侍女が砦にやってきた 5
「いかがですか姫さま。ミシャは」
「あのね、とってもいいの」
休憩中のことである。
侍女にも休憩が必要だからと、ヘイゼルは定期的にミシャを自室でやすませている。ガーヤが顔を見せたのはちょうどそんなタイミングだった。
「不思議なの。彼女がそばにいてくれると物事がするする進むの」
「ほうほう」
「彼女ね、バタバタ動くわけではないのよ。むしろその逆なんだけど……なのになぜかしら。彼女がいてくれるとやることがはかどる」
それはよかった、連れてきたかいがありましたねとガーヤはほほえむ。
「彼女、どういう人なの?」
「──正式にはミシャ・ダルリンブルと申します」
「あっ聞いたことある!」
大きな声をあげてから、間違った、読んだことあるとヘイゼルはいい直した。
ぶ厚い貴族年鑑を毎夜のように熟読していたヘイゼルである。一度目にした名前は忘れない。
「たしか、ある年からぱたっと年間に名前がのらなくなった家だわ……確かそういう家は取りつぶしになったとか、そういうことだって教えてくれたわよね?」
「そうです」
「……思い出してきた……おかしいとそのときも思ったのよ。子爵位をもつ家がいきなり途絶えることなんて普通ないわ。戦争時に国家に損害でもあたえたのならともかく、あの年前後は平和そのもの、なにもなかった。ダルリンブル家はどうして名前が消えたんだろうと不思議だったの」
ガーヤ知ってる? と見上げるヘイゼルに、もと乳母はやさしいまなざしを向けた。
「くわしいことは、あの子本人に聞いてください。あたしもそのころは王宮から離れていましたし、他人があれこれ話すよりも、本人に聞いたほうがいいでしょう」
「そうね、それはそう。わたしが悪かったわ」
「ただ、この三年間はアズマイラ男爵夫人のところで侍女として働いていたそうで」
「えっ??」
ヘイゼルはふたたび大きな声を出した。
「それはおかしいわね。ダルリンブルは子爵位なのに。普通、実家よりも下の爵位の家につかえるなんてことないでしょう」
「そうですね」
ガーヤは内心で苦笑した。
普通、気にするところはそこではない。あの気難しい女性につかえるなんてどんなしがらみがあるのかとゴシップ欲を盛大に発揮するところだ。
今でもなお、姫さまは頭でっかちなところがあるとガーヤは思った。
だがだからこそ、ミシャと出会わせたらどんな化学反応が起きるか楽しみでもあった。ミシャの来歴を聞いたとき、元女官長の勘でピンときた。この娘は泥のなかをずぶずぶ真剣に歩いてきたのだと。
(姫さまとはまるで真逆だ)
「なにを笑ってるの、ガーヤ」
「おや、笑ってましたかね」
すっとぼけるのも上手なガーヤなのである。
「そりゃあ笑顔が地顔なんですとも、姫さま。丸顔ってのは黙ってても笑ってるように見えるもんですよ」
◇◇◇
それからしばらく。
砦の地下部に、どすどすとガーヤが駆け下りてきた。
「アスラン、アスランはいますかっ」
「どうしたのガーヤ」
すげえな、この固い地盤が揺れたぜ、ガーヤが走ると。
縦揺れだったよな、しかも。
デリカシーのかけらもない声があがるなか、ガーヤはそれらを無視してアスランに詰め寄った。走ってきたので肩が大きく上下している。
「ひ、ひめさまが」
「男と出掛けたっていうんだろ? 知ってるよ」
「し、し、知ってるって」
「そいつと会ったもん。迷ってたから出掛けておいでっておれが言った」
「あんたはアホですかーっ!!!」
ですかーっ。かーっ。
ガーヤの怒鳴り声が狭い坑道にこだまする。
「まあ落ち着けよガーヤ。水でも飲む?」
ひったくるように水をあおると、ガーヤはあらためてアスランをにらみつけた。
「事情は話してもらえるんでしょうね」
もちろん。とアスランは説明した。
オーランガワードの下級貴族が以前からヘイゼルに手紙を届けていたこと。一度お会いしてお話ししたいと何度もいってきたこと。それをヘイゼルはのらりくらりとかわしてきたが、砂漠を横断して本人がやってきたこと。
そこまで聞いてガーヤはあきれた顔になった。
「アポなしでいきなり? 礼儀知らずにもほどがないですか。姫さまは会うなんて一度もいってないのに」
「まあまあ、そこは置いといて。砂漠の民として客人に水も与えず追い返すなんてことはできない。馬にも水をやらないといけない。そこでその男はいった。遠路はるばる来たのだから、ヘイゼルの顔をひと目見たいと」
「ずうずうしい……。うちの姫さまは名所旧跡じゃないってんですよ。それで? はいそうですかってあんたは会わせたんですか?」
「対応したのはおれじゃない。女たちだ。彼はいったらしい。ヘイゼルに見せたい貴重な書籍を持ってきているからぜひお目にかけたいと」
ガーヤの顔がぴくりと険しくなる。
ヘイゼルは子どものころから書籍を偏愛しているから、そういわれてはむげにできないのである。
「しかも、そのとき対応した女たちは字が読めず、彼が手にしている書籍がどれだけのものなのか価値がわからなかった」
「なるほど」
「それでミシャが確認に出たんだよ。男はミシャを見て顔色を変えたらしい」
「……」
「ミシャは書籍の題名をヘイゼルに伝えた。帝王教育の権威とされる学者が書いたずいぶん貴重な本だったそうだ。それでヘイゼルが顔を出したら、このほかにも貴重な書籍をたくさん持ってきている、ただ重いので天幕に置きっぱなしだからご覧になりませんか、と誘われたらしい」
「なんてこった」
ガーヤは忌々しげに吐き捨てた。
「よくもピンポイントで、姫さまが興味を持ちそうな本を……」
「で、おれにどうしたらいいか聞くから、気持ちよく送り出したってわけ」
「なんでそこで気持ちよく送り出すのかわかりませんが」
「ガーヤは前に言ってたろう。ヘイゼルは男のあしらいをもうちょっと覚えたほうがいいって。これはいい機会かと思ったんだよ」
すうっ。ガーヤは息を吸い込んだ。砦の男たちが素早く耳に手をあてる。
「あんたはアホですかーっ!!!」
かーっ。かーっ。かぁーっ。
ガーヤの地声が坑道にこだまする。
「ヘイゼルは大丈夫だよ」
「なにを根拠に」
「ミシャがついていったし、それに武器も渡してあるし」
「武器ってあんた!」
「ちゃんとヘイゼルが使える武器だよ、大丈夫」
「この……っ、なにをうすらとんかちなことを!」
ガーヤの血が沸騰した。
その一瞬、ガーヤの怒りがアスランの反射神経の上をいって、アスランが「あ、やべ」と思った時には肘にぴたりとガーヤの手が吸いついていた。
「いってええええ!!!」
砦の屈強な男たちがどよめく。
マジかよ。アスランが最後の砦だったのに。ガーヤすげえな。
「あんたって人は、あんたって人は、なにを考えて!」
「いててて、ギブ! ギブ! いってええええ!!!」
ガーヤはアスランの悲鳴を無視して彼の上にのしかかった。アスランの悲鳴が大きくなる。
痛覚狙い打ちからの体重押さえ込み。
この一番、ガーヤの完勝であった。




