006 魔道具
「――はて。何の事でしょうか?」
ヴァンの言葉に僅かな間をおいてアルトは問うた。
その表情には焦りや偽証といった類のものは見当たらない。
本心からそう言ってるのだろうと慎は開いた口をそのままに理解した。
――だが、ヴァンは違った。
「何もカマを掛けてる訳じゃない。此方もそれなりの証拠を揃えての発言だよ。」
「……俺は只の"a heretic"《能無し》ですよ。」
「ふむ。そう簡単に認めるわけにはいかないと、そういう事かね。」
ヴァンの言葉にアルトは沈黙で答えた。
――沈黙。
暫しヴァンとアルトが睨み合うだけ、という時間が過ぎた。
慎はその間じっとその光景を見ているだけだった。
不意に口元に水が流れる感触が襲う。
慎はそれを手で慌てて拭うとそれが自身の涎だと気付き、自分の口が開いたままだという事に気付く。
(何者なんだよ、御前は……っ!)
口が開いたまま、それも涎が垂れるまで放置する程今目の前に繰り出された会話は衝撃的だった。
傍から見ればヴァンの言い分の方が可笑しい。
"a heretic"《能無し》はどう足掻いても"a heretic"《能無し》だ。
それは何年も前から覆された事のない事実であり、真実である。
魔法の使える"a heretic"《能無し》なんて存在する筈がない。
――はずなのに。
慎はそこでアルトへ視線を移す。
何処にでも居そうな只の高校生がそこに居る。
――そう、ごく平凡な学生の筈だ。
――なのに。
――それなのに。
――慎の目には非凡な学生に映っていた。
「……口を割るつもりはない、か。」
暫し、その場を支配していた沈黙がヴァンの発言で解かれる。
「魔道具を作っている事は認めはするが、魔法が使える事は認めないようだな。」
やれやれ、といった表情でヴァンは溜息を吐く。
――が、アルトはそんなヴァンの行動に苦笑を浮かべ。
「何か誤解をしているようですね。」
と、口を開いた。
その言葉を受けヴァンの眉がピクッと反応する。
――何が誤解なのかね?
そう、ヴァンが問い掛けようと口を開いた時。
「俺の魔道具をどう理解してるんですか?」
遮る様にアルトの言葉が続く。
――魔道具。
ヴァンには詳しい説明や解説は出来ない。
自分は学者でも発明家でも科学者でもない。
専門的な用語を並べられて理解出来るような知識は生憎持ち合わせていない。
だが、大まかな事は上から聞かされている。
――それは魔法の発現を加速させるものだと。
イメージし、魔力とマナを練り上げ発現させる。
それが呪文の発現方法だ。
だが、魔道具を使用する事によって魔力とマナを練り上げる、という肯定を省略させる事が可能となる。
つまり、イメージだけで呪文を発現させる事が出来るのだ。
それが事実ならば相当な脅威になりえるが、逆に言えば味方ならば強力な武器になる。
上の人間はその知識、その製造方法を知りたいが為にアルトを味方に付けようと模索している。
――とはいえ、味方に付けるよりも先にその製造方法をどう奪おうかとあの手この手を使用してるのだが。
「…私は詳しくは知らないが、魔法の発現の助力をする道具だと聞いている。」
それを聞いたアルトはニヤリと口元を吊り上げた。
「やはり、そうゆう事でしたか。――魔法が使えないのなら魔道具を作れない。そういう考えですね?」
アルトの言葉に無言で答える。
相手の反応を肯定の意だと受け取り、アルトはそのまま話を進める。
「結論から言いましょう。魔道具はそういった道具ではない。発現を助けるといったサポートアイテムではないんですよ。――それは俺の蒔いたカモフラージュ、嘘です。」
その瞬間空気が凍った。
自分達の情報が嘘だと、彼は言った。
それどころか情報が漏れる事を予測しての二重の警備にヴァンは内心アルトに恐怖した。
「因みに何故今、嘘だという情報を与えたのか。――俺が魔法を使えるという憶測を持たれるのは俺にとってデメリットでしかないからですよ。………嗚呼、先程先生がカマではないといった趣旨の言葉を述べていましたが、ブラフだということは判っていますよ。何故なら使えないから証拠なんて出る訳がないんです。」
「クッ!」
クソッ! とその場で叫べるのならば叫びたかった。
だが、自分の立場を考えるとそれが出来るものじゃなかった。
こんなガキにここまでコケにされるとは…!!
屈辱以外の何物でもない。
ここまで悔しいと思った事は人生でそう多いものじゃない。
それ程の敗北感をヴァンはアルトによって味わらされた。
「……先生、もういいでしょう。俺は魔法が使えない。魔道具は上の方が思っているような物ではない。これだけの情報を持って帰れるんです。何も問題ないじゃあないですか。」
全て真実ですし、と言葉を付け加えてアルトはヴァンを見詰めている。
ヴァンはその視線に気付きながらも悔しそうに俯くしか出来なかった。
暫しヴァンを見詰めていたアルトだったが、不意に踵を返すと。
「慎、帰るぞ。」
と短く慎に伝えると足早にその場を去った。
慎はアルトの言葉に戸惑いを感じたがヴァンの様子を見て「もう終わりだろう。」と、そう思い慌ててアルトの後を追った。
その場に残されたヴァンにすっかり冷え込んだ夜風が容赦なく襲い掛かった――。
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「アルトってさ、すげーんだな……」
帰り道、エルティック乗り場まで見送ると申し出たアルトに慎はそんな事を呟いた。
「騎士団の隊長相手に気負いもせず、あそこまで口論出来るんだもんよ。俺には真似出来ねえ。」
「別に大した事じゃないさ。それに騎士団の隊長だろうと向き不向きがあるんだ。俺にはこういうのが向いてて先生には向いてなかった。それだけだよ。」
「いやいやいやいや、それでも相手は隊長なんだぜ? 普通は緊張したりとかして冷静な判断が出来なくなるもんだろ。ましてや尾行されてたんだ、冷静になれるほうが難しいって。」
「それは慎達の立場からすればなんで尾行されてるのか判らないという不安があるからだろ? 俺には尾行される理由もあったし。相手の目的も察する事が出来た。なら予測していた出来事に対処するのはそこまで難しくない。」
「――…予測?」
ここにきて又、慎の首を傾げるような言葉が耳に入ってきた。
「先生が尾行してたってアルトは判ってたのか?」
「――、大体は、な。」
慎の問いに僅かな間を空けてアルトは答えた。
「なんで判るんだよ?」
「まあ、尾行が始まったと気付いたのが学校を出て割りとすぐだったからな。――例えば学校の関係者以外が俺達の尾行をあの位置で始めたとしよう。その為には校門のすぐ近くで俺達が出てくるのを張る必要がある、関係者以外は校内に入れないからな。そうなると校門付近であれは誰だろう、といった具合に他の生徒達によって不必要に目立つ事になってしまう。となると学校関係者という事になる。そうなれば予想はそう難しくないだろう? 一番当たり障りのないものが"a heretic"《能無し》である俺達に対する嫌がらせ。そして一番俺の中で気を付けなければいけないのが――騎士団関係者による俺の調査だ。」
そこまで聞いて慎は今日何度目か判らないが、言葉を失う。
尾行されていた事には気付いたがそこまで考えてはいない。
勿論、此の場には居ないがフェイも考えていない。
アルトの思考は最早高校生レベルのものではなかった。
「用心に用心を重ねるのは悪い手じゃあない。物事は常に最善と最悪を考えるべきなんだ。」
一見、遠回りにも見えるがその実それが一番効率がいいんだよ、とアルトは言う。
その言葉に慎は納得した表情を浮かべ肯定の意を込めて頷くのだった。
「っと。乗り場に着いちまったな。」
んじゃ、俺は此れに乗って帰るからよ、とエルティックを親指で指しながら慎は言う。
「ああ。気を付けて帰るんだぞ?」
「御前こそ気を付けろよ?」
その言葉に秘められている彼なりの気遣いにアルトは苦く笑いを浮かべ軽く頷く。
それを見た慎が手を振りながらエルティックに乗り込み、僅かな時間を置いてエルティックは走り出した。
アルトはそれを見送り、岐路に着こうと踵を返したのだが――
「――…ふう。お久し振りですね、父さん。」
その前にはアルトの父親――緋色幸人の姿があった。
「いつからそこにいらしたんですか?」
「御前の友人がエルティックに乗り込んだ辺りからだよ、安心しろ。御前を尾けていた訳じゃない。」
アルトの問いに幸人は素っ気無く答える。
そこには親子の繋がりが見えるような温かさはない。
「そうですか。では、俺に何の用でしょう?」
今日は何の用か、と相手に問う事が多い日だ等と己の中で毒づけば相手を見据える。
するとその問い掛けに幸人は僅かに口元を緩め。
「魔道具とやらで御前は何を企んでいるのか聞こうと思ってな。」
それだけ、言い放った。
「……前にも言った筈ですが。俺は偉人になりたいんですよ。」
「ふん。御前のように満足に剣も扱えず、ましてや"a heretic"《能無し》の御前に何が出来るというんだ。」
「人間諦めなければなんにでもなれるんですよ。」
「綺麗事を。あのまま俺の息子として、そして弟子として鍛冶の道を極めていれば何か変わったかもしれんと言うのに――」
その言葉を受け、柄にもなくアルトの表情に"怒り"という感情が表れた。
――緋色家は代々鍛冶屋を営む老舗の鍛冶屋だった。
幸人の代で丁度十代目という事から判るように古くから伝えられてきた技法、伝統、秘伝等が沢山あり騎士団関係の人間から傭兵、旅人等からも絶大な人気を誇り鍛冶屋としての地位はかなり上のほうにある。
だが、それだけでは収まらないのがアルトにとって問題であった。
本来鍛冶屋というものは客が居て成り立つ商売である――無論他の職業でもそうだが――つまり上の人間が来れば顔色を伺いながら仕事をするものである。
しかし、緋色家は違った。
上の人間が此方の顔色を伺うのだ。
今や緋色家は此の国では怖いものなどない程の、ある種ひとつの組織と化してしまっていた。
「何が変わったと言うんです? 貴方のように腐った人間になれと言うんですか。」
「御前のような青二才に何が判ると言うんだ。」
「判りますよ。自分達さえ良ければ他の者の事なんて考えない。――俺にはそれが我慢ならない。」
「…っ、それのどこが悪い! ミサや愛華だって判ってくれる!」
「母さんとミサが判ってくれる…?」
声を荒げて反論してきた父親の言葉に怒りの色を強くしていく。
「父さんは本当にそう思ってるんですか?」
「当たり前だろう! あの時の俺は間違っていた! だからその間違えを――」
「ふざけるなっ!」
ビリッ、とその場が震えるような錯覚を覚えさせるほどの声量でアルトは叫んだ。
アルトが怒鳴る、そんな珍しい光景に多少の動揺を見せる幸人に目も向けず焦点の合わない目でアルトは更に言葉を続ける。
「母さんもミサも…俺も! あの時の父さんだから着いて行ってたんだ! 戦乱のない世界を作ろうと考えながらも悩みながらも武器を作ってたあんたに! 自分の武器で戦が起こる、それでもその戦を止められるのは武器だと! 平和を信じて武器を作り続けてたあんたに俺達は着いて行ってたんだ!!」
ハァハァ、と息を乱しながらキッとアルトは幸人を睨み付けた。
此れで少しは目が覚めるだろ……。
そんな希望に近い願いを込めて幸人に視線を送り続ける。
「クククッ…!」
だが、幸人の反応はアルトの希望を砕くものだった。
「先刻も言ったはずだ。あの時の俺は間違えていたと。――その考えが間違えていたのだ。俺は、俺の身内を守る為に力を手に入れた。――他の者等俺には関係ない。」
そう答えた幸人の目は濁っていた。
幸人の心はあの日以来、病んでしまったのだ。
自身の所為で起こってしまった事件。
それを悔やみ続けた結果、彼の心は壊れてしまった。
――家族を守れなかった。
――何が世界を守るだ。
――最愛の者も守れず何が世界を守るだ。
――そうだ。
――世界等守らなければ良い。
――守りたいものだけ守れば良い。
幸人の思考はそう辿り着いた。
そんな壊れた幸人の下を去る弟子は決して少なくはなかった。
だが、そんな幸人を見捨てられない者も少なからずと存在する。
ウェルもその内のひとりだ。
だが、アルトは彼の下を去ってしまった。
支える事も、――傍で見る事も出来ず只逃げ出してしまった。
その代わり、
「俺は守るよ。」
ピクッと幸人の眉が跳ね上がった。
「俺は守る。俺の魔道具と俺の力で戦乱のない戦のない世界を作ってやる。――俺が尊敬してた父さんの意思を継いで。」
アルトは父親と戦う道を選んだ。