侍女が砦にやってきた 4
ミシャの動揺を、ヘイゼルはやさしく見つめていた。
そしていった。
「ねえミシャ」
「はい」
「わたしたち、できるだけたくさん幸せでいましょう」
思わずきょとんとしてしまうミシャである。
「幸せ……ですか」
「そうよ、なるべく幸せに」
いっていることはおかしくない。
だが今なぜそれを言われるのかミシャにはわからない。
「砦は平和なだけではないし、これから先大変なことだってあるかもしれないわ。でもだからこそ、平和な時はそれを楽しんだ方がいいと思うの」
「姫さま……それはなぜかうかがっても?」
「なぜかしらね。でもなんでもない時に幸せでいたぶんだけ、いざというときの力になる気がして」
さっきのアスランとの話が聞こえていたわけもないのにそんなことを言われて、ミシャははっとなった。一瞬遅れて涙が出そうになる。
『力をためることが大事』
『できるだけ平和に』
この人は、わたしと同じことを考えてる。
「ねぇ、ミシャ」
「はい」
「あなたは王宮でもっとも華やかといわれる後宮で働いていたんでしょう。それならきっと砂漠での暮らしを物足りなく感じることもあると思うの。わたし自身、いろいろと足りない部分があると思うし……」
「そうですか?」
「王女としての高貴さとか、贅沢なものに触れた経験が足りないってガーヤはいうのよ。あとは……」
ヘイゼルは急に目線を泳がせた。
「だ、男性のあしらいが下手だって」
「!」
「よくいえば純真、悪くいえば世間知らずなんですって。でもこういう文脈の場合、たいていほんとにいいたいのは悪いことのほうよね?」
「それはなんというか、ええと」
「森で暮らしていた頃ならさておき、今はその……男性のあしらいかたも学ぶべきだと」
「そこの部分は同意します」
強くうなずいたミシャだった。
本人どこまで自覚があるかわからないが、これだけの美貌で、かつ無邪気で、確かな血筋をもった彼女がいろんな場所へ出向くとなると、やはり今のままでは危なっかしい。
(なるほど……わたしが呼ばれた理由がだんだんわかってきた)
ミシャは真剣に考え込む。
男あしらいのぶっちぎり最高峰であるアズマイラと比べてはかわいそうだし、またそうなることがいいとも思わない。だが、多少覚えても損にはなるまい。
「ねえ、ミシャ、馬に髪の毛食べられてる」
(かといって……それを覚えていただくことで、このかたのよい部分が消えてしまわないか……いや、そここそが侍女の腕の見せどころなのか)
「ねえったら。食べられてるわよ」
ミシャは後頭部を馬にいたずらされていることにも気がつかないほど、真剣に考え込んだのだった。
◇◇◇
ヘイゼルに男あしらいをどこまで身につけさせるか。
これはしばらくミシャの熟考課題となった。
なにをしていても、どこにいても、頭の片隅にそのことがある。
と同時に、しばらくヘイゼルと一緒にいて気がついたこともあった。
彼女はもしかして、かなり難しい主人かもしれないということだ。
(難しいといってしまうと語弊があるけど)
前の主人のアズマイラは、後宮いち、ひいては国いちばんの恐ろしい女性だった。アズマイラのところにいるといったら本気で同情されたことも一度や二度ではない。
だが彼女の横暴さはミシャにとってはらくだった。
理不尽な意地悪は自分のせいではないことがわかっていたし、すがすがしいほどの無茶ぶりも言いなりになっていればよかったからだ。
だが、ヘイゼルは違う。
わがままをいってミシャを困らせることもないし、感情的に八つ当たりすることもない。
(だが、だからこそだ)
今ヘイゼルは大きなクッションにもたれてぶ厚い書籍を読みふけっている。ミシャがじっと視線をそそいでいるのにも気がつかずに。
ミシャはこれでも、有能な侍女である自信がある。
記憶力もよいほうだと思うし、相手の好みもすぐおぼえる。主人の気配を読むのも得意だから必要な時に控えていることだって自然とできる。
(そのわたしですら……全然足りないなんて)
それに彼女ときたら、ひまさえあれば勉強している。
ここまで努力をする王族がいったいどこにいるだろうか。
賢王と呼ばれる人ですら、ここまではしない。
(父や祖父から聞いたことがこんなところで役に立とうとはね……)
かつて王の側近としてつかえた彼らは、王族貴族の内情について実によく知っていた。
自由気ままに贅沢三昧していると思われがちな彼らであるが、実は意外なほど自由な時間はないこと。些末な儀式に時間をとられるし、社交をかねた狩りだの夜会だのに参加しなくてはならないし。
王族や上級貴族とは、いいことよりも悪いことのほうがはるかに多いのだ。
それを知っているからこそ、ミシャには王女の勤勉さがまぶしかった。
と同時に、自分もこのままではいけないと震えが走る。
(このかたをお助けしたいと思うなら、わたしもまたこのかたと同じ目線まで上がらなくてはならないのだ)
普通の侍女にとってはかなり難しいことといわねばならない。
ただ、自分は仮にもダルリンブルの娘である。
(わたしだから……きっとどうにかなる……きっと)




