ウチに振り回されて!
テッラにとって街一番の酒場の舞台に立つくらい朝飯前である。
気のいい老人に語ったように、歌と踊りは誰にも負けないという自負があった。
テッラはただ酒場の前で踊って、歌えばいい。
そうすれば酒場の主人はテッラを喜んで舞台の上へ誘い、報酬の相談をするのだ。
今までもそうだったように、この街でもテッラは街一番の酒場の舞台の上で、伸びやかな歌声を響かせた。
夜と官能を歌い、その肢体の踊りで情景を思い起こさせる。
時折噂を聞きつけた男たちがテッラに呑み比べ勝負を挑んだが、すぐに彼らは机に突っ伏して夜道に投げ捨てられた。
歌と踊りと酒に愛された美女の舞台に、酒場は熱狂的な空気に包まれる。
と、店の一角が急に騒がしくなった。
ぼさぼさの伸びっぱなしの金髪の男が立ち上がって、テッラのほうに向けて酒瓶を振る。
新たな呑み比べ挑戦者の登場だ。
テッラは店の主人に了承を得ると、金髪の男を手招いた。
舞台の片隅に樽が置かれており、その上にはすでになみなみと注がれた麦酒入りの木の椀がある。
ここが呑み比べの舞台なのだ。
舞台に上がってきた男は上背はあるが、ひょろりとした頼りない風情に見えた。
「にーさんの挑戦は初めてやな。ルールはわかっとるか?」
テッラはやんやとはやし立てる周囲の騒音に負けない声音で男に問うた。
金髪の男はくたびれた身なりに反して澄んだ碧玉でテッラを見返す。
「ああ。とにかく呑んで呑んで呑みまくって、あんたより立ち続けりゃいいんだろ」
「そうや。でもわざとゆっくり呑まんほうがええで。ウチは構わへんねんけどな。周りのお客さんが納得せえへんやろ。へたれ言われたくなかったら、お互いぐいぐい呑もな!」
にっかりとテッラが笑うと、男は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「潰してやるよ、威勢のいいお嬢さん。潰してその体に危機感ってやつを教えてやる」
「楽しみや。ウチをお持ち帰りしたいやなんて、覚悟しいや」
お互いの視線が交錯する。
次の瞬間二人はほぼ同時に酒をあおった。
夜が明ける。
酒場の中は泥酔客たちで死屍累々。
舞台上では、樽に男がすがってなんとか立っていた。
一方テッラは「朝日がまぶしいわあ」と目を細めて窓の外を眺めている。
完全に男の負け。テッラの圧勝であった。
「ち、ちくしょう・・・。呑みには自信あったのに・・・」
その言葉を最後に男の手が樽から外れて、彼は床に倒れた。
一晩中続いたどんちゃん騒ぎでがっぽり儲けた酒場の主人と、完勝したテッラが勝利者の笑みを交わす。
店主はテッラに向かって水の入った杯を渡した。
「さすがに酒くせえよ、嬢ちゃん。水飲んで上で寝ていけ。お代はもう充分稼がせてもらったからよ」
「ほんまにええの?ありがとな、おっちゃん!じゃあ、ついでにこの人が起きたらウチの部屋に来るように言うといて」
「なんだ、気に入ったのかい?」
「そうや!酒はウチより弱いけどな。まあ、こんだけ呑めたらええやろ。それに呑んでるあいだ、ずーっと隙なかってんで。ずっとや。このにーさん、えらい腕立つわ」
テッラが見つめる先。
床の上に這いつくばった男は店主から見ればみすぼらしい冒険者のひとりにすぎなかったが、歌姫にとっては違ったらしい。
「へえ」と呟いて、テッラの観察眼に感心した。
小一時間ほど眠ったあと、テッラは部屋で昼間に購入した麦酒の残りを呑んでいた。
そこへコツンとノックとも言えないほど弱々しい音が扉から聞こえた。
「俺だ。昨日?いや、今日?今朝・・・あんたに負けた男だ」
地の底から響いてくるような酒に焼けた声がする。
「入ってええよー。どうぞー」
テッラは軽い調子で言いながら、次の杯をあけた。
男は部屋に入ったとたん、むせかえる酒の臭いに顔を覆う。
「まだ呑めんのかよ」
「迎え酒や」
無駄にきりっとした顔で言う美女に何も言えなくなったらしい。
テッラの向かい側に机を挟んで、男は無言で座った。
「で、何の用?負けた男を笑いたいだけなら帰らせてもらうぜ」
口火を切ったのは男の方だった。
「うん、あのな。用事はあんねんで、まじめに。でもその前になんでウチに挑戦しようと思ったか訊いてええか?」
ついに麦酒が底をついて残念そうな顔をしたあと、テッラは小首をかしげながら言った。
蠱惑的な美女に見つめられれば悪い気はしない。
それが呑み比べで負けた相手でなければ。
男は視線をテッラから外して、窓の外の賑やかな大通りのほうを見下ろしながら口を開いた。
「あんたには関係ないことだろう」
「大有りや。乗り気やなかったやろ?なんや、のっぴきならん事情で勝負してますーって雰囲気でわかるわ。わざわざ『危機感教える』なんて忠告じみたこと言われたらな」
「余計なお世話だったみたいだけどな」
けっと唾を吐いてやさぐれた男は、机にほおずえをついて意地でもテッラと目線をあわせないようにしていた。
「まあ、そうやな。それは否定せえへん」
けろっとした表情でテッラは肯定した。無意味に同情をかけても、男がさらに情けなくなるだけだからだ。
男は視線を窓の外に固定したまま、ぽつりとつぶやいた。
「あんた。昨日の昼間にギルドで啖呵切っただろ」
「ん?あのときおったんか?」
「いや、人づてに聞いた。すげえ噂になってるよ、あんた。んで、余計なお節介心がわいた野郎がひとりいてな。さっさと負けさせて、変な野郎に捕まる前に舞台から降りたほうが安全だろうって思ったわけだ」
「ほお。それがにーさんってことかいな」
「・・・」
無言は肯定と同じ、とテッラはこくりと頷いた。
それから男を改めて眺める。
今こうしていても彼には隙が見当たらない。一挙手一投足にいたるまで、己の支配下に置いた武人の振る舞いだ。
冒険者稼業をしているのが不思議なくらいに。
世間ずれしていそうでしていない親切心を失わない心や、その武力。訳ありの人間だろうと簡単に想像できたが、彼以上に強い人間を探すことが困難だろうとも思った。
テッラとて自身の事情をすべて打ち明ける気はないのだから、お互い様かもしれない。
なら・・・。
「ウチ、あんたを護衛に指名する。あ、ギルドには言うといたるで!でも呑み比べで負けたんやから割安料金でよろしくな!」
「はあっ!?」
「勝者は敗者のすべてを得る!世の常識や。にーさんに拒否権なんてもんはないで。これからは諦めてウチに振り回されてんか!ウチはテッラです、よろしくお願いします!」
「あ・・・俺はマルク。いやいやいやいや、ちょっと待てよおい!」
「待たへん。あ、いや、追加で麦酒呑みたいからもうちょい待ってえな。おやっさーん!追加の麦酒ぅううう!」
「まだ呑むのかよおおおおおおおおお!!!」
扉をあけて階下に向けて注文するテッラの背に、マルク青年の叫びが当たって儚く散った。
手慣らしに書き散らしてます。
そのため不定期更新。
ふんわり設定。