侍女が砦にやってきた 2
(揚げカスタード……それからポットにたっぷりのお茶)
自室に案内されてからというもの、ミシャはそのことばかり考えていた。
(おそろしいくらい食べてしまった……だっておいしかったから。いやそうじゃなくて)
なんとミシャはヘイゼルとふたりであれをひと皿平らげてしまったのである。お茶だってそうだ。かなり大ぶりのポットだったのに、女ふたりですっかりからにしてしまった。
(カロリーが……いやそうじゃなくて)
考えただけで冷や汗が出る。
あれだけ一緒にいたというのに、自分ときたら食べることに夢中でろくに話もしていないではないか。
ヘイゼルの人となりも、侍女に対して望むことも、なにもつかめていない。
(ただ美味しく食べて飲んだだけ……)
そこはかとなく自己嫌悪である。
ミシャはあたりを見回した。岩を掘って作った個室である。持ってきた荷物も少なかったので、片づけはあっという間に済んでしまった。
ヘイゼルからは、夕食までお昼寝でもしててと言われてしまっている。砂漠の暮らしは過酷だからくれぐれも無理は禁物なのだと。
なんという賓客扱い。いいのだろうか。
(私、侍女として来たのに……)
砦についたら、覚えることがたくさんあると思っていた。
はじめのうちは頭も体もへとへとになるだろうと覚悟もしていた。
それが、どうだろう。
(お菓子しか食べてない……)
こんな扱いは、これまで一度も受けたことがない。
『商品を休ませてても稼ぎにはならねえんだよ!』
『泣いてたっていいじゃないか。怖がってる娘が好きってお客も一定数いるからさあ』
タバコくさい息や真っ赤な唇でいわれた言葉はいまも覚えている。
あのころと比べたら、どんな場所でも耐えられる自信があった。
(それなのに……)
なんて普通なんだろう。
なんて平和なんだろう、ここは。
(ねむい……)
ミシャは小さくあくびをもらす。
揚げカスタードとあたたかいお茶のせいで、ほんのり眠気が襲ってきていた。
(寝ちゃダメ……)
そのときである。
カッ、コッ。部屋の外でなにかが鳴った。
はじめはそれがノックの音だと気づかなかった。
やけに耳慣れない澄んだ音である。それが、また鳴った。
カッ、コッ、カッ、コッ。
「あけても大丈夫かい」
「あっはい、どうぞ!」
ガーヤがノックしていたのだと気づくや、ミシャは腰かけていたベッドから飛び降りた。内外二枚の布を跳ね上げる。
砦の個室は岩をくりぬいて作ったものなので、普通の扉がつけられない。それゆえ、出入り口には内と外から厚手の布をかけてあるのだ。布をおろしてある部屋には誰も勝手に入らないのだと聞いた。
「すまないね、やすんでもらってるところ」
「いいえ。それより今の音はなんですか?」
「これかい?」
ガーヤはグローブのような握りこぶしを差し出してみせた。彼女の指輪には大粒の紫の石がはまっている。
大きさはかなりのものだ。きちんと磨きをかけてはいないが、それでも透明度の高い紫色はじゅうぶん目を引く美しさである。
「ひっ」
それがなにかに気づいて、ミシャの喉から変な声が出た。
「あの、これはもしや……」
「そう、モルフォだよ」
「ですよね!」
驚きのあまり、つい素の声を出してしまう。
なんてものを、なんてことに。
「わ、割れたり欠けたりしないのですか」
「しないらしいねえ。モルフォのほうが砦の母岩よりも硬いから、傷ひとつつかないんだそうだ」
「それにしても……」
くらくらした。これはけっして旅の疲れによるものではない。
(世界でもっとも価値の高い宝石を、ノッカー代わりに……)
アズマイラがこれを見たら、怒りのあまり正気を失うに違いない。
「ああそうだ、ミシャにもひとつこれを作ってもらわないとね」
「え、え、わたしにもですか」
「そうだよ、でないとノックをするとき不便だろう。あと、はいこれ」
ガーヤは水入れを渡してくれてからいなくなったのだが、ミシャは冷たい水の入った容器を手に呆然と立ち尽くす。さっきまでの眠気はすぱっと飛んでしまっていた。
(モルフォの……指輪を……侍女に?)
やはりアズマイラが知ったら怒りで正気を失うに違いなかった。
なにをどう驚いていいのかすらもわからないまま、こうやって、ミシャの砦での生活は幕をあけたのだった。
◇◇◇
そこから数日はあっという間にすぎた。
ミシャは力仕事を要求されることもなく、下働きをさせられることもなかった。
ただヘイゼルのそばにいて彼女を助けてやってくれといわれ、邪魔にならぬよう常にそばに控えているようにしていたのだが。
(いやはや、これは……)
ミシャが見る限り、王女は片時もじっとしていない。
手紙の返事を書く、書籍を読み勉強する、部族とのやりとりに心をくだく、針仕事や料理を砦の女たちから習う。
(なぜ、王女殿下がそんなことまで……)
しかも馬の世話までするものだから、さすがのミシャも内心が表情に出てしまったようだ。
「全部、自分がしたくてしているのよ」
馬のところに向かうヘイゼルがふと振り向いていった。
「だれに強要されてるわけでもないの。アスランの……夫の服を自分が作れたらいいなと思って縫い物を習ってるんだし、料理だって、できないよりはできたほうがいいでしょう?」
「それはまあ、そうですけど」
「馬もね、ここで暮らしてると乗らずにすませることはできないでしょ。そうすると、普段から世話して親しんでおいたほうがいいと思うのよね」
「ごもっともですが」
「それに、馬ってかわいいから」
ヘイゼルのいうことはいちいちその通りである。その通りではあるのだが。
(王女殿下がするべきことかといわれると……疑問ではある)




