011 教師の憂鬱
中間試験まで残り一週間となったアンブレイでは試験対策の授業を行う教師にも妙な緊張感を纏っていた。
試験の成績に直接生徒のように順位やら何やら評価される訳でもないのだがそれでも教師も緊張せずには居られない。
理由を挙げるのならば生徒達の何とも言えぬ緊張感が移ったとも言えるし、今までの人生で試験を受けてこなかった大人など居ないので自身の経験を思い出しているとも言える。
他にも色々と理由があるのだがどれも似たり寄ったりなので割愛するとするが、一部の教師には責任感という重圧が圧し掛かっていたりもする。
例えば素質は十分にある生徒が居るとする。
少なくとも教師の目からは十分だと判断される程度に実力のある生徒に授業を教える教師。
そこにはやはり思い入れといった形で何らかの感情が抱いてしまうものである。
その生徒が試験でいい結果が残せなかった場合、授業を教えた自身に問題があるのでは? なんて思い込む教師が居るのだ。
無論教師だけの問題ではなく生徒の方にも問題がないとは言えないのだが一部の責任感の強い教師はそんな重圧を抱えて生徒に授業を行っていた。
「今年の一年は色んな意味で厄介だなぁ。」
その一部の教師に片足を浸かっている剣術実技担当のアラド・コールは椅子の背もたれにどっしりした上半身を海老の様に反らせて支えさせている。
視線は何も変哲もない教務室の天井に向かっていた。
アンブレイの教務室は三つ存在する。
格学年棟にそれぞれの学年担当専用の教務室が用意されている。
此処は一年棟の教務室であり、アラドは一年担当の教師だという事が判る。
アラドは真面目か不真面目かで言えば不真面目な部類に入る教師ではある。
だが、不真面目な教師だから何もかも適当という訳でもない。
ちゃんと生徒と向き合っているつもりだし、向き合うつもりである。
生徒達の才能を自分が引き出してやろうと考えていない訳でもない、割と教師としては熱心な部類に入る教師論を持っていたりする。
だが、そうと言っても不真面目には変わりなく手を抜くところはしっかり手を抜きサボれる時はしっかりサボる、なんとも言いがたい立ち位置に居た。
アラドの悩みの大元は慎とロン・ハンスである。
このふたりはクラスが違うため一緒に授業を受ける事はないが間違いなく一年男子のナンバーワンとナンバーツーになる人物だとアラドは確信を持っていた。
だが、ふたりの実力があまりにも桁外れ過ぎてどうしたら良いのか判らなくなっていた。
試験方法もそうだがクラスが違うため授業内容で優越を付けるのも難しい。
アラドの授業方針は実戦形式で負け抜きシステムを採用している。
つまり長く勝ち進んだものが優秀だと簡単に判断出来るシステムだった筈なのだが。
まさか一度も負けない人間がふたりも出るとは想定外だった。
そもそも、今まで教師生活を何年も続けてきて何年もこのシステムを使っていたのに今年初めての出来事である。
違う学年に生まれていれば間違いなくそれぞれがそれぞれの代での最優秀者になっている筈だ。
そう考えれば考えるほど惜しい人材であり、採点基準に頭を抱える羽目になる。
彼等を基準にすると周りが明らかに不利であり、周りに合わせると彼等が同点になってしまう可能性が出てくる。
それはそれで避けたい事態である。
「ああああああ、悩む~」
ガシガシ、と頭を搔けば勢いよく今度は机の上に上半身を放り投げた。
ドン、と決して小さくない音が室内に響いたが筋肉質でがっしりした身体には何のダメージも受けていない。
だがその音に驚いてしまった人間が廊下に居る事は誤算であり、慌てて教務室に入ってくるところを見たら申し訳ない気持ちになった。
「ななな、なんですか! 今の音は!」
「あ、いや、俺が机に突っ伏した時の音だよ。」
ほら、と言えばもう一度上半身を机の上に倒れ込む。
再びドン、という音が室内に響けば驚いた表情から怒りの表情を浮かべアラドへ説教を始める。
「ほら、じゃないですよ! あんな大きな音を立ててけろっとしてるなんて何なんですか! 馬鹿なんですか!? 筋肉馬鹿ですか!? 貴方の頭の中にある脳みそは筋肉で構成されてるんですか!! 大体あんな廊下にまで響く騒音を今は誰も居ないとはいえ教務室で起こすなんて教師としての自覚はあるんですか!! 貴方は教師であり騎士団の分隊長にも選ばれる優秀な騎士なんですよ!! もっと自覚を持ってください!! いや今すぐに持てぇぇえええ!!」
はぁはぁ、と息を荒げてアラドへの説教…というよりも罵り…罵声を一通り浴びせたら息を整えるために彼の隣へと腰掛ける。
元々そこは彼女の席の為アラドは何も言わずに彼女へ視線を向けたままげんなりとした表情を浮かべる。
彼女に怒られるのは初めてじゃないとは言え毎度毎度人を筋肉馬鹿扱いされるのは堪ったもんじゃない。
「なんですか、その顔は。」
「なんでもねえよ。」
ふん、とそれだけ言い放てば作業の途中だったと思い出し机の上に置いていた資料へと視線を戻す。
そこでふと思い出した。
彼女は一年女子の剣術実技担当だった筈だと。
何かいい案が得られるかもしれない、という事で彼女に助言を求めるべく口を開いた。
「ところで、ミース。女子の剣術実技の試験はどういった内容でやるつもりなんだ?」
「女子は例年通り総当たり戦です。第三演習場を借りて実戦に近い形で行うつもりですが。」
アラドに問い掛けられミースと呼ばれた女性はさらりと答える。
「あー。三クラス毎に四回に分けて行って最後に勝ち残った四名の一対一の模擬戦で大体の順位を決めるってやつだっけか。」
言われてみれば毎年そんな感じの事をしていたと思い出す。
これなら、騎士として必要な剣術の技量と戦場での判断力が量れそうだ。
「アラドさんはまだ決めていないんですか?」
「ああ、今年は些か厄介な奴がふたり程いてなぁ。」
「……黒峰とロン、ですか。」
「そーだ。ヴァン隊長も一目置いてるみてえだからなぁ、あのふたりには。特に黒峰にはやたらと興味を持ってるみたいだった。」
「"a heretic"《能無し》なのにですか?」
「なのに、だ。」
ふう、とアラドの口から溜息が漏れる。
ついでに言うとアラドもヴァンと同じく慎に一目置いている。
"a heretic"《能無し》であるため魔法の分野では唯の役立たずになるが剣術では話が違う。
高校生の域を飛び越え騎士団員レベルまで食い込んでいるのだ。
そんなレベルの一年生に対して剣術実技担当のアラドが興味を持たない訳がない。
「さーて、もう面倒臭ぇからあのふたりには個別に戦ってもらうか。」
心底面倒だといった表情で頭を乱暴に掻き毟れば試験内容を纏めるべく書類へペンを走らせた。
その言動を見たミースは慌てて言葉を発する。
「ちょっと! 何言ってるんですか! そんな特別対応通ると思って」
「通るだろ。」
ミースの話を遮ってアラドは断言する。
「な、なんでそんな事が言えるんですか!」
「簡単な事じゃねえか。奴等を平等で扱うってのが元から無理難題なんだよ。既に此の学年の上位ふたりはどう考えても奴等だ。」
「で、でも、意外と結果が変わったり」
「するかよ。そんな小さいレベルの差じゃねえんだぞ? 女子の方だってフェイって奴が勝ち抜けるって御前さんは思ってるんじゃねえか?」
「そ、それは」
「フェイって奴がふたりも居てみろ。普通に競わせるのが馬鹿馬鹿しく思ったりしねえか?」
アラドの問いにミースは心の中で納得する。
確かにあのレベルの人間が何人も居れば普通の方法で競わせるのは手間だと。
だが、かといってアラドの言い分に賛成する気にはなれなかった。
理由は彼女が真面目だからということもあるが"a heretic"《能無し》である慎の立場を思うところが大きい。
"a heretic"《能無し》の彼がそんな待遇を用意されれば周りの人間が良い思いをするなんて思えない。
最悪、慎に八つ当たりとも言える嫌がらせが行われるかもしれない、と彼女は考えていた。
「黒峰の心配してんだろ?」
「――え?」
心を見透かしたかのようなタイミングの問いにミースは言葉を詰まらせる。
その行動を見てアラドはそれを肯定だと受け取れば、
「心配すんな。あいつの実力見てまで文句を言うような輩は此処にはいねえよ。」
と力強く言う。
根拠ならあった。
少し前に行われた中庭での慎とフェイの一騎打ち。
あの一戦の目撃者は決して少なくはない。
噂が噂を呼び今や慎の実力を知らない者など居ないほどだ。
それを知って尚も文句を言い出すような奴がいるのならばそれはそれで処罰の対象になり得るだろう。
白服の連中辺りが動いてくれるかもしれない、そうアラドは考えていた。
「そもそも、あいつに嫌がらせしたところであんまり意味はなさないだろうな。」
ははは、と笑いながら言うアラドに納得してしまった自分に自己嫌悪を覚えるミース。
自身は決して楽天家ではないと思っていたのだが、長らく彼の下で働いていた所為か昔よりも楽観的な思考を持ち合わせてしまっている。
アラドからしてみれば最近丸くなってきて嬉しいなぁ、程度な考えなのだがミースはそんな自分に腹を立てていたりする。
アラドはヴァンが指揮する四番隊に所属しており分隊長としてミースの上官に当たる。
ヴァンの推薦がありふたり揃って剣術実技の教師として此の学校に呼ばれたのだが、
(ヴァン隊長には申し訳ないんですが…此の人と一緒に組ませた事には憎悪を覚えますよ。)
彼是何十年の付き合いになりつつあり、お互いに似てきた部分が増えてきた事をミースは実感しており、ミースにとってはマイナスだったりする。
元来生真面目な性格な為、不真面目なアラドとの相性は悪く、上官でなければ何度背後から斬り付けようと悩んだ事か。
だが、アラドはそんなミースを気に入っていた。
部下として優秀だし、何より自分なんかよりも頭が良い。
自身の学は決して良くない事をアラドは熟知しており参謀としてミースを信用していた。
ミースはヴァンが推薦してアラドとミースがペアになったと勘違いしているが事実はアラドがヴァンに頭を下げて頼んでいたりもする。
そんな事も知らずに勘違いで憎まれてしまったヴァンはその頃背中に謎の悪寒が走ったとか。