと言いながら後をついてくるけど、もう相手にする気はない。
僕の部屋の前まで来ると、
「ねえ、タロットの本とか読んでたんでしょ? 貸してよ」
と、まだしがみついて来た。待ってろ、と一言残し、部屋から自分の読んでた入門書を持ってきて渡す。古本屋で買った「やさしいタロット入門」とかいう超初心者向けの本である。このくらいならどこでも手に入る。
「これで覚えたのね」
そう言って喜ぶ妹。
「でも、そんな物ばかり呼んでたら、確実に高校落ちるからな」と、一応言っておく。
すると、
「そのときはあんたがタロットで受からせてよ」
と、やはり何も理解していない回答が返った。
翌日の放課後、部室ではペーパーの編集会議となった。四月分は記事のストックといかにも新学期的な挨拶、占いスペースの拡大で簡単に出せたけど、そろそろ新しい記事を書かないといけないとなった。普段はラノベ研で漫画書いたりしてる野々宮も部室に呼び、坂下先輩、ネム先輩、僕、そして古賀さんと五人での話し合いになる。ちなみに、新入部員は僕を含めた三人の他に隣のクラスのヤツもいたはずだが、なぜか出てこなくなっているらしい。事情は分からないけど。ってか、考えたくないけど。
「先月までの発行で手順とかは判ったと思うけど」
司会役は坂下先輩だ。
「今月から自分たちで記事を書くことになるからね」
「グラビアはやらないんですか?」
そう声を上げるのは野々宮だ。こいつの入部目的はそれだけなんだろうか。柔らかな困り顔で眉をひそめる先輩。
「ああいうの、真に受けないで」
「いや、でもあえてやってみるのも手じゃない?」
そういらぬフォローするのはネム先輩。この先輩と野々宮が当面倒すべき敵と言うことか。
「ネムちゃん、学校の部活だからね?」
坂下先輩がそう取りなすが、変な盛り上がりのシスターズはそっち方向へ一目散に走りだしそうな勢いだ。僕はその会話に入り込めず、ただ座って聴いてる。ふと気づくと古賀さんと目が合う。でも、視線はすぐに外される。昨日のことを引きづっているんだろうか。
とりあえずネタ探しということで、新人三人でネタ集めに行くこととなった。校内で動こうかと考えたが、僕が変な目で見られていることもあり、校外を当たることにしようとなった。
「いつもは校内のことを何か書く所なんだけど、今は、その……まあ、色々あるんで校外のことを取り上げようと思うの」
坂下先輩が思い切り言葉を選びながらそう言ってくれる。申し訳ないけど、ありがたいんだかどうなんだか。
「とりあえず駅の方行ってみる? 工事中の県道の方とか」
そう尋ねると、無言で他二名の一年生メンバーが立ち上がる。一応鞄も持ってるってことはそのまま帰宅する気でもあるんだろうか。自分もだけど。
「でも何書く気なのよ?」と、野々宮。
特に答える言葉も見つからないまま、昇降口を出て校門の方へ歩く。
グラウンドの脇を通る時、陸上部が何かやってるのを見たが、ああいうのを取材するのではいけないんだろうかと思ってみる。それをそのまま口にすると、古賀さんから回答があった。
「怖がられるんじゃない?」
確かにそうだと思う。すみません。
入り口付近にある大岩のオブジェを過ぎ、校門を出て橋を渡ると、通りの先に駅ビルが見えてきた。横断歩道の少し手前で立ち止まり、そこでまずデジカメをパチリ。
「何撮ってるの?」
「いや、取り敢えず何かと思って」
下手な言い訳してると、少し離れたところからこちらの様子を伺っているらしい人影が見えた。一見普通の若い学生さん風だったが、どうも雰囲気が違うような気がした。
「ねえ、ちょっと」
野々宮から声がかかる。
「私達、何か見られてるんじゃない?」
少し緊張気味の声で話しかけてくる。
「そこの喫茶店に今見えた人なんだけど、なんだかこっちの写真撮ってたような気がするんだけど」
「気のせいじゃない? または、吉祥高の生徒の写真撮ってたとか」
古賀さんがそう言う。が、
「いや、何かいるよ」と僕が声を挟む。「今、あのコンビニの脇あたりにこっちを伺ってるような人影が」
言いかけた途中で、古賀さんが僕と野々宮の手を引いて早足で歩き出す。
「どうしたの?」
野々宮の問いかけに「シッ! 静かに!」と短く答え、変わる直前の信号を渡り切る。「あたしにも見えた。なんだか不自然な外人がいる」
そのまま速歩きで駅の方へ向かう。途中、後を向くが誰も居ない。追っ手はプロということだろうか。でも何で。やはり僕の占いか。
駅前の自転車放置区域につく。この辺の様子を取り上げ、「放置自転車をなくそう」的なものを書こうと思ってただけに、一枚写真を取る。その間、野々宮と古賀は周囲を伺う。
「またいたよ」と古賀さん。「さっきと違う人。明らかにこっち見てる」
野々宮が言う。「どうしよう」
取り敢えず放置自転車の写真は撮れたので学校に戻ろうとするが、その方向を見ると数名の外国人グループが近づいてくるのが見えた。みんなこっちを見ている。反射的にデジカメを向け、シャッターを切る。
「何やってんの!」
古賀さんの短いつっ込みをきっかけに、僕達三人は反対方向の駅ビルへと足を早める。
「こっちからも!」
野々宮が言う。また違う方向から、こっちは日本人だろうか。やはり普通とは違う雰囲気を湛え、向かってくるのが見える。そのうち一人はケータイか何かでどこかと連絡をとっているようだった。
僕達は早歩きから駈け出し、結構本気でその場から逃げる。
駅前のロータリーを横切り、交番の前を通って駅ビルの中へ。そのままお巡りさんを頼れればよかったけど、巡回中の看板がかかっていた。
一階のスイーツショップやファストフード店などが軒を連ねるフードコートを通り、奥のエスカレーターを上る。その最中にも後を振り返ると追っ手は増えたように思えた。って、今や本当によく分からない人たちに追われている状態になっていた。
仁野先輩や妹に見せてもらったサイトで浜治市の”神の子”を巡り、各国の秘密機関が動いてるという話があったのを思い出す。あれは本当だったか。でも冗談じゃない。
追っ手の姿がはっきりと分かるようになってきた。それだけみんな人目を気にしてられない状態になってきたということか。一見普通のサラリーマン風に見える人が目を吊り上げて僕らを追ってきている。その後ろに迫るのは浅黒い肌と艶やかな髪のインド人ではないだろうか。一目で白人と分かるトレーナー姿の人や、革ジャンを着てリュックサックを背負った黒人もいる。みんな普通の人の姿をしているが、根本的にどこか間違った印象がある。そして、そんな人達が真剣に追いかけてくるのは、正直生きた心地がしない。
突然、轟音が響いた。駅ビル一階のガラス扉をバイクが直撃する。ガラスの割れる派手な音、悲鳴。さらに外国語の叫び声も聞こえた。アレはアラブ圏の言葉だろうか。僕達三人はできるだけ意識しないようにしてそのまま逃げる。
二階の家電売り場、スポーツ用品店などを抜け、奥の非常階段を駆け上る。野々宮と古賀は息を切らせ苦しそうだ。でも、何処かへ置いていけるとは思わない。どこかに逃がしたとしても、ちゃんと逃げられるかも分からない。
心臓が早鐘を打ち、息も切れてきた。非常階段を駆け上り、五階までたどり着く。が、逃げ道はそこで行き止まりとなった。鉄の扉が重く閉ざされ、開くような気配はない。あわてて何度か叩いてみる。が、反応はない。だいたい、こんなところに人なんているわけ無いのだ。自らを袋小路に追い込んでしまった失敗を悔やむ。
無言ながら何か言いたそうな野々宮と古賀さん。僕もどうしていいのか分からない。
階下から何かが上ってくる音が聞こえる。僕らは身を寄せてお互いをかばい合う。いや、こういう場合、男である僕が前に出るべきだろうか。傍らに落ちていたビニールのパイプを手につかむ。野々宮もそうするが、それで何かなるようには思えない。いや、それを言うには同じ武器持ってる僕もなんだけど。
僕が前に立ち、背中で野々宮と古賀さんを守るような形になる。
階下からの足音は徐々に大きくなり、話し声、しかも外国語も聞こえてきた。もう間もなく、僕らはこいつらに捕まるのか。で、どうなるのか。って、自分ひとりが目的なら、こういうときでなくもっとスマートに捕まえない? 下校するとき大抵一人だよ? でも今そんなこと考えても意味はない。
非常階段の下に、追っ手の影が映る。思わず後ずさると、そのまま三人で後ろに倒れこんだ。
鉄の扉が開いたのだ。
助かった。
そう思った次の瞬間、警察犬を思わせる精悍な男が数名、扉の内側から非常階段の下へと飛び出していった。そして、乱闘する音。あまりのことに話ができず、三人で呆然としていると、背後から声がかかった。
「危なかったわね。さ、こっちよ」
そう言って紫のネイルをつけた手を差し伸べてくれた人には見覚えがあった。
それはあの占い師、シスター・ロマだった。
扉は再び閉じられ、中から再び鍵がかけられた。追っ手からの逃亡はそこまでとなり、扉の外から聞こえる音が現実味のない物に思えた。取り敢えず助かった。そう思ってはみても、現状が把握できない上に何が起きているのか自分でもよくわかっていない。
でも助かったことについては良かったのかと思う。
古賀さん、野々宮と顔を見合わせると、それまでの緊張の糸が切れた古賀さんがヒステリックに声を上げる。
「これ、照屋くんのせいでしょ! どうするのよ!」
そんな古賀さんに声をかけて落ち着かせるのはシスター・ロマ。興奮気味の彼女の頭をなで、ハグし、その心労をねぎらいながらすぐに静かにさせていた。さすが歳上と言ったところだった。もう一人の呆けた表情をしてた野々宮も落ち着かせ、そして彼女らに言った。
「あなた達、取り敢えず今日はここから帰りなさい」
シスター・ロマの声に女子二人は顔を見合わせる。
「学校に?」
野々宮がそう聞くが、シスターは穏やかな口調で続ける。
「いえ、家まで送るわ」
どういうことか聞こうとしたが、次の瞬間にはスーツ姿の女性が二人現れ、同級生二人を連れていった。突然の事に反応が出来ず、黙って見送る。さっきまで「守らなければ」なんて思っていたのに。
「あの、アイツらをどこへ?」
「家に返すだけよ。君は心配しなくていいわ。責任持って送り届けるから」
こともなげにそういうシスターに言いようのない不安感を感じる。
「あの、あなた達は何なんですか? あと、あの人たちも」
「知りたい?」
そう言ってニヤリと笑うシスター。背筋がゾクリとする。
「まあ、君は全部説明しないといけないから、ちょっと待っててね」
そう言われ、椅子に座らされる。シスターはすぐ戻る旨を口にし、部屋を出ていった。
一人になった部屋で、今の状況を整理する。いつの間にか荷物は途中で落ち落とし、手元にはデジカメしか無い。ケータイとか教科書とか大丈夫だろうか。その辺はどうなるのか。大体、なぜこんなことが起こってしまったのか。ひとつひとつ考えるととてもじゃないけど、落ち着いていられない。世界征服のようなおかしな企みに巻き込まれてしまったんだろうか。それにしても、いつの間にか自分の身に付いているおかしなことも含め、腑に落ちないことは山のようにあった。これを説明できる人間はどんな人なんだろうか。
そんなことを考えていると、部屋のドアが開いた。そして入ってきたのはシスターと、スーツを着た小柄な中年の男性だった。
「はじめまして、だね。照屋くん」
声の感じは見た目よりも少し年齢が行ってるような印象があった。実はかなりな高齢だとか。
「色々あって驚いただろう。でも、もう我々が君の身柄を確保した。安心して欲しい」
「あの……」気をしっかり持って聴いてみた。「一体、何だったんでしょうか。自分もよくわかってなくて。ただ、カード引いただけの結果なのにこれだけ色んな事が立て続けに起こって、正直もう何が何だか判らなくて」
それまで自分でもかなり意識を押さえていたんだと思う。出来れば抑えておきたいことが次々と口をついて出てきた。
「おかしいですよね? まだ解説の本読みながらじゃないと意味も取れないような初心者なのにこんな変なことばかりどんどん引き当てちゃって」
「キミは」その人が言う。「人間にはみんな同じだけの運があると思うかな?」
急な問いかけに、なんて答えたらいいのかわからず、黙ったまま間抜けな時間を作ってしまう。
「そんなことはないな。それは普通に世の中を見ていれば判ることだ。例えば、生まれてからずっと不幸のどん底で、そのまま何の苦労も努力も報われないまま死んでいく人がいる。その反面、生まれてから苦労という物を知らず、一生安泰な生活を送る人もいる。それが現実なんだよ」
急な話に言葉を返せないでいると、シスター・ロマが声をかけてくれた。
「落ち着く方が先かしら? 部長?」
部長と呼ばれたその人は、「ああ、失敬」と一言いうと、僕の前の椅子に腰を下ろした。その座り方にも育ちの良さというか、自分なんかじゃ真似できそうにない上品さが伺える。
「部長……さん、ですか?」
僕がかろうじてそう声を出すと、「そうだな、では”佐藤”と呼んでください」とその人は言う。”佐藤”というのは、絶対に本名じゃないなとわかる。
「我々もキミのような特異分子がいることに、かなり驚いているのだ。キミは自分の能力についてしっかりとは気づいてないだろうが、これから言うことは紛れもない本当のことだ。そのことは判って欲しい。そして」一度、言葉を句切る。「キミが正しい心を持っていることを、我々も願ってやまないんだ」
「あの……、じゃあ、お聞きしますが、あなたたちって、何なんです?」
ようやくそれだけのことを口にすると、その人は落ち着いた雰囲気を崩さず、寛雅な表情のままこう言った。
「私たちは人間の幸運や不運が偏らないように、その工作を続けている機関だよ。我々の仲間は世界中にいて、様々な形で活動している。そして、主な活動内容としては、占い、まじないなどで一部の人間に運が集中しないように監視し、それを集めようとする人間にはそれとなく接触して人類全体のバランスを取ろうとしているのだ。キミはそれだけの能力を持ちながら、独占しようとしない事について、我々も胸をなで下ろしたところだ。あまりに寡占や独占が過ぎるようなら、我々が直接手を下す必要があったからね」
「そういう人っているんですか」
「いる。大勢いる。そして、そんな個人の欲にとらわれた者が人々を不幸にした挙げ句、自らも不幸な自滅をしていく姿を何度も見てきた。人間は学習する生き物かと思ってはいたが、同時に”自分だけはそうならない”とうぬぼれる生き物でもあるようだ。実に残念な事にね」
「それと僕とどういうつながりがあるんでしょうか」
「キミがカードを読むという形で口にしたことは、ほぼ必ず実現する。九割五分は越えるだろう。そういう引き寄せをキミは出来るんだよ。同時に、キミが心に漠然とでも思ったことはカードという形で現れる。つまり、キミはカードを使うことで、何でも思い通りに事を動かせるんだ」
「信じられないんですが」
「私たちもよ」と、シスター・ロマ。「でもこういう能力を持った人って、必ずどこかにいるものなの。そして私たちのエージェントが働きかけて普通に暮らすようにしている。たまに失敗して、またはその人が自覚も何も持つことが出来ずに、自滅の道を歩んだりしているの。あなたも知ってる世界的なスーパースターにもそういう人はいるわ。自分でコントロールする方法が見つけられずに、桁違いの成功を手に孤独な最後を遂げたわ」
思い当たる節が結構あるような気がする。今はそれはいい。
「ぼくは、どうしたら良いんでしょう」
「それについては組織もプログラムを作成中よ。なにより、他のところより早く君を確保できて助かったと思ってるわ。中には君の力で何を起こすかも分からない人たちもいるしね」
さっきから追いかけてきた人たちのことを思い出す。明らかに外国人が混ざっていたのだ。日本に移民が増えたとしても、それが説明ではないような気がした。
「さっきの人たちの中には外国の人もいたような気がするんですけど」
「それについては、君はまだ知らないほうがいい」
そう言われて、言いようのない重いものを身体の中心に感じてみる。このまま普通に暮らすことはまずできない気がする。って、他のみんなは大丈夫なんだろうか。あの二人とか、部の先輩たち、家族とかクラスのみんなとか。
「とにかく君の身の安全は我々が保証する。君の周りの人たちも我々が」
そう言いかけた時、シスターがその話を遮った。そして、”佐藤”さんに耳打ちをする。妙な不安感が胸の内に広まる。
「あの、他のみんなも大丈夫なんですよね?」
つい声に出して聴いてしまう。
「大丈夫よ。心配しないで。ただ……」
シスターの声に妙な不安を感じる。
「ただ、君の周りにはそれだけにおさまらない特殊な人たちがまだ何人かいるようね」
鳥居先輩のことだろうか。でも、そのことは言わないでおく。
「とにかく、君はこの後、我々の話に従って欲しい。強制とか命令とかそんなことはしたくない。人は個人の意識に従って自らの運命を切り開くものだ。我々の組織もそう考えている。そんな中での君の人生を全うする方法を、見つけていこう」
そう言われてもどう反応していいものか困る。
自分の身柄はそこで開放となった。この後は普通に帰っても大丈夫だとの話だったが、ここに来なかったら何があったか分からなかったということでもあったのだろうか。
落としたと思ってた荷物はいつの間にか手元に戻ってきた。というか、シスターから手渡された。鞄とその中にあるケータイ、教科書、ノート類、文庫本など無事だった。御礼をいい、部屋を出てエレベーターまで案内される。
ここは駅ビルの中であるのは分かる。その中にこういう部署というかスペースがあるのは驚きだった。そしてエレベーターまで送ってくれたシスターが言う。
「判ってると思うけど、内密にね。連絡を取りたければ、占いの名刺にあったアドレスまでメール頂戴。名刺、まだ持ってる?」
そう言われて念のためもう一枚もらってみる。家にあるはずだけど、その辺、色々と自信は無くなってきていた。
シスターはあの時と同じ、占ってくれたときと同じような笑顔で送り出してくれた。
エレベーターの扉が締まり、表示が八階から徐々に降りていく。五階だと思っていたのが八階だったことに驚くが、そんなことも不思議に感じ無くなっている自分に気づく。階数の表示にぼんやりと浮かぶ自分の顔を見て、自分はどんな特技を身につけてしまったのかと漠然と思ってみた。
確かに人と違う特技を身につけたいとは思っていたが、
そんなこと考えてるうちに一階につく。エレベーターを降りると、そこにはさっき見かけた組織のエージェントらしき人、スーツ姿の女性がいた。一瞬、ギクリとする。
「お気を付けて」
一言そう送り出してくれる姿に、まだまだ見張られているような緊張感を感じた。